決意と恩人
「あ~っ! 待って! 痛い痛い痛いってば――――――!?」
「うるさいお前……」
はい終了、と雪継が呆れたように言い放った。
「ふぅ~、痛かったぁ……」
「大体、なんで僕がこんなことしなくちゃいけないんですか」
「だってこれ……雪継に殴られたせいでこんなに腫れてんの」
「確かにそうですが」
真面目に痛かったー! 雪継に結構力強くぶん殴られて……でも、その手当を殴った本人がやるっていう……
「あの時は君が憎くてね」
「さらっと言うか!? 怖っ……」
まぁそのおかげで雪継とも割と仲良くなった訳だし。
「ところでー、風花とどうなったの?」
「……別に」
「え、まさかさ……気持ち伝える気無し?」
「悪いか」
あぁー! これだからこの時代の人は――――! 消極的だな、おいっ。
「どうすんの! 誰かにとられてからじゃ遅いんだぞ!」
「余計なお世話だ」
相変わらずクールなこと! そんなんでいいのか、男だろお前!
「少なくとも君には関係無い」
「あるよ、大ありだよ! あ、相談だったらいつでも……」
「しない」
ばっさり切り捨てられて少し落ち込む。あの、私一応女だから! そーゆー系割と得意だから!
「……まずい、か?」
秀広は独り言のつもりでつぶやいた。
「何がだ?」
「あっ……領主様」
「何がまずいって?」
少し言うのをためらう。……まぁ、今さら気にする必要は無いか。
「いや……この前の桜様と風花……」
「あぁ、そのことか。まぁ確かに険悪ではあるが……大丈夫だろ」
「そうではなくて……鈴のことです」
「鈴?」
いきなり登場した名前に真次は不思議な顔をした。
「鈴は……女ですよね。桜様――」
「秀広」
真次が声で制した。
「それは鈴がどうにかすることだ」
*
「あれ、鈴どうしたのその顔……」
「あ、これ?」
そう言いつつ自分の頬を指さす。この前雪継に殴られましたよ、思い切り。
「いやー、この前思いっ切り転んじゃってさぁ……」
「転んでそんなとこ怪我するか普通!?」
「あはは、私普通じゃないから」
「うん、色んな意味でね……」
呆れ顔の風花はため息をついた。
「あっ、そーいえばさ。前から思ってたんだけど」
「うん」
「雪継のこと好きなの?」
……と言うのと同時に、私の視界から風花が消えた。そして物音も……
「え!? あれっ風花!?」
「いっ……痛っ……! もうっ、鈴の馬鹿!」
下から聞こえる声の主は風花だ。どうやら段差でコケたらしい。
「だ、大丈夫!? ……てかなんで転んだ!?」
「鈴が変なこと言うからでしょ! 馬鹿っ!」
「ご、ごめん。……で? 雪継のこと好き?」
起き上がろうとした風花が再びコケた。え、何。ネタですかこれ。
「立つなって言ってんのか!」
「いやいやそーじゃなくてー! これは本気で聞いただけっ!」
「はぁっ……ったくもぉっ」
ようやく立ち上がった風花は私を少し睨んだ。
「なんでそんなこと聞くのよ」
「え、気になったから」
「あっそ」
すたすたと歩き出しそうになった風花を慌てて止めた。
「え、どっち!? 好きなの!? 嫌いなの!?」
「なんでそんなこと言わなきゃいけないのよ」
「気になるからでーす」
明らかにめんどくさそうな顔をして風花は言った。
「別に、普通」
「えー? 本当に?」
「本当ですー」
そう言って走って逃げてしまった。
コンコン。
「……どうぞ」
「失礼します」
風花が部屋に入ると、桜子はみるみる不機嫌な顔になった。
気付いていないふりをして道具を取り出す。
「……最近随分、鈴音様と仲がよろしいみたいね?」
「そうでしょうか」
あっさり返すと桜子は風花を睨んだ。
「よくそんな口がきけるわね。元紺氏の分際で」
「……今のは聞き捨てなりませんね」
「事実でしょう? 否定なさるの?」
「いいえ。でもその言い方だと紺氏よりも紅氏の方が偉いというような表現ですが」
「当たり前です。あんな卑怯な組織のどこが偉いとでも?」
卑怯……そうね。認めるわ、でも。
「紅氏もさほど変わらないと思います」
「……どういう意味です?」
「つい最近まで、同じように卑怯だったのでは?」
あたしだって紺氏を嫌いな訳じゃない。
「でも鈴が来て変わった。この組織は……鈴のおかげで正しい道を歩んでいるんです」
桜子はもう何も言わない。
「もし鈴が紅氏ではなく紺氏になっていたら? ……きっと紺氏が変わっていたはずです。偶然だったのか必然だったのかなんて分からない。でも、どっちが変わっていてもおかしくはなかった」
紺氏にだって優しい心はあるはずだ。……そう、信じたい。
「今、紅氏は“正義”の組織です。でも……正義がいくら頑張っても“悪”がいる限り、争いは終わらないでしょう?」
――やっと決めたんだ。
「だからあたし、悪を無くしに行きます」
「え?」
「――紺氏に戻ります」
*
「はっはーん。つまり、言うんだ?」
「あぁ、そうだよ言ってやる!」
いつになくぶっきらぼうに吐き捨てたのは雪継である。
「なんでまた言う気になった訳?」
「……別に」
はい、出ました別に! だったらなんで言うんだおい。
「何、そんなんでいいの? 告白するのにそんなんでいいの?」
「うるさいな……」
「せっかく風花の情報教えてあげたのに」
「あれは情報じゃない! ただのお前と風花の会話だろ!」
「いや、結構な情報だよ」
そう言ってニヤリと笑う。不気味に笑えてるかな。
「あのね……風花ってば、私が『雪継のこと好き?』って聞いたら……」
「ちょっと待った! なんだその直球すぎる質問は!」
「見事に転んだの! ずこーって!」
「流すな! そしてなんの報告だそれ!」
「動揺してるとしか思えなくない?」
私が言った言葉に雪継は顔を真っ赤にして俯いた。
「ねぇっ! そう思わない?」
「……ちょっと整理出来てない」
そう言って完全に顔を伏せた。多分その顔は赤い。
「……っぷ、雪継可愛い」
「はぁっ!?」
「好きな人のことになると意地張って赤くなっちゃってさー」
「放っといてくれよっ」
雪継は完全に不機嫌になった。
「……なんかうらやましいなぁ」
「え?」
「いいよね、こういう純粋に誰かを好きって気持ち」
「そーだな」
……棒読みですよ、雪継さーん。
「私、ここに来てから誰にも恋愛感情持ったこと無いんだよねー」
「お前らしいな」
「へ?」
なんかそれ聞いたことあるなー……なんだっけ。あ、そうだ! 秀広さんに言われたことあるんだ!
「お前は誰か一人を好きになるっていうより……誰にでも尽くす奴な気がする」
「……え、あっはい」
難しいねー、ていうか深いね。よく意味が分かんないけど……
「でさ-、風花のことどうすんの? 呼び出したりするの?」
「……まだ決めてない」
「まぁ私は遠くから温かーく見守るとするよ」
「見守るな! 邪魔だ! 限りなく邪魔だっ!」
そんな全力で拒否しないでよぉ! マジでへこむよ!? いいの!? まぁいいよね、君は冷たいからねっ。
「あっちは随分騒がしいようだがな」
真次は中庭の方を見て言った。そこでは雪継と鈴が何やら言い合っているようだ。
「……そうですね。もうあんな光景を見られないんだと思うと少し寂しいですけど」
風花もつられて真次と同じ方向を眺めた。
「本当にいいのか? 急だな」
「えぇ、もう決めたので。まぁ……あたしも決めたのはつい最近です」
「大介もいい仲間を持ったもんだ。こんなに紺氏のことを考えてるなんてな」
真次が大介のことをそう呼ぶのは、昔とても仲のいい戦友だったから。――ということはもちろん知っている。
「……仲間ではありません」
「え?」
「あの人は……仲間というくくりには入れておけない。あたしの“恩人”です」
「……恩人、か……」
風花の言葉を繰り返した真次は、やがて何かを思い出すように俯いた。そしてしばらくしてから、
「……ここはいつ出るんだ?」
「明日には出ます」
「明日!? おい、それはいくらなんでも……」
「もう荷物はまとめました。いつ出ても大丈夫です」
真次は何か言いたげな表情だったが、それ以上は何も言わなかった。
「気付いちゃったらゆっくりしていられないんです。一日でも、一秒でも早く……この間違った世の中を変えに行きたい」
「……そうか」
真次は大きく頷いた。
「……よし、じゃあ今日の夕飯は盛大に……」
「あっ、それは止めて下さい」
「え?」
「なんか……みんなに迷惑かけたくないし。そういうのはちょっと……」
「なんだ、まさか誰にも何も言わないで行く気か」
「あなたには言ったじゃないですか」
「そういうことじゃない。鈴とか雪継もいるだろ」
「いいんです」
だって、一回会っちゃったら――
「あたし、もう何も後悔することありません。今までずっとそう生きてきました。大事な決断したら、後は後悔の無いようにしてきましたから」
「お前の問題じゃない」
「……え?」
「あいつらが後悔するんだぞ」
「……あ……」
違う。あたしは。
「あいつらが、お前に最後会えなかったって。一番怒るのはあいつらなんだぞ」
違うよ。
自分の目から温かいものがこみ上げてきて、そのままこぼれ落ちた。
――だって。一回会ったら行けなくなっちゃう。
このまま――……
「お前はそれだけ……」
このまま行かせてよ。
「信用されてんだよ」
涙が止まらなかった。こらえようと思えば思うほどあふれてきて、風花はいつの間にかしゃがんでいた。
嫌なの。あたしに信用なんて言葉、似合わない。信用されるのが怖い。すごく怖い。その期待に応えられないんじゃないかって、いつか裏切られてしまうんじゃないかって。そして――
気付かないうちにその信用を失っているんじゃないかって。
あたしには孤独がぴったりなの。ずっとそう自分に言い聞かせて生きてきた。
信用されるのも怖いけど、何より。自分を信用して集まってきた仲間を知らぬ間に失っているのが怖かった。だから――あたしに仲間なんていらないの。
ずっと……ずっとそう思っていたのに。
「鈴が特に怒るぞ、あいつは」
仲間っていうのは気付かないうちに失って――気付かないうちに出来ているものらしい。
*
……トントン。
「はい」
「……鈴」
少し控えめなノックで入ってきたのは風花だった。
「風花……どうしたの?」
「……あ、あのね……」
風花は何か迷っている様子で俯いている。
「鈴に……相談したいことがあるの」
「相談?」
まぁ座って、と風花を隣に座らせる。でも珍しいなぁ、風花が相談なんて……
「……あのさ」
「うん。あっ、お茶飲む? 冷たいのとあったかいのどっちがいい?」
「冷たいのがいい」
「分かった、ちょっと待ってて」
そう言って立ち上がる。えーと、お茶お茶ー。
「なんか鈴って……女の子みたい」
「……うわっ!」
風花がとんでもないことを言ってきたので思わずお茶をこぼしてしまった。……あー、あったかいのじゃなくてよかったわ。
「だ、大丈夫!? なんかごめん……」
「いや、大丈夫。こぼしただけ」
はいどうぞ、と二つ持っていたうちの一つを風花に渡した。
「で? 相談って何?」
「あ……うん。えっと……」
相談ねー。なんだろう? そう思いつつお茶に口をつけようとしたその時、
「あたし、雪継のこと好きなの」
「ぶふっ!?」
……あの、風花さーん? タイミング良すぎですよ? お茶飲む寸前にその爆弾発言って、あなた芸能人並みにタイミングぴったりですよ……っておいぃぃ! そこで変に空気読む必要無いわっ!
「……ごほっ、ごほっごほっ……」
「え、大丈夫!?」
「大丈夫な訳あるかっ! なんで私が漫画みたいなことしなきゃいけないんだぁっ!」
「ま、まんが?」
「あぁ、ごめん。なんでもない」
気を取り直して。
「え、マジで? 本当に?」
「うん、もうごまかすの止めた。あたし、雪継が好きだもん」
「……そっかそっかー」
なんか急に素直になりやがって。可愛いけどな、私にお茶を思いっ切り吹かせた罪は重いぞ。
「……ん?」
「ん?」
ちょ、待った。風花が雪継のこと好き。雪継も風花のこと好き。……ってこれつまり……
「え――――――――――――っ!」
これって両想いじゃないかぁっ! うわっ、すごい! え、ヤバい!
「鈴……驚くのはいいけど声大きい……」
「あ、ごめん……」
はぁ~、それにしてもびっくりしたわ。そっか……まぁ少女漫画にありがちな展開ですが。
「風花」
「ん?」
「それはちゃんと言った方がいいよ」
「……そうだよね……」
「言わなかったら一生後悔するよ」
「……後悔……」
風花はそうつぶやいて何かを考え込むようにした後、
「鈴」
「ん?」
「……ありがとう。あたし、ちゃんと言うよ」
「うん」
「なーんか、鈴には助けてもらってばっかりだね」
「えー? そんなことないよ。あ、ねぇっ、いつ告白するの?」
「明日」
「えっ!?」
はや! え、はやくないですか風花さん。
「明日ね……うん、頑張れ!」
「うん」
そして風花が部屋から出て行った後、私は立ち上がった。
「はぁ!?」
「はぁ!? じゃない! 明日だよ!」
「なんでまた……」
私は雪継の部屋に押しかけて雪継を説得し始めた。
「いい? 善は急げ! 決めたらね、とっとと言った方がいいの!」
「だからってなんで明日なんだよ……」
「そっそれは……」
うっ、どうしよう……まさか風花も言うから! なんて言えないし……
「あ、風花がいなくなっちゃうから!」
「は?」
雪継が呆れた顔で私を見る。……無理もない。風花がいなくなるなんていうのは口からでまかせだ。
「だからー、いなくなっちゃうの!」
「意味が分からない。しかも思いっ切り『あ、』って言ってただろお前」
「え? 聞き間違えたんじゃない?」
もうここは勢いで頷かせるしかない!
「分かった!? 明日、絶対明日! 言わないと私が言っちゃうから!」
「うわっ、なんだお前! 脅してんのか!?」
「えーそうですよ! 明日言わないとぶっ殺す!」
「……ったく……何考えてんのか恐ろしいわ……」
まぁこのくらい言っておけばいいかなー。
「じゃあねー、明日楽しみにしてるよっ」
そして部屋から出た瞬間、
「……った!」
「この馬鹿者がっ!」
「あー! 秀広さん!」
「あーじゃないわ! 早く寝ろお前は! 部屋から出てうろちょろと……」
「別にうろちょろじゃないですよー! 雪継の部屋行ってただけですって!」
げんこつで殴られてズキズキする頭をさすりながら秀広さんを睨む。
「全く……いつになったらまともな武士になるんだ一体」
「え、まともですよ私」
「いや、さっき殴った限りまともじゃないな。脳みそ入ってない音がした」
「ひどっ! てゆーか脳みそ入ってない音ってどんなですかっ」
「こんなの」
と言ってまた殴られそうになり、慌ててよける。
「秀広さんもいつになったら私に突っかかってこなくなるんでしょうね」
「お前がまともになるまでだ。そもそも突っかかってるんじゃない。教育だ、教育」
……未来だったらそれ体罰で訴えられるんですよ。
「……綺麗……」
風花は部屋から外を眺めた。今日は満月だ。
“風花、知ってるかい? 満月っていうのはな、大事な決断をする時に必ずうまくいくって応援してくれるんだぞ”
“そうなの?”
“あぁ、そうさ。だからな、これから何か決断する時は満月に向かってお願いするんだ”
“あなたは何をお願いするの?”
“そんなの決まっているだろう?”
――君の幸せだよ。
あたしの幸せ。それを祈っていた大介様は言うまでもなく輝いていた。……満月よりも。
知っていますか? あたしはあなたにどれほど救われたか。
分かっていますか? あなたは正当な人間だということを。
そして何よりも、あたしの幸せを願ってくれるあなたがどうか――
幸せでありますように。




