第9話 定時運行の死角
新都市交通システム「ヴェガ・ライン」。
湾岸の未来都市を繋ぐこの無人運転ラインの産みの親、瀬戸口英司は、メディアで「安全の神」と称えられていた。
だがその実態は、数値を優先し現場を切り捨てる「仕様の暴君」だった。
瀬戸口は、建設コストを削減しつつ運行効率を最大化するため、ホームドアの設置を見送り、代わりにホーム縁に沿ったレーザー式の『踏み出し検知センサー』だけで安全を担保するという、危うい仕様を承認していた。
瀬戸口には、自らの設計を誇示するような悪癖があった。
彼は発車ベルが鳴り終わる直前にホームへ現れ、必ず先頭車両の一番前のドアに、愛用の細いチタン製の杖を差し込む。
「私の設計した高感度センサーは、この細い杖一本でも確実に検知して再開閉を行う。
この『遊び』の時間こそが、完璧なダイヤに組み込まれた私の特権だ」
彼は、システムが自分を拒まず、必ず扉を開くという全能感に浸っていた。
三谷恒一は、モニタ越しにその慢心を観察し、冷酷に笑った。
「お前が『絶対に開く』と信じたその仕様が、お前を捕らえる罠になる」
三谷が今回、プロの「改竄者」として施した設計は、冷徹な数式に基づいていた。
先頭車両のドアからホーム端のコンクリート壁までは、わずか15メートル。
三谷は今朝、この路線の信号システムに微弱な電気的ノイズを流し込み、一時的な「信号確認による停車」を発生させていた。
結果、ダイヤには現在「2分15秒」の遅れが生じている。
これにより、ヴェガ・ラインの中央管理システムは、仕様書通りに自動で全列車を『遅延回復運転モード(最大加速度適用)』へと切り替えていた。
あとは、瀬戸口が乗る車両の「障害物検知感度」を、事前に仕込んだトリガーで最低値にしておくだけでいい。
扉が閉まった瞬間、遅れを取り戻そうとするシステムは、リミッターギリギリの猛加速を開始する。
計算上、発車から壁への激突までは約3.0秒。
対して、ホーム側の地上センサーが、発車後の「安全監視モード」へ復帰するまでの待機時間は、マニュアル通り4.0秒に設定されている。
(センサーが再起動する4.0秒の時点では、お前はすでに壁に叩きつけられ、1.0秒が経過している)
三谷は勝利を確信していた。彼は「遅れ」という正当な理由を作り出すことで、システム自身に殺意(加速)を持たせたのだ。
だが三谷はシステムの「几帳面さ」を計算に入れていなかった。
遅延が発生したことで、システムは加速モードに入ると同時に、安全管理レベルを自動的に『警戒モード』へと引き上げていたのだ。
「ダイヤ乱れ発生中は、通常よりも厳格な発車前診断を実行せよ」――。
三谷が作り出した遅延そのものが、通常ならスキップされるはずの重いサブルーチン『特別整合性チェック』を、自動的に呼び出してしまったのだ。
***
運行開始のチャイムが鳴り響く。
瀬戸口英司は、いつものようにベルが鳴り終わる直前、先頭車両のドアに杖を差し込んだ。
当然、ドアは再び開くという確信と共に。
だが三谷が閾値を弄ったセンサーは、杖を「障害物」として認めなかった。
扉は再開閉することなく、チタンの杖を噛んだまま、瀬戸口の腕を巻き込んで強固に閉まりきった。
「……っ!?バカな、なぜ開かない!」
システム上の判断は「閉鎖完了(異物なし)」。瀬戸口は車両に縛り付けられた。
本来ならここで遅れを取り戻すための猛加速が始まり、3.0秒後には壁のシミになっているはずだった。
しかし列車は動かない。
車両システム内部で警戒モードに伴う『整合性チェック』が走っていたからだ。
約2.0秒という、三谷にとって致命的な「計算待ち(ラグ)」が発生した後に、ようやく列車は動き出した。
***
織部悟はホームの端でその光景を静かに眺めていた。
彼は運行ダイヤの乱れとそれに対するシステムの応答ログを見て、三谷の「やりすぎ」を観測していた。
(三谷……お前はシステムを急がせようとして、逆にシステムを『慎重』にさせてしまった)
列車が猛烈な加速で動き出し、瀬戸口が引きずられ始める。
瀬戸口の絶叫がホームに響く。
列車は遅れを取り戻すべく唸りを上げ、死の壁へと迫る。
だが発車が2.0秒遅れたことで、数式は完全に狂っていた。
列車がホームの中ほど、壁まで残り数メートルの地点に達した時、ホーム側のタイマーが、運命の「4.0秒」を迎えた。
定時マニュアルに基づき再起動した地上センサーのレーザーが、ホーム縁からはみ出して引きずられている瀬戸口の「体」を即座に捉えた。
『防護区域内への物体侵入を検知。緊急停止』というシステムの判断が一瞬で行われた。
列車側の論理よりも、地上側の「物理的な異物検知」が優先された。
猛烈な非常ブレーキが作動する。
ガクンッ!という衝撃と共に列車は急停車した。
時速20数キロで引きずられていた瀬戸口の体は、慣性によって前方へ滑り出し壁へと向かう。
――ズン!
鈍い衝突音が響いた。
だが頭蓋が砕ける音ではなかった。
彼の手首に食い込んでいた杖のストラップとドアに挟まった杖が、文字通りの命綱となって彼をこの世に繋ぎ止めたのだ。
ピンと張り詰めたストラップが瀬戸口の上半身をギリギリで停止させる。
一方で勢いの止まらなかった両足だけが壁に激突し、ありえない方向にひしゃげた。
瀬戸口は血まみれになり、砕かれた足の激痛に喉を引きつらせていた。
命はあった。
だが自らが「絶対に安全だ」と過信したシステムによって体の一部を破壊され、彼は廃人のように震えていた。
***
三谷は、モニタの前で唇を噛み切った。
「……死ななかった。なぜだ……!なぜ、いつもの通りに出発しなかったんだ!遅延回復モードなら、最短時間で発車するはずだろ!」
三谷の背後から冷ややかな声が聞こえた。
「君の設定は『欲張り』すぎたんだよ」
ミスター・ルールだ。
「遅延はシステムを加速させるだけじゃない。同時に『警戒』もさせるんだ。そのチェックに要したラグが、瀬戸口を救った。……正直に言おう、三谷君。もう、君の『マニュアルキル』という手法そのものには期待しない」
ルールの言葉に三谷の顔色が蒼白になる。
見捨てられるのか。
ルールは仮面の下で薄く笑い一枚のデータカードを三谷の目の前に放り投げた。
「だが――駒としては、まだ優秀だ」
三谷が顔を上げるとルールは冷徹に続けた。
「織部は、君の失敗を最初から見抜いていた。だから彼は、現場にいながら指一本動かさなかったんだよ。『放っておいても三谷の論理は勝手に破綻する』とな。……彼は君と戦ってすらいない。ただ、君が自爆するのを哀れんで見ていただけだ」
「……あいつが、俺を哀れんでいただと……?」
三谷の指がキーボードに爪を立てる。
完璧な計算のつもりだった。
それを織部は妨害する価値すらない「児戯」として見過ごしたというのか。
論理での敗北以上に、その「無視」が三谷のプライドをズタズタに引き裂いた。
「論理で勝てない相手をどう崩すか……分かるね?」
ルールは三谷に「禁断の領域」への扉を開いた。
そこには織部悟が唯一、マニュアルを無視してでも守ろうとする「アンタッチャブルな弱点」――彼が人知れず支援し続けている児童養護施設のデータが並んでいた。
「……デバッグの対象を変えろ。論理ではなく、あいつの『心』を狙うんだ」
三谷の瞳から職人の光が消え、ドス黒い殺意だけが残った。
もう美しい設計などどうでもいい。
あの高慢な「観測者」を引きずり下ろし、泥に塗れさせてやる。
ターゲットは生かされた。しかし、三谷のプライドは、織部という「正解」への底知れぬ憎悪へと塗り替えられていく。
(第10話「一斉検閲」へ続く)
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【もう一人のマニュアルキラーの物語】
『マニュアルキラー:第1部』
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