第14話(最終話) マニュアルの向こう側
高層ビルのペントハウス。
都市を見下ろす「王の玉座」で、ミスター・ルールは優雅にグラスを傾けていた。
眼下では三谷恒一という「バグ」が処理されているはずだ。
彼はその報告を待ちながら次のゲームの構想を練っていた。
だがその静寂は手元のタブレットが発したけたたましいアラートによって引き裂かれた。
『警告。未承認の外部接続を検知』
『侵入経路:ID"Mitani_K"(アカウント凍結済み)』
「……な、んだと?」
ルールは眉をひそめた。
三谷のアカウントは、自分がさっき完全に削除したはずだ。
死人が生き返ってドアを叩くなど、ありえない。
だが画面上の文字列は、生き物のように増殖し、ルールの防壁を食い破っていく。
『権限昇格:管理者(Administrator)』
『対象:ビル管理システム(BMS)および、防災区画制御』
「馬鹿な!このシステムは私が設計したんだぞ!外部からの強制介入など不可能な仕様に……」
その時、メインモニタが勝手に切り替わり一つのメッセージが表示された。
『仕様通りだ、ミスター・ルール』
それは織部悟からのメッセージだった。
無機質な文字の奥に凍てつくような殺意が滲んでいる。
『お前のシステムには「管理者権限を持つIDからの緊急メンテナンス用バックドア」が存在する。お前が自分自身のために用意していた裏口だ』
『三谷は、お前と長時間接続していたことで、その鍵を共有していた。私は三谷という「廃材」を使って、お前の裏口を開けただけだ』
「き、貴様……!織部か!?」
ルールは立ち上がり、叫んだ。
「話せば分かる!私はただの観測者だ!実行犯は三谷だ、私は何もしていない!」
『いいや、お前は越えてはならない線を越えた』
画面に、『わかばの家』の画像が一瞬だけ映り、ノイズと共に消えた。
『あの場所は聖域だ。あそこに手を伸ばした指は、一本残らずへし折る。それが私の仕様だ』
ズズズン……!
部屋全体が重低音と共に振動した。
照明が赤く点滅し、非常用サイレンが鳴り響く。
『火災発生(偽装)。第一種防火防煙シャッター、閉鎖シーケンス起動』
部屋の出口であるメインドア、そして窓際に設置された頑強な鋼鉄製のシャッターが、轟音と共に降り始めた。
このままでは閉じ込められる。
「くっ、非常用エレベーターだ!」
ルールは本棚の裏に隠された、自分専用の緊急避難路へと走った。
隠し扉が開く。そこには、地上へと直結する高速エレベーターが待機しているはずだ。
ルールがそこに飛び込もうとした瞬間。
カゴ(搬器)は到着していた。扉も開いている。
しかし、ルールがカゴの中に身を滑り込ませたその時、背後の扉――フロア側の「乗場ドア」が、閉まりかけた防火扉のような速度と圧力で、唐突に閉鎖を開始した。
「ひっ!?」
ルールは反射的に体をカゴの奥へ引こうとした。
だが間に合わなかった。
逃げ遅れた右肩が、鋼鉄の乗場ドアにガシリと挟み込まれる。
「あ、ぐぁッ!!開け!センサーはどうした!障害物検知だ!戻れ!」
通常なら、異物を挟めば即座に扉が開く(リオープン)。
だが乗場ドアはルールの肩に食い込み、骨が軋むほどの万力となって彼をその場に固定した。
室内のモニタに、冷酷なステータスが表示される。
『モード:火災時緊急閉鎖』
『挟まれ防止センサー:無効(OFF)』
『閉鎖トルク:最大(MAX)』
「や、やめろ……!動けない……!」
体はカゴの中にあるのに、右肩だけが外の世界(フロア側)に釘付けにされている。
織部は、煙の流出を防ぐための「強制閉鎖仕様」を、厳格に適用してルールを捕獲したのだ。
『観測者気取りで高みから見下ろしていたお前には、その高さがお似合いだ』
織部の宣告と共に、制御盤の画面にとあるコマンドが入力された。
それは、エレベーター事故において最も恐れられる、禁断の安全回路バイパス処理だった。
『ドア・インターロック:強制短絡』
『ドア閉鎖信号:偽装(ALL CLOSED)』
システム上、「すべての扉は完全に閉まっている」という嘘の信号が送られた。
現実には、ルールが挟まりカゴの扉すら半開きのままであるにもかかわらず。
『指令:最下層へ急行せよ』
ブォン……!
巻上機のモーターが唸りを上げた。
「――っ!?」
ルールの視界が揺れた。
いや、世界が下がった。
右肩を外の扉に固定されたまま、カゴだけが強力な動力で沈んでいく。
彼の目の前で、カゴの入り口の上枠(天井の縁)が、巨大な断頭台の刃となって降りてきた。
「あ、あ、ああああああ――」
頭上から迫る鋼鉄のライン。
逃げ場はない。
自分の首が、肩が、外の床と中の天井によって、物理的に引き裂かれようとしている。
絶叫は、唐突に途切れた。
ドォォォォン……。
数秒後。遥か地底で緊急停止する鈍い音が、微かにペントハウスまで届いた。
後に残ったのは、赤く汚れたエレベーターホールの床と、静寂を取り戻した高級な部屋だけだった。
***
……チュン、チュン。
鳥のさえずりが聞こえる。
三谷恒一は、重い瞼を開けた。
白い天井。
見慣れた間接照明。
彼は飛び起きた。
以前住んでいた自分のマンションのベッドだ。
体を確認する。生きている。五体満足だ。
昨夜までの出来事は夢だったのか?
三谷は慌ててテレビをつけた。
ニュース速報が流れている。
『未明、市内中心部の高層マンションで、システム誤作動による痛ましい死亡事故が発生しました。
当時、マンション内では火災報知機が誤って作動しており、非常用モードに切り替わったエレベーターが、避難しようとした所有者男性を挟み込んだまま降下したと見られ……』
画面には、ブルーシートで運ばれていく「何か」が映っていた。
事故ではない。
三谷は震え上がった。
織部はやったのだ。三谷という「鍵」を使って城へ侵入し、城主だけを、その城のギミックを使って、最も残酷な形で処理したのだ。
デスクの上に、一枚のメモが残されていた。
『部屋の契約は、今月末まで残っている。校正対象外だ』
三谷は、そのメモの意味を瞬時に悟った。
「お前は殺す価値すらない」
そして
「口を開けば、お前もああなる」
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
警察だ。昨夜のデータ通信ログから、三谷のもとへ辿り着いたのだろう。
三谷は、深く息を吐き、自分の顔を叩いた。
生き残ってしまった。
いや、生かされてしまった。
この恐怖を背負い、一生震えながら生きろという、織部からの「罰」だ。
三谷は玄関を開けた。
刑事が警察手帳を見せる。
「三谷恒一ですね。不正アクセス禁止法違反の疑いで……」
「はい。私がやりました」
三谷は即答し、両手を差し出した。
手錠の感触に、彼は安堵すら覚えた。刑務所の中の方が、あの「校正者」の目の届かない場所という意味で、今の彼には天国のように思えたからだ。
「共犯者は?あのビルの事故死した役員とは関係が?」
三谷は、首を横に振った。
その顔は蒼白だったが、瞳には確固たる決意――あるいは絶対的な畏怖が宿っていた。
「いいえ。すべて、私一人でやったことです。……あの事故のことは、何も知りません」
彼は沈黙を選んだ。
裏社会のどこかで、あの「わかばの家」という名を口にする愚か者が現れた時、彼は震えながら警告するだろう。
「あそこだけは触るな。マニュアル(仕様書)ごと食い殺されるぞ」と。
***
数日後。
児童養護施設『わかばの家』。
子供たちの元気な声が響く庭で、織部悟はフェンス越しにその光景を眺めていた。
裏社会では、すでに噂が広まっていた。
「聖域に手を出した金持ちが自宅の設備に惨殺された」という都市伝説。
その恐怖こそが新たなセキュリティとなって、この場所を未来永劫守り続けるだろう。
「……校正完了」
織部は静かに呟き、踵を返した。
子供たちは、自分たちが一度は凍えかけたことも誰かに守られたことも知らない。
それでいい。
守るべき場所は、守られていると気づかれないほど自然に守られていなければならない。
織部は雑踏の中へと歩き出す。
信号が青に変わる。
彼は白線の内側を、誰よりも正確な歩調で歩いていく。
その背中は、すぐに無数の人々の中に紛れ、誰にも見分けがつかなくなった。
世界は、何事もなかったように、マニュアル通りに回り続けている。
(第2部完)
第2部完結までお読みいただき、本当にありがとうございました!
仕様書という戦場での決着、いかがでしたでしょうか。
もしよろしければ、最後にブックマークと評価【☆☆☆☆☆】で完結のお祝いをいただけると最高に幸せです!
【前作はこちら】
『マニュアルキラー:第1部』
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/




