第11話 盤石なる城
午後6時。
日は完全に落ち湾岸エリアは冷たい夜風に晒されていた。
三谷恒一のモニタには絶望的な数値が並んでいた。
《施設内気温:3.5度》
《生命反応モニタ:活動低下》
三谷は震える指でGPSの光点を見つめた。
織部悟を示すドットがついに『わかばの家』の座標で停止したのだ。
「着いたか、織部。だがもう遅い。お前が目にするのは、暗闇の中で凍りついた子供たちと、自分の無力さだ」
三谷は勝利の美酒を味わうように、織部の端末へ通話リクエストを送った。
ワンコールで繋がる。
「……三谷か」
織部の声は、驚くほど静かだった。
焦りも、怒りも、呼吸の乱れすらない。
「強がるなよ、織部。そこは地獄だろう?水も、火も、光も奪われた箱の中でお前の『正義』が凍えていく気分はどうだ?」
三谷は嘲笑う。
「俺は勝ったんだ。お前が大切にしている場所を、お前が信奉するシステム(マニュアル)そのものを使って破壊した。さあ、泣いて乞え。解除コードを教えろと叫べ!」
短い沈黙の後スピーカーから織部のため息が聞こえた。
それは敗北の嘆きではなかった。
出来の悪い生徒の答案を見るような、呆れを含んだ吐息だった。
「三谷。お前は、自分が何を『破壊』していると思っているんだ?」
「何をだと?目の前のモニタを見ろ!すべてのライフラインが遮断され室温は氷点下に迫っている!」
「そうか。では音を聞かせてやろう」
織部が端末を操作した気配がした。
次の瞬間、三谷の部屋のスピーカーから流れてきたのは――。
――カチャカチャという食器の触れ合う音。
――「おかわり!」「こら、順番だよ!」という子供たちの活気ある声。
――そして部屋全体を包むような、暖かな喧騒だった。
「……は?」
三谷の思考が停止する。
悲鳴は?
寒さに震える歯の根の音は?
「おい、美味しいか?」
織部の穏やかな声が子供に向けられる。
「うん!今日のシチュー、最高!」
三谷は叫んだ。
「な、なんだこれは!?録音か!?お前、過去のデータを流して誤魔化そうと……!」
「リアルタイム映像を送る」
三谷のサブモニタに映像ウィンドウがポップアップした。
そこに映し出されたのは眩しいほどの照明に照らされ、湯気の立つシチューを囲む子供たちの笑顔だった。
織部がカメラをゆっくりとパンさせる。
壁の寒暖計は『24度』を指し、厨房ではガスコンロが青い炎を上げて鍋を温め、蛇口からは豊富な水が迸っている。
そして食事をする子供たちの背後にあるテレビ画面には午後6時のニュース番組が生放送で映し出され、右上の時刻表示が現在の時間を正確に刻んでいた。
言い逃れようのない物理的な「今」がそこにあった。
何も起きていない。
停電も、断水も、ガス停止も。
「馬鹿な……ありえない!俺のモニタでは、すべてが『遮断』されている!エラーログも返ってきている!センターのデータベースも書き換えたはずだ!」
「ああ、書き換わっているさ。お前が見ている『その世界』の中ではな」
画面の中で織部が冷徹な瞳でカメラを見据えた。
「三谷。お前は『わかばの家』の設備仕様書をどこで手に入れた?」
「どこって……市の都市計画データベースだ!築30年の施設を、最新のスマートグリッド対応に改修したという図面が……」
「この施設には、スマートメーターなど一つも存在しない」
織部の言葉が氷の刃のように三谷を貫いた。
「ここは築30年の古びた木造施設だ。ガスはプロパン(LPガス)。軒下のボンベから物理管で供給されているアナログ方式だ。お前がいくらネット越しに叫ぼうが、物理的なバルブは閉じられない。水道は電子弁などついていない。電力盤も、旧式のナイフスイッチだ。遠隔操作など不可能な『鉄の塊』だよ」
「だ、だが……!俺はハッキングしたぞ!実際に反応があった!遮断成功のログも、室温低下のデータも、リアルタイムで返ってきた!」
「お前が攻撃していたのは、私が都市管理基盤上に構築した『仮想のわかばの家』だ」
三谷の背筋に、氷のような戦慄が走った。
「私はこの施設を支援する際、資産台帳(アセット台帳)のメタデータに『スマート化完了』フラグを付与し、当該ID宛の監視トラフィックだけを私の私設ゲートウェイへルーティングするように仕組んでおいた。システム上は最新設備として認識されるが、実体はただの幻影だ。いつか、お前のような人間が、マニュアル(データ)だけを見てここを狙うことを見越してな」
三谷が見ていた「室温低下」も、「電力遮断」も、すべて織部がプログラムした「攻撃を受けたら、苦しんでいるフリをしてログを返す」というシミュレーターの出力結果に過ぎなかったのだ。
「お前は現実を見ていなかった。『データ上にあるものが、そこにある』と盲信し現場の物理的実態を確認することすらしなかった。それがお前の敗因だ、三谷。お前の指先は、誰の生活も、誰の命も脅かしてはいない。ただ、私の作った箱庭の中で、一人で相撲を取っていただけだ」
「う……ああ……あぁぁぁッ!!」
三谷は絶叫し、キーボードを叩きつけた。
屈辱。
瀬戸口を罠にかけたはずの自分が最初から織部の掌の上で踊らされていただけだった。
子供たちを人質に取ったつもりで実際には何一つ手出しできていなかった。
テロリストにすらなれなかった。
ただのピエロだ。
織部の声が冷たく響く。
「三谷。お前は私に『感情で話そう』と言ったな」
「……!」
「いいだろう。私もマニュアル(論理)を置いて、現場へ来た。今から、お前のところへ行く」
通話が切れた。
「お前のところへ行く」
――警察に通報するでもなく、データを公表するでもなく、織部悟本人が直接来るという宣告。
それが何を意味するのか、三谷の本能が激しい警鐘を鳴らした。
三谷は縋るように背後を振り返った。
「ルール……!おい、どうにかしろ!あんたなら、まだ手が打てるはずだ!織部のサーバーを逆探知して……」
だがミスター・ルールは優雅に椅子に座ったままグラスの氷を揺らしていた。
その表情には、焦りどころか、失望の色すらなかった。
「残念だよ、三谷君。君は『テロリスト』の顔を見せてくれると思ったが、結局は『道化』で終わってしまったね」
「なんだと……!?俺はお前の指示通りに!」
「指示?私は君に『論理で勝てないなら心を狙え』と助言しただけだ。その実行手段がお粗末だったのは、君のスペック不足だよ」
ルールは立ち上がり、三谷を見下ろした。
まるで、壊れた玩具をゴミ箱に捨てるかのような目だった。
「君との契約はここまでだ。君はもう、観測者ではない。盤上から排除される『ノイズ』だ」
「見捨てるのか!織部が来るんだぞ!あんただって無事じゃ済まないはずだ!」
ルールは薄く笑った。
「なぜ?私は何もしていない。キーボードを叩いたのは君だ。インフラへの攻撃ログに残っているのも、君の指紋(ID)だけだ。私はただ、君という『システムのエラー』を眺めていただけだよ」
ルールが指を鳴らすと、三谷のPC画面が次々とブラックアウトし始めた。
三谷が持っていたあらゆる権限、裏口、そしてルールとの繋がりを示すデータが、目の前で消去されていく。
「さようなら、三谷恒一。精々、彼(織部)から逃げ回ってくれたまえ。それが君に残された最後のエンターテインメントだ」
ブツン。
部屋の照明が落ち、ミスター・ルールの姿だと思っていたホログラム映像が消滅した。
残されたのは、暗闇と遠くから聞こえる車の走行音だけ。
三谷は弾かれたように立ち上がった。
逃げなければ。
警察ではない。
もっと恐ろしい「管理者」が物理的な死刑執行のために迫っている。
三谷は最低限の機材だけを鷲掴みにし部屋を飛び出した。
夜の街へ。
だが彼は知らない。
この都市のすべての監視カメラ、すべてのセンサーが、すでに織部の瞳となっていることを。
逃げ場など最初からどこにもないことを。
(第12話「観測者の末路・前段」へ続く)
ありがとうございます。
織部について興味のある方は、ぜひ第1部で確かめてみてください。
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【シリーズ前作はこちら】
『マニュアルキラー:第1部』
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