番外編 その後のサヴィル侯爵令息(1)
その日の早朝、ガーラ国騎士団はサヴィル侯爵邸を包囲すると書状を持って屋敷に踏み込んできた。
屋敷の中の騒動が収まると、俺は恐る恐る部屋を出てバタバタと走り回っていたメイドを捕まえて「何があったんだ?」と聞いたが、「坊ちゃまは執事が来るまで部屋で待っていてください」と告げてすぐに走り去っていった。
しばらくすると、サヴィル侯爵家の老執事が青い顔をして息を切らしながらジョージの部屋をノックして入ってきた。
「坊ちゃま、旦那様は王弟殿下の殺害容疑で王宮に連行されました」
「はっ?父上が王弟殿下の殺害容疑?」
「はい。屋敷に滞在されていた魔術師殿と画策されていたようです。侯爵家が裏で流していたフェリオの粉についてもこれから追及されるでしょう」
「フェリオの粉?ただの薬だろ?」
「いえ、あの薬は多量に摂取すると幻覚を見せるという作用がございます。旦那様は他国へ大量のフェリオの粉を流しておりました」
「えっ……。あっ、母上は今どこにいる?」
「奥様は、旦那様が連行された後、すぐに離縁届にサインして御実家の領地へ出発されました」
「えっ、俺を置いて出て行ったのか……。俺はどうしたら……」
老執事はポケットから封筒を出すと俺の手にその封筒を握らせた。
「坊ちゃま、奥様の御実家のお名前でダリオン国行の船の乗船チケットを手配いたしました。すぐに身の回りの荷物をまとめさせますので今夜の便でダリオン国へ逃げてください」
「えっ、俺一人で隣国へ行くのか?ここに居たらダメなのか?」
「はい。旦那様の罪状では家族一同に極刑が下されると思われます。私も明日には騎士団に連行されるでしょう。ですから坊ちゃまは今夜中にこの国を出るのです。ダリオン国では魔法の使える者は他国の者でも魔法塔で仕事をすることが出来ると聞いております。ダリオン国に着いたら魔法塔へ……」
老執事が早口で俺に伝えたが、俺は突然の出来事に呆然としていた。
メイドが俺の身の回りの物を詰めこんだ鞄を持って部屋に入ってきた。そして老執事が金貨を小分けにして入れた袋と宝石の入った袋を俺の身体に括り付けると、俺は背中を押されながら馬車に乗せられた。港に着くと老執事は俺が乗船したのを確認して少しほっとした表情で俺に手を振った。
「坊ちゃま、お身体にお気をつけて」
ダリオン国行きの船が港を離れて暫くするまで俺は甲板で立ちすくんでいた。冷たい海風が吹付け、俺ははっとしてとりあえず割り当てられた船室に向かった。船室は狭い個室でベッドと小さいテーブルがあるシンプルな部屋だった。
俺はベッドに腰を下ろして、今の状況を整理しようと頭を動かした。
父であるサヴィル侯爵とその友人の魔術師が王弟殿下を殺害
そして父はフェリオの粉を他国へ密輸
母は、離縁届を置いて実家へ
明日には俺の親代わりだった老執事も騎士団に連行される
罪が確定したら父は当然極刑になるだろう。そして侯爵家は取り潰しとなる。
騎士団は俺の身柄を捜索するだろう。見つかれば良くて鉱山送りか、もしくは……。
とにかく俺は身元を隠してこれからは生きなくてはならないってことだ。
「ダリオン国到着まで3日間か……」
ジョージは、上着も脱がずにベッドに横になると緊張が緩んだのかそのまま眠りに落ちた。
翌朝、ジョージは窓から差し込む眩しい光に顔を照らされて目を覚ました。
「ここは……。昨日のことは夢じゃなかったんだな……」
ジョージは船の甲板に出ると、ガーラ国の方角を見つめてから近くにあったベンチに座った。
(俺はローラとの婚約を破棄してから、坂道を転げ落ちているみたいだ……)
サヴィル侯爵のジョージは元婚約者のノーサンプトン侯爵令嬢からジョージの有責で婚約破棄された後、侯爵令嬢のローラを蔑んで酷い態度を取っていたと学院での評判も落ち、新しい婚約者を探すためにあちこちに釣書を送っても断られるばかりであった。ジョージの取巻き達も彼の評判が落ちると一斉に離れて行った。そして彼は学院を卒業するまで友人と呼べる友も出来ず、学院では隠れるように一人で行動していた。
卒業後は執事から書類仕事を教わりながら、何の楽しみもなく社交もせずに屋敷に引きこもって暮らしていた。
(婚約破棄後にローラに謝罪する事も出来なかったな……。昔の俺は、ローラの紅い目が恐かっただけなんだ。幼い時に紅い目の魔獣に襲われかけて、ローラの紅い目を見るたびにそのトラウマを思い出して……。まあ、俺の態度も最悪だったけどな……)
ジョージは立ち上がると甲板の最後尾に立って、船がかき分ける波をボーっと見つめていた。
「君、飛び込むつもり?」
「えっ……」
ジョージが後ろを振り返ると、杖をついた同じ年頃の青年が後ろに立っていた。
「飛び込める自由がある人はいいよね」
そう言うと、その青年は片足を引きずりながら船内へ入っていった。
ジョージはその青年の後ろ姿を見送り、ため息を押し殺しながら無表情のまま船内の自室に戻った。
ガーラ国を出発して3日目の朝、船はダリオン国の港に着岸した。
ジョージは老執事に言われた通りに魔法塔に向かおうと港に並んでいた乗り合い馬車を探していると、あの青年が迎えに来ていた馬車に乗り込んでいた。
そして魔法塔に向かう道すがら、ダリオン国の王宮の前を通り過ぎた時、あの青年の乗った馬車が王宮の門を入って行くのが見えた。
「王宮の関係者か……」
ジョージは馬車を降りると、あまり手入れのされていなさそうな魔法塔を見上げてから、門前に立つ警備兵に魔術師の募集の件で来たことを伝えた。
門の前で暫く待っていると、魔術師と思われる痩せた男が汗を拭いながら門の前に現れた。
「お待たせしました。貴方がこの国の魔術師不足の募集で来てくれた方ですね。詳しい話は中でお伺いいたしますのでこちらへどうぞ」
案内されて魔法塔の中に入ると、建物の中は意外に清潔に保たれているようだった。魔法塔の責任者の執務室に案内されると先ほど迎えに来てくれた痩せた魔術師が自らお茶を入れてくれた。
「この塔にはメイドが居ないんで、自分達でお茶を入れているんですよ」
俺の考えていたことを察したのか、その魔術師はそう答えた。
執務室のドアが開くとこの部屋の主が疲れた顔で入ってきた。
「魔術師長、彼がダリオン国の魔術師募集に来てくれた方です。あっ、まだお名前を聞いていませんでしたね」
俺は自分の名前を名乗ろうとしたが、ハッとしてサヴィル侯爵家の姓ではなく、母方の姓を名乗った。
「……ジョージ・ウォルデンです。ガーラ国から参りました」
魔術師長は、何かを察したような表情でソファに座るように促した。
「ウォルデン君、この国の魔術師達はほとんどが皆訳ありなんじゃ。君の素性もこちらでは何も調べるつもりはないよ。この国に害を及ぼすことはしないと魔法契約を結んでくれたらすぐに採用だ。この国は前国王と王妃が去ってから、国を立て直そうと皆が一丸となって働いている。君にもその手伝いをしてもらえたらと思う」
「……調べないのですか」
「あぁ、魔法契約を結んだあとは、どの仕事に適正があるか君の魔法を見せてもらうだけじゃ」
ジョージは魔法師長の執務室で魔法契約を結ぶと、すぐに訓練場に連れてこられてジョージの持つ土魔法を披露した。そして農地改革を担当するチームに所属することになり、そのリーダーに引き合わされた。
「農地改革チームのダンだ。うちのチームは、国中の農地を周って作物の収穫量を増やすために農地に魔力を注いで周るのが主な仕事だ。かなり体力を使う仕事になるけど大丈夫かい?」
「……はい」
「仕事は明日から説明するから、今日は寮でゆっくり休んでくれ」
ジョージがダンに連れられてきた魔術師専用の寮は、王宮の建物のすぐ側に建っていた。
「魔術師専用寮は、王宮の側にあるんだよ。何かあった時にすぐに駆け付けられるようにね」
そしてダンは寮の空き部屋の鍵をジョージに渡すと、少し哀れんだ表情でジョージの肩をポンと叩いた。
「必要なものはここの管理人に言えば揃えてくれるよ。食堂は魔法塔の1階にある。24時間いつでも何かしら食べられるようになってる。今日はゆっくり休んで、明日は9時に魔法塔の俺の執務室に来てくれ。ここは慣れたらそんなに悪いところでもないからね。この魔法塔で働いているほとんどのやつが訳ありだ。何も考えずに忙しく体を動かしているうちに、時間が解決することもあるよ。これは俺からの助言」
ダンはそう言うと、小さく微笑んで部屋を出て行った。




