魔王からの手紙
神殿での儀式から数時間後、篠崎遼司は“勇者専用の部屋”なる広すぎる寝室で一人、クッションにもたれていた。
豪奢なカーテン、宝石のついた燭台、机の上に並ぶ果物と肉料理……どこをどう見ても王族の生活である。
だが。
「――居心地、悪ぃ……」
ため息とともに、遼司はごろんとベッドに転がる。
現実感がまったくなかった。自分が異世界にいて、しかも“勇者”として扱われていることが、どうにも信じられない。
(……神殿の記録。三年前に召喚された勇者は、あのときの死体の男だ。じゃあ俺は……たまたま、代わりに転送されたってことか)
「代わりに来ただけの人間が、救世主面なんて……マジで、笑えねえって」
こつん。
そのとき、ドアが小さくノックされた。
「勇者様。副団長がお呼びです。謁見の間までお越しください」
遼司が扉を開けると、メイド服の少女が恭しく頭を下げていた。
あの“着替え事件”のときとは別の子だ。少し安心する。
「……わかった。行くよ」
* * *
謁見の間は重苦しい空気に包まれていた。
玉座の横に立つエリナの顔は硬く、左右に控える兵たちの表情にも緊張が走っている。
遼司が足を踏み入れた瞬間、空気が少しざわめいた。
エリナは一歩前に出ると、封のされた一通の手紙を掲げて見せた。
「勇者様。……魔王軍からの手紙が届きました」
「は?」
遼司は思わず聞き返した。
「……なんだって?」
「正式なものです。これは、魔王直属の使者が飛竜に乗って運んできた、極めて重要な外交文書です」
重々しい雰囲気の中、白銀の封蝋が解かれる。
中から取り出されたのは、美しい筆致で書かれた羊皮紙。
その最初の一文を、読み上げたエリナの口調が、僅かに震えていた。
「“勇者殿へ。ようこそ、我が死にかけの世界へ”――」
……皮肉か? 挨拶か?
遼司はどちらともつかぬその言葉に眉をひそめる。
エリナは読み続けた。
「“貴殿が勇者として召喚されたこと、心より祝福申し上げる。貴殿がどのような意志を持つ者かは存じぬが、我々は、決して人類を滅ぼすつもりはない”」
ざわ……と兵たちがざわつく。
エリナも読んだ手を一瞬止めたが、すぐに再開した。
「“私は魔王メルゼン・クローディア。貴殿に一度、直接語らいの機会を設けたいと願っている。場所と時は貴国の選定に任せよう。過去の“勇者”たちとは違い、貴殿が対話可能な存在であることを信じている”」
最後には、魔王の紋章がしっかりと刻まれていた。
「……」
沈黙が流れる。
最初に声を出したのは、他でもない、遼司だった。
「……これ、マジで“和解”の申し出ってことか?」
「……そのように見えます」
エリナは慎重に言葉を選んだ。
「だが、魔王が人類と対話するなど……前代未聞です。これは挑発か、あるいは、罠の可能性もある」
「それでも、“対話の可能性”があるなら……乗る価値、あるんじゃねえの?」
遼司の言葉に、兵たちはざわつき、エリナも目を見開いた。
「……勇者様、それは――」
「俺は……勇者じゃない」
その一言に、場の空気が凍りつく。
「けど、俺はこの目で見た。
この世界が、どれだけ“勇者”に依存して、壊れかけてるかってことを。
だからこそ、俺は“話せる”って言う奴を、信じてみたい」
遼司の言葉には迷いがなかった。
勇者ではないからこそ、見えるものがある。
嘘を信じるんじゃない。真実を暴くために、動く。
それが――篠崎遼司という“選ばれなかった男”の、最初の決意だった。