5.シージャック
「そういや、牧村たちは『ネプチューン・ブルーライン』の方行ってたんだっけか。どうだったんだ?」
四人で上司の待つ会議室へ向かいながら、ふと城山が尋ねた。
「特には何も。いつも通り、恙なく、って感じかな」
「ネプチューン? なんそれ? 魚人島にでも行ってたの牧ちゃん」
金本の的外れな質問に、やっぱりか、と城山は肩を竦める。
もう一々呆れるのも面倒くさくなりつつあった。
「『ネプチューン・ブルーライン』、ね。 …城山から任務の詳細は聞いた?」
「おう! バイオテロ犯の金持ちをぶっ殺してきたで! めっちゃデカい家に住んでんだもん。スカッとしたわ~」
「じゃあ話は早いね。僕と岩戸のターゲットはそのウィルスを運んだ海運会社だったんだよ。違法物品の運び屋なんてやってる割には装備も練度も素人丸出し。ただちょっと数が多かったかな」
アホにも一切動じずスムーズに説明する牧村。
流石牧村、爽やかなのは顔だけじゃない。
などと言っているうちに目的の部屋に着いた。
「失礼します」
寡黙な男、岩戸が重低音ヴォイスで短く挨拶をし、ドアを開ける。
「失礼します」
「っス」
「おっはよう咲希ちゃーん!! 今日も最強のワイが参上したやでー!」
四人が部屋に入ると、壁に設置された薄く光を放つ巨大なスクリーンの前、まるでどこかのNERV司令のようなロケーションで、壮年の男が座っていた。
年の頃は50代前半と言ったところか。
眉間に刻まれた深いしわ、ナイフのように鋭い眼光、そして何より、額から左目上にかけて斜めに走る傷が印象的な男だ。
「あれ? 咲希ちゃんおらんやん」
部屋を見回し残念そうに呟く金本を他所に、他三人は上司に向かい敬礼する。
「報告します。B分隊総員集合完了しました」
「ご苦労、座れ」
直立不動で報告する牧村の表情は先程までの柔らかいものではなく、完全に仕事モードに切り替わっていた。
部屋に満ちるピリピリとした異様な空気感。
その源泉が例の男であることは最早疑いようもない。
新渡戸重信、階級は一等陸佐。
普段どれほど不真面目な態度を取っていたとしても、この男の前では、大抵の隊員は”軍人”になる。
否。
目の前にいる男の放つ圧力が、相手にそう振る舞わせてしまうのだ。
それ程までに、この男は”上官”だった。
「そんな事より咲希ちゃんどこすか?」
着席を許可されるや否や、誰よりも早く椅子に飛び込んだ数少ない例外の一人が、いつもなら新渡戸の傍らに控えているはずの秘書官の不在を問うた。
一応申し訳程度に敬語を使ってはいるが、足を延ばし背もたれを傾けてキコキコと椅子を揺らしながら話すその態度は不遜と言うほかなく、明らかに上官、それも部隊の最高責任者にして誰もが認める模範的軍人である新渡戸に対してして良いものではない。
あまりに空気を読まない金本の態度に、城山はギリギリと奥歯を鳴らし、流石の牧村も額に冷や汗を浮かべている。
そんなことは露知らず答えを要求する金本に、新渡戸は表情を崩さず答えた。
「中村なら、丁度少し前に霞が関に向かわせたところだ。安心しろ、お前らが発つまでには帰らん」
「んだよ、じゃあオッサンだけやんか。帰って良」
最後まで言う間もなく、城山が顔面に掌底を打ち込んで強制的に黙らせ、そこに牧村の下段蹴りが追い打ちを掛ける。
「すみません、一佐。直ぐに黙らせますんで」
「…任務に支障が無い程度にしてやれ」
こうして金本がひとしきり袋叩きにあった後で、ようやく全員が席(床)に着いた。
「今日貴様らが召集された件についてだが、説明は受けているな?」
一名を除き全員が肯首する。
「よし、では詳しい状況を説明する」
事件の発生は今から五時間前。
海上保安庁が船舶警報通報装置からの信号を受信した。
発信元は日本国籍のクルーズ客船、現在地はソマリア沖。
世界でも有数の海賊多発海域である。
「信号を送信したのは三島商船の『アクア・シーガル号』。総トン数は5700t、情報が正しければ、乗客乗員合わせて135人が乗船している」
新渡戸が手元の端末を操作すると、プロジェクターに白を基調とした船体に青い装飾が施された現代的なデザインの旅客船が映し出された。
「わ~、すげえ。高そう。なんでソマリア沖なんて行っちゃったんやろなあ?」
「……スモールラグジュアリーか」
良く言えば素直、悪く言うととても頭悪そうな感想を述べる金本の隣で、牧村がポツリと呟いた。
「え? スモールランジェリー?」
「ラグジュアリー、クルーズ船のグレードの一つだよ。ブティッククラスとも言って、最高級の客船なんだ」
「へー、……もしかして牧ちゃんってこういうの詳しいんか? お金持ち?」
無駄な方向に話を逸らす金本は無視し、城山が話を進める。
「スモールってことは、これでも小さい方なのか。全長百何mとか書いてあるぞ」
大型の船体、多数の定員を売りにするメガシップとは対照的に、敢えてスケールを抑えることにより乗客にきめ細やかなサービスを提供する、豪華客船の中の豪華客船。
それがラグジュアリークラスなのである。
「その中でも小さいタイプだね。大きいものだと、そうだなあ。…乗客だけで6~700人、船体の全長だと200メートル以上あると思うよ」
「そういうもんなのか。だとすると、一般人とは言え百人以上の人間を制圧するのはことだ。こりゃ、犯人側もそれなりの数いるぞ」
スクリーンに投影された船の見取り図を見ながら考え事を始めた城山の横で、牧村が挙手する。
「なんだ?」
「はい。場所はソマリア沖と言う事でしたが、でしたら海軍の護衛艦がついていたはずでは?」
ソマリア近海では、二十世紀終わりから続く内戦の影響で洋上の治安も悪化し、以前から海賊被害が頻発していた。
それを問題視した先進諸国が海賊掃討作戦を実施、国防海軍も同海域を運行する日本国籍船舶に対し艦船を派遣して護衛する措置を講じていた。
故に牧村の疑問はもっともなのだが、これに対し新渡戸は渋い表情をする。
「無論、護衛はいた。……が、突破された」
と言うのも、国防海軍の護衛艦が海賊ないし同種の不審船に対してとれる手段は、威嚇射撃と音響兵器のみに限られている。
複数の小型ボートで接近した武装集団が、それらの妨害を強行突破し客船を襲撃、占拠。
なすすべもなく状況を見守る護衛艦を通して政府に身代金を要求している、と言うのが今回の事件の大まかなあらすじだった。
犯人の正体に関しては、現在に至るまで犯行声明を出している組織も無く、情報部の見立てでは通常の海賊によるものだろうという。
「しかし、LRADを突破するにはそれなりの対策が必要です。それに報告を聞く限り、客船を制圧するまでの手際も良すぎる。ただの海賊とは思えません」
「犯人の武装や人数、それに現在の船内の状況を把握したい。そういった情報はありませんか?」
今まで黙って話の成り行きを見守っていた岩戸が口を開いた。
「護衛艦の小型無人機で撮影したものだ」
岩戸の質問を受けて新渡戸が新たに数枚の画像をスクリーンに映す。
「うわ、防弾衣着てんやん。ちぇっ、MP5じゃ無理か」
「最近はテロリストも重武装化してきてるからね」
「嫌な時代やでマジで。小銃邪魔くさくてダルいんやけど、どないしてくれるん」
写真を見た金本が愚痴をこぼす。
「右が襲撃に使われた小型船。同じようなものが四艘、予想敵数は20前後」
「じゃあ、25は確実にいるな。一人頭、6人か、まずまずやな」
「左の画像は戦闘員だ。見ての通り小銃で武装しており、機関銃を装備した人員も目撃されている」
「AKか。リーズナブルやけど威力はバッチシやで」
「船内の詳しい状況は不明だが、操舵や機関に関わる最低限の人員を除いた乗員は、7階層のレストルームに集められていると見られる」
「可愛い女の子乗ってないかなあ。もしいたら連絡先」
「金本、黙れ。それと乗員との接触は一切禁止する。自分たちが存在しないと言うことを忘れるな」
「…うーす」
椅子の上に体操座りしていじける金本は放っておいて話は進む。
「潜入するとしたら、やっぱり海から行くしかないか」
「だね。例え夜間でもヘリから直接船上に降下するのはリスクが高すぎるし、僕らの性質的にも好ましくない」
「途中で水中スクーターに乗り換えて接近し、海中から梯子で侵入するのが妥当だろうな」
「つーかさ、そもそも今回の件ってワイらが出るほどのもんか? 海賊被害なら表の部隊動かしてもそこまで角立たんやろうし。 こちとら任務明け早々呼び出されて四人で客船奪還しろとか、流石にあたおか過ぎない?」
と、話を遮って金本が新渡戸に質問を投げかけた。
実際、口には出さないものの説明を受けてから全員が気になっていた点である為、自然と新渡戸に視線が集まる。
新渡戸はため息をついて話し出した。
「…詳しくは話せんが、今回占拠された客船にある人物の子息が乗船している」
メンバーの顔が僅かに曇るのを見ながら、新渡戸が続ける。
「そうだ。貴様らが嫌いな”VIP案件”だ」
スクリーンに、一人の男の画像がアップで表示される。
「氏名は公表できない為、今後『ラビット』と呼称する。一刻も早く助け出せとのご用命だ」
「なるほど。そんで国家機密を晒すリスクまでとって、テロリストは皆殺しってわけや。流石は上級国民様、スケールが違いますな」
「関係ない。やれと言われればやる、それが仕事だ」
冷笑を浮かべ吐き捨てるように言う金本を、岩戸が窘める。
「……だが、今回の任務で私が貴様らに期待することは違う」
新渡戸の威厳のこもった声に、視線が再度集まる。
「私が求めるのは、全ての人質の迅速な開放だ」
「たった四人で、百人以上いる人質を? また無茶を言いなさる」
「上層部は可能だと判断した。これについては私も同意見だ。貴様らに出来なければ、この国に彼らを救出できる部隊は無い」
一息ついて、新渡戸はさらに続ける。
「乗客には未来ある子供や一般市民もいる。我ら国防軍は資産家や官僚のためにあるのではない。彼らのような人々を守るためにこそ戦うのだと、…それを証明できるのは貴様らだけだ」
どこか憂鬱だったメンバーの顔には今や好戦的な笑みが浮かび、暗かった瞳には再び闘志の灯が宿っていた。
そんな部下たちを見回し、新渡戸は吠える。
「国防軍の”牙”の鋭さを、そしてこの国を敵に回すことの恐ろしさを存分に見せつけてやれ!」
「「応!!!」」