19.手合わせ
流儀名、『茂野護心流』。
剣術を中心に、棒、薙刀、短刀、無手術等を修める総合武術流派。
発祥は戦国時代。
一説には戦に敗れ落ちてきた武者を匿った農民が、見返りとして村を守るため剣の教えを乞うたことが始まりと言われる。
技を伝えた武者が名乗った姓を取って、派名を茂野とした。
道場の中で素振りをしていると、幼い日の記憶がありありと甦った。
最初のうちは剣を持ってひたすら立ち続けたり、素振りしたり、構えのまま師範に剣先を押され、倒れないように踏ん張り続けたり、凡そ想像していたのとは違う、師範の言うところの『基礎鍛錬』を来る日も来る日も繰り返した。
そしてようやく型を習ったと思ったら、今度はそれを一日中繰り返す羽目になった。
それも終わったら、今度は組太刀で身長も体重も倍以上ある大人にボコボコにされて痣だらけになったり…
あんまいい思い出ねえな、マジで。
護心流は地味だ。
鍛錬も、見た目も。
技も基本形は片手で数えられるくらいしかないし、型に関しては1種類しかない。
だというのに、鍛錬は死ぬほどキツかった。
国防軍の訓練に耐えられたのも、ここでの経験があったからというのが、正直大きい。
例えば、護心流で用いる木刀は、刀というより丸棒と言った方がしっくりくるほど、太く重い。
成人男性でも手に余るほどで、その重さは2キロ近くに達する。
それを、ひたすら振り続ける。
来る日も、来る日も。
型も、数少ない同じ技を、何度も何度も繰り返し、どんな時でも反射で動けるようになるまで、徹底的に体に叩き込む。
護心流は武士ではない、百姓が戦うために継承してきた、”土着”の剣だ。
それ故に、普段は畑仕事で鍛錬の時間がそう長く取れない。
だからこそ、技を絞り、それを徹底的に練り上げることで、最低限の時間で戦う力を身に着ける。
そして体力。
足りない技術は圧倒的腕力で捻じ伏せる。
そもそも、基本的に数手で勝敗が決する実戦では、多くの技や細工を覚えるよりも、絶対的な一撃を持っていた方が有用。
これは、塚原卜伝の一之太刀や、薩摩の豪剣『薬丸自顕流』にも共通する考え方だろう。
師範曰く、帯刀が当たり前だった時代はこういった戦う術を村単位で継承しているケースはままあったそうだが、その大半が失伝し、現代では数えるほどになってしまったのだという。
護心流も、その内の一つだった。
「良い剣を振るだに」
隣で同じように素振りしていた老人が目を細める。
それにしても、元気な爺さんだ。
髪は真っ白なくせして、ブンブン振りやがる。
構えも全く崩れない。
幾つになっても鍛錬の習慣が抜けないのだろう。
たまに、なんて言ってたが、こりゃあ毎日やってんな爺さん。
「どれ、折角だに。一つ手合わせ」
「押忍!」
老人が道場の奥の物置から、防具と袋竹刀を取り出してきた。
防具は剣道用の市販品をそのまま流用している。
袋竹刀はその名の通り、竹刀を革製のクッションで包んだ、組太刀用の道具だ。
護心流で手合わせ、というのは、組太刀の相手をすることを意味する。
ではそもそも組太刀って何?という話。
組太刀とは、二人一組、ないしは多対一で行う、全力の打突を用いた型稽古のことだ。
護心流には、スパーリング形式の撃剣稽古が無い。
剣でいう死合いとは、その名の通り実際の殺し合いであり、無闇やたらにするものではない、という理念があるからだ。
故に、最も実戦的な稽古がこの組太刀となる。
徒手空拳で言う約束組手に近いかもしれない。
技を出す順番、掛けと受けなどは決まっているが、仮に受けであっても隙があれば反撃できるし、お互いに殺すつもりで打ち込む。
そのための袋竹刀と防具だ。
とは言っても、剣道や剣術経験者なら分かると思うが、防具を付けていようが、竹刀を使おうが、痛いものは痛いし、怪我もする。
金本も、稽古後は傷に沁みて風呂に入れないなんていうのはしょっちゅうだったし、鼓膜が破れたことも何度かある。
いくら道場唯一の子供弟子で、期待の星だったからとはいえ、小学生にアレは流石にやり過ぎだったのではと、今でも思っていた。
防具を付けて、老人と金本が向かい合う。
一礼してから道場中央まで移動し、床の竹刀を拾って蹲踞。
立ち上がり、相手から目を離さぬまま、ゆっくりと後退る。
二人とも、構えは正眼。
と言っても、それは護心流での呼称で、刀を左側にやや引いた位置、腰だめの手前ほどで横にして構える。
一般的には『平正眼』と呼ばれる、新選組で有名な天然理心流などに伝わる構えに近い。
二人の距離が5メートル強ほど離れたところで、老人が仕掛けた。
「きええぇぇ!!!」
耳をつんざくような気合と共に、およそ老体とは思えない鋭さで斬り下ろす。
対する金本は、斜めに構えた竹刀をそのまま掲げるようにして突き出し、斬撃を流す。
返す刀で左袈裟に打ち込もうとするが、老人が振り下ろした勢いのまま追い突きを放ってきたため、慌ててそれを払いながら後退した。
このジジイ、やっぱできる。
金本が元々受けが得意でないというのもあるが、それにしても専門領域である白兵戦で、一合の間に反撃できなかったのは久しぶりだ。
知らず知らずのうちに上がった口角の横を、冷汗がたらりと流れ落ちる。
「へへっ、年の功年の功」
老人が笑いながら、じりじりと間合いを詰める。
まだ掛けの”型”は終わっていない。
老人が滑るように移動し突きを放つ。
先程とは逆回り、崩すとしたら…
突きを横にずれて外し、老人が振り下ろしに移ろうと剣を上げた瞬間。
今っ!
老人の懐に飛び込みながら、やや薙ぎ気味の逆袈裟を打ち込む。
「っ!!……まいった」
老人の手から竹刀が落ちる。
金本の竹刀は、胴に触れる寸前で止まっていた。
勝負あり。
「いや~、歳には勝てんべ」
老人がカラカラと笑いながら防具を脱ぐ。
その後も数合組太刀を繰り返した。
マジで元気な爺さんだ、ほんと。
流石にこちらは身体能力的に全盛期。
ほとんどの勝負は金本が制したが、危ないところは何度もあった。
これが真剣で、老人の素性を知らなければ、ちょっとした油断でやられてもおかしくない。
十分現役で通用すんだろ、ジジイ。
「でも道場閉めちゃうなんて、勿体ないですよね。せっかく何百年も続いてきたのに…」
「今のご時世、剣が上手くなったて何にもならん。年金暮らしのジジイの趣味だにな」
「ああ、まあ確かに…」
侍が刀を差して歩いていたのはもう一世紀以上前の事。
平和な現代で馬鹿真面目に人を殺す技を極めるなんてのは、正しく時代錯誤としか言いようがない。
喧嘩ですら、少しやりすぎればすぐ警察沙汰になってしまう。
金本の様な例外中の例外でもなければ、それを実戦で使う機会が一度もないまま生涯を終える、というのも珍しくないのだ。
当然、それが理想的な社会であることは金本も老人も、言うまでもなく十二分に分かっている。
ただ、力に憑りつかれ、その道に人生を注ぎ込んできた人間にとっては、何とも言えない不遇の世であることも、また事実だった。
「それにしても兄さん、ホントにえらい真っ直ぐな太刀筋してんなあ」
「ははは、ありがとうございます~」
「世間で褒められはしねえども、おらはあんたの剣が好きだがね」
ふと、思う。
晶の前でナイフを抜いた時、彼女はそれを見て何を思っただろうか?
怖いと思ったか、軽蔑しただろう。
それが普通、当然の反応なのだ。
だが、もしも俺の技を見て、良い剣だと、好きな剣だと…
そう思っては、貰えなかっただろうか。
我ながら、あまりに自分勝手でくだらない妄想だ。
「自慢もできんし金にもなんね。それがこいつの宿命てやつなのかもしらねえ。…だけんど」
押し黙った金本の横で、先ほどまで打ち合っていた竹刀を眺めながら、老人が呟く。
それはまるで、自分自身に言い聞かせるように。
老人の、竹刀を握る手に力が籠る。
「時代は選べねえ、けど、こいつを振り続けることはできんだ」
そう言って、老人は笑った。




