17.ステゴロ
台車の棚を支えていた鉄製の支柱の一本がくの字に曲り、積まれていた商品ごと派手な音を立てて倒れる。
あまりに突然の事態に脳の処理が追い付かず、悲鳴を上げることも、銃を向けることも出来ず、バックヤードが金本を中心に、シンと静まり返った。
「はい!皆さんが静かになるのに、三秒とかかりませんでした。素晴らしい!拍手~!!」
その様子を満足気に見まわし、ひとり笑顔で手を叩く金本。
あまりにも場にそぐわない言動に、誰一人として理解が追い付かず…いや、正確には理解するのを拒んでいた。
こんな時に、何をやっているんだコイツは?
この場にいる全員の思考が一致する。一人を除いて。
流石の金本とて、何の考えも無しにこんな奇行に及んでいる訳では無い。
先程までの対応、人質の扱い、彼女を生かしたまま連れてきたこと。
総合的に判断し、彼らは無闇な殺傷を好まない、話し合う余地のある”良心的”な悪党であると結論した。
これが海外であったらそうもいかなかっただろうが、それこそもしそうであったなら、金本もここまで悠長に様子を見たりせず、多少の犠牲は覚悟して犯人の制圧に移っていただろう。
治安の良さ、というのは、そこに住む人々の良識の程度に左右される。
そしてそれは、例え犯罪者であったとしても例外ではない。
現に彼らの管理を外れて騒いでいる金本だったが、銃を向け威嚇しこそすれ、撃つ気配はない。
悪党とて、目的のためとはいえ迷いなく人殺しが出来るほど、”キマって”はいないということ。
それを身をもって確認し、金本は微かに笑う。
必要外の殺人は遠慮したいという気持ちは、金本も同じだ。
と言っても、殺し合いをするか、殴り合いで済むかという程度の認識でしかなかったが…
それが金本にとって、最低レベルの平和的解決だった。
「じゃ、取り敢えずその子から手え放そっか。女の子よ?」
笑顔のまま、立場を弁えず強盗達に指図する金本。
当然、彼らが大人しく従うはずもない。
「てめえ!誰に口きいてんだ!!」
「黙らねえとぶっ殺すぞ!!」
「あーあーあー、一々怒鳴るなって、頭痛なるわ」
銃を向け叫ぶ彼らに、一応敵意が無いことを示しながら顔をしかめる。
「あんたらの目的はそっちのガキやろ?さっさと連れてきゃいいやん。これだけ派手にやってんだ、急がんとすぐマッポ来てまうで?」
サラッと切り捨てられ絶望の表情を浮かべる高校生を他所に、リーダーが前に出てきた。
「確かにあんたの言う事ももっともだけどな。こっちは仲間殺られてんだぜ?こいつも連れてくよ」
「そいつは困るぜ兄さん。その子、ワイの連れなんやから、連れてくならワイも一緒に連れてってクレメンス」
「何?」
自分たちに危害を加えた少女の仲間だと聞き、強盗達の金本を見る目が変わる。
しかし、最初の奇行に対する警戒心から、誰も行動を起こせない。
人は理解できないものに恐怖を抱く。
よくキチガイの振りをして難を逃れたという話があるが、今回もそれと同じ。
相手が何をするか分からない、故に自分も下手に動けないという状況を作り出すことで、今この場での仮初めの均衡は保たれていた。
……とは言ったものの、こっからどうすっかな。
一緒に連れてって、他の客がいないとこまで行ければ良かったんだが、まあ、あっちもそんな手に引っかかるほど馬鹿じゃねえわな。
…しゃあなし、ちょっとリスキーだけど、やっぱこれしかねえか。
「お!どうしたの、固まっちゃって。もしかしてワイの事怖くなっちゃった?」
「あ゛?」
挑発しながら、構えを取る。
ヘラヘラと笑いながらも、ガチめに。
それを見て、リーダーの目付きが変わった。
ビンゴ。
犯人たちの中で、コイツだけ銃を持っていなかった。
自信があんだろ?来いよ。
「てめえ!撃つぞ!?」
「やめろ!!こんな狭えとこで撃って、俺らに当たったらどうすんだ」
「でもあいつ…!」
「分かってる。……あいつは俺がやる。手え出すな」
荒くれ者というのは、基本的に実力至上主義。
グループの中でコイツが一番強い。
だから、その頭を潰せば大きな動揺を誘える。
問題はどうやって殴り合いに持ち込むかだったんだが…
上手くいったな。
金本とリーダーの間の人混みが、まるでモーセが海を割ったかのように分かれる。
二人のための即席の闘技場が、ここに確保された。
それにしても、デカい。
身長は恐らく2メートル以上あるだろう。
その分間合いも長い。
そして服越しにも伝わる、それだけで暴力的なほどに鍛えられた、闘士の肉体。
まあ、どの道、格闘家と打ち合うのは、金本にとって下策だ。
リーダーがゆっくりと歩いてくる。
足幅は自然に開き、両腕は脱力し下げたまま、一部の武道で『無構えの構え』などと言われるものだ。
拳は握らない、いわゆる開手。
余程こういうケースに慣れているか、元々そっちの人間か…
なんにせよ、金本に取れる手段は限られている。
「すぅ」
悟らせない程度に軽く息を吸うと、金本は突如、リーダーに向かって駆け出した。
いわゆる、『体当たり』である。
押し倒すことを目的とした『タックル』とも、違う。
相手を仕留めるか、反撃で沈むか、どちらにしろ一撃で決めることを前提とした、捨身の打撃技。
まさに文字通りの『当身』。
構えも技もなく、ただ全力で突っ込んでくる相手。
本来見せれたものではない”闘争”という行為を、規定と場で抑制し、遊戯として昇華させた格闘技であれば、到底有り得ない攻撃。
勝敗をかけた丁半博打とも言うべき金本の行動に、リーダーの足が止まる。
意外に思われるかもしれないが、それが自分より遥かに小さい相手、仮に子供だったとしても、全速力でぶつかってくる相手というのは、相当の迫力がある。
例えるなら、坂道を転がってくるタイヤを受け止めることを想像してみてほしい。
躱すにしても、もししくじればただでは済まないということがイメージできるはずだ。
イメージが恐怖を生み、恐怖が判断を鈍らせる。
その一瞬が命取りだった。
瞬く間にリーダーの懐まで間合いを縮めた金本。
もうカウンターは間に合わない。
どうする?
混乱する頭は、反射的に本能に従って体を動かしてしまう。
相当の訓練を積むか、慣れた者でない限り、この時にとる反応は同じだ。
すなわち、目の前の恐怖から逃れようと、無意識に後ずさる。
受け止めるでも躱すでも流すでもない、最悪手の対処。
突進を阻もうと腕を張るが、しっかりとした土台の伴わない突き放しでは、全力疾走の慣性は止められない。
結果、伸ばした手は弾かれ、逆に金本の突き出した両の掌底が、腹部に突き刺さった。
突進の勢いをそのまま利用した、諸手突き。
横隔膜が押しつぶされ、肺の空気が逆流する。
成人男性一人の体重と脚力をフルに使い得られた運動エネルギーは、骨格により固定された腕から伝達され、その巨体を僅かだが宙に浮かせる。
そして叩きつけられるのは、マットでもロープでも畳でもない、冷たい鉄筋コンクリート造の壁。
かくしてリーダーは壁に全身をしこたまぶつけ、床に倒れ込んだ。
「ふぅ」
「……て、てめぇっ!!!」
我に返った強盗が、金本に拳銃を向ける。
が、そこはすでに金本の間合いの内側。
「シッ」
鋭い呼気と共に、白刃が閃く。
隠し持っていたナイフを左袖から抜き出すと同時、射線を外しながら踏み込んだ。
「ああぁっ!!?」
男が拳銃を取り落とし、血が滴る手首を抑えながら蹲る。
「…安心しろ。腱も動脈も、傷つくほど斬っちゃいない。ちょっと痛えだけさ」
スッ、と、他の男たちに目を向けながら、金本は続ける。
「もっとも、てめえらの対応次第で、ちょっとじゃ済まなくなるけどな。
………その子を放せ」
こうなるともう、蛇に睨まれた蛙だ。
強盗とは言え、平和な日本で暮らす市民に変わりはない。
リーダーが沈み、更に目の前で金本が普通でないことを見せつけられ、彼らの心は完全に折れてしまった。
銃を下ろし、怯えた目で金本を警戒しながら、晶の拘束を解く。
「あ、あの、自分らは…」
「ん?いやワイに聞かれても。勝手に逃げるなりなんなり、すりゃいいんじゃないの~?」
そう言ってから、思い出したように付け足す。
「あ、そうそう、…もし後で、その子になんかあったら___」
「てめえら全員見つけ出して、解体するからな」
その淡々とした物言いが、単なるハッタリや脅しでなく、彼にとっては出来ることをただ述べているに過ぎないのだと、その場にいる全員に理解させた。
今や、金本に向けられる目線に込められているのは、9割以上の恐怖と、ごくわずかな軽蔑のみ。
しかし慣れているのか、彼はさほど気にした様子もないままナイフの血を拭うと、欠伸をしながらバックヤードを後にする。
売り場へと続くドアをくぐる直前、僅かに足を止め、晶の方をチラと振り返る。
が、それ以上何も言わぬまま、金本は店を去っていった。
二日後、金本はバイトを辞めた。
退職代行サービスを利用したため、店側がどんな反応をしたのかは知らないが、あの場には店長もいた。
向こうとしても、これ以上金本と関わり合いにはなりたくなかっただろう。
こうして、彼はまた無職になった。
…しかしそれ以前に、
戦場から離れて一年の月日が経っても、金本の本質は未だに戦士であり、そして何処までも、
________殺し屋だった。




