14.金本久内という男
長野県 某市、山中。
山奥の”元”国有地(現在は払い下げられ、ある企業の所有地になっていたが)に建てられた、四角い建物。
どこか学校の校舎を想起させる、というより意図的に模して造られたその建物の一室で、二人の大人が話していた。
中年の女性と、それより少し若い男。
二人の議題の中心、というか、物理的に机の中心を陣取っているのは、ある男の”履歴書”だった。
「それで、どこまで掴めた?」
女上司、中野が部下である男に問うた。
今月頭、上層部がある男を、かなり強引に推薦してきた。
彼女らの勤める機関の様ないわゆる機密組織に入るには、前職で相当優秀な成績を残すか、誰かしらの関係者、それも比較的上位の人間に推薦されることが必須条件となる。
今回は後者。
よって中野は、組織の保安上の理由と、もう一つ、この人事を通した上を追い落とす切っ掛けになりはしないかという野心から、部下たちに男を探らせていたのだった。
男の名前は金本久内。
前職は国防軍の普通科隊員で、6年前に情報部に異動。
そして1年前に一身上の都合により除隊している。
最終階級は三等陸曹。
勤務実績は格闘技能に秀でていると所見が記されている程度で、成績自体は平凡そのもの。
少なくとも、国の極秘機関に推薦されるような人材ではない。
この人事、何かある。
上層部の私事か、もしくは……
ともかくも、東京の支部に配属されていた軍情報部出身者の元へ、目の前の部下、鏑木を差し向け、今まさにその報告を聞こうとしているところだった。
「この男、とんでもない奴でしたよ」
「ほう?」
興奮気味に始めた鏑木の話は、確かに普通ではなかった。
「金本……また随分と物騒な…
いや、知ってますよ。まあ情報部の中じゃ、アイツはちょっとした有名人でしたから」
入局志願者の身元確認だと説明すると、その男はアッサリと口を割った。
「アイツ、金本は特殊作戦要員でした。で、その所属部隊ってのが、まあ言ってしまえば、DATだったわけです」
DAT ___国防軍情報部 直接行動班。
この名前には聞き覚えがあった。
かつて実在し、ここ最近になってその存在が囁かれるようになった、高機密軍事作戦専門の秘密部隊。
一年程前に発生した日本籍客船占拠事件において、その作戦行動中の姿を記者に撮影されるという失態から、他の様々な裏組織の生贄にされ解散したと聞いている。
しかし、それまでは政府内でも極一握りの人間にしかその存在を知らされず、
統幕(国防軍の最高軍令機関)や内閣情報調査室などの国家中枢クラスが計画した、最重要機密級の特殊任務を国内外問わず一手に請け負った。
この国の暗部、その中でも格段に深く、暗い闇を蠢いた、超法規的暴力装置。
「その中でも、金本は別格でした。部隊発足当時から前線をウロウロしてる古株で、最強の男ですよ」
「というと?」
情報部に配属されていた5年間の殺害件数は、公式記録で95人、未確認を含めれば300は下らないと言われている。
国防軍史上、最も多くの特殊作戦に参加した下士官。
それが金本の、軍人としての”実績”だった。
偉業と、そう言えば確かにそうだ。
だが、誰かに自慢したり、ましてや履歴書に堂々と書けるような類のものではない。
「アイツのことを一言で表現するなら、『剣客』、ですかね。と言っても、使うのは刀じゃなくてナイフでしたけど」
「! ということは、まさか彼が?」
「ええ。金本を知ってる奴があの都市伝説を聞けば、誰だってピンと来ますよ。ああ、アイツのことだな、ってね」
一年前、マスコミのリークと同時に、一時期世間を賑わせたシージャック事件と例の部隊だったが、
軍が黙秘を貫き通し、しかも噂の元となった部署が本当に存在しなくなったこともあって、今では陰謀論者かミリタリーマニアの間でしか取り沙汰されることは無くなった。
故に”都市伝説”。
そして、ソレには分りやすい、シンボル的な通称がつけられるのがお約束。
そんな訳で、彼らにもある通り名が与えられていた。
命名したのは軍事系のネット掲示板だとか。
目にも止まらぬナイフ捌きでテロリストに引き金を引く間すら与えず斬殺した、という目撃証言と、某RPGに登場する、即死効果を持つ短剣系武器にあやかり、
『アサシンダガー』
彼らは、いや、彼は巷で、そのように呼ばれている。
「辻斬り紛いの暗殺任務を繰り返してたもんで、これが幕末だったら名うての人斬りに成ってたんじゃないかって。陰で『生まれた時代を間違えた男』、なんて言われてましたね」
男は話を、そのように締めくくった。
「……俄かには信じがたい話だな」
報告を聞き終わった中野は、そうこぼした。
「自分も同感です。しかし、あの男が嘘をついているようには見えませんでした」
「もしこれが全て事実なら、どれだけ洗ってもロクな情報が得られなかった説明もつく、か」
異動と昇任だけが淡々と記された勤務記録。
違和感が無かったかと言われれば嘘になる。
手に入れた資料からは、その男が国防軍で何をしていたのか、という最も重要な情報が丸々欠落していた。
もしそれが、何者かによって意図的に抹消されたのだとしたら?
「どちらにせよ。後は”彼女たち”の報告を待つしかありませんね」
「……そうだな」
「ふぇっくしゅっ! ……なんだあ?」
突然出たクシャミに妙な胸騒ぎを覚え、誰かが自分の噂話でもしているのかと、彼方の空を見上げる。
事実その予感は的中しているのだが、当の金本はそれを知る由もない。
夕立が止み、暗雲が去り始めた空。
その隙間から指す夕陽が、街を橙色に染めていた。
バイト終わり、いつもより重い足取りで帰路につく金本。
まさか、魚に骨が入っていた、なんていうバカバカしい理由で、売り場で30分も詰められる羽目になるとは思いもよらなかった。
あのジジイは、魚が無脊椎動物だった世界線から転移でもしてきたのだろうか?
ちょっと殴れば死ぬようなカスの分際で……
家に帰ったが夕飯を作る気にもなれず、荷物だけ置いて金本はランニングに出た。
「はぁ…、はぁ…」
どれぐらい走っただろう。
ちらと腕時計を見ると、デジタルの文字盤は19時35分を示していた。
辺りはもう完全に暗くなり、街灯や窓からこぼれる灯り、車のヘッドライトが闇を照らしている。
どこをどう走ったのか。
額の汗を袖で拭いながら、金本は顔を上げた。
「……ははっ」
思わず、乾いた笑いが口から洩れる。
それは自分自身に対する冷笑だ。
目の前には、あの古本屋が、暗い道に立つ金本に光を投げかけていた。
「何やってんだよ、俺」
呟き、踵を返す。
あの子に会ってどうする。
生きるのが辛いんです、なんて、泣き言を聞いてもらうつもりか?
それは我ながら、流石に情けなさすぎる。
「あ」
クソ。
何でこういう時だけ、神様は俺の願いを叶えてしまうのか。
「オジサンじゃん。どしたの?こんな時間に」
背中にかけられるのは、無意識のうちに求めていた、声。
「うわっ、汗だくじゃんあんた。マジでどうしたの?なんかあった?」
吸い込まれそうな深く黒い瞳が、俺の顔を覗き込む。
初めは無表情に思えた彼女だけれども、落ち着いているように見えて、実は意外と感情豊かだ。
今も本当に心配そうにこちらを見上げている。
情けないとこ、見られちまったな。
この子の前ではカッコつけていたいのに、それがどうして、俺にはなかなか難しい……
深く息をついて、呼吸を整える。
「いやー、ちょっとランニングしてたんやけど、気が付いたら来ちゃってた☆」
「なにそれ…」
いつも通りの呆れた反応に、ついホッとしてしまっている自分がいる。
何まんまと癒されてんだ、そうじゃねえだろ。
「さーて、晶ちゃんの顔見てエネルギー補給も出来たことだし、ワイはまた走ろうかな~」
これ以上ここに居たらまた彼女の優しさに甘えてしまいそうで、金本は体を起こした。
「じゃあ、ちょっと待ってて。あたしももう上がりだから」
「へ?」
予想外の返答に固まる金本を置いて、彼女はさっさと店内に戻ってしまった。
え、なに?どゆこと?




