11.無敵
今日は珍しくバイトが休みだった。
と言っても、金本にとっては別に嬉しくもなんともない。
時間を潰す方法を自分で考えなければならないからだ。
幾ら元精鋭歩兵でも、一日中トレーニングは無理がある。
いつもよりハードに設定した朝の日課を終え、家に帰る。
折角だし少し豪華な朝飯でもと思ったが、考えてみればこの時間やっているのは車で30分ほど離れた24時間営業のスーパー位なもので、そこまで徒歩で買い物に行くほどの気力は流石に湧いてこなかった。
取りあえず、居間のテレビをつける。
子供時代は家にテレビが無く、クラスメイト達がアニメや番組の話題で盛り上がっていてもついて行けず、疎外感を感じたものだったが、大人になってある程度のことは自由に出来るようになったからといって、好き好んで見ている訳ではない。
他にやることが無いからというのが一つと、自分以外の声が一切しない家というのは実際かなり寂しい。
ネットを覗くと、ペットを飼うと良いという言説をよく見かける。
自分は猫派なので飼うとしたらそっちだ。
そろそろ真剣に検討してもいいかもしれない。
などと取り留めも無いことを考えながら、ボーッっと画面を眺める。
出来ることは増えたはずなのに、学生時代の方が毎日活気があった気がする。
大人とは存外不自由なものなのだと、学校では教えてくれなかった。
「○○駅で無差別殺傷事件が…」
「先週の押し入り強盗の犯人もまだ捕まっておらず…」
「また『無敵の人』の犯行が…」
金本が軍から離れて一年。
少しだけ変わったことがある。
こういう、物騒な事件が増えたことだ。
とは言え、所得格差は日々広がる一方だし、海外からの移民も数年前に比べれば爆発的に増えた。
治安の悪化は当然と言えば当然の結果でもある。
全ての犠牲を防ぐなんて言うのは、非現実的な理想論だ。
軍が介入できるのは、あくまでも組織的な活動、若しくは元業界関係者の犯行に対してだけ。
世界トップレベルの暴力の専門家である金本たちであったとしても、こういった一般個人の突発的な暴挙を防ぐ手は無い。
精々が、犯人を速やかに制圧し囚われた人質を救出するくらいである。
「どうせやるなら、一般人ちまちま襲うんじゃなく、もっとデカい山狙えばええのになあ」
もし自分がやるとしたら……
金本の頭が回り始める。
狙うとしたら社会的有力者。
資本家や政治家、行政上層部などの権力者階級。
市民を何百殺すよりも、その方が社会により直接的で大きな影響を与えることが出来るからだ。
先ず、駅や公共施設など、人の集まる近辺の建物に放火。
これは燃えても燃えなくてもどちらでもいい。
警察や消防に混乱を起こし、目線をそちらに向けさせることが目的だ。
それから駅前などを経由して移動し、それと同時に手当たり次第に襲う。
自分の腕ならそれなりの惨劇が可能だろう。
ここまでが、偽装工作。
その後、出来るだけ細い路地を選び逃走しながら、ピックアップしておいたルート上の本命を次々に襲っていく。
ある程度時間が経ったら、深追いはせず山に入る。
警察というのは、基本的に野戦に慣れていない。
対してこちらは軍の出身、そういう戦いはお手の物だ。
更にその山中に事前に罠を張っておけば……
「警官隊100人くらいなら何とかなるでしょ。 …まあ、絶対やらんけど」
幾ら歴戦の殺し屋でも、不眠不休でしかも何の補給も無しに戦い続けることなどできはしない。
始めから、絶対に勝ち目のない戦いだ。
……だが、それと同時に、絶対に大事に出来るという確信がある。
本気でやれば、死者数、影響力共に単独犯としては歴史に名を遺す大事件になるだろう。
それはある意味、世間に自分という存在を認めさせられる、そう言う事ではないか?
「…アホくさ」
ジッとしていたら、自ら否定したそのバカバカしい妄想が現実になってしまいそうで、金本は家を出た。
散歩がてら近所をジョグでもしようと家を出てきた金本だったが、ふと今週はまだ一度も足を運んでいなかったことを思い出し、進路を変更する。
目指すのは、金本の住むアパートやスーパーよりも中心街よりにある、一軒の古本屋。
と言っても、彼の目的は本ではなく、別のところにあったが…
「…またいるし。あんたさ、いい加減真面目に働いた方がいいんじゃない?」
「働いてるしっ! 今日は休みなの。それに、ワイちゃんこう見えて29歳だって、前に言ったと思うんやけどな~?」
そう言い返しつつ、嬉しそうな様子が隠しきれていない金本。
呆れたようにため息をつくのは、店員共通の緑のエプロンをした少女。
恐らくアルバイトなのだろう、左胸の名札には小さな白い文字で深井と書かれている。
体形や身長から判断するに、年の頃は十代後半といったところ。
ショートとボブの中間(そのままショートボブと言うらしい)の黒髪に切れ長の瞳が魅惑的な、大人びた容姿の少女だった。
「あ~はいはい、オジサン」
「ぐふっ、その呼び方はそれはそれで背徳感が…」
「どういうダメージの受け方してんだよ。キモ」
悶える金本に割と本気で引く彼女。
とても店員が客に対してしていい態度ではないが、もちろん彼女とて他の客の前では常識的な接客を心掛けているし、金本に対しても知り合った当初は同様に接していた。
では、なぜ今こうなのかと言えば、それはもう、金本の人柄が成せる業という他ない。
彼女との出会いは、半年ほど前に遡る。
その日は珍しく面接まで行った帰り道、と言ってもその実、地方の小さな会社故応募人数が少なく全員面接をしただけだったのだが。
とにかく、直接面接をした取締役らの反応的にダメだろうと肩を落として帰路につき、この古本屋を見つけた。
アパートから少々距離があり、且つ普段駅に向かう時の道筋や幹道からは少し外れた位置にあったため、今までは気付かなかった。
そして少しの気晴らしにでもなればと入った店内で、金本は人生始まって以来の衝撃を受けることとなる。
「…いらっしゃいませー」
落ち着いた立ち振る舞いに、やや気だるげな抑揚の少ない声。
全ての光を吸収するかのような深黒の髪に、可憐というよりは妖艶に整った表情の分かりにくい顔立ち、冷ややかな目線を投げかける切れ長の瞳。
そして、特に小柄と言うほどではないが、その容姿や仕草とは対照的に、薄い年相応な体つき。
態度、顔、ルックス。
初対面で得られる情報、そのほぼ全てが金本の性癖を尽く撃ち抜いていた。
直球ド真ん中ストレート三振バッターアウツッッ!、である。
膝から崩れ落ちた金本は、困惑する彼女の前に跪き、未だ目の前の状況を処理しきれない混乱した頭のまま一言。
「結婚してください」
「……は?」
危うく出入り禁止どころか警察のお縄になりそうなピンチを、舌八丁の自己弁護と財力に物を言わせた売り上げへの多大なる貢献で脱し、というか中年店長の好感度を逆に爆上げし現在に至る、という訳である。
その後も店長に気に入られたのを良いことに週2、3のペースで足蹴く通い、初来店時のエピソードが強烈なことも相まって、今ではすっかりこの小さな古本屋の常連の一人にその名を連ねていた。
肝心の彼女との関係も、最初こそストーカー予備軍としてかなり警戒されていたが、普段の態度から下心はあっても悪意はないと判断され、今では来店すれば彼女の方から話しかけてくれることもある程良好な関係を保てていた。
まあ、その関係がどこまで行っても店員と客、ないしは推しと信者の範疇を出ないのが、金本にとっては悩みどころではあったのだが。
「それで? 新しい仕事、国道沿いのスーパーだっけ。 もう慣れた?」
話しながら、これそっちにしまっといてと、シレッと仕事を客に押し付ける深井。
あ、そうそう。
因みに、彼女の本名は深井晶という。
フルネームを聞き出せたのも、割と最近のことだった。
それもこれも、こういった弛まぬ努力?の積み重ねが実を結んだ結果なのかと思うと、せっせと本を棚にしまっている彼の姿を見ているこちらからしても、情けなくて涙が出てくる。
というか、十代少女に顎で使われる29歳って、お前はそれでいいのか金本。
「うーん、やっぱり覚えることは山ほどあるけど、まあ何とかなるやろ。
あ、そう言えば、ワイちゃんこの前鯛捌いたんやで。どうよ?すごくない?」
「あー、うん。すごいすご~い」
「あ、アレ? もしかして、あんま興味ない?」
「逆にその話題で食いつくのは少数派だと思う」
基本的に他人に対しては、国防軍にいたが落ちこぼれだった為昇任試験に受からず、泣く泣く除隊させられたと説明している。
実際のところ何一つ嘘はついていない。
金本の場合体力審査は何の問題も無かったが、試験勉強を嫌がって万年三曹止まり。
チームの中でも階級的にはほぼ底辺だった。
そして現在、平日もフラフラと古本屋で漫画を購入する姿を見て、彼女からは相当な社会不適合者のダメ人間と思われている。
悲しいことにこれも間違っていない。
そんな訳で、金本が急いでバイトを見つけたのも、彼女からの印象を少しでも良くしようとした結果でもあった。
「そう言えば、晶ちゃんこそ、今日学校どしたん? この時間からいるなんて珍しいやん」
今日シフトが入っていることは把握していたが、正直この時間にいるとは思っていなかった金本。
勢いでここまで来てしまったが、彼女の出勤までどこで時間を潰そうかと本気で悩んでいた故の質問である。
うわ、こうして文字にすると完全ストーカーだろコレ。
女子高生相手にここまで本気になるのも、ちょっと大人としてどうなの?
しかし彼女を前にするとそんな一般的な感性すらも置き去りにしてしまうのが、彼女いない歴=年齢が積み重なった、悲しき童貞モンスターなのである。
後1年で晴れて魔法使い、金本は焦っていた。
「ていうか、なんであたしが学生だって決めつけてるわけ?」
「え!?違うの?」
動揺する金本、除外していた可能性が思考に持ち上がる。
つまり彼女は合法ろ
「あははっ、冗談冗談。あたしも今日は休みってだけ」
「あ、そう…」
「面白いね~、あんた。すっごい顔して驚くんだもん。つい笑っちゃった」
「い、いや? そんな…そんな驚いてないしっ」
そんなところで強がっても大人の威厳は保てないぞ金本よ。
それにしても、自分が彼女について驚くほど知らないことを金本は思い出す。
話していても基本的に彼女は聞き手側。
自分のことを話してくれることは滅多に無い。
まあ、30手前のオジサンにペラペラと身の上話をするのも、それはそれで危機管理能力を疑うが。
では、自分が彼女と同じくらいの年齢だったら、どうだったのだろうか?
考えても仕方のない問いが頭に浮かぶ。
もっときちんとした仕事に就いていたら、社会的立場があったら、イケメンだったら、背が高かったら、…他の、誰かだったら。
不意に鳴った携帯の着信音で、思考が途切れる。
楽しい時間が終わるのは、いつだって早いものだ。
「あ、そうか。そう言えば今日だったな…」
スマホの画面に表示された通知を見て、誰にともなく呟く。
「どした? 仕事でなんかミスでもした?」
「んにゃ、ちょっと用事思い出しちゃって、今日はもう帰るやで」
「そっか。じゃあね」
小さく手を振り、本棚の向こうに消えていく彼女を見送りながら、金本は振動し続ける携帯を握りしめていた。




