第三十話
朝の朝食を食べ終わると、彰は背伸びをしてゴロリと横になった。
片手で食事は大変だったが、それでも院内食は味気ない。
どんなに栄養価が高くても、見た目も味もいまいちだった。
が、最近いいものを食べていたせいか舌がこえたのか、結局何を
食べても一緒だった。
それは…彰にとっては意外に思えた。
「やっぱり…不味いや…」
あの家が懐かしい。
数ヶ月住んでいただけなのに、お手伝いさんから色々と学べたあ
の部屋。
贅沢すぎるほど広くて寝心地のいい、ベッド。
バイトとして紹介された書類整理。
楽しくパソコンを弄りながら表や、数値をどれだけ見やすく資料化
するかとかを考えるのも楽しかった。
もう、戻れない場所を懐かしむと余計に虚しく思えた。
すると朝の問診に来た医師に再び面会の話を切り出された。
「今日は昨日来た方々が面会に来るからね。大丈夫そうかい?」
「…僕は…会いたくない…です」
「もうだいぶんといいようだね、傷口も大丈夫そうだ…」
包帯を取ると傷口を確認して再び包帯を巻き直す。
「どうしても会わないといけませんか?」
「先送りにしても君のためにならないよ。無理には退院なんてさせ
ないから、まずはゆっくりと養生しなさい」
「はい…」
そして看護師に連れられて、面会人が来たのだった。
「彰くん……」
「玲那…さん?どうして…」
「探したんだからね。見つけた時がどんな風だったか知ってるの?
意識はないし、目も覚さない。びしょ濡れで、熱もあって…どれだ
け心配したか…」
「ご、ごめん…」
「謝っても許さないんだからね」
泣き出す玲那を眺めると少し意外に思った。
まさか彼女が来るとは思ってもいなかったからだ。
「でも…どうして?」
「あんたを探しに来たのよ!早く治して部屋に帰るんだからね!」
「でも……僕は…」
「いいの!彰くんは私のものでしょ?だったら私の婚約者になって、
堂々と胸を張って生きなさいよ!分かった?」
「婚約者…?」
言っている意味がわからない。
そんな中、補足するように礼子が口を開いた。
「本当は玲那の婿候補として君を探していたのよ。多分覚えていな
いと思うけど、過去に玲那を救ってくれたの。覚えていないのは
過去の事故のせいね…状況的に君に間違いないのよ?」
「それって前に言っていた?」
「そう、玲那が家出をした時のことね。」
淡々と語られる事実に頭がついていかなかった。
「それって本当に僕なんでしょうか?」
「間違いないわ。それに…君は事故の前の記憶を失ってるでしょ?」
「…」
「無理もないわ。もしかしたら二度と目覚めないかもしれなかったん
だから、そのせいでこっちも探すのに苦労したのよ。」
「でも…僕は…」
「お金の事なら気にしなくていいわ。でもね、それより君に選択をし
てもらわなきゃいけない事があるの…」
礼子の真剣な表情に彰はゴクリと唾を飲み込んだ。
「彰くん、今君の保護者は酒井桐子になっているのは知ってる?」
「いえ…でも、そうなんでしょうね」
「そこでね、君の意思で親権を私にって言って欲しいの」
「えっ…でも…」
戸惑うように見上げると礼子が頷いた。
「悪いようにはしないわ。このままじゃ、君に何するかわからないと
思うの。どうせ玲那と結婚すれば一緒なんだしね。君の人となりは
理解したわ。その上で私は玲那を託すのに相応しいと思ってるの」
「それは…」
「もちろん、彰くんの気持ちも大事よ。玲那が嫌ならそれでもいい。
でも、今は私に貴方の保護者にならせてくれない?」
「それは…ありがたいです。あの家から逃げたかったし…」
「それは良かったわ、ここに書類は揃ってるわ、サインしていくだけ
だから。それとも…何か気になるの?」
少し俯くと口角を緩めた。
「いえ…最後まで分からなかったなって…」
「…?」
「いえ、こっちの話です」
初めてできた妹の若菜。
最後まで嫌われたままだったと彰は思っていた。
それがまさか、自分だけを見て欲しい嫉妬によるものだとは知る事の
ないままだった。
その頃、若菜はというと…。
身も心もボロボロになって、全てから見放されれば、彰はきっと自分
に縋り付くと思っていた。
大事だった兄的存在。
それを完全に失ってしまったのだと理解すると、部屋に篭るとベッド
に寝転がっていた。
母には乱暴されたと自作自演をしてまで追い詰めるように仕向けた。
明日には辛くなって泣きついてくると予想していた。
が、そうはならなかった。
誰とも知らないおばさんと綺麗な女性が迎えにくるなんて予想もつか
なかった。
彼女の見る目が明らかに彰への恋心が透けて見えていたから余計に腹
が立つ。
「ねーお母さん、あきらお兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「もういいじゃない。あんな子。いっそあの子にかかった費用も請求
してやれば、そのまま言い値で引き取るんじゃないかしら?」
「ダメ!絶対にダメ!」
「若菜、あんな暴力男なんていらないじゃんない。安心して、すぐに
終わらせるわ」
母親はどうしても追い出したいらしかった。
若菜は流石にやりすぎたと、今更ながらに思ったのだった。




