第十九話
彰が風呂に入ってから、ゆっくりと聞き耳を立てる。
水音がして、湯船に入ったのだろうと推察できる。
よし!と拳を握ると脱衣所にこっそり入ると服を脱ぎタオルを身体
に巻きつけた。
ドアに手をかけると中から声がしてきた。
「今日は疲れてるんでやめてくれます?」
「へっ…」
「また性懲りもなく、入る気でいるんだろ?」
「あはははっ、気づいてたの?」
「何回やってると思ってるんですか…全く」
中から大きなため息が聞こえてくる。
「普通は美女が入ってきたら喜ぶものでしょ!」
「いやいやおかしいでしょ?」
「おかしくないもん!私、結構モテモテなんだもん!」
膨れっ面に頬を膨らませるとまるでリスが両頬を膨らましている
ように見える。
「ぷはっ…w」
「何よ〜」
「自分でいうか?普通…」
「だって彰くん、言ってくれないじゃん。」
確かにそうだ。
主人としてみてはいるが、褒め言葉を言った事はない。
周りが勝手に空想の理想像を押し付けているのは知っている。
お嬢様でなんでもできて、スポーツ万能で、勉強もできて…
権力も持ち合わせて、可愛いときたら誰もが憧れる存在であると…
だが、実際は違う。
甘えたがりで、すぐに悪戯するようなお転婆で。
その癖、負けず嫌いなのだ。
見ていて理解した事だった。
彰にはないものばかりで、いろんなものを与えて貰った。
が、それもいつまで続くか分からない。
玲那にもそのうち、好きな男は出来るだろう。
その時、自分の立ち位置はどうなるのだろう?
考えずにはいられない。
こうやって一緒に暮らしている事態、おかしい事なのだ。
どうして親がそれを許しているかわからない。
しかも、玲那の母親からしたら、自分を振ってよその女に行った婚約者
の息子なのだ。
恨んでいてもおかしくない。
「玲那さんはさ…恋愛対象はいるのか?」
「ふえっ!い、いないよ〜。いるわけないじゃん」
「そっか…」
「それを言うなら彰くんだってどうなの?誰か気になる子とかいたりし
て?」
「…人を信じれるほど、できた人間じゃないよ。母には捨てられたし、
女が優柔不断だって事は痛いほど知ってる…父だってそうだ…僕が死
んでもきっと後悔すらしないと思う…そうじゃなかったらあんな事は
…しない」
声のトーンが下がるのが分かった。
誰も信じられない。
そう聞こえた。
無理はないだろう。
彼が売られそうになって、玲那がいなかったら内臓取り出されて生きる
事さえ希み薄だったのだ。
「彰く…ん…」
「僕には恋愛はできないよ…する気もないし。それに僕に自由はあるの
か?」
一番核心を付いた言葉だった。
何度も主人の命令と言って、言うことを聞かせてきただけに、胸が痛い
言葉だった。
「結局は自分の命すら自由にできないんだろ?なら…いったい今の僕に
何が出来るんだ?」
脱衣所で動けなかった玲那の前に風呂から上がった彰が目の前に出て
きた。
タオルで身体を拭くとすぐに着替えて出て行ったのだった。
初めての時に比べると、動揺もなく淡々としていた。
玲那はデートと言って浮かれていたが、彼にとってはただの命令に従
っただけに過ぎないのかもしれない。
楽しかったと言ってくれたのもお世辞だろうか?
また、来たいと言ったのも?
食事にはちょっと意地悪をしてしまったかもしれない。
食事マナーなど知らない彼に、わざと金持ちの食事を体験させた。
これには別の糸があったからだ。
だが、何も言わずに連れて行ったのできっと困ったことだろう。
玲那の食べ方を見ながら疾苦八苦している姿に笑みが漏れた。
困った顔で甲殻類に挑んだ時は皿の上からテーブルに転げ回った具に
慌てる様子が可愛かった。