リア充なんて爆発してしまえばいい
ごきげんよう、ひだまりのねこですにゃあ。
梅雨入りした関東地方。
それと同時に私の体調も絶不調へ突入しております。
さて、最近新作連載を書きためているので、エッセイはお休みしているのですが、
気分転換に駄文を書きたくなりまして。
今日は、みんな大好きな「リア充」についてのお話。
まあ、リア充と言っても定義は幅広く、年代によっても異なるので、今回の「リア充」は、クリスマスなどに周りが全員幸せなカップルにみえる現象について。
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「リア充爆発しろ」「リア充爆ぜろ」
ネットにあふれているネタではあるが、元ネタは、
「りあ充幸せそうにしやがって羨ましいなコノヤローその幸せこっちにも分けてくれよさもなくば爆発しろそれが出来ないなら、将来幸せな家庭を築け俺とお前の約束だ」
というものらしい。真偽のほどはわからないが。
つまり単なる嫉妬ではなく、不器用に相手の幸せを願ってもいるわけで、だからこそ、ネガティブな言葉ながらこれだけ流行っているのだろう。
とはいえ、実際問題、現実の社会は厳しい。
仕事や学業、友人関係、異性関係、家族関係、趣味、これらすべてどころか、どれか一つとっても上手くいっていない人は多いのではないだろうか? いやそうであってくれ。
ちなみに、「リア充爆発しろ」を無理やり英語にすると「Normies can go burn」となる。
なぜ「Normies=普通の人」となるのかだが、そもそもアメリカには、日本で言うリア充の概念が存在しないらしい。
日本人が想像するリア充=アメリカでは普通の人 なのだ。さすがは世界最恐国家やで。
くっ、「アメ充爆発しろ」
まあ他所は他所、日本は日本だ。結局、幸せなんていうものは極めて主観的なものであって、他人との比較で相対化できるものなど本質ではない。羨む必要などないのだと強がっておく。
このエッセイを読んでいる読者にだけ良い事を教えてあげよう。
以前、私は生き物の気配を察知できると言ったが、実は効果範囲に関しては音に関するスキルの方が凄まじかったりする。
たとえば、一般的なファミレスの広さであれば、店内の会話はすべて余裕で拾えてしまうほど。その気になれば厨房内の声まで聞こえる。
もっとも音を痛みに感じる私にとっては、ほとんど呪いのような力ではあるのだが。
今は精神を病んでしまうので音を遮断しているが、その方法を確立するまでは、好む好まざるに関わらず、ずっと聞こえていたのだ。何千、何万というカップルと思われている人々の会話が。
結論から言おう。
カップルに見えている人々の7~8割は恋人関係ではない。
怪しい宗教、販売営業が圧倒的に多く、デートクラブ的なものからキャバクラ絡みだと思われるものだってある。友人関係なら相当ましな方。
数少ない本物のカップルも、話の内容はまあ悲惨だ。修羅場と言っても差し支えないだろう。
ファミレスという場所柄多いのかもしれないが、映画館、遊園地、ショッピングセンターでも、カップルの割合は5割を切る。
本当の意味での恋愛関係にある幸せそうなカップルに至っては、おそらく1割以下だろう。
あくまでも私の主観であって、会話内容だけで判断できるわけではもちろんないけれど、皆が思っているよりも、いわゆる羨ましい感じのカップルというのは本当に少ない。
だから何だと言われても困るが、恋人がいないのはごく普通のことだと知っていれば、少しは精神的な慰めになるのではないだろうか。
恋人関係に関わらず、たしかに人よりも恵まれているように見える人はいるが、
企業のトップは、従業員の生活や先行きの不安を背負い夜も眠れない。美男美女をパートナーに持てば、嫉妬や不倫、浮気の不安に常に悩まされる。過ぎた大金は疑心暗鬼を生み、生活は破たんする。
そういう意味では私も他人から見ればチートなのかもしれない。それがたとえ苦しみしかもたらさないものだとしても。
人が持っていないものを持つということは、孤独だ。理解してくれる人がいないから。共感や共有という人間が幸せを感じる土台が存在しない。
だから自分だけ不幸だとか、みんな幸せそうだなんて思わなくて良い。
人は持っているものに比例して背負うものが増えるのだ。だから持っている分だけ幸せなのかと言われれば、そんなことはあり得ない。何も持っていないのも逆の意味で同じ。結局、ほどほどが一番なのだろう。
私は思う。なんだ……結局、リア充って、「Normies=普通の人」のことなんだって。
人生が駄目になるほどの重荷を背負わず、自分のペースで人生を設計して、気の合う友人や家族と過ごし、ゲームや趣味を楽しむ。
華々しい成功や名声とは無縁だけれど、最強のリア充はやっぱり普通の人。
2006年から使われ始めた「リア充」という言葉。
ネット社会となり、世界中の他者と容易に比較が出来るできるようになったことによって生み出された共同幻想であり、怪物。
美男美女、高収入、憧れの仕事、名声はたしかに魅力的に見えるかもしれないが、
それは背負いきれないほどの重荷と孤独、絶望、不安と表裏一体であることを知って欲しい。
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とはいえ、普通が一番難しかったりするんですよね。
普通になれない人たちが集まっているのがネットだとしたら、リア充という言葉の持つ意味がよくわかる。
名声やキラキラした私生活を羨んでいるんじゃない。ただ、普通になりたかっただけ。多くの普通に暮らす人々への羨望が生んだ言葉なのかもしれません。
でもね、私は「リア充爆発しろ」「リア充爆ぜろ」という言葉が好きなのですよ。
私にはとても優しくとても温かい言葉に思えるのです。
決して普通にはなれないけれど、だからこそ普通にはない優しい感性が生み出した言葉。
孤独も不安も絶望も偏見も悩みも苦しみも凝り固まった価値観も。
リア充なんてくだらない幻想ごとぶっ壊してやる。
そう言ってくれているような気が私にはするのですよ。
でも、まずはこの鬱屈とした梅雨空を爆破したいのですけれどね。
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