右腕は誰だ
サークル「落文」2作目です。
今回はこういうのが書きたいんだよ俺は。というものにチャレンジしたため、大変お待たせしました。
面白ければなんでも書くというのがモットーですが、これからもこういうのは書いていきたいですね。
今日は学校が休みだ。お父さんやお母さんのいない平日の休みはみんなで遊びに行ったり、ゲームやりまくったり漫画読み放題だったりに違いない。
でも、オレがやるのは別のことだ。
これから街で一番危険そうなところに潜り込んで、なんでもいいから持ち帰ってくる。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。大きな成果を上げるためには危険を冒さなくちゃいけないというコトワザだ。
探偵になりたいならまずは学べと所長に言われた。学んだことをやってみるのが普段私がやっていることだよと所長の相棒の雲田さんが教えてくれた。
でも何を勉強するのが正解かわからなくて、図書室でてきとーに選んだことわざ辞典のてきとーに開いたページにビッと来たのはラッキーだった。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。所長に探偵所員として認めてもらうためには自分がこんなことをできると知ってもらう必要があるのだ。
激ヤバスポットであるビルの中に入るための通風孔の蓋は思ったより簡単に外れた。
「初めては潜入任務か。カッコいいぜ」
ある程度大きな建物には通気口がある。エアコンとか喚起のためとかにあって学校ほど大きくなくても窓や扉以外にも出入口はあるのだ。あんまり身長が高くないから使える侵入ルートだけど。
ネジと幾つかの小道具で通風孔からの入り口はできた。あとは潜り込んで、見取り図とかはないから慎重に進んで、蓋を見つけたら人がいないことを確認して降りればいい。物をゲットした後のことも考えて準備もしてある。
身を縮こまらせて進む虎の穴。ペンライトで照らしても真っ黒に塗りつぶす闇はどこまでも先まで広がっていた。
狭い中を音を立てたり落ちたりしないようにゆっくり動いている。うんと遠くまで行ってしまったような感じがしているのは気のせいだろうか。
建物自体がそんなに大きいものじゃない。まだ曲がっていないから後ろを見れば外の景色がわかるはずだ。
勘違いを直そうと振り向くとそこは真っ暗だった。
お腹の中身が抜かれたような。ゾッとする冷たさ。この感覚は知っている。とにかく危険で、死ぬかもしれないって予感だ。
炎の熱と、悲鳴。色々なものが焼けて焦げていく匂い。黒くて赤い光があっというまにオレを覆っていく。五年前の光景が広がっているはずはない。あの時は、確かに助けられて生き残ったんだ。
落ち着くために短く息を吐く。辺りはまた元の真っ暗闇に戻っていた。
そして記憶が蘇ってくる。
この感覚があった時はもう、何かは既に起こっていたんだった。
「っ痛てぇ」
あれだけ注意深く進んだはずなのに急に床がなくなって落ちた。暗くて怖い場所だったけれど、いいやだからこそ手元はしっかり照らしていたはずなのに。
いや、原因は後で探せばいい。大きな音を立ててしまった。人がいるなら気づかれてしまう。危険な場所だと思ったからここを選んだ。だから、少しでもヤバいことをしたら今すぐでなくちゃならない。
来た道を辿れるように伸ばしたい糸が切れている。理由を考えるより脱出する方が大切だ。
見上げても天上ばかりでどこから落ちたか見当もつかない。悩むのは後でいい。
目に見えるものだけじゃない。聞こえる音とか、匂いとか、感じるもの全部使って戻る方法を見つけないと。
どういうお店かは知らないけれど明るい陽の光が窓から差し込んでいる。ツンとかガンとかキツい匂いはしなくて、たばこやお酒の香りもまったくしない。床もつるつるで丁寧に掃除がされている。
ちょっと大人っぽい喫茶店にしか思えないのにどうして。吐きそうなほど嫌だと感じるんだろう。
耳を澄ますと車の音がして、聞こえた方へ視線を向けると開けっ放しのドアが見える。気づかれないようにゆっくり進むと入り口のすぐそばが階段になっていて、上から光が差し込んでいるのがわかる。
『全体を考えろ。騙すときにも、される時にもだ』
所長の言葉が響いてきた。
直感っていうものは頭の中にある色々な知識や経験が瞬時に答えを出すものだと雲田さんが言っていた。所長の言葉と同じくらい、オレは所長の助手の言葉を信じてる。雲田さんだって目指してる大人の姿なんだから。
どうしてそう考えたのかは長いこと考えなくていい。今みたいに時間がない時は真っ先に浮かんだ何か引っかかるものがだいたい正解になってるんだから。
「待て。この建物。エスカレーターしかなかったよな」
事前の下見で非常階段くらいはあるのがわかってた。でも、鉄製で外づけのやつだから、地下に繋がる階なんてないはずだ。
そしておかしいことがもう一つ。
ここが地下なら。窓はなんであんなに明るいんだ。
地下室に窓があるのは聞いたことがないけど付けるのは簡単だと思う。ライトの工夫で日光っぽくみせるのはできるかもしれない。でも、影までそれっぽく作れるんだろうか。
出口へ踏み出そうとした足を。そっと後ろへ下げる。
「あら勿体ない。頭がいいのか、勘がいいのか、別にどっちでも平気だけど。面白いモノ見られなくてざんね〜ん」
目の前にはふわっとした長い髪の女の子がいた。オレより『少し』だけ背が高いみたいだし、中学生くらい、だと思う。制服着てないからわからないけれど。
にこにこと笑っているけれどそれでほっとしていい相手じゃないのはわかる。見た目だけ子供の別の生き物みたいな感じすらする。
「ネズミ捕りに引っかかったのなんだろな。って呼んでみたけど男の子でビックリしちゃったわー、ほんと。ねえ。誰に言われてこんなとこ来たの。おねーちゃんに教えて」
笑顔に裏がないのはわかってる。怒っているとかじゃないし、なんなら楽しんでるのもわかる。でも怖い相手なのは間違いない。
自分で来たとか。迷子になったとか。ホントのこと言ってもウソのこと言っても無駄で、オレみたいのをいじめるのにちょうどいい理由が欲しいだけなのははっきりわかる。
「おねーちゃん素直な子の方が好きになれるんだけどなー。ま、理由はどーでもいいんだけどさ。ごめんなさいね。この街には怖い男がいるから魔女は大人しくしてることになってなきゃいけないの」
呼吸を落ち着ける。何かされてもすぐ避けられるように。ダメだったしても手や腕で庇えるように。
後ろの階段は絶対に使っちゃいけないけど、逃げ道がもうそこだけになるほど近づき過ぎた。
目を離さない。耳を澄ませる。オレからできることは何もない。だから、向こうが何かしたときに備える。あるかどうかはわからないけれど、スキとか準備とかそういうちょっとしたワラみたいなものを掴むんだ。
だっていうのに。
「怖くてもしっかり見てくるなんていい目ね。じゃあ、おっひとつくっださいな」
女の子はお菓子をもってくみたいにオレへ白い指をまっすぐ伸ばしてきた。
右目を抉ろうとする爪まではっきり見えているっていうのに瞬きさえ間に合わない。
思わず息が漏れた瞬間、女の子の腕は真上へ飛んでいくように持ち上げられていった。
「俺のいる場所で悪事を働こうとは。痴呆が進んだな、オデット」
恐怖に負けそうなとき。辛いことに挫けそうになったとき。どうにもならないピンチのとき。いつも聞こえる声がある。
その声が、今、オレの目の前で発せられている。
「所長! 」
「なんで。いるのよ。アンタ、まだ仕事じゃ。ッグウ」
昇辰雄。僕が無理やり通っている探偵所の所長で。五年前の大災害のときも、そしてたった今もオレを助けてくれた憧れの人だ。
「仕事帰りの厄落としだ。もっと薄汚いものを見せられるとは思っていなかったがな」
所長の大きな掌が女の子の腕を捻ろうとする。オレや母さんに積もった山のような瓦礫を一人で片づけた力なんだから、あと一息で簡単にあの子の腕は折れてしまうだろう。
「放して。所長」
考えるより先に声が出てしまった。初めて見た所長の顔はたぶん『仕事』をしている時の顔だ。さっきの女の子にも感じなかった恐怖を目の前にいる大切な人へ感じていることに頭が溶けてしまいそうになる。
「お前を傷つけようとした相手だ。なんで助けたい」
「みんなに泣いたり辛いことがないように始めたんだ。だから」
「命拾いしたな」
所長が手を離すと女の子は墜落したように床へ落ちて唸り声のような悲鳴を上げながらのたうち回る。五年前にもあんな風に苦しんでいた人はいっぱいいて、少しでもなんとかしたくて、気づいたときには足が一歩踏み出していた。
手を伸ばそうとした瞬間、所長が目の前を遮る。人を傷つけるようなことはしないはずなのに。今もオレを隠している掌にはオレを助けるために刻まれた火傷の後が広がっている。
そんな人が目の前で苦しんでいる人を助けないんだろう。所長の目はまっすぐと女の子を射抜いてオレを見てはくれない。
「猿芝居はやめろオデット。本当にそうなりたいなら手伝ってやるが」
「ちぇー。もうちょっとからかいたかったのにな。ねえボク、辰雄のこと知ってるみたいだけど、知り合いなのかな」
「僕を助けてくれた人。あと探偵のなり方を教えてくれる。たぶん、いつか、きっと」
オデットを呼ばれた女の子はすっと立ち上がって服の裾を両手で払い始めた。
さっきまでの悲鳴が嘘みたいに笑顔でオレに話しかける。?みたいじゃなくて、本当に嘘なんだ。怪我をしたフリで騙してまだ何かやるつもりだったのに気づいた。
「へえ。でも教えてもらってないんでしょ、勿体ない。なら、おねーちゃんが先生になってあげよっか。探偵の技術は教えてあげられないけどさ、魔女の技術は便利だぞー」
「オデット。子供を巻き込むな。ネズミ捕りを解け。帰る」
「あら、何にも注文せずに出てくわけ。いいお客さんだわ」
「イエメン・ハラーズ」
「はいはいコーヒーね。紅太郎くんも好きなのどうぞ。楽しかったからサービスしたげる」
「俺が払う。好きなのを頼め、スイーツもいい」
「所長。ホットチョコレートってなんですか」
「ミルクとチョコレート。場合によってはスパイスも加えた」
「ロイヤルでプレミアムなココアよん。ちょっと待っててね」
サービスでマシュマロも貰ってその後はオデットさんと所長の話をいっぱいしたり、聞かせてもらったりした。
「オレ、所長みたいになりたいんです。ううん。なれなくても誰も泣いたり悲しまないようにやります」
「ふうん殊勝ね。私も生き残っちゃったクチなんだけどさ。まー魔女から見ても地獄だったわあれー」
「オレの父さんも母さんも、兄さんも死んだんです。父さんと母さんはオレを庇って家の下敷きになって、兄さんは警察の仕事で避難指示にいったきりで。だから、優しいだけじゃなくて強くなきゃダメなんです」
「紅太郎くんは立派ね。で、アンタどうすんの辰雄。サバト、この子が大きくなる前にもう一回あ」
「仕事の話だ。子供には関係ない」
相棒の雲田さんからも聞けなかったような話をされてもコーヒーのおかわりの時しか喋らなかったのに、またさっきみたいな怖い顔になってしまった。
大人の義務はクールでいることと会う度に言われてきたはずなのに、サバトという言葉が出た途端に所長の空気が刺すように変わった。
でも、その言葉はなぜだかオレに関係があるような気がして。
「オデットさん。魔女のこと、教えてください。魔法とか全然わかんないけど。オレ、サバトっていうの止めたいから魔ほ」
「わかった。見習いで所に入れてやる。帰るぞ」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。虎穴は本当に危険だったし、虎児もゲットできなかったし、なんか微妙に納得いかないけど、次の日から来る曜日を決めて訓練を受けるようになった。
「雲田さん。所長が探偵のやり方教えてくれるって言ってくれたのは嬉しいけどさ。まず学校の宿題からなのはなんでなんですか」
雲田さんは探偵所のメンバーだ。所長が相棒と呼んでいて、とても頼りにしている。
所長が現場に出て情報を集める。雲田さんが集めた情報を調べて作戦を立てる。作戦の時には雲田さんが無線でサポートしながら所長が動く。
所長と雲田さんはこの街に来る前からの付き合いで、お互いがお互いを尊重して信用しあう大人な関係だ。
だから、オレは目の前にいる人を尊敬している。雲田さんの言葉もオレには所長と同じくらい重い言葉だ。
「学ぶことを学んで欲しいからだよ。知識を得ること。順序立てて考えること。これは探偵の仕事にとても重要なことだし。他のものを目指そうっていう時も必要不可欠なものだからね」
「まっさか。オレが探偵目指すのやめるわけないのに」
「一意専心。一つのことにまっすぐ進むことはいいことかもしれない。でも、ううん。だからこそ。他の道を紅太郎君には見てもらいたい。小学校六年生しかやれないこと。小学校六年生にやるから大事なこと。いっぱいあるはずだよ。事務所に来るのはそういうことをやりきって大人になってからでもいいんだ」
「はい」
なんかカッコいいことを言われたような気がしたので気合を入れて返事をした。
どうしよう。オレのことをちゃんと考えて言ってくれてるのはわかる。でも、どういう意味なのかわからない。
わかってもらえなかったのがバレちゃったみたいで、仕方ないなと笑われたけれど雲田さんは棚からお菓子を出してくれた。
問題も最後の行になったころ、後ろにある入り口の方からギィと音がする。
「戻った。紅太郎は宿題をやってろ。相棒、少し顔を貸してくれ」
「お帰り。辰雄。金庫室はちょっと片付いてなくてね、話はそっちで聞くよ」
最近の所長はいつもどこかに行っている。事務所に来ても一度も姿を見ないままオレが帰る時間になることもたくさんだ。
事務所が誰かに狙われている。オレが虎穴に入って虎児を得よう作戦なんて馬鹿なことをしたのも、巻き込みたくなかった所長に実力を認めて欲しかったからだ。
でも、いまのオレは立派な探偵所見習い。きっとできることがあるはずだから。
お菓子を食べるふりしながら。消しゴムで間違いを直すふりをしながら。わざと音を立てて耳を澄ましているのをバレないようにする。
「いざとなれば」
「犯人は周辺から狙っていく癖があるようだね」
「金庫室の」
「全てはカバーできないな。どこかに穴が出る」
所長の声は低くてよく聞こえないけれども、雲田さんの声は少しだけ高いから聞こえやすい。集中すれば全部とは言えないけれど、話のおおまかな内容くらいはわかる。
警備とか用心棒みたいな仕事らしいけれど、だいぶキツいみたいだ。手っ取り早く解決を目指すなら人数を増やせばいいけれども、信用できる人間を探して呼ぶのは大変だ。なるほど。難しい問題かもしれない。でも。
いるじゃんか。ここに探偵所のメンバーが。
こほん。とわざと大きな音で咳をしてみたり。筆箱を落としてみたり。所長や雲田さんに見られるように親指を自分に向けてみたり。色々やってアピールしてみたけど全く反応してくれない。
探偵っぽいジェスチャーも思いつく限り試したみたけどまったく何の効果もなかった。
大人しく宿題をやったけれども所長と雲田さんはまだ難しい顔をしながら話をしている。せっかく見習いになれたんだ。オレだって探偵所のメンバーなんだから自分のできることをやらなきゃダメだと思ったから。
「所長! 雲田さん!オレに何かお手伝いさせてください。いっぱい勉強したし、これからも頑張ります。だか」
「お前にやらせる仕事はない」
所長にすっぱり断わられた。でも諦めない。
最近できるようになったことを一生懸命話した。所長に教わったいいつけを守って、どれだけ人の役に立ったかを必死で叫んだ。
「もっとできます! やります! オレ、この探偵所はみんなの幸せも守る場所だって。信じてるから」
「良い加減に」
静かな言い方だったけれど、所長の声は確かに怒っていた。それでも諦めないオレの様子を見て更に口を開こうとするけれど、雲田さんが所長の肩に手を置く。
「追い出せなかった私たちの負けだよ、辰雄。依頼人のためにベストを尽くすのがこの探偵所だ。彼は一つでも自分のために私たちが教えたことを使ったかい。紅太郎君が私たちを信じてるように、私たちも紅太郎君を信じてみたいな」
雲田さんがまだ怒っている宥めてなんとか話をつけてくれた。オレを探偵所の見習いだって認めてくれたのは所長だけじゃなかったんだ。
どんな気持ちでこの探偵所に来てるかわかってくれる人がいて、認めてくれた人は所長だけじゃない。頬に流れてるものに気づいたらもう大声で泣いていた。
「よし。バッチリだぜ」
危険は。あるかもしれない。
失敗も。するかもしれない。
しかも取り返しがつかない。
でも、怖くはない。
絶対にやり遂げてみせるから。
今回は護衛任務。という言い方をするらしい。脅迫状が届いた家の家族を守る仕事だ。
といっても足元で見張っている女の子を悪い奴から守るのは所長の仕事。オレは何かあった時に所長へ知らせる連絡係だ。
オレだって現場で所長を支える重要なメンバーだ、頑張るぞ。
雲田さんも事務所の地下にある金庫室で所長を支えている。探偵所で初めての仕事だけど雲田さんからお守りも貰ったんだ。絶対大丈夫だ。
入所が認められたお店の件で、オレはなんか危険なことに気づく力が高くなることに気づいた。危ない時や大事な時にこそ必要な力だけれど、突破できる能力を持ってないと意味がない。
オデットさんに目を摘まれそうになった時みたいに、頭も身体も動けるのに止まってしまうかもしれない。雲田さん風に言えば『もろはのつるぎ』だ。意味は今度調べるけど。
だから役割分担をすることになった。
怪しい人や危なそうなものを見つけるのはオレの役。何かやるのは所長の役。狙われているのは女の子のお父さんで街の偉い人らしい。けれど、襲われているのはお父さんが大事にしているものや大切にしなきゃいけないものばかりだ。
「依頼人を狙っている連中はなんでかこの探偵所をよく知っている相手なんだ。あちこちでこっそり騒ぎを起こして、自分たちが見つかるのを遅らせているんだと思う」
「卑怯じゃんかそんなの。でも、雲田さんが見つけるのももうすぐでしょ」
「ご名答。紅太郎君が見張りの負担を減らす。仕事が減った私が悪い奴を見つけて。辰雄が犯人を捕まえる。完璧だろう。そして、今回はお守りもある。キチンと使ってくれるね」
胸ポケットに入ってるボールペンには発振器がついていて、ペンが出る方向と逆に蓋を回せば信号が発振される。街の中なら十分以内に所長が来るから、何かあっても大丈夫だ。
といっても特になんにもない。
雲田さんが見習いを危険だったり、解決に大切なところを任せるかというとそんなわけもない。所長だって安全だと思ったからオレと雲田さんに説得されてくれたんだ。
だから、しっかりやる。何もないにしても、解決につながる糸口が見つかるかもしれない。本当に何もなくても、仕事はきっちりやったんだ。と二人はちゃんと見てくれてるから。
「んー。変だなってものに気づいたらすぐ知らせろって言われると全部怪しく見えるなぁ」
お小遣いで買ったスルメを齧りながら護衛対象のお姉ちゃんの周りを見張る。
すれ違うおっちゃん。隣のベンチでボーっとしてるおばあちゃん。荷物配達で駐車してある車。なんなら公園で遊んでる子供も胡散臭い。
っていっても、あんまり公園をうろちょろしてるとお姉ちゃんから離れることになる。怪しい人や物を探しに行くのがオレの仕事でもない。
でも、自分から何かできないのはもどかしい。
「するめ。ご馳走様でした。日も傾いてきましたし、そろそろお家に戻りましょう」
帰りなさいの鐘がなる前にお姉ちゃんが下から声をかけてきてくれた。
良かった。今日は何事もなく終わる。初めての仕事は何もなく完了しそうだけれど、オレが大活躍するよりずっといいことだ。
所長にここまでと頼まれた場所がみえる。信号の向こう側に見える高い塀のお屋敷はお姉ちゃんのお家だ
。あそこの玄関まで何もなければ今日はおしまい。
信号が青になる。横断歩道を渡ればもうすぐそこだけれど、オレはお姉さんの袖を掴んで思いっきり後ろへ走り出した。
急ブレーキの甲高い音がする。横断歩道を塞いだトラックからぞろぞろ人が出てきた。オレの倍くらい大きそうな奴らからお姉ちゃんをすり抜けて通すことは難しい。ボールペンの発振器を起動して裏道へ避難する。
行く先々が車で塞がれて、その度に人が出てくる。石を投げたり、塀に登って別の道に逃げたりしたけれど五分も持たなかった。
両手を塞がれたけど、口の中に入れて置いたビー玉を縛ろうとしてきたハゲの目にぶつける。奥の手まで使ってしまったからもうできることはない。
ハゲから作った隙に自分をねじ込んで、お姉ちゃんが連れ去られそうなワゴンに無理やり乗ったまではよかった。
でも、そこから先は黒い靄みたいなものに包まれてなにもわからなくなった。
「ったく。ガキ一人が手こずらせやがって」
目を覚ましたのはいいけれど身動きが取れない。手とか足とかがガムテでぐるぐる巻きにされていて、縄抜けもできない。
女の子はぐったりしているけど、傷とかはないし息も落ち着いてる。手錠みたいなのがはめられているけれど、酷いことをされるわけじゃないみたいだ。人質になっちゃったかもしれないけれど、人質だから今すぐは安心だ。
問題は目の前にいるチンピラみたいなやつだ。
暗くてはっきりとはわからないけどピアスしてるのはわかる。声も聞こえるし、靴の大きさとか身長とかもだいたい掴めてきた。もう少し観察できれば、名前がわからなくても所長や雲田さんなら誰なのかわかるはずだ。
「ガキはこんな時も早寝早起きかよ。おい、狸寝入りはもういいぜ」
ミスだった。よくわからない相手から何かを得ようとして観察しているのを気づかれた。必要以上に見過ぎたんだ。
チンピラに髪を掴まれて立たされた。服から少したばこの匂いがする。ちらっと見ただけだけど指輪とかはしてなくて。
「子供とはいえ一端の探偵気取りか。この状況でまだ探ろうとしてやがる。泣くなり喚くなりするよか、おれぁ好きだがよ。運がなかったな」
口元のガムテープが一気に剥がされる。あごが無理やり外されたみたいに痛かったけど。チンピラを刺激しないようにじっと耐える。怖いし痛いけれど、ここで目の前のチンピラの機嫌を悪くするのだけはダメだ。
オレだけじゃなくて、まだ無傷のお姉ちゃんまで殺されてしまうかもしえない。
「だんまりか。賢い選択だぜ。指の一本二本落とされても耐えられるならな」
ポッケの内側にほんのちょっと指を滑らせる。たったそれだけの動作のはずなのに、チンピラの掌にはナイフが握られていた。
「そんなことやってみろ。すっごい泣くからな。お前たちは聞きたいことも聞けないうちにオレを殺すんだぜ。勿体ね!」
「くっちゃべるまで嬲るには時間が足りねえな。なぁガキ。楽しませてくれたんで年長者さまからお情けくれてやるよ。サッと済ませてやるから、ま、ここで死んでくれや」
連れてこられる前もいっぱい暴れまわったし、身体のあちこちが痛い。ナイフは持ってるけど血を流すと掃除しなきゃいけなくなる。たぶん首を絞められて死ぬんだろう。
でも、痛かったり怖かったりがなんだ。探偵所のメンバーとしてやれることはやった。やりたいことはできなかったけれど、後悔はない。
わけあるか。
「おりゃああああああああ」
踏ん張れないように足が地面に届くギリギリの高さまで吊られているけれど、全身をバネにして思い切り両足を跳ね上げる。
チンピラもこんな反撃をしてくるとは思ってなかったみたいだ。喉元に絡めようとした手を跳ね上がった足に向けてぶつけてきた。
次は唾でも鼻水でもなんでもいいから顔にぶつけて手を振り回さないと。
ぶちぶちと髪が千切れる音が聞こえた。なぜか身体が天井へ飛び上がっている。
一瞬、髭の男の靴のつま先が腹に深々と埋まっていくのが見えた。足にパンチを打ち込んだあと、信じられない速さで蹴りを浴びせてきたんだあのチンピラ。
浮き上がったまま次どうするかを考える。身体を丸めて、地面にぶつかっても頭がぶつからないようにする。
その次は頭とか腹を守れるように丸まったままできるだけ耐えて。
その次は。
これはこうするとか。ああなったらこうやるとか。考えることはいくらでも浮かんできて、その全部でオレは酷い目に遭う。
オレがヘバッたら次はあの女の子の番だ。だから頑張れる。五年前と違ってまだどっちも生きてるから。
でも、オレに所長みたいな力があったならなぁ。
チンピラがこっちにどんどん近づいてくる。
次はゆっくり息を吐いて備えるしかなかった。
唸りを響かせて何かが頭の上を飛び去っていく。丸太だと思って地面を見た先には大人一人が蹲っていた。
チンピラがオレの首を掴んで持ち上げる。でも、地面に足がついてるからギリギリ息が詰まらない。何かからオレを盾にしているんだ。
あのチンピラはここへ誰が来たのか。オレより先に気づいたんだ。
目が霞んでいるからよくわからないけれど、こういう時に誰が来てくれるかはもう決まっていて。
ゆっくりと頷いた後、何が起こったのかはわからなくなっていた。
床が柔らかくなっていて、辺りが明るくなっている。目を開けば見えるのは事務所の天上で、指先の手触りはいつも使っているソファの柔らかさだった。
「あっ。お姉ちゃんは。っぐ」
咄嗟に起き上がろうとしたけれど身体がバラバラになるほど痛みが襲う。うめき声を漏らしながら首を傾けるとソファの向こう側からこっちへ向かって走ってくる雲田さんが見えた。
「動かないで紅太郎くん。いますぐ温かいものをもってくるよ。いいね。ゆっくり待ってるんだよ」
雲田さんはわっと話しかけてきて、またソファの向こう側に行ってしまった。
オレがここにいるんだから所長は来てくれた。だから間に合った。大丈夫だ。
ゆっくりしているのが今のオレができる一番のことなんだ。それでもお姉ちゃんがどうなったのか。どうしても聞きたくなって両足をソファから滑らせて床に落とす。
足から心臓へ焼けた針金をぶっ刺されたような痛みが来たけれど、立ち上がれる。
踏ん張って身体を起こそうとしたオレを寝かせる大きな手が届いた。
「大丈夫ですよね。ちゃんと守れたんですよね」
振り向くと所長はオレをじっと見つめていた。間違いない。所長は絶対にお姉ちゃんを助けてくれたんだ。
所長の目は怒っているとか、悲しんでいるとか、そんなものじゃない。わからないという気持ちを自分に向けると浮かぶ言葉があった。
「所長」
ごめんなさい。
いいつけを破りました。
一人で突っ込んで、いっぱい殴られただけでした。
なんて言うか決まっていたはずなのに、できなかった。出来上がった言葉を音にしようとするだけなのに喉が焼けるように熱くなって掠れた声しか出てこない。
「っぐうう」
所長に怒られるのが怖いとか。失望されるのが嫌だとか。何もできない自分が許せなかいとか。色々な気持ちで塗りつぶされそうになる。
「すまない」
挫けそうになったオレを掬いあげたのは所長の言葉だった。
「お前に見張りを命じたのは俺だ。自分を守る技術も教えずに。初めての仕事だから見ていればそれでよかった。逃げる理由も失敗してもいい理由もあったろう」
「できないからって。理由があるからって。やらなくていいわけじゃないんだ。できることはいっぱいあった。もっと強くて。賢くて。もっと。もっと」
「お前が信号を送ったから、雲田がすぐに見つけてやれたんだ。やれることを十分やったんだよ、紅太郎。あの騒ぎで糸口も見えた。連中とももうすぐ決着がつく。それも、お前が選んだ行動があったからだ」
屈んだ所長が、オレと目を合わせて言葉を続けてくれる。
助けてもらった時も。病院のベッドで目を覚ました時も。初めて探偵所に来た時も。探偵所員になったときも。子供扱いされていたのはわかっていた。
でも、今は違うってはっきりわかる。
「怪我をさせたのは俺のせいだ。誰も傷ついて欲しくないお前の気持ちを誰よりも知っていたはずなのに、信じてやれなかった」
「だってオレまだ子供だよ。言われてことだってちゃんとできなかった。そんなやつのことなんて」
「お前を所員にしようと言ったのは雲田だったろう。あのオデットでさえ初めて会った時から一目置いていた。一番お前と長く関わってきた俺が一番見てやれなった」
「オレだって見てきたんだ。所長がオレを助けてくれた時からずっと! 助けられなかった人もたくさんいたけど。それでも誰よりもみんなのために頑張ってたのは。っぐうぅ」
急に大声を出したからか、肺に熱湯を注がれるような痛みが走る。なんてことのないように笑ってみたのはいいけれど、所長にはやっぱりバレてしまった。
「だから今は休めと言っている。お前にはいろいろなものを覚えてもらうんだからな。これからは厳しくするぞ。助手としてな」
「はい。よろしくおねがいします」
ずっと待ち続けた言葉だった。所長や雲田さんみたいに探偵所の正式な一員になれることは、夢にまで見てきたことだ。
そして今になって初めて、所員になれたことの重さに気が付く。
深呼吸して目の前に差し出された大きな手を握る。とても硬くて大きくて、暖かい大人の手だった。
「仕事場は自分たちで管理するのがここのルールだ」
掃除機や雑巾で事務所を清潔にする。整理整頓は所長。壊れたものの修理は雲田さん。備品の買い出しや掃除はオレ。三人で事務所をいつも綺麗にした。
指を滑らせて埃がついたらやり直し。なんて程じゃないけど、所長は掃除にこだわった。学校の宿題を終わらせたら掃除して、気づいたら帰る時間になっている。そんな日が最初は何日も続いた。
もっとこう。えいやと悪い人をやっつける方法や鍵やなんかの解除方法なんかを教えてもらえると思っていた。
掃除だって一生懸命やる。けれど、所員としてやれることが掃除だけなのかなという気持ちはあった。それでも、頑張ってやれば慣れるし上達もする。そもそも雲田さんは綺麗好きで、所長はあまり物や道具を使わない人だった。
道具で使っている人間が覗けると所長が言っていた。ひょっとしたら、所長は事務所を知ることで自分たちのことを知って欲しいのかもしれない。
「ゴミ捨て終わりました。雲田さん、お手伝いできることありますか」
「今磨いてるレンズはこの後に調整が必要なんだ。紅太郎君には任せられないから、辰雄に聞いてごらん。おーい辰雄」
「ん」
所長は最近考え込んでることが多い。オレが見習いになる前から続いていた探偵所を狙った事件は激しくなっていた。せっかく所員になれたのに、オレはまだ所長の仕事に連れてってもらえない。
信頼されてないからじゃなく。出来ないからだ。っていうのはわかってる。だからもうオデットさんの時みたいに一人で突っ走ったりしない。
「そうだな。屋上で型の訓練をやってこい」
事務所の屋上で棒を振る。物干し竿みたいに長かったり、バトン位の短さだったり。しなやかに曲がるのもあれば、よくわかんないけど伸びるのもある。長さだけじゃなくて重さもいろいろだ。
とにかく、えいやと棒を振ってるのは間違いない。誰かを守っている自分の守り方の勉強だ。
ただ楽しく棒を振っているだけじゃなくて、ちゃんと型の練習もやっている。避けたり受け流す動き。突いたり叩く動き。守ってばかりだと行動が読まれてしまうし、いつまでもそこから動けないから攻撃も練習する。
払う。薙ぐ。所長みたいに早く静かにはできないけれど、いつかできると信じてるからこつこつやれている。
「おつかれさま紅太郎君。精が出るね。寒くないかい」
「全然。ずっと動いてるし。ちょっといつものお願いします」
雲田さんに籠の中の小石をポイポイと投げてもらう。速かったり。ゆっくりだったり。山なりだったり。まっすぐだったり。色んな投げ方がされるものを棒を使ってコツコツ落とす。
「驚いた。前に出たらもう私より頼りになりそうだ」
「ほんと! もう少ししたらオレも所長の隣に立てるようになるかな」
「すぐは欲張り過ぎかな。でも、うん。そんな日が来るといいな。いつか、本当に来ると思う」
「雲田さんが相棒なら。オレは助手。オレと雲田さんで所長を支えてさ。みんなを助けるって、オレの夢なんだ」
雲田さんに夢を聞いてもらってからは本当に大変だったし、忙しかったし、危ないこともあった。
無線機の取り扱い方。尾行のやり方。尾行を避けるやり方。より実践的な護身術。学校の勉強で躓かないように勉強だってしっかりやった。
厳しい訓練で身体を壊さないようにいっぱい食べて、いっぱい寝た。
できないこともある。失敗したこともある。その度に、悔しかったり情けない気持ちになりながら目の前のことにがむしゃらで立ち向かった。
所長と雲田さんが見てくれるならどこまでも頑張れた。
事務所に来たらまず掃除をする。終わったら色々な勉強や訓練をして帰る。季節が変わるくらいになるとお使いを頼まれるくらいには成長できた。
そんな中で筆箱より大きいくらいの箱を所長から預かった。オデットさんへの届け物らしい。所長はお仕事。雲田さんは地下の金庫室で所長のサポート。二人とも忙しいから助手のオレの出番だ。
「いいな紅太郎。本当ならオデットの所に寄こしたくはないが、お前だから任せる。荷物を渡した後はこの封筒の中身を読め」
「わかりました、所長」
その日の所長はオレと一緒に事務所を出てしばらくついて来てくれた。せっかくなんだからいっぱいお話しようと思った。
何ができるようになったか聞いてもらおうか。何をすればいいのか教えてもらおうか。どっちにしようか迷っている内にあらかじめ所長に言われている分かれ道についてしまった。
次はいつ会えるのか教えてくれなかったからまたしばらく会えないと思う。なんて言えばカッコよくさようならを言えるか迷っていると、所長が自販機に顔を向けていた。
「何が飲みたい」
「所長は何を飲むんですか」
「コーヒーだな。仕事の前に匂いの強いものは飲まないんだが、そういう気分だ」
「オレも! 」
貰ったカフェオレと、所長のブラックコーヒーの缶を軽くぶつけて乾杯をした。所長は静かにコーヒーを飲んでいたけれど、なにかがいつもと違う気がする。
「所長。オレ」
思わず口を開いてしまったが、だからってなんだって言えばいいんだろう。所長が失敗するわけないし、怪我なんかしてるところも見たことがない。雲田さんだって支えてくれている。
考えれば考えるほどなんて言えばいいのかわからなかったから。
「応援してます」
こんなことしか言えなかった。
「俺には相棒がいる。お前だって立派な助手だ。街の連中だけじゃない、お前たちだって守って見せるさ」
見上げた顔はもう先へ進んでてもう見えなかった。追いかけようとしたけれど、所長の背中は仕事をしているときのものに変わっている。オレは助手として見送っていくしかできなかった。
エレベーターに入って下に行くボタンを押す。当然どこにも行かないので一度閉まった扉は開く。そうしてまた閉じた扉へゆっくり進むとオデットさんの店に到着だ。
ネズミ捕りにわざとかかることもできるけれど、今回は探偵所の正式な仕事で来ているんだ。裏口からこっそり来るようなことはしない。
エレベーターから入って、カウンターに目を向けるとグラスを磨いていたオデットさんが出迎えてくれた。
「こんにちは。オデットさん」
「いらっしゃい紅太郎くん。辰雄から話は聞いてるわ」
オデットさんに所長から預かった箱を渡す。箱の中身を知るつもりはない。荷物を渡したあとのオレが任されたことはポケットにしまってある封筒を開いて読むことだ。
事務所に大規模な攻撃が仕掛けられる予定だ。雲田は準備を整えた後、別ルートからここへ避難する。それまではホットチョコレートを飲んで待つように。代金は払ってある。
オデットさんも箱の中に入っていた手紙を読み終わったらしくて、ちょっと待っててね。と告げてキッチンへ向かった。
ふんわりと温かい牛乳とスパイスの香りがほのかに鼻へ届くころ、オデットさんが片手で指を弾く。一瞬だけノイズみたいな音が流れた後、部屋のあちこちから声が響いてきた。
7交機は藤井寺地区へ。付近のPMは爆破地点から退避の後4-4-2へ合流。
ガス管が爆破し、住宅に炎が押し寄せているとの居住者柏 からの通報。どうぞ。
了解。現在、梅碁区の消火に当たっている本部から三名を派遣。
救急指令。緊急確認。よくわからない信号音。怒鳴り声やパニックになりながらも状況を伝えようとしてくる声。
あの時と同じかはわからない。けれど、似たような何かが起こりつつあるのがはっきりわかった。
「出てっちゃダメよ。今の状況だと、ここが一番安全なんだから」
「何が起こってるんですか」
「さぁ。でもとっても危険なことが起きてるの。それは確か。だって、辰雄と雲田くんが事務所を空にして仕事に向かうくらいだもの」
「そんな」
「紅太郎くんだって事務所が目を付けられてるのは知ってるでしょ。アイツらだってヤバい連中だから向こうもなりふり構わなくなってきたのねー。ま、ここには手を出せないようになってるから。安心してのんびりなさいな」
オレの手を引いてオデットさんがカウンターの椅子に座らせてくれる。お代は貰ってるからどうぞ。と頂いたホットチョコレートに口を付ける。まったりとした甘い舌触りは街の状態でパニックになりそうな脳に余裕をくれた。
街が大変なことになっているのにオレはオデットさんのところで待っているだけでいいんだろうか。ここに到着した雲田さんのお手伝いをするかもしれない。けれど、今のオレにできることは本当にそれだけなのかと考えてしまう。
「あの二人のことなら問題ないわよ。街にいるならどこに行っても雲田が張った監視網が引っかかるわ。雲田が発見さえすればあとは辰雄がどうとでもしてくれる。ずるいわよねーもー。悪事なんて割に合わないわー」
オデットさんの言う通りに二人が揃っていればなんとでもなる。だから雲田さんがいつ来てもいいように準備運動だけでもしておこう。椅子から降りると床に何かが落ちて割れる音がした。
オデットさんが怪我をしてしまったかもしれないし、掃除道具が必要かもしれない。振り返ると落としたコップに目もくれずに立ち尽くすオデットさんが目に入った。
「嘘。そんなのありえない」
「どうしたんですか、オデットさん」
悪だくみをしているときも、オレをからかっているときも、もちろん喫茶店の店員をやっているときも。楽しそうだったオデットさんの表情が初めて崩れた。
外が大変なことになっているのにオデットさんの怯えたような顔を見てしまうとどうしても不安になる。でも、所長と雲田さんだからきっと大丈夫なはずで。
なのに。オデットさんは更に言葉を続ける。
「紅太郎くん。いますぐここを出ていきなさい。雲田が殺された。ここも探偵所と関係が深いから何かしらくるはずよ。魔術を使うのに素人は邪魔なの。わかってくれるわね」
オデットさんがオレの肩に手を置いて話す。嘘だと思いたかったけれど、目の端に涙が浮かぶのを見つけてしまって。
「泣くのは後! 一番近い避難所はわかるわね。自分のことだけ考えて、まっすぐ走って」
「はい」
誰かを守るためには自分を守らなくちゃいけない。自分の命を懸けてやらなきゃいけないこともあるかもしれない。出来たとしてもそれが許されるのは危険に釣り合うだけの男になってからだ。
涙を拭ってオデットさんにお辞儀をする。
「これは餞別。辰雄のところで訓練を受けているなら持ってて邪魔になることはないはず」
渡されたのは消しゴムより小さい棒だった。摘まんで指の間で回せるかなの大きさ。せめて鉛筆くらいの長さは欲しいなと思ったらニュッとそのくらいまで伸びた。
「如意棒ってわかるかしら。道術は専門外だけどれっきとした宝貝の一つなのはわかるわ。本物と違ってどこまで変わるかっていうのに上限下限はあるけどね」
長さ。重さ。太さ。ざっと念じてみたけどあっという間に変わっていく。しなやかさとか片方だけ伸ばすとかも色々できそうだ。夢中になって振り回しそうになるのをオデットさんに止められた。
「行ってきます。オデットさんも無事で」
「いってらっしゃい紅太郎くん。元気でまたここに来られたら楽しい時間を過ごそうね」
出口に向かって走っていく後ろ姿を見送る。男子三日会わざればなんとやら。とは東洋の言葉だったか。私も同感だと思う。あのくらいの男の子は朝に会えば夕べには大人になっていることも不思議ではない。
棒を持たせればおバカに戻るのは変わらないけれど。
外ではあちらこちらで爆発が起こっていて、交通は麻痺し通信は壊滅している。ここまで見事な混乱を人為的に起こされれば魔法が関係したものでなくとも脱帽する。
サバトの時には及ばないが、そうだとしても街はいま恐慌の渦と化している。こんな中を昇辰雄はたった一人で解決に奔走しているのだ。
相棒の雲田くん抜きで。
昇辰雄の活躍は相棒の雲田くんあってのものだ。紅太郎くんだけでなく、当の本人である辰雄ですらそうであると認識している。
いるべき相棒の不在。これは残された二人の行動を歪める陥穽になる。
「もしもし。もしもーし」
使い魔を介してこの事態を起こした張本人に連絡を試みる。向こうから返事はないけれど、これから昇辰雄を仕留めにいくのだ。返事がないのは仕方ない。
「紅太郎くんはお店の外に出したわよ。あなたが死んだって伝えてあるから、辰雄と出会うように仕組むのはそっちでやってちょうだい」
「応答遅れて申し訳ない。オデット。感づかれない程度に状況を悪化させる方向へ指示をしてはいる。が、流石だよ。追い詰められてるのはこっちの方だと言わざるを得ない。やはり人質を取る案は正解だ」
「でしょうね。ま、私も五年間アイツに睨まれっぱなしで窮屈だったし、現場には行かせてもらうわ。殺すのは譲るけど、やっぱりどんな顔で死ぬかは見てみたいじゃない」
「好きにするといい」
サバトが終わってから五年間。お互いに昇辰雄という男に振り回され続けてきた。あの鋼鉄のような男の柔らかいわき腹を抉ることは自分にできなかった。
勿体ないけれど、確実に殺せる相手なら実行者は誰でもいい。
「終わったら長いバカンスね。遊びに来たらサービスしたげる。じゃあ。雲田」
「うおおおおおりゃああああああああああ」
辺りで何かが爆発している。場所はわからないけれど人の悲鳴が聞こえる。正直言って怖い。でも、五年前と違ってオレは大きくなって強くなった。怖くてもちゃんと考えられるようになったんだ。
棒を使って落ちてきたものを弾く。棒を伸ばして障害物を乗り越える。梃に使って瓦礫をひっくり返すと隠れて見えなくなっていた道が出てきた。
「所長。いま助けに行きます! 」
自分の身は自分で守れるようになった。自分で自分を守るのは誰かを守るためで、その誰かは今のオレにとっては所長だ。こんなことで所長へ恩返しできるとは思えないし、そうだとも思っていない。
今はただ助手として、探偵所のメンバーとして所長の役に立ちたいんだ。
こういう時に、自分が所長だったらどうするかを考える。所長から教わったことなんだから心当りがある場所を探していけばきっと所長に辿り着ける。
街を駆け回っていると、地下道から煙に紛れて所長が出てきた。五年前に初めて会ったときと同じくらい怖い顔をしていた。一瞬だけ強張ってしまったけれど、オレを見つけるとほんの少しだけいつもの顔に戻ってくれたから叫んだ。
「所長。雲田さんが」
「なんでここにいるのかはあとで聞く。ついてこい」
探偵所は事務所以外にも拠点がある。協力者に貸し出すものだったり、備品を保管する倉庫だったり。オレが掃除や物を取りに行ったことがある場所だけでも両手で数えるくらいある。
そんな中でも今来ている洋館は初めて来た場所だった。絵とか映画でみるような海外風のお屋敷で、所長が近づくと勝手にゲートが開いた。
「この館は危険だから事務所に置けないものを封印する場所だ。俺と相棒以外は、どちらかに承認された存在しか侵入できないようになっている。突入しても、無傷で敷地に入ることはできない」
地図にも載っていないし、こんなに立派な場所なのに話を聞いたこともない。所長にとっては事務所より大事な場所だからだと思う。
所長の背中を追いかけてゲートを潜ると、外から見たよりもっと大きな建物があった。あるはずのないものを見せたり、ないものをあるように見せかける。錯覚としてそうであるように見せてあるけれどそれだけじゃない。隠すのに魔法も使ってるんじゃないか。
洋館を知っているのは探偵所員だけだけ。隠すのにはオデットさんも関係していると思うけれど。そんな人たちしか入れない場所になっているということは。
「所長。ここって」
五年前の災害と関係があるんですか。と聞こうとして、所長の大きな手が口と鼻を塞ぐ。聞かれたくなかったのかと思って所長から目を逸らすと辺り一面が靄に包まれていた。
所長は、これからオレを守ってくれたんだ。
紅太郎くんを見送った後、辰雄の死にざまを見るために屋敷へ向かった。
雲田くんはバラまいたガスで二人とも昏倒させるつもりだったらしいが。一人しか眠らせることができなかった。けれど、十分な結果だろう。
魔女一人。手口を熟知している裏切り者一人。重武装の傭兵一ダース。辰雄に見つからない範疇で選りすぐった最大限だけれど、相対すれば一人残らず始末されるのは間違いなかった。
でも、こっちには切り札がいる。
「今のは君を撃ったわけじゃない。やっぱり庇ったね、辰雄」
「殺したいなら俺を撃てばいい」
袖口から血を滴らせた辰雄が雲田くんを睨む。銃を構えたまま話しかける雲田くんは、向けられた相手より悲痛な顔をしていた。
「それで死ぬきたならとっくに殺せていたよ。紅太郎くんがいる限り君は立ち続ける。だからこうやって、紅太郎くんの盾になってもらって死んでもらうんだ」
雇った連中に辰雄を狙わせ、自分は紅太郎くんを狙って辰雄の身動きを封じる。私たち悪党は全員吹けば飛ぶ小さな男の子を盾に使って、自分たちの天敵を狩ろうとしている。
自分たちで紅太郎くんを捕まえて人質にしても失敗してしまった。なら次は、お荷物を背負わせればいい。
信頼していただろう相棒の裏切り。手元にいる少年。昇辰雄が隠せなくなった人の心。五年積み重ねた作為と不作為。全てを利用してやっと私たちはあの男に戦いを仕掛けられるようになった。
「賢い選択だな」
「そんなに腕の中にいる男の子が大事かい。敵も味方も、サバトに関わった連中を全て使い潰した傭兵。相手を選んだだけの悪人が、この五年の間で宗旨替えでもしたのかい」
「お前もそうだと思っていたぜ、相棒」
「紅太郎君から受けた尊敬。こんなことになってもまだ誇りに思っているさ。でも、もう駄目だ。次のサバトには絶対に関わりたくない。サバトで受けた呪いで衰弱していく君を死ぬまで傍観するのも我慢の限界なんだよ」
「次のサバトは俺が止める。言いたいことはそれだけか」
「終わりにしないか。私たちは失敗したんだ」
昇辰雄は諦めてこそいない。数発銃弾を撃ち込まれても闘志は燃え上がらんばかりに膨れ肥大し続けている。紅太郎くんを投げ捨てて戦いにいけば自分が助かるのは簡単だろう。が、紅太郎くんの命はない。
雲田が足踏みをすると銃火器が構えられる音が辺りから囲むように聞こえてくる。雲田の射撃音と同時に傭兵たちが辰雄へ発砲する手筈になっている。
ふと、考えた。五年間辛酸を飲ませ続けてきた宿敵の抹殺。その後のことを。
逃げ場を失い、残った拠り所も自ら壊した哀れな男。逃げることもできなかった臆病者が一体いつまで生きられるだろうか。何年か、何か月か、たぶんたった数日。耐えきれずに自分から命を絶つだろう。
私を縛る人間が全員死ねばいつも通りに勝手気ままな悪逆三昧。好きに貪り、奪って壊して楽しんで笑いあげる。五年ぶりの乱痴気騒ぎ。使い魔や眷属にもそろそろ腹いっぱい食べさせてあげてもいいころだ。
考えただけで指先が疼く。喜びで飛び上がりそうになる。
でもそれだけ。五年前の生活に戻るだけだ。自分を苦しめた相手を簡単に死なせるよりは、自分以上に苦しめて生かす方が楽しそうだ。
私だって悪人だから悪を働くのではない。楽しいことが悪になっているだけだ。だったら、魔女だって気まぐれで人助けをしてもいいだろう。
二人死ぬより一人死ぬ方がいい。紅太郎くん風に考えれば、涙の数はこっちの方が少ないだろうから。
タクトを一振り。その後一回転。喧しい詠唱なんかしなくとも、辰雄を囲んでいる十数人を殺すだけならこれで事足りる。
一人は髪の毛一本骨の髄まで細切れに、一人は呪いでゆっくり心臓を潰して、また一人は。思い思いのやり方で殺されていった人間が崩れていく音に交じって、乾いた音の微かな反響が聞こえる。
紅太郎くんが事務所に転がり込んで以来、殺人から手を引いていた男が探偵を捨てて傭兵に戻った瞬間だ。
お守りとして脅しにすら使わなかった拳銃の扱いは、五年前と寸分変わらぬ機械的なまでに正確で素早い所作だった。
気絶した助手をそっと抱えて昇辰雄は出口へ歩く。かつて相棒と呼んだ死体には目もくれず、振り返りもしなければ立ち止まりさえしなかった。
雲田くんの計画を自分が滅茶苦茶にしちゃったとはいえ終わってみれば呆気ない。
「紅太郎くんを安全なところまで避難させるのに三十分ってとこか。ま、わるーいことをするならぱっと遊んでぱっと帰るくらいで我慢しますか」
禁欲とまで言わないけれど、五年間の慎ましやかな悪事はそれなりに楽しかった。街にいる魔女は自分だけだったし、辰雄に見つからなければ好き放題できていたのも事実だった。
でも、たまには思い切り暴れたい。恐怖と苦しみを、悲鳴と流血の渦の中で、使い魔や眷属となんの遠慮呵責もなく。
昇辰雄の技術と同じく、自分の業もまた錆びついていないのだから。
意識を失ったあの後、所長は一人で街の事件の解決に奔走していた。らしい。
ニュースをいっぱい見て調べたけれどどれも原因不明になっている。太陽光フレアとか地球の磁力がなんやかやしたとか、よくわかっていないことだけはよくわかった。
オレが知っている中で事情を知ってそうなのは所長とオデットさんの二人だけだ。オデットさんは所長に口止めされているって言っていた。所長に聞いてもたぶん話してくれることはないと思う。
所長はその日、相棒を亡くしてしまったから。
事件から半年経った今になってやっと雲田さんのお葬式ができて、参列してくれた人たちはぽつりぽつりと帰って行く。
もう何度目かの協会の鐘が聞こえたころになると帰っていないのは探偵所のメンバーだけになっていた。
お墓の前にいるのはオレ一人だけだ。
白い大きな十字架のお墓に手を合わせて祈る。お線香とか、酒をかけるとか、そういうのはキリスト教のお墓にはなかった。綺麗なお墓に花を供えて、神さまに祈るだけだった。
色とりどりの花がお墓を埋める勢いで並べられて、雲田さんがどれだけ町の人に愛されていたか考えてしまう。いつも笑顔で、オレに色々なことを教えてくれた人だった。街の人たちにもそれは同じだ。
所長は背中を向けて、遠くにいるだけで墓に近寄ろうともしなかった。
「奴に合わせる顔はない」
きっと所長は自分のせいで雲田さんが死んでしまったんだと思ってて、だから自分に罰を与えたいんだ。そこまでわかってるのにオレはなにもできることがない。
所長のせいじゃないと言っても。雲田さんのぶんまでオレが頑張ると言っても。そんなはずないのにどんな言葉も所長を傷つけてしまう気がして言い出せなかった。
だからいっぱい泣いて。喉が枯れるくらい泣いて。涙が出なくなってもまだ苦しくてまっさらな空の青さをただ見つめるしかなかった。
「そんなとこ見たって雲田くんはいないのよ。足蹴にしてるんだから。もー顔見せなさい紅太郎くん。拭いたげるから」
いい香りのする柔らかい布が頬を撫でる。オデットさんはオレの鼻をかんだあと、花を供えて少しの間だけ手を合わせてくれた。
「どんな奴でも大抵あっさり死ぬのよねえ。雲田はその辺、ワリと楽に死ねた方よ。そのことだけでも喜んであげないと。私はそうしてるから」
オデットさんは、見た目だけ子供であとは大人だ。笑っているときも優しいわけじゃないし、泣いているときだって悲しい気分というわけでもない。一つの表情に色々な感情が浮かんでて、オレにはまだ意味がわかっていないのだ。
「雲田さんのこと、知ってたんですか」
「知ってるもなにも。アイツと私と辰雄はね。サバトを止めるため、この街に来たのよ」
二人きりの秘密ね。と言われてオデットさんの白い指が唇に触れる。所長の秘密はオレに知らないでいて欲しいことだとはわかっている。だから、喋ってもらえる日が来るまでオレは知らないフリをやり続けると決めた。
「いい子ね。本当にいい子」
オデットさんの手が広がって、オレは包まれた。あんなに怖い人なのに抱きしめられれば温かくて、優しかった。目の前がオデットさんの髪と身体で隠されて、微かに甘いオデットさんの香りしかしなくて、心臓の鼓動が聞こえそうなほどにオデットさんがそばにいる。
どこを見ても、聞いても、匂いや触れた感触までオデットさんのものだけで、自分が溶けてしまいそうだ。
「ねえ紅太郎くん。雲田くんがなんで死んだと思う。本当は殺されたのよ。誰に殺されたか知りたいでしょ」
耳を貸すな。いますぐ突き飛ばせ。大声で叫べ。直感がそう告げているけれど、オレは首をゆっくりオデットさんに沈めてしまった。
「よく聞いて。そして忘れないで。雲田を殺したのは」
!!!やっぱり僕はおねショタが大好き!!!
文中で109回所長という単語が出たので今回はおねショタではない。
男が主軸だけどなんとなく出したロリBBAが化けた。
化けすぎてエンディング持ってった。
次はおねショタやらないのが目標。