第六話 王都スマルトリコに到着です。
フィルトの怪訝な顔を見て、ウィンリーナは少し焦ってしまう。
魔法具を知っていたのは盗賊の仲間だったからと誤解されたら大変だ。
「えーと、魔法で見たんですよ。望遠魔法ってわたくしは勝手に名前をつけたんですが」
フィルトの疑問にウィンリーナが正直に答えると、彼は目を丸くした。
「そんなことができるんですか?」
「はい。それを使って馬車の中でも周囲の様子が見えたんです。でも、望遠と名前をつけましたが、物理的に距離がかなりあるものは、今は無理です」
「じゃあ、私たちが戦っていた様子をその魔法で把握していたんですね? 結界の魔法も望遠魔法を使いながら行ったんですか? もしかして無詠唱で?」
「はい、そうです」
「二つ同時に魔法を……。それはすごいですね」
深い感嘆の声がフィルトから漏れる。予想外な反応だったので、ウィンリーナは少し戸惑う。
「そうなんでゴザイマスカ?」
「はい。無詠唱は熟練度が上がれば魔力量に関係なく習得できますが、元々の魔力量が少ないと必然的に練習量が少なくなるので、習得が難しくなります。しかも強力な魔法ほど魔力を多く消費するので、たくさん数をこなせません。そのため、強力な魔法を無詠唱で複数同時に使える人は、あなた以外には、その、もう一人だけしか私は知りません」
最後の台詞は、何か奥歯に物が挟まったような言い方だった。
「そんなに少ないんですね。わたくし以外では誰でゴザイマスカ?」
フィルトはまっすぐこちらに向けていた碧眼を急に逸らした。
「……殿下です」
「フィリアンク殿下でゴザイマスカ?」
フィルトは視線を外したままうなずく。
二つ同時に魔法を使えるのは珍しいようだ。ウィンリーナは自分が意外な特技を持っていたと気づけた。
残念色なので、せめて知識で国にお役に立てればと勉強に励んだら、姉の反感を買ってしまったことがあり、それから目立たないように行動していた。魔法も比較されるのが嫌で、いつもコソコソ隠れて使用していた。
最高色の金髪碧眼ではないから、自分の魔法なんて大したことないと思っていた。
でも、そうではなかったらしい。
『黒色は不吉ではなくて、魔力が強いからなの』
養母の言葉が脳裏で響く。
「もしかして、わたくしの魔力は強いんでゴザイマスカ?」
「そうですよ。もしかして、自覚されていなかったんですか?」
意外そうに青い綺麗な目を向けられる。
「はい。金髪碧眼が最高色だと聞いていたので」
彼の視線に少し落ち着かない気分で答える。
「では、今度魔力の量を検査してみませんか?」
「検査なんて、できるんでゴザイマスカ?」
「ええ、魔法具で可能になりました。王都にあるんです」
「それは面白そうですね。わたくしの故郷では魔法具はなかったので、興味があります」
「では是非」
「はい」
楽しみなので、王都に着くのが待ち遠しくなる。
「それにしても望遠魔法、気になりますね。どういう仕組みなんですか?」
フィルトは興味深々な様子で尋ねてくる。
落胆ではなく、期待されている。そう思うと、今まで感じたことがない気分の高揚と緊張を覚える。
「仕組みと言われると説明が難しいですね。壁の向こうを見透すぞと強い意志で魔力を操っていたら、ある日できるようになったんです」
目の前にある箱の中身を当てることは以前からできていたが、遠くものを見るのは大変だった。
透視や分析の力がなかったら、食事に嫌がらせで入れられた異物や毒物に気づけないので生き残れなかった。
「なるほど。ずいぶん感覚的な魔力の使い方をされるんですね」
「セングレー卿は違うんでゴザイマスカ?」
「ええ、一つずつ段階を踏むように魔法を使います。例えば、火炎系の攻撃魔法ですが、火を起こし、次に圧縮します。それを風を使って標的に当て爆発させるという手順を行なっています」
手順を踏むのは、魔法書の手本どおりの方法だ。
呪文も知っているが、面倒くさいので教師の前以外では手抜きだった。
「わたくしには、それだと逆に難しく感じますね」
やりやすいように自己流でこっそり魔法を使っていたので、それは正式なやり方ではないと理解もしていた。もしかしてスーリアでも自分のは邪道なやり方だったのだろうか。そんな不安がよぎった。
「やり方は人それぞれなので、自分に合った方法が一番ですよ」
フィルトはそう言うと、にっこり微笑んだ。まるで安心させるように優しい笑みだった。彼の気遣いを感じて嬉しくなる。胸がじんわり温かくなった。
彼と話していると楽しい。純粋にそう思った。
そのとき、突然馬車全体が飛び跳ねたみたいに大きく揺れる。
「きゃあ!」
悲鳴をあげたアニスたちは、向かいで手を取り合ってしがみついている。
ウィンリーナは座席から体が浮きそうになったが、こんな不意の出来事は初めてで、魔法でどんな風に対処すればいいのか分からない。向いに倒れそうになって危ないと思ったときには、隣にいたフィルトに体を引っ張られる。ぎゅっと抱きしめられたと思ったら、彼の膝の上にお尻を乗せていた。
彼の逞しい体を服越しとはいえ感じる。彼が触れている部分に全神経が集中する。ウィンリーナは急に恥ずかしくなり、顔だけではなく、体まで体温が上がって熱くなっていた。
「あの、ごめんなさい! すぐにどきます!」
慌てて移動しようと腰を浮かしたら、また馬車が揺れた反動で再び彼の膝の上に戻ってしまう。
「おかえり」
フィルトが笑いを噛み殺しながら言うので、顔が茹で上がるくらい熱くなった。
「も、申し訳ございません……」
穴があったら入りたいくらいだった。
彼の体つきは細く見えるのに、彼の腕は賴しく頑丈だ。こんな大きな揺れの中でも家の柱のようにしっかりしていた。
「大丈夫ですか? ここは道がかなり悪いみたいですね」
「はい。助けてくださり、ありがとうございます。そろそろ大丈夫でゴザイマスカ?」
まだ背中から腕を回されて密着している状態だった。さっきは急に大きく揺れたので体勢を崩したが、今はまだ揺れてはいるものの少しはマシになっていた。
用心しながらフィルトの膝から降りて、隣の元の場所に腰を下ろす。
恥ずかしくて彼からなるべく離れようとしていた。ところが、彼の手がウィンリーナの肩に回されて相変わらず密着したままだ。
「失礼します。まだ揺れているので、落ち着くまでは、このままお守りします。あなたに何かあっては大変ですから」
たしかにフィルトの言うとおり、道は不安定でボコボコしている。車輪が乗り上げるたびに、まだ馬車は大きめに揺れていた。
「はい、分かりました」
恥ずかしいが、遠慮して断った結果、ウィンリーナが万が一でも怪我をしたら護衛のせいになる。かえって迷惑をかけることになるので、羞恥心は封印しようと努力する。
でも、こんな風に男性に大事に扱われたのは初めてだった。護衛という仕事でなければ勘違いしそうな状況だ。変に意識したら彼に対して失礼だと思い、平静を保つように心がけていた。顔もキリッと真面目なままだ。
「あの、そろそろ……」
しばらくして揺れなくなったのでウィンリーナがおそるおそる声をかけると、
「ここはまだ道が悪いので、また急に揺れる恐れがあります」
「そうだったんですね」
そうしているうちに今日宿をとる街にたどり着いていた。
「残念ですが、降りましょうか」
結局、馬車が止まるまで、フィルトに抱きかかえられたままだった。
「残念?」
フィルトの意味深な台詞を拾ってしまい、つい聞き返していた。
「いえ、あの、その、言葉のあやです。別に疾しい気持ちがあったわけでは」
フィルトがあわあわと慌てて顔を赤らめる。手まで振って必死に否定するので、これ以上その話題に触れて彼を困らせるのは悪い気がした。
言い間違えに対して申し訳なさそうにしょんぼりする彼を見ると、こちらが虐めている気分になってしまう。
御者が扉を開けたので、彼が離れて馬車を降りて行く。今まで側にあった熱が急に無くなって、ポッカリと穴が空いたような寂しさを感じる。
扉の先で、先に出た彼が手を差し伸べてウィンリーナを待っている。その青い瞳に宿る好意を感じて、目を細めて彼を見つめる。
「ありがとうございます」
彼はいい人だ。仕事熱心で、優しく接してくれるから。
それからフィルトたち護衛はウィンリーナたちを宿屋に連れて行った後、捕まえた盗賊たちを役所に引き渡しに行った。
空いている時期だったのか、宿屋の部屋は個室になった。久しぶりにカツラを取ってのんびりできるかと思いきや、今まで貝のように口を閉ざして大人しかったメルシルンが「お嬢様、ちょっといいですか?」ともの凄い恐い顔をして話しかけてきた。
「もうひどいスーリア語で、笑いを堪えるのが大変だったんですよ。疑問系の発音と、言い回しが特に最悪です」
メルシルンは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「私に続けて発音してください」
驚くべきことにメルシルンはウィンリーナの言い間違えを全部覚えていたのか、これまでの誤った台詞を一つずつ指摘してきた。正しい発音を言うまで許してもらえない。
「“そうなんでゴザイマスカ?”じゃないです。“そうなんですか?“ですよ! これからゴザイマスカお嬢様って呼んじゃいますよ!」
少しでも間違えようなら、嫌味込みの厳しい指摘が飛んでくる。
ネチネチ言われ続けたが、結果的に細かい指導にもなったので、ウィンリーナにとって分かりづらかったイントネーションの違いをやっと理解することができた。
「メルシルン、感謝します」
改めて礼を言うと、メルシルンは信じられないといった表情でウィンリーナを見た。しかも、舌打ちつきだ。
「本当に貴族のお嬢様なんですか? 庶民にここまで言われてプライドはないんですか?」
メルシルンは喧嘩を売るような挑発した言い方をしてくる。
眼鏡越しに見つめる緑の目は、じっとこちらの反応を探っている。
分別がない言動をするのに、ウィンリーナの言葉の指導をきっちりこなす。
それに加え、彼女はウィンリーナの黒い目を一度も貶してこなかった。
「わたくしは、あなたの方が不思議だわ」
ウィンリーナが正直に感想を伝えると、メルシルンはますます渋面を作り、怪獣みたいな顔になっていた。
「お嬢様の方がおかしいですよ! 顔のいい護衛の人とイチャイチャして、殿下との結婚は諦めたのかと思いましたよ」
メルシルンの嫌味に何も言い返せなかった。
すると、彼女はようやく気が済んだのか、「それでは失礼します」と言って満足そうに自分の部屋に戻って行った。
「全く、もう! 言葉の壁さえなければ、あんな失礼な使用人、追い返せるんですけどね! 大丈夫ですか、リナ様? 彼女の言うことなんて、気にしないでくださいね」
「ありがとう、アニス」
アニスが味方でいてくれるおかげで、ウィンリーナは特に落ち込まずに済んだ。
それでも、メルシルンがあんな無礼な態度をとる理由が気になっていた。
その後は領と領の境目で魔物を討伐した以外は、誰かに襲われることなく旅路は進み、一行はとうとう王都に到着する。
ウィンリーナは気合を入れる。
死体を吊るしたのは誤解だと分かったが、死神という名は噂通りだったからだ。
「漆黒の死神も事実とは違ったんですよね?」
そう確認したとき、フィルトは「いえ、それは」と真っ先に否定しなかった。盗賊の襲撃があって詳しく聞けず、その後も相手が嫌そうな話題だったので改めて尋ねられなかったが、殿下に注意しないと命取りになることは確かだ。
(まずは、もっと殿下の情報を仕入れなくてはダメね)
ウィンリーナはまだ死にたくなかった。