第五話 王都への旅路です。
「あの、どうして問題ないのでゴザイマスカ?」
「書類上は、あなたはスーリア国の人間です。それに、妃になる貴族の女性はみな実家のために動きますから、そこは特に気にする必要ないですよ」
ずいぶんあっさりと答えるので、本当に取るに足らない問題だったようだ。それが分かって、ウィンリーナは気がかりが一つ減って心が軽くなった気がした。
胸に手を当てて、そっと安堵の息をついていると、隣でフィルトがクスクスと可笑しそうな声を上げる。
「失礼。とても可愛らしかったもので」
そんなふうに言われるとは思ってもいなくて、恥ずかしくなり急に体温が上がっていく。
「正直に話してくれて嬉しかったです」
フィルトは微笑んでいると同時に少し嬉しそうにも見えた。
彼の信頼を損ねずに済んだようだ。悪女らしい行動を選択して心の底から良かったと思った。
「ところで、外国の人間でも気にしないなら、なぜ殿下は自国の令嬢しか妃を募集しなかったんでゴザイマスカ?」
「こちらから断るときに面倒だっただけですよ。相手が王族だったらなおのこと」
王族という単語を聞いて、ウィンリーナ自身が該当するので内心焦ったが、素知らぬふりをした。
「そうだったんですね。わたくしの故郷では、妃を募集はしないので、事情が分からなかったんです」
「いえ、今回が異例のことで初めてですよ。その、殿下が黒髪なのはご存知ですか?」
髪の話題が出た途端、彼は途端に歯切れが悪くなる。
「……はい、お養母様から聞きました」
まだ殿下の論文は読んでいなかったが。
「実は、この国では、まだ黒髪について快く思っていない人が多いんです。だから、殿下は相手の女性から希望者を募ったんです」
殿下も黒髪で苦労していたのだと、その説明から察せられる。
話を聞きながらウィンリーナの胸が痛んだ。この隠している黒髪もスーリアでは殿下と同じように受け入れられないだろうと。
「まぁ、そんな経緯があったんですね。強引に女性を従わせるのではなく、希望者から妃を選ばれるなんて、怖い噂を聞いていたんですが、実は優しい方だったんですね」
「あの、怖い噂とは……?」
フィルトがこちらの顔色を窺うように見つめてきた。茶色の髪が彼の肩で揺れる。
「はい。漆黒の死神って聞いたんです。死体を吊るしたって」
噂についてずっと気になっていたので、これを機に詳しく聞いてみたいと思った。
「ああ、やっぱりご存知だったんですね」
フィルトの顔が途端に強張る。口元に手を当てて、人が変わったように暗くなる。急に黙り込んでしまった。
殿下本人ではないからと、つい噂を話してしまったが、部下であるフィルトはすごく心を痛めているようだ。軽率だったとすぐに悔やんだ。
「あの、ごめんなさい。悪い噂を口にしてしまって」
「いえ、尋ねたのは私ですからお気になさらず。でも、その死体を吊るしたっていうのは、誤解です」
フィルトが顔を伏せたまま、ウィンリーナの顔を見ずに話し出す。
「城主がスーリアと敵対していたんですが、家臣たちが内乱を起こして城主一族を殺し、我々に降伏してきたんです。そのときに彼らが死体を吊るしていたんですが、それを誤解されて噂が広まってしまったんです」
「まぁ、本当はそんな残酷なことはされてなかったんですね」
「はい」
フィルトは悲しそうにうなずく。
「本当にごめんなさい。聞いた人に事実は違うと伝えておきますね。漆黒の死神も事実とは違ったんでゴザイマスカ?」
「いえ、それは」
そうフィルトが答えている途中だった。
ウィンリーナが作った結界に何かが触れた。馬車の左前あたりに。それはあっけなく結界を破った。このままでは馬車に衝突してしまう。咄嗟に強固な結界を張ろうとする。間に合うか。そう焦ったのと同時に馬車が横に揺れた。何かぶつかったような衝撃があった。ギリギリ結界を作れて守れたが、結界と馬車の距離が近く、衝突の余波がそのまま馬車に伝わってきたようだ。
姉は他人がいないとき、魔物のように残酷になる。物が飛んでくるのはまだ優しい方で、魔法で攻撃してきて危険な場合もあった。堂々と結界で防いでしまうと、「生意気ね!」とさらに怒ってヒートアップしてしまう。最高色の姉に適うわけはないので、相手を刺激しないように自分を守る必要があった。攻撃が届く直前に結界を張り、攻撃を受けているように見せかけ、体に傷がつかないように肌の表面に薄い膜のような結界を作るうちに魔法の扱いが上手くなった。
「襲撃です!」
外にいる護衛の大声がした。
「大丈夫です。馬車の中にいてください」
フィルトは冷静な声で対応しているが、馬車に当たった攻撃はかなり強力だった。緊張と不安で胸が押し潰されそうになる。
「分かりました。お気をつけて」
足手まといになったら大変なので、素直に指示に従う。でも、余計なお世話かもしれないが、フィルトに結界の魔法をしっかりとかけておいた。破壊されるまで術者が死なない限りは効果は続く。
彼はわざわざ窓のカーテンを閉めると、馬車の外に出て行く。
暗くなった車内で、女子三人だけになる。
「襲撃って、もしかして盗賊でしょうか?」
アニスが不安そうに呟く。
「ちょっと調べてみるわ」
ウィンリーナは目を閉じて魔法に集中する。
祈るように魔力を込めた途端、脳裏に周囲の様子が浮かび上がる。
望遠の魔法だ。
城にいたとき、姉が突然部屋を訪れてはウィンリーナに意地悪していくので、姉の動向を知る必要があった。最近、望遠の魔法を修得できたのは、そのおかげだった。
馬車の近くに敵は七人。少し離れた小高いところに、一人いる。
武器は剣と、他はなんだろう。筒状の長い変わった物を二人の敵が持っている。あれが魔法具だろうか。
フィルトが魔法で近くの魔法具を持っている敵を攻撃している最中、他の護衛四人はそれ以外の敵に向かう。
ところが、小高い場所にいる敵から魔法具で護衛の一人が遠距離攻撃される。あれはまずい。ウィンリーナは咄嗟に結界でその護衛を守った。あの敵の武器は強いので、すぐに壊して欲しい。そう願ったら、すぐにフィルトが人間離れした動きで遠距離武器を持った敵を二人とも瞬時に倒したので、脅威は割とすぐに去っていった。接近戦だけなら他の護衛たちも強い。あっという間に敵は全て討伐された。
戦闘でも魔法を使ったのだろうか。卓越した動きだった。精鋭部隊と言われるだけある。
状況の解説を侍女たちにもしてあげた。
「セングレー卿たちは敵を全員捕縛しているわ。すごいわね。もう大丈夫よ」
「リナ様もすごいですわ」
馬車から出て戦ってもいないウィンリーナに対して、アニスはいつものように大げさな反応だ。でも、褒められて悪い気はしない。
フィルトがまた馬車の中に戻ってきて、再出発となった。
「セングレー卿、お疲れ様です。守っていただき、ありがとうございます」
ウィンリーナの隣に座るフィルトは、あれほどの戦いをした後なのに息が乱れていなかった。
「うん、いや、お礼を言うのはこちらかな。もしかして、あなたが馬車と部下を結界魔法で守ってくれたんですか? 私が馬車に張った結界は壊れてしまいましたし、あの離れた場所にいた敵に気づいていなかったので、私では魔法が間に合わず、もう少しで危なかったんです」
「ええ、そうです。馬車はギリギリ魔法が間に合って良かったです。敵が持っていた武器ですが、その攻撃力が強かったものですから、少しでもお役に立てて良かったです。あの長い筒状のものが魔法具でゴザイマスカ?」
仲間なのだから、助け合うのは当然だ。ウィンリーナはにっこりと微笑む。
すると、彼の碧眼がウィンリーナを真っ直ぐに見つめてくる。畏まったように体の正面と膝をこちらに向けて、姿勢を変えてくる。
「バートン男爵令嬢」
彼の低い声で改まって呼ばれて、体に緊張が走る。綺麗な青い瞳に囚われたみたいに視線を外せなくなる。
「改めて礼を言います。あなたの魔法がなければ、馬車は破壊され、部下は大変危険でした。ご助力感謝いたします」
「いえ、あの」
フィルトが熱の籠った目で一心に見つめてくるから、胸が激しくドキドキして、頭の中に言葉が何も浮かばなくなる。
フィルトによってウィンリーナの膝に置かれていた手がそっと優しく丁寧に持ち上げられた。そのまま手は彼の口元へ運ばれて、手の甲に口づけられる。
彼の一つ一つの動きが美しく、まるで夢を見ているような心地だ。
手袋越しとはいえ、フィルトに触れられて、顔が茹でられたみたいに熱くなる。
こんな風に男性に優しく好意を寄せられたのは、初めてだった。
この誤魔化しようのない黒目のせいで、城の中で何度も通りすがりに無視をされたり、避けられたりするのは日常だった。
ウィンリーナはハッと息をのむ。過去を思い出したおかげで、頭の中が急に冷えた。
密偵のために殿下に会いに来たのだと、思い出すことができた。
ウィンリーナは失礼にならないように手を彼から外した。一緒に視線も外す。床を見つめながら口を開く。
「あの敵は、もしかして盗賊でゴザイマスカ?」
「ええ、そうなんです。申し訳ないんですが、取り調べのために近くの街まで連行してもいいですか? 魔法具も使っていたので、入手経路を聞き出さなくてはなりません」
「ええ、もちろんよろしいですとも。盗賊が出るなんて、怖いですね」
「ええ、本当に」
チラリとフィルトを窺うと、彼の目つきは鋭く、どこか遠くにいるであろう犯罪者を睨んでいるようだった。
「殺さず敵を捕まえるのって意外と大変でしたね」
そう彼はボソリとつぶやくが、小声すぎてウィンリーナの耳まで届かず、車輪の音にかき消されていた。
ウィンリーナが聞き返そうとしたとき、急に彼が振り向いた。
「ところで、なぜ魔法具の形状についてそんなに分かったんですか? この馬車から見えなかったと思うのですが」
フィルトが不思議そうな目つきをウィンリーナに向けてきた。
彼の戸惑いを含んだ視線を見て、胸の鼓動がひと際大きくなった気がした。