第四話 ちょっと?個性的な侍女。
「この子は、メルシルン・ドルボ。知り合いから預かっている子なの。これから行く王都出身なのよ。リナよろしくね」
養母が紹介してくれたのは、一緒に連れて行く使用人だ。
眼鏡をかけた真面目そうな子で、アニスと同い年くらいに見える。緑の髪と緑の瞳をしている。典型的な庶民の色だ。
「リナはスーリア語がまだ流暢じゃないの。色々と助けてあげてね」
「はい、奥様」
養母の指示にメルシルンは素直に応じる。礼儀正しい態度だ。
その後、養母はすぐにウィンリーナの部屋を退出していったので、若い女子三人だけになる。
「リナといいマス。こちらにいる侍女はアニスよ。これからよろしくお願いネ」
ウィンリーナがにっこりと笑顔を浮かべると、それまで真面目だったメルシルンの表情が一変した。嘲るような笑いを浮かべ、見下すような目つきになった。腕まで胸の前で組みだして不遜な態度だ。
「リナといいマス? ”いいます”ってちゃんと言えないんですか? 噂で聞いてましたけど、本当にひどい発音ですね。それで殿下の妃になるつもりなんですか? 王都に行っても笑われるだけですよ。止めたほうがいいと思いますけど」
あまりの豹変ぶりにウィンリーナは思わず口を開けて唖然としてしまった。
「まぁ! リナ様になんて失礼な!」
アニスが珍しく大きな声を上げる。メルシルンをきつく睨みつけていた。
『リナ様、こんな失礼な子をリナ様の側には置いておけません』
アニスがいきなりアグニス語で話しかけてきた。
彼女の言うとおり、メルシルンの態度は主人相手にも、貴族相手にも失礼だった。結界魔法で領地を守る貴族は、常に敬われる存在だ。
でも、身分を盾に相手を非難することは、黒色を理由に虐めた相手と同じみたいにウィンリーナは感じて嫌だった。
『でも、アニス。彼女の言い方はかなりきついけど、メルシルンの言うとおりだと思うの。発音がおかしかったら、殿下に気に入られるのは難しいわ。先ほど聞いたんだけど、妃は一人しか選ばれないみたいなの。状況は想定よりもかなり厳しいわ』
『そうだったんですね……』
『失礼だと首を切るのは簡単だけど、今は発音が直るまでは気にしないでおきましょう』
アニスは渋々といった感じでも納得してくれたようだ。
「話は終わりました? それでどうするんですか? 王都にこのまま行かれるんですか? それとも生意気な私を侍女から外します?」
メルシルンはウィンリーナの気分を害しても構わないのか、余裕の笑みを浮かべている。彼女は腕を組んだまま、丸い眼鏡のレンズ越しにきつい緑の目をこちらに向けている。
「王都には行きマス。メルシルン、あなたにも同行をお願いシマス。発音を直してもらいマス」
ウィンリーナがそう断言すると、メルシルンはあからさまに顔をしかめて、「チッ」と舌打ちまでしてきた。
「残念ですけど、分かりました。でも、王都に行きマスじゃなくて、”行きます”ですよ。王都なんて馬車で数日かかりますけど、数日しかないんですから、弱音なんて吐かないでくださいね」
「吐きマセン、いえ違うわ。吐きません」
すぐに言い直すと、メルシルンは眉を上げて、少しだけ意外そうな顔をした。でも、すぐに馬鹿にしたようにギスギスとした態度に戻る。
「ふーん、物好きなお嬢様ですね。まぁ、せいぜい頑張ってくださいね。では失礼しました」
嫌味ったらしい口調を隣で聞いていたアニスが凶悪な顔をしているが、彼女は何も言わなかった。メルシルンは緑色のお下げ髪をひるがえして、部屋から出ていく。
養母はちょっとだけ個性的と言っていたが、ちょっとどこではない。
でも、姉と違っていきなり物や魔法が飛んでこないだけマシだ。嫌味を言われても、気にしなければいいだけだ。
もしかしたら、黒色に仕えるのは、かなり嫌だったのかもしれない。
翌朝、フィルトたち五人の護衛たちがやってきたので、ウィンリーナたちはさっそく出発することになった。
「リナ、体には気を付けてね。殿下の論文は荷物の中に入れておいたけど、妃に選ばれなくても気にしちゃだめよ」
「ありがとうございます」
玄関先で見送ってくれる養母の優しさは、とても好ましかった。義理とはいえ短期間でも彼女の娘になれて本当に良かった。
「アグニスからついてきた御者のこと、よろしくお願いします。彼が故郷に帰る際にかかる費用は、遠慮なくアグニス国の実家に請求してください」
その御者には、これまでの報告書を持たせている。
男爵家での歓迎はもちろんのこと、殿下の黒髪の件も書いておいた。
「ええ、分かったわ。それにしても、年頃の娘を護衛もなしに国境を越えさせるなんて本当にひどいわね。抗議しておくわ」
養母はかなり憤慨していたが、気を取り直してリナを抱きしめてくれた。
「無事の到着を祈ってますわ」
「ありがとうございます。お養母様もお身体をお大事にしてください」
ウィンリーナは別れを告げたあと、護衛たちに視線を向ける。
「初めまして。リナ・バートンと言います。よろしくお願いします」
ウィンリーナが挨拶すると、初対面の四人も帽子を取って、それぞれ挨拶してくれた。そのうちの二人はフィルトと同い年くらいの男性で、髪の色も茶系なので、貴族の家柄のようだ。茶髪は金髪に次いで魔力が高いと言われている。殿下の精鋭部隊と聞いているので、護衛として心強い。
「黒目って本当ですか?」
「殿下、喜んでましたよ」
茶髪の二人に黒目を気にされて、顔を覗き込まれる。彼らの好意的な瞳は、綺麗な琥珀色だ。
でも、じろじろと目を見られるのは、たとえ嫌がらせではなくても、慣れなくて落ち着かない。
護衛にたじろいでいると、フィルトが咳き込みながら割り込むように慌ててウィンリーナの正面に立つ。かばうように立ってくれたので、とてもありがたかった。
「私がバートン男爵令嬢を傍でお守りするので、馬車の同乗をお許しください」
「はい、よろしくお願いします」
フィルトの申し出にウィンリーナは素直に応じる。乗車を促されたので、彼の手を借りて乗り込んだ。
男爵家が用意してくれた馬車は、行きと同じ四人乗りだ。座席にクッション性があるので、座り心地がとても良かった。
馬車の中に侍女の二人も乗車したので、座席は満員だ。
養母が用意してくれた御者によって馬車は順調に進んでいく。その周囲を乗馬した護衛四人がついてくる。
先日とは違って魔物の危険は少ないため、道中は安全だろう。でも、盗賊の話を聞いていたので、念のため馬車の周囲には結界を張りながら、のんびりと車窓から景色を眺めていた。
王都に行くまで、いくつか領を超えていくので、数日はかかると聞いていた。途中どこかの宿に泊まる必要がある。
「バートン男爵令嬢、昨日あなたからお借りしたハンカチですが、あれはあなたが刺繍をされたんですか?」
「はい、そうです」
フィルトが首を右に向けてウィンリーナを見下ろしている。
なぜ、そんな質問をするのか不思議だった。
刺繍は淑女の嗜みだ。自分のハンカチに刺繍するのは当然だった。
「そのハンカチに異国の言葉が刺繍されていたんですが、なんて書いてあったんでしょうか?」
「あっ」
ウィンリーナはすっかり忘れていた。あのハンカチには、「リナ」とアグニス語で名前が刺繍されていたことに。
アグニス国から来たと、さっそくばれてしまう。国内の女性しか募集をかけていなかったので、ウィンリーナは条件外で断られるかもしれない。
どうしよう。誤魔化したほうがいいのか。ウィンリーナはピンチに直面して思い悩んだ。こんなとき、母や姉はどうしただろうか――。
『害虫を害虫と言って何が悪い。国の金は国民たちが納めた血税ぞ。それを我が物顔で使う前王妃は害虫も同然。作物につく害虫のように甘い汁を吸い尽くされたら国が立ち行かぬぞ』
以前、前王妃派の家臣から文句を言われたときに母が返した言葉を思い出した。
(そうだ。ここは悪女らしく開き直ろう! ズバッと言うのよ!)
「リ、リナとアグニス国の言葉で書かれております」
悪びれもせずに堂々と答える。
ところが、そう思っていたのは本人だけで、本当は生まれたての小鹿のように手と膝がプルプル震えていた。
真似して開き直ったものの、やっぱり非難されるかと覚悟していたからだ。
「なるほど。やっぱりそうでしたか」
「やっぱり、とは?」
すぐに納得しているフィルトの反応が気になって、思わず尋ねていた。
「失礼ですが、あなたの発音が東部訛りとも少し違うので、スーリア国の育ちではないとは思っていたんですよ。だから、出身はどこだろうと気になっていたんです」
「まあ、そうだったんですね」
バートン男爵領は、スーリアの東部に位置し、アグニスはさらに東部にあった。
ウィンリーナは作り笑いを浮かべていたが、背中に冷や汗が流れていた。
言葉でバレバレだったとは。全然予想もしていなかった。でも、言われてみれば、そのとおりだった。
「どうして殿下の妃に隣国からやってきて応募したんですか?」
フィルトが真面目に尋ねてくるので、下手な言い訳は効かないと感じた。
「ぼ、母国を守るためにやってきたんです。ななな何か問題はゴザイマスカ?」
これも悪女っぽく尋ね返してみた。でも実際は、声がかなり震えていた。
「いいえ」
「え?」
フィルトにあっけなく否定されて、ウィンリーナはかなり肩透かしな気分だった。