最終話
三日後の建国祭でウィンリーナが着るドレスは、女王陛下が若いころのお古を借りて使わせていただくことになった。お披露目になるので、ただの既製品のドレスで済む話ではない。でも、新規で作るには全然間に合わないからどうしようかと悩んでいたとき、女王陛下から提案があったのだ。「ドレスなら、私のを使えばいいじゃない」と。
女王陛下には初めて挨拶したときから、なぜかやたら気に入られていた。「あなたの話はフィルからよく聞いているわ」と言っていたので、彼が何を話したのか気になるばかりである。
サイズ直しを期限までに間に合わせるために針子たちが一生懸命に仕事をしてくれたおかげで、違和感なく着られるようになった。
ウィンリーナは鏡の前で立つと、自分の姿なのにまるで別人がいるような感覚になった。
黒い髪のままでいるのが、未だに信じられない。髪用のオイルで手入れされて、艶々とカールされた髪が輝いている。
トップの髪を少し集めて豪華な髪留めで飾っている。いつも隠していた顔がすっきり見えていた。
化粧によって血色がさらに良くなり、地味だった昔の姿を思い出せないほどだ。
薄桃色のドレスの生地には、金糸で花をモチーフにしたオーナメント柄が豪華に刺繍されている。袖やスカートにもふんだんにレースが使われて、とても華やかだ。
よくよく見れば、小さな宝石もあちこちに散りばめられている。
頭上に飾るティアラも、中央の飾りだけではなく、全体が宝石で全部覆われているので、身につけるのも恐れ多い。
これだけで、一体どれほどの金額がかかっているのかと、気が遠くなりそうである。
大国の繁栄と脅威をまざまざと感じる。
「うん、とても似合っているよ」
フィリアンクが忙しい中、衣装合わせに付き添ってくれた。にこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
「で、でも、ちょっと胸元が気になるんですけど大丈夫でしょうか?」
ドレスから胸の双丘がはみ出しそうなほど、かなり強調されている気がした。
フィリアンクが言われて視線を下に向けると、彼の頬が少し赤くなった。
「い、良いんじゃないのかな……」
彼は視線を外して照れくさそうに言うので、本当にその言葉を信じていいのか不安になった。
「恐れながらリナ様」
「どうしたのアニス?」
「リナ様は今までいつも地味な格好でしたから、慣れないだけだと思います。若い方はこのくらいが普通なのです」
アニスが横から助け船を出してくれた。
「そうだったのね。確かにそうかもしれないわね」
そう指摘をされて、思い出していた。あの姉もいつも露出が多かった気がしたことを。
「お取込みのところ、失礼します」
突然、割り込むように女官がやってきて声を掛けてきた。
「どうしたのだ?」
フィリアンクが用件を尋ねる。
すると、やってきた女官は困ったようにウィンリーナを見つめた。
「実は、フィリアンク殿下ではなく、殿下の婚約者に内定しているバートン男爵令嬢に用があると、アグニス国から使者が参ったのです」
「アグニス国から――?」
婚約すると母に報告をしたあとだったので、今回の使者は母の指示かもしれない。だから、会わないという選択肢はなかった。
「着替えてから会いに行きますので、先に応接室に通しておいてください」
ウィンリーナの指示を聞いた女官は了解して下がっていく。
「私も会いに行こう。アグニス国の使者にリナが私に大事にされていると伝わったほうが、故郷にいるご両親も安心するだろう」
フィリアンクの思いやりにウィンリーナは嬉しくてたまらなくなる。彼に出会えてよかったと心から感じた。
「ありがとうございます」
それからウィンリーナは正装から普段用のドレスに着替えたあと、訪ね人に会いに行った。
応接室に入った途端、驚愕で目が見開き、口が開けっ放しになる。
故郷で見慣れた姉ナーセルンがそこにいた。長旅をしてきたからなのか、いつもより恰好や化粧に華やかさはなかったが、見間違えではなかった。
ドクンと心臓の鼓動が跳ね上がった気がした。何をされるのだろうか。不安でたまらなくなる。
ウィンリーナやフィリアンクが部屋に入ってきても、なぜか姉はソファから立ち上がって挨拶しようともしなかった。
ただウィンリーナとフィリアンクをびっくりした顔で交互に眺めている。
このままでは無礼だと国交上の問題になってしまう。
ウィンリーナは姉に殿下のことをすぐに紹介することにした。
「わたくしは殿下の婚約者に内定しておりますリナ・バートンです。隣にいらっしゃる方は、フィリアンク殿下です。あなたはアグニス国から来たと聞きましたが、何の御用ですか?」
殿下の婚約者であり、男爵家令嬢のリナとしてウィンリーナはここにいるので、同郷の者として振舞えなかった。だから、姉とは初対面として接することにした。
だが、姉は怪訝な顔をするだけで、立ち上がろうともしなかった。
『……リナ、よく分からないから、アグニス語で話してちょうだい。ねぇ、どうして髪が黒いの? その隣にいる黒髪の男は何者なの?』
なんとスーリア語が分からないようなので、アグニス語で話しかけてきた。
『隣にいらっしゃる方は、フィリアンク殿下です。スーリア語でご挨拶してください』
ウィンリーナがそう伝えると、姉はすぐに立ち上がって淑女の礼をとった。
「ハチメマステ、ワタチ、ナーセルン、イウ」
ものすごく拙いスーリア語で姉が挨拶していた。
形式的な挨拶のやりとりのあと、やっと殿下の許しを得て、ソファに着席することになった。
「アグニス国から遠路はるばる来てくれたそうだが、何の御用かな? リナは私の唯一として大切にしていくつもりだ。彼女の知識や魔法の巧みさは、とても頼りがいがあり、私の妃としてこれからも立派に務めを果たしてくれるだろう」
ウィンリーナは彼の称賛に恥ずかしさで顔が熱くなりながらも、使者と名乗る姉にアグニス語で通訳していた。
すると、姉の顔色がみるみる土色に変わり、わなわなと肩が震えだしていた。
目つきは剣呑になり、射殺すような視線をウィンリーナに向けてきた。
『……ウィンリーナ、殿下の婚約者を辞退すると言いなさい。代わりにわたくしが殿下の婚約者になるわ。これは王妃陛下の命令よ!』
ウィンリーナは姉の言葉がすぐに理解できなかった。むしろ、発言の真偽を疑うほど怪しいものだった。母の命令だと言うが、こんな道理から外れためちゃくちゃなことを母が言うはずがない。
『変なことを言うのは止めてください。いきなり婚約者を変更できるわけがないでしょう』
『なら、あなたがアグニス国から来た密偵だと彼に話すけどいいのかしら? そうなると、あなたは殿下を騙していたことになり、不興を買うことになるわ』
勝ち誇ったように姉が笑う。
「そんな……」
姉の言葉に絶句した。確かに、ウィンリーナは密偵の立場だ。彼を篭絡するためにスーリアに来た。母国のためにアグニス国から来たとは話していたが、密偵のことは黙っていた。そんなことを言ったら、ウィンリーナに対する彼の心証はかなり悪くなるだろう。
でも、姉は何の目的でこんなことをするのだろうか。姉には婚約者がいたはずなのに。
「リナ様、この者の言葉に惑わされることはありませんわ。殿下は全てをご存じの上でリナ様を選ばれたのですよ」
背後で侍女として控えていたアニスが、いきなり割り込んできたと思ったら、目を吊り上げて姉を睨みつけていた。
「一体、使者は何と言ったのだ?」
「殿下、差し出がましい真似をして申し訳ございません。この者は、リナ様に婚約を辞退しろと言ってきたのです。アグニス国からの密偵だとばらすと脅して」
アニスの説明を聞いた瞬間、彼の顔色が変わった。すぐに怒りの形相をウィンリーナではなくナーセルンに向ける。
「リナが国のために来ていることは承知している。今さら密偵と彼女を貶しても意味はないぞ。彼女は王子ではなく、私自身を望んでくれたのだから。それよりも、お前がリナを故郷で虐げてきた者か? ずっと疑問に思っていたのだ。教育を十分に施されていながら、なぜか着ているドレスはボロボロで、あんなに前髪を隠して黒い目を気にしていたのかと」
「殿下、そのとおりです。この女が、故郷でリナ様を虐げ続けてきた張本人です!」
アニスの告発により、姉はあっという間に殿下に命じられた衛兵に捕らえられた。
『離しなさいよ! わたくしは、最高色なのよ! なぜ、わたくしがこんな目に遭わなくてはならないの!』
衛兵に捕縛されて、叫び続けながらアグニス語で訴えるナーセルンにアニスが静かに近づき、姉を睨みつける。
『この国での最高色は、黒目黒髪です。しかも、リナ様の魔力は現在スーリアで一番でございます。あなたはリナ様より格下でございます。身の程をわきまえてくださいませ』
アニスの言葉を聞いて、姉は目が落ちそうなほど大きく見開く。信じられないといった目でウィンリーナを見つめてきたが、事実だったので姉にとっては残念ながら、うなずくしかなかった。
魔法研究所でウィンリーナの魔力を測定したところ、やはり魔力の量が多いことが証明されていた。
アニスがこんな高圧で厭味ったらしい言い方をしたのは、今まで姉がした嫌がらせに対する腹いせだろう。普段、アニスはこんな生まれつきな特徴を理由に見下すような言い方を決してしない。
『うそ、うそよ――』
そうつぶやく姉の声が、だんだんと小さくなり、力尽きたように床に座り込んでしまった。
アニスは姉に近づき、傍でしゃがみ込む。
『どうですか? ご自分が大したことがないと知ったご気分は? そもそも最高色だから、何をしても許されると思っているのが間違っているんですよ』
それを聞いた姉の顔から血の気がひく。彼女はわなわな肩を震わせると、堰を切ったように泣き出し、手が付けられない子供みたいに泣きじゃくるばかりだった。
あんなに怖くて恐ろしかった姉が、今は哀れなくらいちっぽけな存在に見えた。
もう姉の顔色を窺い、怯える必要はなかった。それに気づいたら、心は凪のようにとても穏やかになる。
「アニス。もう、いいの。お姉様は十分罰を受けたわ」
ウィンリーナがそう言うと、アニスはすぐに察して立ち上がり、姉から離れていった。
今度はウィンリーナが姉に近づき、彼女の前にしゃがみこむ。もう姉に対して何の気持ちも湧いてこなかった。
『お姉様。アグニスのこと、よろしくお願いします』
姉は壊れたように泣くばかりで、何も返事はなかった。でも、これだけは言えて満足だった。
やがて姉は衛兵に無理やり立たされて連行され、泣き声すら聞こえなくなった。
ナーセルンの処罰は、アグニスとスーリアとの国交に影響がないようにウィンリーナが願ったため、国外追放だけで済んだ。
姉が国外の貴族であることと、早くウィンリーナから離したいとフィリアンクが配慮してくれたおかげで、転移ポータルまで使用を許可してくれたのだ。
ただし、ナーセルンの監視と再教育を要求し、二度目はないと脅しつきだったが。
本来なら王子の婚約者を脅すなどあってはならないことだ。これだけで済んだのは、フィリアンクがウィンリーナの心情を慮ったからである。
このときスーリア国の使者が王妃である母からウィンリーナ宛の手紙を預かったそうで、使者が帰国したときに渡してくれた。
『リナへ 元気にしているか。ナーセのことは気づかず申し訳なかった。彼女は魔法の契約でリナの前に現れぬようにしておいた。安心してほしい。あの子は自業自得もあり、ネルソンから婚約破棄されて、バーサイド公と結婚することになった。掟があるとはいえ、あの男と我が子たちの婚姻を避けたかったのに皮肉なことだ。それで十分この子にとって罰となるだろう。あと、以前リナと結んだ魔法の契約はもう用済みだから、そちらで破棄してほしい。そのほうがリナも安心だろう。幸せを祈っている。これからはスーリア国のために尽くしなさい。その国で其方が盤石な地位を築けたとき、それはアグニスの力にもなるだろう』
ウィンリーナの目から涙が流れた。この手紙には確かに母からの信頼を感じていた。
手紙には書かれていたとおり、魔法の契約が同封されていた。
どうしてなのか、分からない。なぜ、もう魔法の契約は用済みだと母が言ったのか。
密偵として裏切らないように魔法の契約を使ったのではなかったのか。
訳が分からないため、思い切って何も知らないアニスに事情を話して相談すると、彼女はある推測を出してくれた。
「もしかしてですけど、王妃陛下はリナ様に保険を掛けたのかもしれませんね。万が一、失敗したときにリナ様が面目がなくて帰りづらくても、問題なく帰れるように配慮してくれたのかもしれません。命令だから、仕方がないことだと」
アニスの言葉がすんなりとウィンリーナの心に入ってくる。
そうだ、きっとそうに違いない。
現に、この契約書が手元に届けられているのだから。
「それに、王妃陛下はリナ様の幸せを願っていたんだと思います。だから、スーリアに行かせ、バーサイド公との結婚を解消させたのでしょう」
アニスに言葉を聞いた途端、急に理解できた。密偵を命じられたとき、『黒目は、恐らく問題ない』という母の言葉の意味を。母は知っていたのだ。恐らくフィリアンクの髪の色を。漆黒の死神と称されていたのだから、母は簡単に気づいていたのかもしれない。
「そうね、アニスの言うとおりだわ」
全て母の優しい思惑だったのだろう。やっぱりウィンリーナは母のような偉大な悪女になるのは無理そうだと感じた。
契約書を二つに破ると、端から魔法の力で崩れるように消えていった。もうウィンリーナを縛るものは何もなかった。
※※※※※
数日後、スーリア国では建国祭が始まり、数日間にわたる賑わいを迎えた。
珍しく王宮が解放されて、国王と王妃がバルコニーから大勢の民衆の前に姿を現わす。
その同じ場所にウィンリーナもフィリアンクに同伴していた。いつも祭典に欠席が常習犯の殿下の出席に気づいた家臣たちは彼の姿を二度見していた。
殿下の婚約者としてウィンリーナが紹介され、正式に彼の婚約者として認められることになった。
そのあとは、婚約祝いパーティーとなり、黒髪同志のカップルは大いに目立ち、人々の注目を浴びた。
婚約を歓迎してくれる者もいれば、遠巻きに見ている者もいる。
でも、表立って嫌味を言う人はいなかった。
養家である男爵家夫婦も祝いの席に駆けつけてくれた。久しぶりの再会に会話が弾み、世話になった礼を何度も口にした。
「パーティーに出るのは久しぶりだよ」
「わたくしもです」
お互いに黒色のせいで、人の集まる場所にいい思い出がなかった。
「でも、これからは違うね」
「はい」
フィリアンクの優しい眼差しに気づき、自然と笑みが浮かんだ。
ウィンリーナは差し伸べた彼の腕にそっと手を添える。ゆっくり歩き始めた彼の歩調は、ウィンリーナにも歩きやすかった。
彼と一緒に行く先をいつまでも見ていたい。彼の温もりを感じながら、ウィンリーナはそう心の底から願っていた。
《完》
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
各キャラのその後
ウィンリーナ:高度の魔法を使用した改善策を女王に気に入られ、各地で仕事をしていくうちにスーリアでの人気が上がり、黒色の偏見を解消していく。
フィリアンク:優しい妻と共同研究をして、幸せな人生を送る。
アニス:実はウィンリーナが姉から支給金を巻き上げられたとき、侍女の資金だけは確保してくれたので、実家に帰らずに済んだことも恩義を感じていた。ウィンリーナの侍女として仕事を続け、その後スーリアで良縁に恵まれる。
メルシルン:ウィンリーナの結婚とともに侍女は辞め、王都の実家に帰る。その後も実家の取引とともにウィンリーナとの付き合いは続き、彼女も良縁に恵まれる。
姉ナーセルン:嫌々ながらバーサイド公と結婚。見た目は悪いが、夜の生活は意外にも良かった。
兄ルンフィード:女好きなのはアグニスの少子化を嘆いてのことだったが、結局言い伝えどおりに魔力の差があると子供ができにくいので、王を継承して結婚後には王妃一筋となる。地道に国を治めた。
ゼロン:選考のときに出会った4番のエレノラに好印象を抱いており、フィリアンクの婚約が決まったあと、彼女にアプローチして二人は婚約する。




