第十二話 買収も悪女の手段ですわ。
「リナ様、モテモテですわね」
フィルトと部屋の前で別れた直後、着替えでアニスと二人きりになったとき、彼女がウィンリーナに耳打ちしてきた。驚いて彼女を見つめると、楽しそうな茶褐色の瞳とぶつかった。
「本気でリナ様に惚れてしまって、殿下に奪われたくないみたいですね」
「えっ?」
アニスの発言に思わず耳を疑った。先ほど見たフィルトの熱い眼差しを思い出して、勝手にドキドキして落ち着かなくなる。
「ま、まさか。そんなことあるはずないわ。だって、彼は殿下の部下で、わたくしは妃候補ですから。彼は親切なだけで、アニスが言うような殿下を裏切る真似をする理由がありません」
「リナ様がとても魅力的だからだと思いますよ。まぁ、自信が持てないのは元の環境がひどかったせいでしょうから、仕方がないですけど」
アニスはいつもほめ過ぎだと思う。
でも、この国に来てから良いことばかりだから、いつもより受け入れやすかった。
「でも、ありがとうアニス。褒めてくれて嬉しいわ」
「あら、リナ様が素直だなんて、明日は雨が降るかもしれませんね」
素直に礼を言えば、彼女に茶化されてしまった。でも、その彼女の気さくさが好ましかった。
「妃の選考でもし落ちたとき、セングレー卿の妻を狙ってみるのもいいのではないでしょうか。せっかく男爵家の養女となったのですから、このまま故郷に戻らず、この国で暮らしてもいいと思います」
「そうね……」
そう答えたものの、アニスを心配させたくなくて本当のことを言えなかった。
魔法の契約のことを。
母に命じられた内容は、「最低一年間は、密偵に努めるように。失敗したら国に戻ること」だった。
本当は第二王子の篭絡に失敗したら、すぐに戻ると思っていた。
「なぜ一年間なのですか?」
「せっかくスーリアに入国できる機会なのだ。情報を集めてもらいたい」
ウィンリーナの疑問に対して、そう母は説明していた。
思い出すだけで、胸がじわりと痛む。
「でも、殿下がダメだったら狙うだなんて、フィル様に失礼だと思うわ」
「そんなことを言ったら失恋から立ち直れませんよ」
「そうかしら?」
フィリアンク殿下に対しては論文の件で尊敬はしているが、恋愛感情はまるでなかった。
「そうそう、気にしすぎですよ。でも、気になる相手はきちんとお調べしたほうがいいですよね。セングレー卿について、誰に聞けば教えてくれるでしょうか」
アニスの言葉を聞いて思い出す。敵を知ることは重要だと母も言っていた。
策略で家臣を従え、国を治める母の言葉は重い。一つも聞き流せなかった。
アニスが首を傾げた直後、すぐに目を大きく見開き、何か思いついたようだ。
「王都の商家出身のメルシルンなら、顧客である貴族の情報にも詳しいと思いますので適任かと思います。ですが、彼女は引き受けてくれるでしょうか」
アニスは渋い顔をしている。今までの経緯を踏まえるなら、難しいだろう。すぐに断られそうだ。
よい案が浮かばない。
こういうとき、母や姉はどうしただろうか――。
『黙っていてほしかったら、わたくしの言うことをきくことね。手始めにあなたに支給されている支度金をいただこうかしら? あなたに新品のドレスは分不相応でしょう?』
姉の言葉がふと脳裏によみがえる。あのときは、侍女を雇う費用だけは残してくれと懇願した覚えがあった。一人も侍女がいなければ体面が悪いと言って、姉に渋々納得してもらったが。
(そうよ。この手があったわ!)
「そうね。もう一度頼んでみましょうか。でも、今は彼のことよりも、殿下や選考に通過した女性たちの情報を知りたいわ」
「はい、分かりましたわ。では、メルシルンを呼んで参りますね」
会話をしている最中にアニスのおかげで手際よく着替えは終わっていた。
「で、何の用ですか?」
呼び出されたメルシルンは、不満を隠そうともしない態度だった。口まで尖っている。
「実はね、あなたに聞きたいことがあったの」
「前にも言いましたけど、知っていたとしても、教えるつもりはないですよ」
「ええ、分かっているわ。あなたはお養母様に仕えているだけで、わたくしに仕えているわけではありませんから」
「それを分かっていて、どうして呼び出したんですか? 無駄じゃないですか」
「ええ、だからわたくしもお養母様のように対価を払おうと思ったのです」
「対価?」
メルシルンの反応が著しく変わった。こっちを見る目つきが、馬鹿にする様子から、交渉モードに切り替わったみたいだった。
「そうです。あなたがわたくしに尽くす義理はないのですから、サービスに対しては相応の対価が必要だと気づいたのです。引き受けてくださらないかしら? 是非あなたの協力が必要なのです」
姉の口止め料からこの案を思いついていた。何事も対価は必要だと。
「そうですね。取引ならしてあげないこともないですね」
そう不遜に答えたメルシルンの眼鏡の奥で、彼女の緑の瞳がキランと怪しく光った気がした。
翌日、ウィンリーナは侍女二人を連れて大通りを歩いていた。昼食どきなので、人の活気で賑わい、あちこちから美味しそうな匂いが漂ってくる。
「えーと、お店はどこかしら? あっ、ここだわ」
看板に白猫が描かれたお店があった。
王都で人気のレストランとメルシルンから聞いている。調度品はおしゃれで、メニューはお高め。さらに個室があるので、裕福な平民以上の客が多く訪れるようだ。
お店に入って「番号4番で予約してあります」と秘密の暗号みたいな名前を告げると、個室に案内された。ここからは侍女たちとは別行動になる。彼女たちは一礼して下がっていった。
年頃が近い女性たちとのお食事会に参加なんて、ウィンリーナは初めての体験だ。
楽しみではあったが、無知でうっかり恥をかかないように他の女性たちを観察して学習する。
他の女性たちは、全員友好的な態度で、和やかな雰囲気から始まった。選考での殿下のご意思を尊重し、それぞれ番号で呼び合うことになった。
「皆様は殿下にお会いしたことがございますか?」
みんな殿下のことが気になるのか、早々に話題に上ってきた。
「いいえ、ございませんわ。残念ながら、お見かけしたこともないです」
みんな同じ答えで、それは意外なことだった。てっきり同じ国の貴族だから、顔ぐらいは知っていると思っていた。
「夜会に参加されないと有名なんですよね」
「そうそう、殿下は研究所にいらっしゃることが多いらしいですわ。魔法に精通されていらっしゃるそうですね」
どうやら仕事熱心のようだ。
側近のフィルトが黒目の乙女に初めて会って泣き出すくらいだから、彼の主である殿下も似たような方かもしれないと感じた。
「周辺国との戦争にも出陣されて多くの敵兵を倒されたとも聞いておりますわ」
「だから、死神と敵国に恐れられたらしいですわね。頼もしい限りですわ」
漆黒の死神と二つ名がついた背景が、今の会話を聞いたおかげで分かった気がした。
(ということは、残酷な方ではないってこと!?)
どうやら重要な情報をゲットできたようだ。でも、散々噂に振り回されてきた身としては、まだ完全に信じるのは危険な気がした。
「しかも、殿下のお心遣いも素敵でしたわ。妃に立候補したお礼まで用意してくださって」
「そうそう、皆さまに贈っていると側近の方はおっしゃってましたわ。素晴らしいですわよね」
「びっくりするくらい立派な宝石でしたわぁ」
みんな殿下に感謝しているようだ。うんうんと深く相槌をうっている。
(えっ、宝石? 髪飾りではないの?)
誰も怪訝な顔をしていないので、ウィンリーナだけ贈り物が違ったようだ。宝石も食べ物と同じで、誰に贈っても問題ない物だ。換金性が高いので、わざわざ王宮まで来てもらった手間賃とも受け取れる。
だが、髪飾りみたいなアクセサリーだと、相手からの好意も含まれる。他の妃候補たちと扱いが違い、戸惑いを覚える。
「わざわざ感謝の手紙まで添えてくださって」
「そうそう、とても綺麗な字でしたわ」
(え――?)
ウィンリーナは再び思わず声に出しそうだった。
手紙までは、殿下からもらっていなかった。
それが何を意味するのか、分からない以上、それを口に出すことは憚られた。アクセサリーをもらったのがウィンリーナだけだと皆が知れば、差別だと殿下は非難されるだけではなく、ウィンリーナは妬まれてしまう。
せっかくの楽しい場の雰囲気を壊しそうで気が引けて、黙ってニコニコと笑いながら聞いていた。
きっとギリギリで応募したから、側近のフィルトが急きょ贈り物を用意した可能性もある。そう思って気にしないことにした。
「聞いた話によると、とても見目麗しい方みたいですわ」
「まぁ! 本当ですかぁ? 早く殿下にお会いしたくなりましたぁ」
8番の黒髪の女性が、殿下の顔の話に最も反応していた。みんな微笑ましく見つめている。
「それにしても、前回の選考会では何を基準に審査していたんでしょうね?」
「質問に答えられなくても通った方がいたので、正解の有無は関係なかったみたいですよね」
「よく分かりませんけどぉ、わたしのことを笑って感じ悪かった人がいなくなって良かったですわぁ」
8番の黒髪の女性がきわどい発言をするので反応しづらかったが、確かに的を射ていた。
間違った女性を失笑した人たちが、まとめていなくなった気がする。
もしその考えが合っているなら、みんなの前で質問した理由もつじつまが合う。
「ところで、10番の方、最後の問題に答えられたなんて、すごいですわね。とても専門的な本ではありませんでしたか?」
ウィンリーナは、いきなり話を振られて驚いた。
「あっているのか、とても不安でしたけど、正解でなくても良かったのなら、焦る必要は全然なかったですよね」
「本当に、そうですわよね。答えられなくて、とても落ち込んでいたのに」
みんな同じ気持ちだったのか、顔を見合わせてクスクスと朗らかに笑った。
「あの、10番さん。もしかして、あなた目が黒いんですかぁ?」
8番の黒髪の女性が、いきなり話題を変えたので驚いたが、「ええ」とすかさず答えた。
すると、みんなの視線がウィンリーナに集中する。
「もしかして、そうじゃないかと思ってましたけど、やはり黒かったんですね。黒い目の方には初めてお会いしますわ」
4番の方も会話に乗ってくる。
「わたくしもです」
みんな同意するようにうなずいている。でも、彼女たちの視線は、全員好意的ではなかった。興味深そうに見つめる人もいれば、若干不安そうに窺っている人もいる。
故郷みたいにあからさまな拒否感はないものの、未知の存在に警戒を抱いているような人もいた。
「生まれつきなんですかぁ?」
8番の黒髪の女性は、興味津々な様子で尋ねてくる。
「ええ、生まれつきです」
やはり黒い目は珍しいようだ。さすがにフィルトに泣かれるだけある。
「理論的にはいるはずだと殿下の論文に書かれていましたけど、こうしてお会いできて嬉しいですわ」
そう言って微笑む4番の方の眼差しは、とても思いやりに溢れていた。
不吉だと嫌われて、虐められて、嫌な思いばかりだったから、そう言ってもらえるとは思ってもみなくて、嬉しさのあまりに目頭まで熱くなる。
「ありがとうございます」
そうお礼を言ったときだ。
「羨ましいですわぁ。わたしもどうせなら黒髪ではなく黒い目だったら良かったのに」
8番の女性が信じられないことを言っていた。
周囲の令嬢たちも、戸惑いの目を彼女に向けている。
「どうして羨ましいんですか?」
嫌な思いばかりしてきたから、思わず聞き返してしまった。
「だって黒い目のほうが貴重なのですから、殿下も気に入ってくださるに決まってますわぁ」
8番の黒髪の女性は、きょとんとして、悪びれもせずに答えた。
黒い目を受け入れない人がいることを8番の女性は考慮に入れていないようだった。しかも、殿下の論文が発表されたのは一年前。それまでは、この国でも黒い色は忌み嫌われていた。
『あなたなんて、生まれなきゃ良かったのに。お母様はあなたのせいでみんなから責められているのよ』
心ない姉の言葉が思い出される。母は特に前王妃派の家臣から、ウィンリーナのことで吊し上げられるときがあった。
「もしかして、8番の方は、黒い髪で困ったことがなかったんですか?」
他の方がフォローするように問いかけていた。
「困りましたよぉ。それまで緑色だったのに、半年前にいきなりこんな色に変わってびっくりしたんです」
だから殿下の妃に立候補しましたと、周囲の物言いたげな視線に気づかず、黒髪の女性はあっけらかんと言っていた。
子供から大人になる前に、色が突然変わることは稀だが、ありうる話だった。また、緑色の平民からも突然魔力持ちが生まれることもあった。
「わたくしは今までこの黒色で疎まれるばかりだったので、羨ましいと言われたのは初めてでした」
ウィンリーナが事実を伝えると、8番の方はやっとウィンリーナの辛い過去に気づいてくれたようだ。顔色を変えて、申し訳なさそうにする。
「ごめんなさぁい。でも、黒目がいいなぁって思ったのは本当です」
「ええ、もちろん存じ上げております。これからは、黒色が避けられるのではなく、羨まれるようになっていくのですね。ありがとうございます。気づかせてくださって」
ウィンリーナがそう言うと、8番の方は安心したように微笑んだ。
他の令嬢たちも、ウィンリーナが気分を害さなかったので、安堵したような表情をしていた。
「これも殿下が研究されたおかげですわね」
「良かったですわ」
他の令嬢たちも黒色の待遇が良くなることを一緒に願ってくれた。
ちょうど話が無事に終わったタイミングで、料理が運ばれてきた。
美味しい料理に舌鼓を打ち、お店を教えてくれた4番の女性をみなが褒める。
「今後、どんな課題があるんでしょうね」
「見当もつかないですよね。また緊張してしまいそうですわ」
「そうですわよね」
ウィンリーナも同じ気持ちだったので、微笑みながら相槌を打っていた。
それから次の選考会で会いましょうと、穏やかな雰囲気でお食事会は終わった。
色々と情報を得られたので、参加して本当に良かったと感じる。
ウィンリーナが店を出て一人きりになったとき、侍女たちの姿を見つける。すぐに彼女たちも気づいて駆け寄ってくれた。
「リナ様、お疲れ様でした」
「アニスとメルシルンも待たせたわね」
彼女たちには、別の仕事を任せていた。




