序章
王子フィリアンクは真剣に悩んでいた。
漆黒の死神と称される姿とは打って変わって激しく憔悴していた。戦場であまたの敵兵を魔法で焼き尽くした恐ろしさはどこにもない。
若い端正な顔をただ激しく歪ませている。
ここは王宮内にある魔法研究所の一室。フィリアンクは側近二人だけを呼んだ後、執務用の机上に肘をつき、手を握り合わせて椅子に腰かけていた。彼の細く引き締まった体躯が、わずかに震えている。
側近たちに視線を送る。同い年の彼らは、机の傍で主人の様子を黙って窺っていた。
「……陛下より婚約者を選べと命じられた。希望がなければ陛下が選ばれるそうだ」
フィリアンクは言いながら美しい碧眼をそっと伏せる。
「殿下に選択権があるのですか」
側近たちは驚く。なぜなら、王の子となれば、政略結婚が当たり前だからだ。
「そう、異例なことだ。でも、どうしたらいいんだ。そんなことに時間を取られるくらいなら、研究の解析を一つでも進めたいくらいだ。そもそも私と結婚したい女性なんているのか? 無理やり選んだとしても、相手の女性は身分的に断れないだろう。私だってそんな握手すら拒否しそうな女性との結婚はお断りだ。互いに不幸じゃないか。ああ、憂鬱だ。吐きそう」
フィリアンクは短い黒髪の頭を両手で抱え込む。
五年前、フィリアンクが十五歳のときだ。社交界にデビュタントで初めて参加したとき、この忌み嫌われた黒い髪のせいで、年頃の令嬢から全く相手にされなかった。
自身に向けられた蔑みと恐れを含んだ視線に晒されて、今でもトラウマになっている。年頃の若者らしく異性に憧れていた気持ちは、このときに死んでいた。
それから元々内向的なフィリアンクは、二度と異性に近づこうとは思わなかった。
今の研究材料に囲まれている生活に何の不満もない。むしろ命令さえなければ現状の維持が良かった。
「殿下! 落ち着いてください! 私にいい考えがあります」
側近の一人が慌てて近づいたと思ったら跪き、フィリアンクを覗き込むように見上げてきた。
「本当に?」
「ええ、ぜひ聞いてください」
フィリアンクは側近から耳打ちされて、大きく目を見開く。
「なるほど。募集をかけて自分から応募してもらうのか。それなら私を嫌う相手はわざわざ申し込んでこないから、最悪な結婚を避けられる。その案で行こう!」
フィリアンクは目に見えて元気になり、椅子から立ち上がった。
「殿下がお元気になられて良かったです」
だが次の瞬間、フィリアンクは糸の切れた操り人形のように再び椅子に崩れ落ちてしまった。
「殿下、どうされたんですか?」
「ああ、でもダメだ。一人も立候補者がいなかったらと思うと胃がキリキリする。それに、来たとしても身分目当ての腹黒な子だったら最悪だ。ううう」
かつて表面上は愛想の良い子もいたが、王子の身分さえなければ近づきたくもないと陰で言われた黒歴史もあった。
「それなら殿下、妙案が」
またもや側近がフィリアンクの耳元で案を囁いた。
「なるほど。身分を偽って近づくのか。それなら相手の本性が分かりやすいな」
徐々に復活してきたところに、もう一人の側近が近づく。
「お任せ下さい。親戚縁者総動員して殿下にふさわしい令嬢を探し出してみせます」
フィリアンクは側近の気遣いに涙が出そうになる。
「本当にすまない」
でも、ふさわしい令嬢なんて、いるわけないと思っていた。同じ黒い色で、気立てが良くて裏表のない素直で可愛い子が。さらに欲を言えば、研究に理解があって手伝ってくれるような有能な子がよかったが、いるわけがないだろう。いたら本当に奇跡だ。
だから、側近の気持ちだけ受け取ることにした。
こうして雲行きの怪しいフィリアンクの婚約者探しが実行され、彼は一人の女性と出会うことになる。
「お初にお目にかかります」
そう緊張気味に挨拶する彼女の漆黒の瞳は、夜空に浮かぶ星のように美しく輝いていた。