023 温厚の塊とかって呼ばれた僕でさえ、居酒屋でビールを頼んでから30分たっても来なかったらそりゃキレたくなるよね?
待たせすぎ!
企業実習を終えた11月。
ステージは1段階あがって、これからは介護福祉士実務者研修を取るための授業がスタートした。
右も左も、縁もゆかりも全く無い、自分の知らない新しい世界に飛び込んだのは9月だった。
それから怒涛の様に過ぎた2ヶ月だった。
どちらかと言えば実技よりだった授業もまた、再び座学に戻り、ひたすら先生の話を聞いて、ノートを取る日々が戻ってきたのである。
始まった頃はまだ暑さの残る日々だったのに、コートどころかヒートテックと保温タイツが離せない季節になっている。
冬季鬱か何かわからないけれども、僕の気分は落ち込み始めている。
年内に内定をもらうのがべストだと、進路指導の先生に言われたのだ。
2回目の企業実習には、内定先に行くのが基本セットになっているそうなので、その日程調整のために、早めに内定を取っておいて欲しいらしい。
もちろん企業実習先が自分に合ってないと思ったり、単純に内定が取れていない人は、また学校側が選んだ実習先に行くことになるだけなのだけど。
僕個人の話ではあるが、正直に言わせて貰えば、このまま延々と学生を続けていたいと言う気持ちがある。
当然の様にそれは無理な話なので、今の無職ライフに終わりにを告げて、新しい未来に向かって突き進まないといけないと言う現実や、学生時代に戻ったような仲の良いクラスの雰囲気に毒されているかもしれない。
本当はそんな学生時代など、自分自身の現実には全く無かった。
今の方が何十倍も学校が楽しい。
女性陣と男性陣の仲も非常に良く、高齢者組にいる自分としては間違いが起きないか気になるレベルである。
しかし皆さん成人である。
別に僕が気に病むような事はきっとないはずである。
たぶん。
それでも学校が合わなかった人が辞めたりはしている。
体力、体調的な問題でとか、家族の問題で退校する人は何人か出て、それはそれで悲しいことだけども、すでに初任者研修と言う資格を取ってはいるので、少し早く野に放たれただけである。
ほんの数ヶ月間、一緒に過ごしただけだけど、その人たちにはそれぞれ頑張っていってほしいと思う。
冬季鬱的な鬱鬱とした気持ちで日々を過ごし、それでも履歴書を書き、面接の応募しないといけない時期がやってきた。
証明写真を撮ったり面接に行ったりと、準備がおのずと11月末には終わってないといけないことになるのである。
僕は実習先以外に面接を受けるところを探さなかった。
給料体系はどこもかしこも似たり寄ったりで、基本的には地上五センチの所を飛んでいる気分になる。
金額的にはそれなりに、高い所もあるにはあったけど、そう言うところは妙に怪しすぎたりするのである。
そこで僕は現実的なところを探す事にした。
歩いて行けると言うご近所的な理由で、僕は企業実習に行ったところに面接を受けることにした。
僕は普通に書いたら自分で読めないくらい字が汚いので履歴書は何枚も描き直した。
異常に筆圧が高いので、手が腱鞘炎になるような思いをしながら履歴書を書き上げる。
人生で初めて作る職務経歴書はパソコンで制作する。
パソコンのスキルもあると言う事を知らせるためでもあるらしい。
職業訓練に通うことになったから持てた資格も多い。
元々は資格などと呼べるものなんかは、自動車普通運転免許だけだった。
高校卒業のすぐに入社した最初の会社が倒産したとき、次の会社の面接で履歴書をその場で書いた時は、履歴書に写真も貼ってなくても入社は決まっているからと言われたくらいだったので、当然のように職務経歴書なんて言うものを知らなかった。
どこの会社で、何年勤めて、何をしてどのようなことをしていたか?
持っている資格はなんであるかなどを書いて、担当の先生に見せた時はもっとモリモリに盛りなさいと言われる。
嘘を書かなければ良いのだから、いくらでも盛れるというのである。
雑用をしていた→業務全般
機械を一人で動かしていた→機長
資材発注→資材在庫管理
新入社員の面倒を見る→新人教育担当
などなど……
三校までかかったが、嘘をつかずに盛るというのは何かと難しい。
資材の在庫管理や、発注も書いたが、そもそも他の人たちはめんどくさがってやらなかったので一番若い自分にそれが回ってきただけのことである。
新人教育担当も、それも上司たちがめんどくさかったので、新人と歳は離れているけれど、それでも年齢の近い僕が必然的に話しやすいと言うことで担当することになっただけである。
そもそも新人たちは、前職で国内大手の企業で働いていたエキスパートであって技術も能力もあり、自分が何かを教えるような必要はあまり無いのいであった。
こうして僕は盛って盛って盛りまくり、先生も認めるちょっと優秀な人間が書いた職務経歴書が出来上がるわけである。
もちろん経歴詐称の罪悪感しか感じない。
いちど書類関係は、学校に持っていき先生チェックしてもらってから送ることにした。
すでに同じ企業を受けていて、面接も終わって内定もされているクラスメイトに詳細を聞く。
面接始まって3分で内定が決まったと言う。
一緒に企業実習に行っていたので、その人がどういう人間あるかと言う事はもう既に相手にもわかっていることであり、それは僕も一緒だ。
企業実習で一緒に行っていた僕のことも、どうですかと聞いていたらしい。
クラスメイトには、もう決まったんじゃない?と言われる。
そもそもいつでもどこでも人手不足の業界であるから、常に人を募集しており、猫の手も借りたいような状況であるのは介護業界の基本である。
中でも利用者の自宅に行き、そこで介護をする訪問介護ヘルパーさんの人手不足は深刻らしく、有効求人倍率は13.1倍だそうだ。
この指とまれといったら、その指に13人の屈強な介護施設経営者が群がってくるという事である。
なぜそこまで人手不足かといえば、例えばひとり暮らしの高齢者の家に行き、調理や、買い物、掃除、入浴、排泄介助を限られた時間内に終わらせなければならない。
そしてそれを数件担当する。
給料が他の仕事の基本給より10万くらい安いという噂も耳にした。
それなら他の高齢者施設の方が良いと思うのかもしれないし、そもそも他の仕事を探すのかもしれない。
シフトが組みやすくく、自分の時間を作りやすいというメリットはあるので、ダブルワークを希望する人は、一つのしごとを訪問介護にする人も多いらしい。
話が逸れてしまったけれど、クラスメイトの話によれば、面接自体はもう形式的なものであり、入社してからのことを話す方がきっと長くなるよという。
そう知ってしまえば緊張もなく、後は面接当日を迎えているわけである。
内定した。
クラスメイトと同じで担当の課長さんに顔合わせをして、椅子を勧められ座った瞬間にぜひ来てほしいと言われたのである。
そもそもほぼ企業実習の時に決まっていたようで、僕が送った履歴書も職務経歴書もさらっとしか見てないようで、そこに書いてあることで聞かれることはほぼなかった。
どこに配属されるとか、給料、夜勤等の福利厚生の話であった。
勤務開始の日を決めて面接は終わる。
詳しい事は入社する前に、また1週間後の企業実習があるのでその時に決めましょうと言う話になった。
僕はあっさり決まったことに、そしてものすごく書くのに苦労した履歴書と職務経歴書に、まったく方触れられなかったことを少し残念に思いながら家路につく。
学校では面接の練習も散々やったのだけど、学校の先生に向かってやった練習の方がガチガチに緊張したので、目の前に10歳以上年下の課長さんがいて緊張することはなかった。
全てが終わったことに少し安堵する。
あとは少し給料安すぎるだろうと思いながら家に向かって歩き始めたのである。
話は少し前に戻る。
といってもたった1日前のだけど、面接を翌日に控えた過ごし、クラスで忘年会が行われた。
そもそも僕は翌日に面接が控えていて、あまり飲むわけにはいかないのだが、飲むより飲み会の雰囲気というのがのが好きなので当然のように参加する。
年齢もバラバラで20代から上は60代の、このクラスではあるが、それでもみんな同期であって上下関係は無いので飲み会となれば楽しい飲み会になるだけである。
基本的に僕は昔から会社の飲み会でも、いちど座ったら席は立たない。
たとえそこに上司や社長や先輩方であろうとも、ビールを注ぎに歩きまわるなんて事は一切しないのである。
だから飲み会の条件の最低限として、ビールや飲み物はジョッキで出るのが望ましい。
自分でお金を出しているのにマリオのことを気に使う気が知れない。
会社員時代はそれを面白く思わない人たちもいたらしいが、自分で払うお金で飲むのに、気を使わなければならないようなことをしたくないのである。
最も景気の良かった時代は、会社の行事である飲み会などは、会社の方で出してくれていたり、
毎月500円ずつ集めていた親睦会会費で忘年会を開催されているので、その時に払う事はなかったのだが、時代の景気の悪化とともにそういう制度がなくなって、忘年会だろうと何だろうと会社の事情の送別会まで自腹になった。
そんな中で周りに気を遣ってビールを注いだり、注がれたりするような事は絶対に嫌だった。
ジョッキで飲めば良いじゃん。
と、僕は思う。
僕が望んだように、参加者たちにジョッキが回り、幹事が乾杯の音頭を取る。
とはいっても僕は翌日面接なので、今回は節制した飲んでいたが、食べる方ではそれなりに食べてしまった。
半年以上、医者の進言によりダイエットをしているので、それを棒に振るような飲み食いっぷりだった。
過ぎてしまったことは仕方がないが、気持ち悪くなるまで食べてすごくのはよくないことだ。
それが1週間ほどお腹に鈍い痛みを感じることとなるのであるが、それは飲み過ぎだったのか、ちょっと食べたお肉が少し赤いような気がしたせいなのかわからない。
忘年会は飲み放題で頼んでいたのだが、ある一定以上の時間を過ぎると、いくら呼んでも店員さんがやってこなくなる。
これは他の店でも感じたのだけど、明らかに他の客がいるのに、例えば90分飲み放題だとしたら60分過ぎた頃から急に店員さんが呼んでも呼んでも来なくなる。
あまりのひどさに温厚の塊と呼ばれた僕でさえ、ちょっと腹を立てたりしたのだけれど、繁忙時期に飲み放題で居座られるのも迷惑だと思ってるようなので諦めた。
後日その居酒屋の系列で、前の会社の後輩と飲んだ。
その日は飲み放題にせず、まずは腹ごしらえと言うつもりで食いメイン。
忘年会のときほどではないが、呼んでも店員さんがきてくれなくなってきたので、次の店に向かう事を決め、お会計を頼む。
たまたま店員が持っている伝票に目が行く。
ししゃも。
ししゃもである。
一切頼んでいないので、店員にししゃもなんて頼んでいないと告げる。
店員がマズイと言う顔をしてフリーズする。
ああ、すいませんと言って店員はししゃものレシートを抜く。
この店は大丈夫かと思う。
個人的にはもうこの店には来ないと思いながら、他の店に行くことにしたのである。
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おまけ
この物語は、iPhoneの音声入力機能を使って書かれています。
最後まで、さらっと音声入力で書き上げて、修正してから投稿します。
以下の文は、音声入力したままのナマ原稿です。
音声入力機能がもっと正確になってくれたなら、執筆もらくになるとおもうので、機能向上を願わずにはいられません。
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企業実習を行った11月4日15超えた11月の企業実習を終えた11月。
ステージは1段階がありこれから介護福祉士実務者研修を取るための事業がスタートしたのであった。
右も左も縁もゆかりもない全く新しい世界に飛び込んだ9月。
それから早いもので2ヶ月以上活動していた。
どちらかと言えば実習よりだった実習百合だった授業もまた再び大学に戻り大学に戻り、ひたすら先生の話を聞きノートを取る日々が戻ってきた。
始まった頃はまだ暑さの残る日々だったのに、今となってはコートがコートが離せない気温と天気になっている。
ちょうどこのころからなぜだかわからないけれども気分が落ち込み始めていた。
年内に内定をもらうことが理想だと震度指導の先生は言われてるけど、正直言ってこのまま延々と学生を続けていたいと言うのも言う気持ちもある。
ので、それを終わりに向かって突き進むないといけないと言う現実や、高校時代に戻ったようなクラスを機にクラスのふいんきに毒されているかもしれない。
正確にはそんな高校時代もなかったわけで、今の方が何十倍も学校が楽しいと思わんだろう。
女性陣と男性陣の中も中も非常に良く、高齢者組にいる自分としては間違いが起きないか気になるレベルである。
ここはここはしかし息子は皆聖人聖人である聖人である。
気に病むようなことを言うものです。
それでも合わなかった人がやめたり、体力体調的な問題でとか家族の問題で対抗する人とは何人か出たそれはそれで悲しいことだけどもすでに初任者研修と言う資格を取っているので既に働き始めていると言う。ほんの数ヶ月すずかけと一緒に過ごしただけだけど人たちにはそれぞれ頑張っていってほしいと言う映画は頭に入らない。
ただ気持ちで憂鬱な気持ちでこれからの日々を過ごしそれでも面接の応募しないといけない時期がやってきた。
事業を目前とした時に時期に1週間ほど企業実習にまた行くんだけども内定している人たちはそのままそこに自分が就職する場所に実習に行く。決まってない人たちは前とは違う携帯の場所に実習に行くことになるのだけれどもそれを決めるのにもなるべく早く年内のうちに決めると言う申し入れがあったのでだから少なくとも12月には決まっていかないといけないのでトナルと履歴書を書いたり証明写真を撮ったり面接に行ったりと準備がおのずと11月末には終わってないといけないと言うことになる。実習先僕は実習先以外に面接を受けるところを探さなかったと言う。
給料体系はどこもかしこもいたり寄ったりで、高い所もあるにはあったけどもあやしすぎる。現実的なところを探した
それで実習に行ったところに面接を受けることにした。
履歴書を何枚も描き直大暴風と思う何枚も描き直室熱が高いので手が腱鞘炎になるような思いをしながら履歴書を書き上げる。職業訓練に通うことになったから持っている資格なんか普通自動車普通運転免許以外の資格で埋まったから職業訓練に来てなければそこは普通自動車運転免許だけだった。職務経歴書と言うものも初めてパソコンで作った。高校卒業児童最初の会社が倒産したときの会社に入社したときに新履歴書を書いたことを若いんだからお前の会社が倒産した時は写真も貼ってない人でいいから持ってきてくれるのでさっと描いたものだったので当然のように職務経歴書なんて言うものを知らなかった。
どこの会社で何年勤めて何をしてどのようなことをしていたのだけど、最初に書いて担当の先生に見せた時はもっと持って来いと言われ第二項第3項を作り直すと言うと思うけど、そうつかないよ居るのは何かと難しかった。
to talk later Al-Qaeda
基調と書いたが、そもそも機械を動かす人間が機械1台につき1人しかいないので必然的に来てくれた。
資材の在庫管理や発注度も書いたが、そもそも他の人たちはめんどくさがってやらなかったので自分にそれが回ってきただけのことである。
新人教育朝書いたが、それも僕の上司たちがめんどくさかったので、17歳離れているがそれでも年齢の近い僕が必然的に話しやすいと言うことで担当することになっただけである。
しかもそもそも彼たちも他のところで何でも働いてきたエキスパートであって、こたつ用しかしていない自分が何かを教えるようなことがなかったわけである
こうして僕は自分の経歴を嘘をつかないように持って持っておりまくり先生も
先生も認めるちょっと優秀な人間が書いた職務経歴書が出来上がるわけである。
正直罪悪感しか感じない。
書き上げた履歴書はいちど学校に持っていき先生チェックしてもらってから送ることにした。
すでに同じ場所を受けていて、面接も終わって内定も持っている終わっているクラスメイトがいたので詳細を聞く。
面接始まって3分で内定が決まったと言う。
基本的に時一緒に企業実習に行っていたのでその人のその人がどういう人間あるかと言う事はもう既に相手にもわかっていることであり、それは自分も一緒だよ。
なんでもすぐ下の面接の時に一緒に来ていた僕のことを一緒に一緒に自習に来ていた僕のことを聞いていたらしい。
娘と言われ、もう決まったんじゃない?と言うことだった。
そもそもいつでもどこでも人手不足の業界であるから、常に人を募集していて猫の手も借りたいような状況であるのは協会の基本である。
本当は自分でもきっと5日はともかくどうするかは決まっている物と思う。
後は形式的なもので、その先のことを話すありがと思うんだけど、そう思ってしまえば緊張もなく、後は面接当日を迎えているわけである。
内定した。
クラスメイトと同じで担当の課長さんに顔合わせをして、椅子を勧められ座った瞬間にぜひ来てほしいと言われたのである。
そもそもほぼ企業実習の時に決まっていたようで、僕が送った履歴書も職務経歴書もさらっとしか見てないようで、そこに書いてあることで聞かれることはほぼなかった。
どこに配属されるとか、給料9日夜勤等の福利厚生の話であった。
その話を回り回って私Googleとして勤務開始の日を決めて話は落ちろ終わる。
詳しい事は入社する前にまた1週間後の企業実習があるのでその時に決めましょうと言う話になった。
僕はちょっとあっさり決まったことに、そしてものすごく書くのに苦労した履歴書と職務経歴書に触れなかったある方触れられなかったことを残念に思いながら家路につく。
学校では面接の練習も散々やったのだけど、学校の先生に向かってやった練習の方がガチガチに緊張したので今晩の加藤さんがいて実は緊張することなく、あっさり終わってしまったことにちょっと残念に思いながら、それでも全てが終わったことに少しアンドマリー後は少し給料安すぎるだろうと思いながら家に向かって歩き始めたのである。
話は少し前に戻る。
といってもたった1日前のだけど、面接を翌日に控えた過ごし、クラスで忘年会が行われた。
そもそも僕は翌日に面接が控えていて、あまりにもいわきにはいかないのだがそれを飲み会の雰囲気というのがのが好きである。。
年齢もバラバラで10,020代から上は60代このクラスではあるが、それでもみんな同期であって上下関係は無いので飲み会となれば楽しい飲み会になるだけである。
基本的には昔から会社の飲み会でも僕はいちど座ったら昔は悪い席は立たない。たとえそこに上司や社長や年上の俺同世代でもビールを次に歩きまわるなんて事は一切しないのである。うんだから飲み会の条件の最低限として、ビールや飲み物はジョッキでヤコブ出るのがちょっと望ましい
ビールを次にやる気もあるなどもってのほかである。
自分でお金を出しているのにマリオのことを気に使う気が知れない。
会社員時代はそれを面白く思わない人たちもいたらしいがそんなことはしたことないので。
なぜならお金は自分人は自腹で払うからである自腹であるからである。
最も景気の良かった時代は会社の行事である飲み会などは、会社の方で出してくれていたり殿
I might ski we are going to have to meet a single
毎月500円ずつ集めていた親睦会で忘年会を開催されているのでその時に払うっていうのはなかったことが、時代の景気の悪化とともにそういう制度がなくなって言ったらしい往年会だろうと男だろうと会社の用事でやろうとしている送別会の飲み会のお金は自腹である
そんな中で周りに気を遣ってビー61ビールを次に行くような事は絶対に嫌だったからだ。
だから僕は店の角子悪い子な感じの乾杯の音頭の音はずっと空を月に1面飲み続けるのである。
とはいっても僕は翌日面接なので今回は出生した飲んでいたが、食べる方ではそれなりに食べてしまった。
半年以上医者の震源によりダイエットをしているので、それを棒に振るような飲み食いっぷりだった。過ぎてしまったことは仕方がないが、気持ち悪くなるまで食べてすごくのはよくないことです。僕はそれが1週間ほどお腹に鈍い痛みを感じることとなるのであるが、、それは飲み過ぎだったのかちょっと食べたお肉が少し赤いような気がしたせいなのかわからない。
冬場飲み放題で頼んでいたのだが、ある一定以上の時間を過ぎるといくら読んでも体がやってこないのである。
これは他の店でも感じたのはけど明らかに他の客がいるのに例えば90分飲み放題だとしたら60分過ぎた頃から急に店員さんが読んでも読んでも来なくなる。
あまりのひどさに行っ僕もちょっと晴れた空を立てたりしたのだけれど、もうでもねことを僕は悪いと思ってるようなので諦めていた。
その店を手にする後日その店の系列に前の会社のホワイトのメリットがあるのそこでは同じで飲み放題90分過ぎになるところだったので次の店に行こうとお会計を頼むと1番目に思っていた弟子ししゃも
ししゃも。
うんうんと思った。
長石さん俺だとしてもなんで頼んでないよ俺たちはししゃもなんて頼んでないんだけどと体に言うと、体が一瞬フリーズ天台宗フリーズする。改行改行改行
ああすいませんと言って令和そうそううん、大丈夫かとお店は大丈夫と思う。
個人的にはもうこの店には来ないと思いながら他の店に行くことにした
待つけど。




