019 前の投稿から随分と時間が経ちましたが、みなさんお変わりはないでしょうか? 私は相変わらず無職ですが、何もして無かったわけではないのです
職業訓練始めました
失業して10ヶ月が経った。
8月に投稿して以来、全く更新することもなく5ヶ月近く経ってしまったのだけど、その間に何をしていたのかと言われれば、職業訓練校に通っていたのである。
7月末に受けた介護職の職業訓練選考試験に受かったからだ。
選考試験の問題は、中学卒業程度の内容である数学と国語の2教科と、面接だったのだが、受けた当初はこれは無理だと思っていた。
中学卒業程度の学力といっても、小学校で習った算数を理解していなければ、中学校の問題など出来るわけがないので、小学校6年間の内容を1冊にまとめた国語と算数の参考書を購入。
足し算や引き算、掛け算に割り算は、できなければ日常生活に支障が出て、高卒とは言えど会社勤めもむずかしいので、27年間会社勤が出来ていた自分は問題ないレベルだったが、分数の計算は使うこともないのですっかり忘れていたのである。
まずはその辺から始めたのだけど、本当に理解できていなかった。
小学校の図形の証明、そして中学生位からの問題は参考書を読んだところで、理解できるものではない。
だからYouTubeで解説動画を見たりしたが、それでもそもそも何を言っているかわからない。
√と言われてもそれが何であるかがわからない。
だから数学は算数の段階で諦めた。
残る希望は国語であると、漢字の書き取りと読みにすべてをかける。
職業訓練を受けるにあたっては、選考試験が最大の関門であるとネットでも書かれていた。
就職するために税金を投入して勉強を受けさせるわけだから、その適性を見極めようと言うのは当然と言えば当然のことである。
試験勉強の幕開けであった。
しかしグズグズとしていたので、本格的に机に向かったのは一週間前であった。
それでもふと思い出したかの様に深夜徘徊に出かける。
血糖値の問題で、医者から体重を落とすようにと7月に医者に言われた僕は、試験勉強の傍ら午前0時ぐらいから、三時間ほどウォーキングを始めていた。
ひたすら早足で人気もない闇の中を、歩き続ける。
100%ほぼ不審者である。
しかしその甲斐もあり、食事制限をしてキャベツを主食にしたおかげか、体重は順調に減り続けて2ヶ月で14キロ落とす事に成功したのである。
そして試験当日。
就職の面接様にと7月に購入したスーツを着て、ネクタイも締めて革靴を履いて受験に向かった。
買った当時は体重が約100キロだったので14キロの減量した今では、試着した時にしか腕を通していないのにブカブカであった。
高かったのに。
会場で試験を受けたのは45人だった。
受かるのは30人である。
試験開始とともに問題全体を確認し、解ける問題からやっていくのはセオリーだ。
問題用紙には数学と国語の問題が半分半分載っており、先に数学の問題が並んでいる。
単純な計算問題はできそうだった。
しかし、文章問題はそもそもどうしていいか、何をさせたいのかわからないレベル。
六十分と言う試験の時間を考えて、後半の国語の問題からやることにした。
漢字の書き取りがあるかもしれないと思っていたが、ほとんどが選択問題でマークシート式。
だいたい解けそうな問題。
微妙な問題は選択問題なので全て勘に任せて回答する。
40分を残して国語を終える。
数学の問題も、計算問題はそれなりに考えて答案用紙にチェックしたが、文章問題は何となく記入するしかなかったのである。
試験の後は面接が持っていた。
面接を受けるのは20年ぶりであり、正確に言うならば就職するのが決定事項だったので、本当の意味での面接は27年ぶりである。
僕は当たり障りのない答えを心がけた。
しかし、自分がこれから受けようとする介護の職業訓練についてそもそもの理解が足りない部分があり、それを答えることができなくて、「そもそもお前何しにきたんだ?」と思われても仕方がない面接だったと今になって思う。
だからこそ、これは落ちたなと思った。
だけど8月に届いた合格通知には、どうして自分がで合格できたのかわからなかった。
結果として9月から学生生活が始まるのである。
半年間に及ぶ職業訓練。
最初の目標は2ヶ月間で、介護福祉士初任者研修の資格を取ること。
1カ月間はひたすら朝9時10分から、16時40分までひたすら座学である。
高校卒業して27年。
工場勤務だったので僕は1日中立っているのは問題なかったが、1日中座り続けると言うことにな苦痛である。
2日目にしてお尻が痛くなっていた。
クッションを持ち込んだりしたのだが、お尻がちぎれそうな思いをした。
授業自体は介護の制度や、介護職としての職業倫理、認知症と老化についてなど、ひたすらテキストを読んだり、グループワークで自分の意見を出したりした。
糞ブラックで長いこと働いてきたので、このグループワークというのがとても新鮮だった。
自分の意見を聞いてくれて、それについて話し合うのである。
務めていた時の会社の会議で上司がこう言った。
「何かこの問題に対して意見はないか?」
まだ若かった僕が発意見を言うと上司はこう言った。
「オメェなんかには聞いてネェよ」
それ以来、僕は会議や打ち合わせで発言するのをやめた。
と言うか、誰が発言しても社長は否定する事から始まって話をするので、誰も発言をしなくなった。
後半は社長も気がついたのか、
「俺が出ると誰も意見を言わないから会議に俺は出ない」
と言う様になり、会議自体が無くなったのだけれど。
グループワークの他には、自分自身のキャリアアップをするための自己PRの仕方や、話し方についての授業なんていうのもあった。
3分間をきっちり使って、自己PRをしなさいと言うのがあった。
3分より短くても長くてもだめなのである。
僕は自分自身が話すスピードで10秒の文字数を割り出し、それを18行に収まる分量でプラスマイナス0のレコードヲ叩き出し合格点をもらう事ができたのだが、それ以来講師の先生方の中で僕の評価が変な上がり方をするのはまた別な話であった。
当然のことではあるのだけれど、工場勤務の印刷工という立場とは全くありえないくらい、文章を書く機会が多くなった。
授業の板書。
ハローワークへの書類。
履歴書。
職務経歴書。
企業実習先への上申書に、自己PR文や御礼状。
世の中はペーパーレスの時代なのに、自筆で書くことを要求される。
職務経歴書だけは「パソコンも使えますよ」アピールで、パソコン使用が認められたが、それ以外は許されない。
僕は酷い悪筆で、自分でも読めない時があるので、できることならすべて自前のiPadでやりたかったのだが、人間性を見せ、企業側に好印象なのは肉筆であると譲らない。
そして、求められるは行間と文字サイズ、字間さえ綺麗に見栄え良く美しく書かれた文章である。
後に私が本番で履歴書を書いた時、たった一枚の完成を得るために、数時間と腱鞘炎、10枚の失敗作を生み出すことになったのである。
つづく
正月休み中にいま現在まで書く予定です
介護福祉士初任者研修
全身性ガイドヘルパー 車椅子
同行援護ガイド 視覚障害
ケアコミニュケーション検定
とりました




