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016 社員の人数数名なのに手取り13万とかで、雇おうとする経営者の会社は倒産しても仕方ない

おかねのきれめがえんのきれめ

 4月7日に前話を投稿してから随分と時間が経ってしまったのだけども、その間何をしていたのかと言えば、何もしていなかったとも言えるし、急転怒涛に日々であったとも言えるのである。

 四月の終わり、もう平成も数日で終わるという頃に母方の祖母の危篤を知らせる電話が母親の一つ下の妹である叔母さんから留守電が入った。

 そもそも自分も両親も祖母とは十年ほど会っていない。

 入院していたとは言え、自宅は歩いて一分の距離にあるのだけれども、それぞれに生きていくので精いっぱいで自分の体も不調もあったり、好きなパチンコに行っていた方がマシと言う判断もあったり、祖母がまだ元気であった頃の細かないざこざと言うのもあったようで、僕の母は頑なに祖母に合いに行こうとはしなかった。

 僕はと言えば借金があって首が回らなかったり、親戚自体に顔を合わせたくないという事もあって、会いに行く事は無く、そんな感じで親戚とも疎遠になっていったので、尚更の如く顔を出すことも無くなって、連絡が来ることも無くなったのである。

 時折、祖母はいま何歳だと思う事はあったのだが、以前あった時でほぼ九十だった気もしない事も無く、そうすると100歳越えをしていることになるんだけれども、ボケは進行しているという話を聞くことはあっても、体のどこが悪いとかいう話は全く聞いていなかったので、何も連絡がないという事は元気であるのだろうとずっと思っていた。

 しかし、わが家は留守電がフル活動していて、日中家にいる我が母が、一切電話に出ないという事を知ってからは、祖母はもう死んでいて、その連絡に出ないために、わが家に祖母の死を知らせる連絡が通る事も無いので、実はもう亡くなっていて、葬儀も終わっていたりするのかも知れないと考えた事はあった。

 そして祖母が生きているという話に確信を持てたのは祖母が危篤であるという電話だったのである。

 危篤を知らせる電話の数時間後、明け方に祖母が亡くなった事を知らせる電話が立ち会った母の妹の叔母さんから電話があった。

 もちろん我が母は朝起きてから、祖母の死を留守電で知る事となった。

 

 祖母は99歳であった。

 友引で火葬場が休みの関係で、丸一日斎場に運ばれた祖母の亡骸を前に何もするわけでもなく親戚が集まって過ごす時間があった。

 99年も生き、最後の十年と少しは病院のベッドの上に徘徊するので固定されて過ごす日々であり、いまさら泣き崩れるような人もおらず、叔父や叔母も大往生だなと言う雰囲気だった。

 叔父や叔母の中からは後1年100歳だったのにとか、残り数日で新しい元号である令和になり、大正、昭和、平成、令和と言う四つの時代を生きたのにとか、そんな無責任な話していたくらいである。

 葬儀自体は、祖母の危篤を知らせてきた叔母の旦那さんがもともと祖母の葬儀を行う斎場を経営するグループで働いており、定年したあとも再就職で数年間は働いていたプロである。

 きっと今現在働いている人達の中にも知り合いがいたり、叔父さんがOBであるという事を知っている人も多いだろうからやりずらいのだろうなとは思った。


 葬儀と言えば親戚の中で揉め事があったりするのだけども、今回は喪主である母親の兄弟姉妹の中で唯一の男子であるおじさんが喪主であったので、親戚一同人前に立つのが苦手なおじさんを支えるべくあまり自分の我を通すこともなく、心の中では何を持ってたかわからないが割と何事もなく終了したと言えるだろう。

 元斎場の職員であった叔父さんが仕切った事もあるだろう。

 身内だけの家族葬だと言うことで、葬儀会場の規模は小さかった。

 しかし斎場OBの叔父さんがこれだけは奮発したと言う薄桃色の棺は、おばさん達から可愛いと言う言葉が連発するくらい見事なピンクであった。

 祖母の遺体に着せる服もピンク。

 棺にかける布もピンク。

 ピンクづくしだった。

 お通夜は三十分もかからず終わり、告別式の日は平成最後の日。

 葬場に行くと思った以上に多くの人が火葬場にはいた。

 前日は友引だったと言うこともあり休業だったので、そのせいもあるのだろうけども火葬場は窯がほぼ埋まってフル稼働だった。

 今まで一度も行ったことのない火葬場だったので、いろいろと見て回ったが、基本的にはどの火葬場も規模は多少違ったとしても、つくりは基本的に同じである。

 自分は窯から出てきた骨を拾い骨壺に入れていくときに、入りきらないからとゴリゴリと砕くのを初めて見た時以来、少しトラウマものであったので、苦手だったのだが、祖母の骨は意外と思った以上に残らずに、砕くことなく骨壺に収まってくれた。

 祖母が気を使ったかどうかは解らない。


 葬儀も終わり初七日も終わりやっと落ち着いた頃に、全く知らない番号からスマホに電話がかかってきた。

 出てみるとそれは倒産した会社で一緒に働いていた営業の部長でからだった。

 内容は倒産した会社の社長が僕と連絡を取りたいと言っているので、社長に電話をしてあげてほしいという内容だった。

 教えてもらった社長の携帯に電話をしてみると、倒産した会社の建物から機材を搬出するのでそれに付き合うバイトをしないかと言う。

 別に僕は何もすることは無いのだけど、社長は色々と所用があって、ずっと立ち会うことができないので、代わりに立ち会って欲しいという。

 自分が無職なので当然のように時間はあるのでそのアルバイトを引き受ける。

 当日指定された平均的な社会人が出勤するより一時間ほど早い時間に行ってみると既に社長が来ており、搬出を行う業者さんも勢ぞろいしていた。

 搬出するメインの機材の分解は1日がかりとなり、二日目に搬出するのでアルバイトも二日間である。

 社長と僕は解体されていく機材を見ながら近況などを話す。

 仕事を見つかりそうかと聞かれたが、条件の良い所が無いと答えた。

 探そうにも給料が安くて、求人の平均は15から17だったと答える。

 それを聞いた社長はそうだろう?ウチはむしろ高い位だったんだぞと言う。

 社員の中にはいろいろ文句もあったかもしれないが、現実的には他の会社なんて、そんなもんなんだろうとも言う。

 個人的には心の中で、イヤそれはうちの会社は給料高いんじゃなくて他の会社が安過ぎるんだと思ったがそれは言わないでおくのが大人である。

 法人の破産に450万。

 個人の破産に60万。

 新築マンションも、社員に冬のボーナスが出なかったのに新年早々買い替えた750万の車もすべて持っていかれた。

 それでも倒産二週間前までは会社を続けていこうと思っていたという。

 いろんな支払いが滞って、資材を買う事が出来なくなり、色々と深く付き合いのあった会社にも見捨てられ、このままでいっても社員に給料が未払いの中で働いてもらう事になり、さすがにそれはもう無理だろうという事であきらめたらしかった。

 作業自体は何事もなく進んでいく。

 会社がやっていた頃はものに溢れて狭かったが、二日目の夕方には工場から全てが無くなり、広々とした空間の中で社長は一言ぽつりと何もなくなっちゃったなぁと言った。

 仕方ないのでまたやればいいじゃないですか、何回だってできるやり直すことができますよ。

 マネーの虎と言う昔あった番組に出ていた社長さん達も、今はみんな会社を倒産させたりしても再起して、新しいことを始めたりしてるじゃないですか。

 などと社長を慰めるのだけども、社長はもう自分でやるのは嫌だと笑った。

 バイトも終わり、何かあったらまた呼んでくださいと言って別れた。

 後日、弁護士事務所を通してバイト代が入金されたのだが、予想以上に金額が多くびっくりした。

 たった二日間でこんなに貰えるならば、何度でも行きたいと思う。

 もともと働いてたときの給料を元にして払ってくれたようだったから、残業もしているので多くなったらしい。

 本来ならば、残業代がない会社だったので、会社が倒産して無くなってから残業代を貰えたというオチ。



 弟は人間の屑である。

 とにかく金に来たなくて、家賃の滞納を繰り返したり。

 店長をしていた店の金をちょろまかして、会社を解雇され、弁償する金を親から借りたり。

 他にもとにかくここには書けないような事を繰り返し、そのたびに親に迷惑をかけていたのだから、親に絶縁されたのは親に絶縁されたのは当然のことと言えるだろう。

 と言うわけで、家族の中で連絡を取れるのは、僕しかいないので当然のように僕のとこに連絡をしてくる。

 たいていは金を貸してくれと言う連絡なんだけど今回は少し様子が違った。

 弟は転勤することになったと言う。

 なんでも滋賀県で、いま働いている店の新店舗ができるので、そこに昇進をして行くことになったと言う。

 そんなわけで、転勤先の住居であるアパートの連帯保証人になってほしいと言ってきた。

 今住んでいる旭川のアパートの保証人にはすでに僕が僕が保証人になっていたのだけども、金に汚くて滞納を繰り返し、過去に大家から訴えられそうになったこともあり、現実にアパートを追い出されることもあった弟の保証人になったところで、自分に何のメリットもないし、むしろデメリットしかない。

 それでも他に保証人になる人人間がいないので、仕方なく僕が保証人になっていたんだけど今回の転勤でその保証人の役目が終わるものだと、お役御免と喜んでいたところにまた話が転がり込んできたのでである。

 正直言ってかなり迷惑である。

 転居先のアパートの保証人になってくれと言われたが、自分は現在失業中で保証人になれないと言うことがわかり、弟と絶縁関係にある親父しか頼める人間が終わるいないことが解ったのだが、親父に頼もうものなら断固拒否されて電話に出ることもなく、賃貸借契約書を送られてきたところで一切記入する気がなかった。

 もう既にいろいろ積んでしまっているので困っていた。

 こちらとしては転勤なので、会社の方で見てくれてもいいような気もする。

 いやむしろ自分が働いていた倒産した会社でも、転勤となれば引っ越し費用に、引っ越し先の住居も用意はしていた。

 過去の弟の所業からして、微妙に節々に疑惑を感じないわけでもないんだけどもこちらとしては証明する方法がないので弟の言うことを信用するしかない。

 まぁ信用は全くないんだけど。信用は全くないんだけど。

 ニッチモサッチもいかないので、もうこれは不動産屋か保証会社と交渉しなんとかするしかない。

 このまま話がもつれてしまうと、弟は解雇とは言わないまでもそれに近い扱いを受けて無職になられても困るのだ。

 そこで僕が提案して、2ヶ月なり3ヶ月なり家賃を保証金として先に私で渡してそれで何とかならないか交渉するように言う。

 自分なら何とかなる思う。

 結果としては半年分なら何とかなると言う。

 しかし半年分の家賃と言えばかなりの代金である。

 自分の口座に入っている黄金期の残金の1割を超えてしまう。

 しかしもはや他に方法は無い。僕は一言も文句を言うこともなく弟の口座に250,000円を振り込んだ。

 しかしここまでしてやて、弟から助かったとかありがとうとかそういう感謝の言葉は言葉は一言もない。

 まぁパチンコで負けたと思うことでしょう。


 

連帯保証人には親でも兄弟でも

ならないほうがいい


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