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010 ダイヤモンドの屑をいくら集めたところで屑であることには変わりはないのだけれども、その屑をまたダイヤモンドの塊と同じ価値を持たせることが出来る人が現れるかもしれない。

それはきっと僕とは全く関係のない人なのは間違いない。

 無職18日目。

 お金が無くて、何もできずに無為な日々を過ごしている。

 「仕事を探せ」という最大の緊急クエストが目下の課題としてあるのだけれど、それも先立つものが無ければ何もできないと言うのが現状である。

 車を走らせようにも、ガソリンが尽きる前に給油せねばならないし、その他もろもろ生きていくためには金が必要なのだ。

 幸いにして、手続きをしていた退職金の振り込みが3/22に決定したというお知らせのはがきが届き、ひとまず滞納しているもろもろの支払いを何とかするめどが立った。


 20年分の退職金、320万ほど振り込まれる。

 320万と言うのは多いのか少ないのかどちらなのだろうかと言えば、少ない気もしないのだけど、まあ中小企業に勤めていたわけだから貰えるだけありがたいと思っておくことにする。

 入金された時点で、家に入れる金が10万、親から借りた4万、生命保険二か月分で4万、ネットプロパイダー料金二か月分18000円、あと正確にはまだいくら払うか解らない国民健康保険料と国民年金料金もある。

 そして、弟から金がないので貸してくれと連絡が来て2万。

 これだけの金が一瞬にして消えていくのである。

 世知辛い世の中であると言えるだろう。

 

 弟は外道である。

 小学校で日本の学歴社会に見切りをつけて自主退学し、それ以来孤高の自宅警備人として、日夜なぜか僕より広い自室の中でゲームとアニメとマンガに囲まれて生活していた甥っ子の孫市を、自らが勤めるラーメン屋にアルバイトとして入店させた。

 最初は孫市の社会復帰を促す為に、叔父として力を貸そうかと思ったのだが、実際は孫市のバイト代をピンハネしていた外道であった。

 名を鰹(仮名)と言う。


 他にも万引きで警察に捕まったり、ゴミの不法投棄で警察に捕まったり、勤め先の金に手を出したのがバレて訴えられそうになったり、住んでいたアパートを家賃滞納半年で追い出されたり、パチンコで借金330万円を作ってしまった僕が言うののもあれなのだけど、実に金に汚い男である。

 金にまつわる話はもっと沢山あるのだけれど、兎にも角にも困らされる身内である。

 そんな弟もあるころから糖尿病を発症し、過去に何度も入院しているようで、二年前には関係があるかどうかは解らないが腹膜炎で緊急入院して手術を受けたり、その直後から網膜剥離も発覚してかなり状態が良くないようである。

 

 今回、会社が倒産し、失業したという事をラインで伝えると、そんな給料未払いの僕に金貸してくれ、病院代に15万かかった。失明したら養ってと返してきた。

 過去に何度も何度も親に金で迷惑をかけていたという事や、甥っ子からピンハネしていた事もあり、親から絶縁されている状態なので、何かあれば僕のところに連絡してくるしかないのだが、金の無心も今となっては僕しかいないのであった。


 もちろん無い袖は振れないので、口座には何十円しかない事や、財布の中にも500円しかないことを告げたのではあるが、鰹が住むアパートの保証人に僕が鳴っているという事もあり、どちらにしても火の粉が降りかかってくるのならば、払えるうちに払っておこうと思うのも無理の無い事であった。

 ラインで延々と言い争いを繰り広げても不毛であると考える平和主義者の僕は金が入ったら貸してやると告げるしかなかったのである。


 いまでこそそこまでやりあう事も無い兄弟であるが、昔は酷く仲の悪い兄弟だった。

 鰹は今ではすっかり中年太りがひどいただのオヤジだが、小学生の頃からクラスメイトの女子にストーキングされるほどのイケメンであった。

 バレンタインデーでは冷蔵庫に収まりきらない程のチョコレートを持って帰り、サッカーの推薦入学で入った高校では成績優秀でもないのに卒業式では卒業生代表であいさつしたりと、廊下ですれ違った教師にお菓子があるからと職員室に誘われるほど教職員にも愛されていたそうで、卒業式に出席した母親が担任の先生に卒業生代表になったことの栄誉をほめたたえられたという。

 そんな愛されキャラだった弟がどこで道を誤ったのかと言えば高校を卒業して就職してからだったろう。

 

 最初に勤めたのは市内でも有数のホテルだった。

 ある芸能事務所では札幌に所属タレントが行くことになると、そのホテルを定宿にしているほどの老舗ホテルで、Barに配属されバーテンダーをやっていた鰹はそのタレントさん達の接客もしたという。

 鰹は高校生の時に某東京の芸のプロダクション主催のオーデションに応募したことがあったが、書類選考を通過して東京で行われる二次審査に来てくださいと言う合格通知を母親が鰹が気が付く前に廃棄した事があったので本人は目の前にいる大御所ともしかしたら一緒に仕事をする機会があったかもしれないという事は知らないのだが、どんな気持ちで接客していたかは僕の知るところではない。

  そんな芸能界の大御所も来るBarであるから、当然の様に地元で小金を稼いだ人達もやって来ることがあり、その中で若者向けの洋服屋を市内と東京圏に数店経営している社長と知り合い、引き抜かれることになり二年ほど市内で働いた後、東京勤務となって上京していったのである。

 

 没落はそのあたりから始まった。

 服屋である。

 ノルマがある。

 こなせないから、ボーナスで自爆買いする。

 ボーナスで足りないからカードでキャッシング。

 最悪の連鎖。

 その洋服店を辞めるころにはかなりの借金がのこったそうであった。

 鰹はそのとき、高卒で働くことの限界を悟ったようで、使う側に回ればいいじゃんと考えたようだった。

 親を説得して、洋裁の専門学校の夜間部に教育ローンを使って入学してローンは親が十年かけて払う事になったのは別の話である。

 専門学校に教育ローンで入ったところで、生活費までは賄えないのでアルバイトをすることになり、まさか洋裁の専門学校で学ぶために始めたラーメン屋のアルバイトが生涯の仕事になろうとは親はもちろん本人さえも思っていなかったのである。


 親が十年かけて払う事になった教育ローン200万は、ドブに捨てたのと同じことになったのである。


 その後は飲食関係を転々として基本はラーメン屋であったが、洋食、居酒屋、定食屋と渡り歩き、35歳になる頃には店長として人を使う立場にもなっていて、店の金をちょろまかして解雇されるというオチだった。

 結局は40を迎える前に地元に戻り、また飲食関係で働くのだが、長続きすることも無く、借金と滞納で逃げるように地元を離れていったのだけど。


 今は某有名動物園のある街で、カフェの雇われ店長をしているはずであり、いま暮らしているアパートの保証人になってやるのが私しかいなかったのである。

 糖尿病に由来する病気で孤独死した時、部屋の賠償金が僕のところに来てしまうので、まさかの時はぜひ外にいてほしいと思う今日この頃であった。

 

 正直、いままで好き勝手生きてきて、困ったからと頼られても、銀玉遊戯で330万の借金を作って任意整理した僕だとしても、四年半の歳月をかけて返済し、それ以外は人道にも劣るブラック企業でコツコツと生きてたと言う自負もあり、そのささやかな人生を振り回されるのは御免こうむりたいのである。

 縁を切りたいのが本音である。

 失明しても、四肢を切断することになっても、一人で生きて勝手に死んでほしいと願う。

 他人に迷惑をかけないように。


 甥っ子の孫市はニート。

 孫市の母親で、私の姉は失踪中。

 

 僕が親父に借金があり、もう首が回らないので任意整理すると告げた時に帰ってきた言葉。


 「子供三人いて、誰もまともに育たなかった」

きょうくん

けいかくせいがだいじだよ だけどけいかくしたからといってうまくいくとはかぎらない

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