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008.56 初恋

ときにはむかしのはなしをしたり

「杉岡さんの初恋の相手って、どんな子でした?」

 会社の休憩室で昼飯を食べていると、向かいあって座っていた後輩の伊藤君がそう言った。

 後輩と言っても、彼は若くして自らの部署を仕切る役付きであり、直属ではないものの社内的には上司であるので、僕は過去のセンチメンタルな思い出を話さずにはいられなかった。

 「幼稚園の頃に、担任の先生だった佐藤美香子先生であります。おっぱいがとても大きくて、短大を出たばかりのとてもお美しい方でした。子供という身分を利用して、よく先生に抱きついた時の感触は今でも楽しい思い出となっております」


 僕がおどけたように言うと伊藤君は激しく、そして正しくツッコミを入れてくれた。


 「おっぱいが好きだっただけでしょう!? ただのエロガキじゃないですか!?」


 なかなか良いツッコミだと思いながら僕は弁当のタコさんウィンナーを口に放り込む。


 「ほら、隣の席の子を好きになったとか、幼なじみとかありきたりなのがあるじゃないですか?アニメのヒロインとか、アイドルとかは無しで」


 「いいかい、伊藤君。こう言う話は人に話させる前に、自分の事を話すのが大人のマナーだ。 だいたい、いきなり初恋の話なんて、何かあったのかい?」


 会社内の格付けではすでに先を越されたが、12年も先に生まれた者の年の功として、僭越ながら一言いわせていただいたのである。


 「……僕の場合は、小学校一年生の時に隣の席になった子でした」


 まぁ、ありがちな話だと思いながら僕はニヤニヤしながら伊藤君の話を聞いた。


 「ほら、僕の地元って田舎じゃないですか?だからクラスメイトに女の子はその子しかいなくて、小学校の6年間ずっと同学年は彼女だけだったんですよ」


 そう言えば以前に聞いたことがあるのだけど、伊藤君の実家の近くにはジャスコまで100キロという看板が立っているというほどの僻地であった。

 冬に吹雪けば学校帰りに遭難してしまうと言うことで、先生達が手分けして車で生徒を家まで送っていたという話である。


 「どんな子だったの?」


 伊藤君と一緒に働くようになって既に7年の歳月が過ぎたのだけれども、伊藤君に彼女が出来た、もしくはいたという話は聞いたことはないし、そもそも伊藤君の好みがどんなものであるかと言うことすら私には解らなかった。

 当然のように伊藤君もまた、僕の好みは知らない。

 それはすでに僕ですら解らなくなっているのであるから、当然と言えば当然のことであったと言えるだろう。


 「普通ですよ。普通」


 「……田村君の普通が解らないよ。明るいとか、目が大きくて可愛らしいとか、おっぱいが大きいとか、好きになった理由というものがあるだろう?」


 「小学生におっぱいの大きさを求めないで下さいよ。どんだけおっぱいが好きなんですか!?」


 「馬鹿野郎!!小学生のおっぱいを舐めるんじゃねぇよ!! 俺の同級生だった鈴本さんは、小学五年生の時点でDカップはあったぞ」


 「舐めたらそれは犯罪です!! だいたい僕はその鈴本さんを知りませんし!!」


 僕はさわやかな笑顔でナイスツッコミと親指を立てて答えたのである。


 「で、その普通さんがどうかしたの?」


 「そうなんですよ。最近、フェイスブックで彼女が登録しているのを知りまして、友人登録なんかになっちゃったりしたんですが、結婚して子供が三人もいました」


 「それはそれは、ご愁傷様だな」


 「なんか、リアルに歳をとっているなと思ったりしたわけですよ。僕なんかはずっと二十歳くらいの気分でいたのに。彼女はずっと地元暮らしで、出来ちゃった婚だったそうです。一番上の子は、もう小学生になったそうですよ。まぁ、他に楽しみなんて無い場所ですし。街道沿いにラブホテルはたくさんありますけど。そう言えば、僕らの地元じゃ初体験は、だいたい近くの草原ですね。いいぐあいに草が生い茂るんですよ。お金のない高校生なんかはみんな草原です」


 「まぁ、うちの会社って新入社員がほとんど入ってこないから、七年選手の伊藤君が男子では一番の若手という現状だから仕方ないよな。さて、俺は昼寝するから」


 僕は食べ終えた弁当をかたづけると、駐車場に止めてある車の中で寝るために休憩室を出たのだった。


 「ちょっと、先輩の初恋の話は?」


 伊藤君はそりゃ無いだろうという顔をして僕を呼び止めた。


 「甘酸っぱくて、ほろ苦い話なんか、飯を食った後にしたいものじゃないさ」


 僕はそう言って休憩室を出ると後ろから、ほろ苦い話しか無いじゃないですかという田村君の抗議の声が聞こえたのだけど、実に鋭いツッコミだと思いながらも僕は無視したのだった。

 自分の車に行き、運転席のシートを倒して横になる。

 目を瞑り、瞼の裏に浮かぶのは僕の初恋の相手の顔だった。

 長い月日が経った今となっては、その顔も朧気であり、果たして本当に私の初恋の相手が本当にそんな顔をしていたのかも確証はない。

 伊藤君と私は漫画やアニメや小説や映画が好きだという共通の嗜好があるのだけれども、内容に関しては趣味が全く合わないと言って良い。

 僕は暗く重い内容のものが好きなのだけれども、伊藤君はそう言う内容のものは精神的に感染してしまうので好んで読んだり、見たりしないと言っていた。

 気分が沈んで何が楽しいのかと。

 それを知ってリうからこそ、僕の初恋の顛末を伊藤君には話さない。

きょうくん

おもしろいだけがじんせいじゃない

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