食べる
病院から帰ると、琴子ハルのゲージに小鳥用のヒーターをつけてやった。今週初めから気温がぐっと下がり、最高気温も20度を下回っている。
ハルはこの夏に体調を崩したため、家族みんなが常に様子を気にしている。インコは寒さに弱い生き物なので、夏場でも温度管理には気を遣ってきた。「メガバクテリア」という菌に感染したとのことで、1か月半ほど抗菌薬を服用させ、今は菌もいなくなり、すっかり元気になった。生まれたての鳥は、親鳥が吐き出したエサを口移しで食べさせてもらう。この際、親鳥が保有している菌が赤ちゃん鳥に感染するらしい。感染してもすぐに症状がでるわけではなく、年に数回ある羽の抜け替わりの時期など、体の抵抗力が落ちた時に具合が悪くなる、とのことだった。ペットショップで売られている小鳥たちは、卵の段階から人間に管理されて、生まれてからも人間にエサをもらうものだと琴子は思っていた。なので、この話を獣医師から聞いたとき、ハルにも親がいて、わずかの間でも親から世話をしてもらっていたのだ、と、なんだかじーんとしてしまった。ハルはもう自分の親のことを忘れてしまっただろうか。人間からもらうものとは違う、親と子の間だけの特別な愛情のことを。
ハルは無邪気な顔をして、カツカツと音をたてながらエサを食べ始めた。
昼12時近くなり、琴子は昼食の準備を始めた。昼食はいつも、朝炊いて冷蔵庫に入れておいたご飯を温めたものと、杏子と雛子が持っていく弁当のおかずを余分に作ってもらったものを食べる。
昼食を食べながらテレビをつけると、俳優が列車で日本中を旅する番組の再放送をしていた。この番組は海外バージョンもありたびたび再放送されていて、琴子は好きで何度も観ている。これを観ていると1日のほとんどをこの家で過ごす琴子が、自分も一緒に日本中、世界中を旅しているような気分になれた。しかし同時に、こんなにも狭い世界だけで生きている自分が惨めにも思えるのだった。いつか自分も、こんな風に旅したりできるだろうか。いつか…テレビの画面を見ながらご飯を口に入れ咀嚼すると、涙がはらはらとこぼれた。泣きながら、食べる。心が苦しくて、別に食欲など無いのにそれでも食べる。食べないと生きていけないから。でも、生きたいのか?死ぬことを想像することが度々ある。それでも食べることを止めないのは、自分はまだなにかに期待しているからなのか。
琴子は食事を食べ終え、ティッシュで鼻をかんだ。お茶を1口飲んで、大きく息を吐く。テレビの中の俳優は眠そうな顔をして早朝の列車に乗り込み、また旅を始めていた。