喪失
午前10時頃、病院へ行くために琴子は家を出た。空は薄曇りで、もうすぐ雨が降りだすかもしれない。2週間に1度、琴子は通院している。体調の良い時期は月1回のこともあったが、今年の7月初め頃からまた間隔が短くなった。
車で15分ほどの場所にあるその医院は、街中のオフィスビル1階の1番奥にある。とても静かなところで、待合室にテレビは無く、ごく控えめにクラシックが流れている。白いソファーがゆったりと配置され、ところどころに季節の草花がさりげなく生けてあった。普通の病院とは違う静謐な雰囲気で、琴子は気に入っていた。
琴子がこの医院に通い始めて、今年の夏で5年目になる。
ここに来るまで、身体の異変に気づいてからすでに1年が過ぎていた。仕事はだましだまし続けていたが、辞める半月前、遂になにも出来なくなった。本当になにもかも。
食事がとれずやせ細り、外に出るだけで恐怖のあまり震え、涙が止まらなくなった。夏の太陽の日差しが、その暑さが恐ろしかった。心臓の鼓動が激しくなり、吐き気を覚える。
最初の頃、琴子はとても1人では通院することができなかった。母親の杏子に手を引かれ、やっとの思いで駐車場から医院の入口までを歩いた。診察室にも杏子と一緒に入り、医師のカウンセリングを受けたが、琴子は最初ほぼ言葉を発することが出来なかった。話の内容が理解できず、自分の声も言葉も失っていた。医師から問いかけと説明があり、毎回いくつかの薬が処方された。
ただただ寝て、ほんの少し食べて、薬の錠剤を飲み込む。それだけの日々だった。
目の前に半透明の薄い膜があり、覗くと死が透けて見えていた。その膜はとても薄く、少しでも触れれば今にも穴が開きそうだった。涙が1日中流れたが、泣いても泣いても枯れないのが、なんだか不思議に思えた。
あの状況からどういう経過を辿り回復していったのか、今になって考えることがあるが、記憶がぼんやりとしてうまく思い出せなかった。
この5年の間に体調が良くなり、3年半ほど社会復帰もしていた。服用していた薬も減っていき、このまま順調に回復していくのだと思っていた。しかし、今年の夏の初め、忘れかけていたあの感覚が戻ってきて、あっという間に状況は後戻りしてしまった。いったい、どうしたというのだ。なにが悪かった?琴子の目から、再び涙が流れ始めた。
3か月仕事を休んだが体調は戻らず、9月の終わりに退職した。
琴子はこの冬で36歳になる。同級生の多くは結婚し子供もいて、皆忙しく日々を過ごしている。独身の琴子はそれだけでもめずらしい存在なのに、おまけに無職で母親と妹に養ってもらっている。わずかにあった貯金も、必要最低限の暮らしをしていても、通院費や保険料や雑費にあっという間に消えていく。
お金も仕事も健康な身体も、わたしにはなにも無い。安定した平和な暮らしも未来への希望も無い。明日すら来ない気がする。わたしは、ここまでなのかもしれない。琴子は思った。
「佐伯さん、どうぞ。」医師に呼ばれ、琴子は診察室に入った。
「いかがですか?」医師が問いかける。
「はい。この前よりも落ち着いて過ごしていると思います。発作も少なくなりました。でも、外に出るのはまだ緊張します。毎日少しでも外出するようにはしていますが…」琴子が答えた。
「そうですか。少しずつでも、毎日外に出ているのは大変いいですね。疲れない程度にやっていきましょう。食事と睡眠はとれていますか?」
「はい。とれてます。」
このようないくつかのやり取りがあり、今日もいつもと同じ薬が処方された。
会計を済ませ、薬を受け取り外に出ると、静かに細かい雨が降っていた。まだ傘をさしている人は少ないが、ミストのような雨粒が琴子の顔を濡らしていく。空気がひんやりとしていて、身体がきゅっ、となった。帰ったらハルにヒーターをつけてあげよう。そう思って、琴子は駐車場まで急ぎ足で歩いた。