失われたもの
イグノア、デルニール、ドレス姿のディズは、べスティを背に乗せたリュジットを追いかけていた。
ディズはアルムから拝借した古代武器をじっと観察する。
「古代武器って、そんなに凄いものなのか?」
確かに切れ味は鋭そうだが、それほど大層なものには見えなかった。
デルニールはディズの手に収まる古代武器の剣身を撫でる。
「ここを見てみろ。古代文字が刻まれている」
「え、これ文字だったのか?! 記号にしか見えねぇ……」
べスティと同じような反応を見せながらも、ディズは真剣にその文字を見つめた。
「なんて書いてあるんだ?」
「さあな」
「分かんねぇのかよ!」
クワッとツッコミを入れるディズに目もくれず、デルニールは続ける。
「神話の時代には日常的に使われていたのかもしれないが、今は失われた文字だ。現代で読めるものはいない」
「読めねぇくせに断定できるのな」
「それっぽい形をしているだろう?」
「だから知らねぇって!」
切れ味の鋭いツッコミだ。
デルニールも思わずふっと笑っていた。
「とまぁ、それは置いておいて。古代武器があるってことは、ヒトは使いこなしてたんだろうな」
ディズはコホンと咳払いをすると、話を元に戻す。
「そうだな。強力な古代文字が神よりもたらされ、達成したい目的があるならば、それに特化した武器を作るのも道理だ。涙ぐましい努力の結果なのかもしれない」
「そうやって作られたのが古代武器だとして、結局凄いものなのか?」
その問いに答えたのはイグノアだった。
「この聖剣。邪龍討伐戦に赴いた騎士が使っていたと、アルムは言っていたね?」
ディズは頷いた。
「世界を滅ぼすほどの力を持った悪しき龍を殺すんだ。それ相応の力が込められていたに違いないよね」
「世界を滅ぼす龍を殺す剣……か。矛先を世界に向ければヒトでも世界を壊せそうだな」
「そうかもしれないね。でも……例えそうだとしても、ヒトはその力に縋ったんだよ。だからこそ聖剣は作られ、現代まで存在し続けたんだ」
まるで現代でもヒトはその力に縋っているのだとでも言いたげな面持ちで、イグノアは古代武器を見つめる。
「なんだかとても途方のないお話に聞こえてくるね。でもそこまでして武器に縋るって、どんな気持ちなんだろう?」
べスティはリュジットに跨りながら首を傾げた。
「じゃあ、想像してみて? 倒したい相手が明確にいて、その相手によって世界が蹂躙されていく中、創造神はヒトの前に立つ」
それは邪龍討伐戦としてヒトに語り継がれる、おとぎ話の要約だ。
「例えばそこに、邪龍を殺せる技術が神よりもたらされたとしたら……君たちならどう思う?」
ディズは走りながらその場面を想像する。
荒廃した世界。
死が蔓延し、ヒトが生きる気力を失った世界。
息をする度むせ返るような死臭に吐き気を堪え、背後にいるヒト達をただひたすらに鼓舞し続ける騎士。
それでも死の連鎖は世界を不浄な土地へと変えてゆき、新たな生命の芽吹きが阻害される。
親が死に、友が死に、恋人が死ぬ。
長くそれが当たり前となっていた絶望の世界に、創造神を名乗る者が光と古代武器を携え、天より降臨する。
とても美しい光だった。
灰色の世界に差し込む一筋の光は神々しく、まさに希望となったんだ。
それを見た時、安堵し、心の底から思ったの。
『――よかった。神は世界を見捨ててはいなかったんだって……』
「……えっ?」
「どうしたの? ディズ」
ディズはいつの間にか立ち止まっていた。
べスティが声をかけると、イグノアとデルニールもそれに気づき戻ってくる。
「あ、いや……」
ディズはなんとも歯切れの悪い声を上げると、片手で頭を抑えた。
ズキズキと、頭が痛む。
「頭に……声が……っ!」
声だけじゃない。
映像も、思いも、自分のものではない誰かのものが勝手に流れ込んでくる。
「やめろ……見せるな……!」
荒野に転がる無数の死体――
「ディズ! しっかりして! ディズ!!」
知らないはずの顔に胸が締め付けられる――
ディズの視界が揺らぎ、呼吸が荒くなる。
こみ上げる怒りを、とめどなく溢れる涙を、抑えることが出来ない――
ディズの耳には激しい動悸がこびり付く。
「俺は……っ!」
許せない――
ふらふらと、意識すらも揺らぎながら、彼は辛うじて言葉を紡ぐ。
許さない――
「私、は……!」
「「ディズ!!」」
イグノアが彼の左手を、デルニールが右手を掴む。
「ハァ……ハァ……」
溢れる涙が頬を伝い、乱れた呼吸に魔力が混じる。
「……あら……?」
やがて落ち着いた彼は、二人を見てキョトンとすると、次に自分の着ている服を見下ろす。
先程フラウと面会するために来たドレスだ。
「ディズ?」
べスティは心配そうに声をかけるが、しかし彼はその声を無視すると、何やら考え込むように顎に手を当て俯いてしまった。
姿格好は何も変わっていない。
何も変わってはいないが、その中で生まれる違和感に、イグノアはハッとした。
「ディズ。ディズ。僕の目を見て」
イグノアは優しく微笑むと、中腰になって目線を合わせる。
ディズは少し焦点の合わない目で、しかししっかりとイグノアの目を見ると、上品に微笑んだ。
「……綺麗な目ね。こんなに綺麗な目は初めて見たわ」
ディズは……いや、ディズの中にいる誰かが微笑んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
くしゃりと笑うと、しかし彼女はふと悲しそうな目をした。
「けれど……あぁ、残念。ここは私がいるべき場所ではないようね」
周囲を見回し、悲しそうな目で微笑んだ。
「君は誰だい? どこから来たのかな?」
微笑みながら、彼女は胸に手を当て、何かの魔法陣を刻み込む。
「今はまだ、教えられないわ。……いいえ。このままずっと教えずにいられたら、それが一番素敵な事ね」
とても高度な魔法陣だ。
ディズが構成することは難しいし、それがどんな魔法なのかをイグノアもデルニールも解析することが出来なかった。
「何をしている……?」
正体不明の魔法陣に警戒をするデルニール。
「大丈夫。この子に危害は加えないわ」
魔法を刻んだ彼女は、手を下ろすとふと笑った。
「加護を授けただけ。きっとあの方々に出会えるように……」
陽だまりのように優しい笑顔は、イグノアとデルニールをそっと目で捉えた。
「この子に、伝えて。きっと……きっと、守りきるって。あなたは……あの方の……」
ふと、ディズの体から力が抜けると、その場に崩れ落ちる。
イグノアは慌ててそれを受け止めると、デルニールと目を合わせた。
「もしかして今のって……」
「そうだとしても、今はまだ……」
デルニールの思い詰めた表情が、イグノアの胸を抉るようだった。
「そうだね……」
それを見たイグノアはそっと頷くのだった。
「何、今の……? ディズが、まるで別人みたいに……」
べスティはポカンとした表情でディズを見つめる。
何が起こったのか、思考が追いついていないと言った様子だ。
イグノアは手を伸ばすと、彼女の額に当てる。
「まだこの子には気づかれる訳にはいかないんだ……。ごめんね、べスティ。〈時空に宿りし精霊よ 我が身は忘却を望みしもの 星霜の理を断ち切り 彼の者の記憶を忘却の彼方へと誘え 忘却〉」
強い魔法だ。
直接記憶に作用し、白い光が対象者の記憶を忘却の彼方に連れ去る魔法。
術者の指定した時間や、それに関連した記憶を消し去ることが出来る。
白い光がすーっと消えてゆく。
それと共にぼーっとした表情になるべスティは、イグノアの手が離れると数回瞬きをした。
その様子を見守っていたリュジットに、イグノアは目を向ける。
「いいね、リュジット。今のことは彼女には内緒だよ」
人差し指を口の前で立てると、イグノアは微笑んだ。
「……あれ? 私、今、何をして……」
そして同時にイグノアの腕の中で気を失っているディズに気がついた。
「ディズ?!」
「んっ……」
べスティが揺すると、ディズは気が付き、ゆっくりと目を開けた。
「あれ、なんか今、夢を見ていたような……ってうぉあ!」
ディズは勢いよくイグノアを突き飛ばすとその腕から逃れる。
「な、なんだ?! なんで俺、イグノアに抱かれてるんだ?!」
すっかりいつものディズに戻っていた。
イグノアとデルニールは安堵の表情を浮かべた。
「疲れが溜まってたのかな? 急に倒れるから焦ったよ。〈荒れ狂う雷撃〉の影響かな?」
イグノアが説明をすると、その言葉にデルニールがピクリと反応する。
「〈荒れ狂う雷撃〉……?」
「そう、自力で発動させたんだ。凄いよね、いつの間にそんな魔法覚えたのって、僕驚いてしまったよ」
「…………」
デルニールは少し考え込むと、すぐに頭を振った。
「そんなことよりも、早く犯人の追跡を――」
『あぁ、残念だ。せっかく面白そうなものが見れると思ったのに』
頭に直接、男の言葉が流れ込む。
その声は近くの屋根から発せられていた。
「「「?!!」」」
べスティの傍らにいたリュジットは立ち上がるとガルルルルル……と牙を剥く。
毛が逆立ち、今にも飛びかからんという勢いで殺気を放っていた。
「リュジットがあのヒトだって言ってる! 武器屋から追ってきた匂い!」
べスティがリュジットの言葉を代弁する。
そこに居たのはフードを目深に被り、紺のローブをなびかせ、道化師のような仮面をヒトだった。
堂々とした様子で屋根に立つ男は、仮面に覆われていない口を釣り上げた。
『ほう、獣人の……』
ヒュンッと何かが頬をかすめる音がし、屋根の上の人物は頭を少し傾けてそれを避ける。
『イグノア・ジェンジス……だったか』
「あぁ、覚えてくれたんだ? 嬉しい……ねっ!」
パシュン――
イグノアは再び矢を射る。
まっすぐにジョーカーの頭目がけて飛び出すも、ジョーカーはそれを難なく掴み取ると、そのまま片手で真っ二つにへし折った。
「まさか君がこの事件に絡んでるなんてね、ジョーカー」
デルニールはハッとしてイグノアを見た。
「あの男が暴虐の道化師……?」
「間違いない。あの仮面が何よりの証拠だよ」
ディズはその男を観察した。
目深に被ったフードの下から覗くのは、顔の上半分を覆う道化師のような仮面。
右目周辺は太陽を、左目周辺は涙を象ったデザインの仮面だ。
その男は露出した口をニヤリと釣り上げる。
『だとしたら?』
口は動かない。
けれど、確かにジョーカーの言葉が頭に響く。
「何これ……頭に声が……!」
べスティが狼狽える。
「〈念話〉だ。害はないから、怖がらなくていいよ」
イグノアは弓を構える。
デルニールも剣を引き抜き、魔力を込めていた。
「行けるかい? デルニール」
「誰に言っている」
デルニールとイグノアは互いに呼吸を合わせると、ジョーカー目掛けて飛び出した。
「〈火球〉」
ジョーカーは複数の魔法陣を同時に展開すると、そこから小さな火の玉を連続して発射する。
「〈障壁〉!」
〈火球〉の数は多いが、一つ一つの威力は大したことがなかった。
そのほとんどがデルニールの〈障壁〉に遮られる。
『〈重力操作〉』
ジョーカーは足元に魔法陣を展開すると、ふわりと飛び上がった。
「〈重力操作〉?! まさか、古代魔法か!」
『ほう、失われた古代魔法の知識を持つか』
驚くイグノアに感心したジョーカーは、そのまま手を前に突き出すと、くるりと手のひらを天に向ける。
『ならば、このような使い方も知っているか? 〈重力操作〉』
「うぐっ……!」
デルニールの顔が歪む。
「〈障壁〉が……維持出来ない……!」
ガタガタと音を立てる〈障壁〉。
〈障壁〉はガラスのような半透明で六角形のタイルが複数枚合わさって構成されている。
ガラッガラガラガラ――
〈重力操作〉が上から強い重力でタイルにのしかかり、〈障壁〉は音を立てて崩壊した。
剥がれ落ちたタイルは彼の周辺でふよふよと浮かぶ。
「チッ!」
イグノアはデルニールの〈障壁〉がジョーカーにより瓦解される瞬間、複数の矢を一度に放つ。
『何度射っても同じこと』
「やってみなければ分からない!」
デルニールは高くジャンプすると、構えた剣を思い切り振り抜く。
『遅い』
〈重力操作〉により操作された〈障壁〉がデルニールの剣を受け止める。
「〈束縛〉!」
剣を受け止められた瞬間、デルニールは空中で魔法陣を五つ展開し、ジョーカーを捉える――
『〈時空に宿りし精霊よ 我が身は万里超えを望みしもの 星霜の理を断ち切り 歪み歪み彼の地に誘え 転移〉』
――かと思われたが、〈束縛〉が彼の体に触れる瞬間、ジョーカーの魔法が発動する。
「なっ……! 消えた……?!」
〈障壁〉にて剣を受け止めていたはずのジョーカーは、いつの間にか視界から消えてしまった。
「転移魔法?! また古代魔法か……!」
『惜しかったな、ナイトメアの。その程度の速度では俺は捕まらない』
「なっ……! いつの間に背後に……!」
そのままジョーカーはデルニールを蹴り落とす。
ドゴォォォォォォォォン!!
「かはっ……!」
デルニールは目にも止まらぬ速さで地面に落ちた。
同時に土煙が舞い上がり、デルニールの姿は確認できなくなった。
「デルニール!!」
「リーダー!!」
――ヒュンッ!
土煙に巻き込まれたイグノアの矢は、その中でも正確にジョーカーを捉える。
しかし彼にはやはり届かない。
直前で最小限の動きで躱される。
『何度試そうと結果は同じ――』
「だと思うな!」
矢がジョーカーの横を通り抜けた瞬間、煙を吹き出し一瞬で姿を変える。
「デルニール!」
ジョーカーの頭を狙っていた矢は一瞬でデルニールに変化した。
かと思えば、彼は既に剣を振り下ろしていた。
『影隠れの暗殺者……イグノアの矢に隠れていたか』
ジョーカーはつまらなそうに〈念話〉を飛ばす。
『だがここは空中。俺のテリトリーだ』
「なら逃げられないように捕まえてやる! 〈束縛〉!!」
〈束縛〉がジョーカーに迫る。
その瞬間、ジョーカーから炎が吹き出す。
その炎はジョーカーを包むように球体状に拡がった。
まるで太陽のように煌々と輝くそれは、〈束縛〉を燃やし尽くし、そのままデルニールを飲み込まんとする。
「なっ……! 〈障壁〉!!」
すぐさま展開した防御魔法だが、それでも防ぎきることは出来ない。
「うぐっ……!」
「〈束縛〉!」
イグノアは〈束縛〉で空中のデルニールを捕まえると、そのままデルニールを地上まで引きずり下ろす。
「すまない……」
デルニール、イグノア、ディズ、べスティが天上を見上げれば、彼を包む太陽が徐々に膨らんでゆく。
『つまらんな……このまま町を飲み込んでみようか?』
ジョーカーは差し出した手のひらをくるりと天へむける。
「やめろ! この街を巻き込むな!」
ディズは噛み付くように叫ぶと、魔力を練り上げる。
「〈雷よ 収束し狙い撃て 雷撃〉!」
「〈氷撃〉!」
「〈束縛〉!」
複数の魔法がジョーカーめがけて放たれる。
しかしそれに動じることなく、ジョーカーは腰に下げた鞘から剣を引き抜き、剣身をなぞる。
『さて。如何ほどの力か、見せてもらおうか』
すると、何も無かった剣身に複数の記号が浮び上がる。
『滅せよ』
なぞり終えた剣身は柔らかな光を放つと、向けられた魔法を全て消し去った。
「まさか……古代武器の盗まれた能力?!」
「つまり、あんたがあの盗難事件の犯人か……!」
イグノアとデルニールは再び武器を構えた。
「ジョーカーが犯人なら、他の武器は何処にやったの?!」
ジョーカーはギロリと一同を睨みつける。
「なっ……!」
その瞳は仮面によってはっきりとは見えないが、しかし赤く輝いているようにディズには見えた。
それもすごい威圧感だ。
一睨みされただけで、彼は全身をすくみ上がらせる。
――体が……動かない……!
まるで蛇に睨まれたカエルのように、その目に支配された彼らはその場で固まった。
『……興ざめだな』
ジョーカーはぐっと手を握る。
すると周辺に展開していた太陽はその動きに合わせて消滅し、赤い瞳は輝きを失った。
『目的は果たせた。良しとしよう』
「待て! 逃げる気か!」
輝きが失せた瞬間に威圧感から解放されたディズは怒鳴りつける。
『逃げる?』
ジョーカーはふと笑う。
『安心しろ。また遊びに来てやる』
そういって彼の姿は消え去った。
まるでロウソクの火がふっと消えるように。