クエストクリア
「お帰りなさいませ、イグノア様、デルニール様、ディズ様」
ギルドの二階にあるギルド長室で三人を待っていたのは、執事風の、白髪混じりの老人であった。
「僕は帰ってきたくなかったけどね。わざわざナイトメアに依頼するなんてさ!」
〈雷の束縛〉によって拘束されたギルドマスターのイグノア・ジェンジスは、ムスッとした表情で老人を見る。
「フォフォフォ、多少はお嬢様との時間を設けて差し上げたのです。感謝をしていただきたいものですな」
「そりゃ、ヴァレットが相手だったら、逃げた瞬間に捕まるだろうけどさ……」
それでも不服らしく、イグノアはツンとした。
それを華麗に無視した執事のヴァレット・エーデノーブルは、デルニールとディズに向けて丁寧に頭を下げた。
「このような茶番に付き合わせてしまったこと、お許しください。最近働かせすぎだとは思っているのですが、何分、人手不足でして」
「人手不足……か。確かにアイツ一人だと苦労するだろうな」
「分かってるなら休ませてよ〜!」というイグノアの声が聞こえているが、やはり華麗に無視をするヴァレット。
そのあしらい方はお手の物であった。
「他のギルドに申請は出せないのか?」
デルニールは訪ねるが、ヴァレットは首を横に振る。
「どこも同じく手一杯でして……」
「まぁ、式典を控えているから、そうなるのだろうな……」
「対処はこちらで考えますので、ひとまずお二人にはこちらを」
ヴァレットは話を区切ると、デルニールに小さな麻袋を差し出す。
「今回の報酬です」
デルニールは中身を確認すると頷いた。
「確かに受け取った」
「ねぇ、デルニールからもなんとか言ってよ。愛娘との触れ合いが極端に不足してる僕が可哀想だと思わない?! 可哀想でしょ??」
イグノアのあまりの威厳のなさに、ディズはジト目で彼を見る。
「あと一週間は我慢しろ。この国は今、大事な時期を迎えているんだからな」
「それは分かってるけどさ……」
デルニールはマスターを窘める。
「それに、いくらギルドが忙しくなろうと、王国軍を動かさずに済むならそれがいいと、お前も言っていただろう」
「そりゃ、そうだけど……」
マスターはそれでも口を尖らせる。
「いい大人が、迷惑かけるんじゃない」
「ちょっと冷たくない? もう少し優しくしてくれたっていいんじゃない? ギルドと国のために頑張ってるんだよ?」
しかしデルニールは踵を返すと、歩きながら右手をひらひらと振った。
「これ以上付き合うと、俺達の睡眠時間が削れる」
ディズも大きな欠伸をすると、デルニールのあとをついて行く。
「じゃあね、マスター。おやすみ〜」
「うぅ……おやすみ……」
デルニールとディズはギルド長室を後にする。
イグノアとヴァレットは、それを見送るとため息をついた。
「全く……またディズに変な目で見られちゃったよ……」
イグノアは〈雷の束縛〉の術式を破壊すると、大きく伸びをした。
「フォフォフォ、威厳のなさに辟易しておるのでしょうな」
ヴァレットは楽しそうに笑うと、ふと優しい表情を見せる。
「ディズ様がここに来て、もう一八年になりますか」
ヴァレットはそう言うと、暖かい紅茶をイグノアの前にことりと置く。
「あの頃は産着を着てふにゃふにゃだったのにね。月日が流れるのは早いねぇ」
「……お話は、されないのですか?」
イグノアは両手でカップを包むように持つと、紅茶の香りを嗅ぐ。
「……まだだね。まだその時ではないよ」
そのかぐわしい香りに頷くと、一口だけ口に含んだ。
「あなたがそう仰るのであれば、そうなのでしょう。ところで、イグノア様。僭越ながら、一つだけ意見してもよろしいでしょうか」
「言いたいことは想像つくけどね。SSランク依頼のことだよね?」
「そうです。イグノア様お一人でこなすには、些か多すぎはしませんか。他ギルドや中央からの派遣などは、本当にないのでしょうか?」
「ヴァレットもさっき言ってたじゃない。どこも手一杯だってさ。理由は別のところにあるんだけど。とりあえず、良くないことが起きているのかもしれないね」
「やはり我々だけで対処するしかないと?」
「そういうこと」
イグノアは肩を竦めた。
「でしたら、何人か国家試験に推薦してはいかがでしょうか? SSランク試験の推薦資格があるとすれば、ナイトメアの御三方でしょうか。他にも、Sランク試験への推薦も行うべきでしょう」
「そうなんだけどね……」
マスターは窓の外に目線をやる。
「推薦できない理由は例の件でしょうか?」
「んー、まぁそんなところ」
イグノアは紅茶を飲むと、ホッとため息を漏らす。
「ナイトメアはあの人との約束が果たされるまで、ギルドでの活動は制限させる。中央にはそれで呑んでもらっているよ」
「存じ上げております。ですがあの方は、あれ以来姿も見せません。本当に信用できるのでしょうか……?」
マスターは少し困ったように笑った。
「僕たちに選択の余地はないよ」
もう一口紅茶を飲んだイグノアは、「ただ……」と言葉を続けながら、カップに映る自分と目を合わせる。
「確かに最近はSSランク案件が増えてきて、一人で対処するにも限界が出てきたかな……。指名依頼として、有力パーティに振り分けるべきかもね」
イグノアは、ゆっくりと顔を上げると、ヴァレットに向けて微笑む。
「お言葉に甘えて、事務作業は君に任せるよ」
「かしこまりました」
飲み干したカップをイグノアから受け取ったヴァレットは、代わりにと、書類の束を差し出す。
「では、私が依頼の発注作業をしているうちに、こちらを片付けていただけますか」
「え、事務作業は任せろって言ったばかりだよね? なんで早速僕に事務作業が回ってきたんだろう?」
イグノアは突然の意見の変わり様に動揺を隠せずに居る。
「こちらはイグノア様の拇印が必要な書類でございます。親指を切り落としていただけるのであれば、私が処理致しましょう」
「あ、痛いのは勘弁して……!」
ギルドメンバーの証言によると、その日、ギルド長室の明かりが消えることは無かったという。
また、時折「僕の天使に会わせて〜!!」という、絶叫にも似た声が寝静まったギルドに響き渡っていたらしい。
「あー、疲れたー!」
ディズはギルド長室を出ると、デルニールと共にルームへと戻ってきた。
ルームとは、ホーム登録をしているギルドから提供されている、住居の事である。
パーティは最大で三〇名が所属可能なため、ルームも三〇名が快適に過ごせる程の広さを誇っている。
「あ、おかえり、ディズ」
ルームの扉を開けると、ロビーでは数名が談話していたようだ。
その中の一人、べスティはいち早くディズの帰宅に気が付き手を振った。
「ただいまー」
装備を解いたデルニールとディズは、早速その輪の中に加わる。
「何してたんだ?」
「はじめてのおつかい依頼の様子を、報告してたんだ」
「あぁ、聖なる薬草か」
「カクテスについてだよ。あの子、自分が純人種って分かってすぐ、立ち直ったでしょ? 本人はもう気にしてはいなさそうだったけど、念の為、みんなと共有しておこうと思って」
「そりゃいい。ついでに、あの小生意気な口もどうにかしてもらえよ」
ディズは椅子に座るなり、大きなあくびをした。
「もう、ディズってば、すぐにそうやって意地悪なこと言うんだから」
べスティは少し膨れると、プイッとそっぽを向いた。
「まぁ、私たちからしたらディズもカクテスも変わらないけれどね」
シエルはそう言うと、周りの大人も同意する。
「ガハハハハ! そいつは違ぇねぇ!」
そう言って笑うのは、ナイトメアの幹部で純人種の、ミュスクル・イディオットである。
鍛え上げられた筋肉がトレードマークの、Sランクメンバーである。
「は?! どこが似てるってんだよ」
「ディズの小さい頃にそっくりじゃないの。ねぇ? べスティ」
シエルは笑いながらべスティを見た。
「そっくり、そっくり!」
「ばっ、馬鹿にしてんのか!」
頬を赤く染めたディズの周囲で、バチバチと雷が迸る。
「ディズ、雷出てるよ!」
「ガハハハハ! 感情的になると魔力が暴れる癖、まだ抜けてねぇのか! まだまだガキだなぁ」
ミュスクルは小馬鹿にしたような目でディズを見るので、ディズの雷は更に激しく周囲で弾ける。
「いい加減にしろ、ディズ」
それを魔法で相殺したのは、デルニールだった。
空中に迸る雷を全て凍らせると、ディズの頭を殴りつけたのだ。
「いってぇー……殴ったな!」
「室内で魔法を使うなと、あれほど言っただろう」
それから周りの大人達にも喝を入れる。
「あまりディズをからかってやるな。狭量さが知れて憐れだ」
「あんたもだよ! ったく、どいつもこいつもからかいやがって……」
ディズは悶々とした気持ちで立ち上がると、シエルが思い出したように声を上げた。
「そうだ、ディズ。明日はあなたに指名依頼が入っていたわ」
「は? ……誰の?」
「イグノアよ。楽しみにしてなさい」