プロローグ はじまりの大地
夢を見ていた。
それは遠い過去にあった話か、それとも――
「憐れなものだ」
荒れた大地に低く、地を這うような声が響く。
紫黒色の髪を靡かせ、その男は俺たちを見下ろした。
「その程度の力で世界に君臨していたというのか? その程度の存在を、我々は長く恐れてきたと?」
向けられた目は負の感情全てを映し出すかのような、冷徹で、見下すような目だった。
ヒトの子一人が溜め込むには、あまりに深い闇を抱えている。
俺はふと、隣に立つ彼女に目を向ける。
世界をその眼に閉じこめたような、美しい虹色の瞳の若い女性だ。
彼女は驚愕の眼差しで周囲を見回していた。
「なんて……ことを……!」
周囲は酷い有様だった。
どこまでも続いていたあの緑豊かな大平原も、それを囲う世界樹の森も霊峰も、全て枯れ果て焦土と化していた。
生命の痕跡はもはや感じられない。
風が頬を撫でた。
焦げ臭さの中に死臭が混じる、生暖かい風だ。
遠くで悲鳴が上がると死体が転がり、流れ出た血液が大地を更に穢してゆく。
「よくも――……くっ!」
彼女は右腕を抑える。
肘より下に在るべき手は、まるで枯れた樹木から皮が剥がれ落ちるかのようにボロボロと崩れてゆく。
「駄目だ、木菜。これ以上は枯れてしまう!」
「離せ緋! 彼奴だけは……彼奴だけは!――」
彼女の肩を抱きながら、俺は焦燥に駆られる。
彼女は不浄に適応できない。
戦争によって穢れた大地は、彼女の内からじわじわと滅びを与えるだろう。
あまり長居をすれば、彼女の命に関わる。
「――許せぬ……!」
しかし当の本人は滅びゆく体など気にも止めず、感情のまま魔力を取り込む。
魔法を発動させようとしているのだろう。
たとえ自らの命が危険にさらされようと、この大地を、世界を守護する。
それが彼女に与えられた使命なのだから。
「許せない? くはははは!」
しかし男はいびつに歪ませた表情で口の端をつり上げる。
「許せないと言ったのか?! その滅びゆく体で? あははははは!! そんな体で、一体何ができるというの?!!」
何がおかしいのか。
途中から人が切り替わったかのように、気味の悪い、甲高い笑い声を含みながら、男は笑う。
「これで分かったでしょ? もうこの世界にあなた達はいらない。不浄な大地と共に滅び、そして、私に世界を差し出しなさい」
恨みのこもった甲高い女の声でそう告げると、男は両手を広げる。
「この私がより良い世界を創ってみせるわ。純人種のための、理想郷をね!!」
「そんなこと、絶対にさせねぇ!〈荒れ狂う雷撃〉!!」
「リヒト!」
大気が割れるかのような雷鳴が轟いたかと思うと、男に雷が直撃する。
それと同時に音を立てながら雷は枝分かれし、ドーム状に膨れ上がった。
まるで半月のように広がったそれは、紫黒の男を容赦なく襲う。
「緋龍、こっちだ! 今のうちに回復を!」
雷撃と共に上がる土煙の中、俺は木菜を抱えてその場から飛び退くと、雷撃の術者の前にふわりと降り立つ。
「ッ……!」
なるべく衝撃を与えないように配慮をしたが、それでもボロボロと崩壊する身体に、彼女は表情を険しくする。
「木菜! 今回復を――」
リヒトの後ろに控えていた碧眼の女性は、倒れ込んだ木菜に両手をかざす。
「良い、ニーナ。この身に回復魔法は効かぬ……」
魔法の行使を制止すると、木菜は苦しそうに、僅かに微笑んだ。
「あの一撃で何とかなれば、一番いいんだけどな……」
リヒトはそんな二人の盾になるように立つと、同じように立ち並ぶ俺に翠眼を向ける。
俺はリヒトには眼をくれず、そのまま前方を睨みつけた。
時間の経過とともに、徐々に〈荒れ狂う雷撃〉が収束してゆく。
「……まだだ」
土煙で視界の悪い中、俺はその眼に魔力を込めてその先を透視する。
俺の眼はヒトとは違う。
魔力を込めることで、遥か彼方まで見通し、障害物を透視することが出来る。
その俺の眼が捉えていた。
土煙のなか悠然と立ち続けるその姿を。
「……いかに絶対的と言われようと、所詮貴様らとて、この偉大なる人間には勝てぬ」
再び低く、地を這う様な声が土煙の中から発せられる。
視界が晴れると、リヒトは驚愕した。
「そんな……!〈荒れ狂う雷撃〉が、全く効いてない……!」
一撃で殺せるとは思っていなかったはずだ。
もしかしたら隙を作り、あわよくばダメージを与えられれば良い、という程度には考えていたかもしれない。
しかし男は何事も無かったかのようにその場に立ち続けていた。
「憐れで弱き神々よ。命乞いをしろ。そしてこの私に隷属せよ。そうすれば助けてやらないことも無い」
「隷属……じゃと?」
木菜は乱れた髪の間からその声の主を睨みつける。
パキッ……バキバキバキッ――
「うぐっ……!」
木菜の体に大きな亀裂が入った後、両足が枯れ落ちた。
幸い伏した状態だった木菜は、残る左腕で状態を起こしつつも、魔力を極限まで練り上げてゆく。
だがもう、あの体は長くはもたないだろう。
しかしその姿は起爆剤としては十分な威力を発揮した。
木菜のその姿を見て、あの男の言葉を聞き、俺はついに我慢できなくなったのだ。
はらわたの煮えくり返るような怒りは魔力として体外へ放たれる。
溢れる魔力はパチパチと音を立てながら周囲に火の粉を撒き散らした。
「「使命も忘れた人間が――」」
俺たちの声が、魔力が重なる。
その小さな体からは想像もつかないほどの魔力が、その体から勢いよく吹き出した。
「「――図に乗るなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
その叫びとともに放たれた魔力は、圧倒的で暴力的な波動となり、周囲の敵兵を吹き飛ばす。
木菜は放たれた魔力を利用して巨大な魔法陣を発動させた。
「〈滅尽大地震〉!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴコゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴコゴゴゴ!!
広大な戦場に展開された魔法陣は、彼女の魔力によって大地震を強制的に引き起こす。
「な、なんだこれは!」
「大地が割れて……!」
「この戦域で大地震を引き起こすだと?! 化け物め……!」
うねる大地に足をすくわれ、時にその兵を飲み込みながら、大地震は更に被害を拡大させる。
それはまさしく、天変地異であった。
それでも彼女は魔力供給を止めない。
より濃厚な魔力を魔法陣に送り込むと、さらに輝きを増した魔法陣は、その攻撃力を上乗せていく。
パキッ――
「ッ……!」
でも、それもここまでだ。
〈滅尽大地震〉の行使により根源が崩壊した木菜は、その場で輪郭がぼやけ始めたのだ。
「木菜!!」
ひらひらと、彼女の体は花びらを散らしていく。
その意志とは関係なく散り始めた花びらは、死臭とともに風に乗り、戦場を舞いながらどこかへ消えてゆく。
徐々に、徐々に彼女の体は崩壊していった。
「緋……あとは……まか、せ……た……」
しかし彼女が展開した魔法陣は未だ効力を発揮している。
彼女は輪郭のぼやけた手を伸ばしてきた。
「木菜……!」
俺はその手を掴もうと空を描くが、少しだけ遅かった。
彼女の手はパッと弾けるように、残らず全てが花びらに変わる。
掴み取った数枚の花びらは、俺の手のひらの中で枯れ、死臭を纏う風に攫われてゆく。
けれど彼女の体を犠牲にした大魔法を、俺は無駄にすることは出来ない。
俺は喉まで出かかったものを飲み込むと、キリッと前を見る。
「あぁ……任された……!」
まだ残る木菜の魔法陣に重ねるように、俺の魔法陣を展開する。
「〈顕現せよ 火神〉!!」
二つの魔法陣がぴったりと重なり合うと、大気をビリビリと震わせる。
あまりに重い魔力が重力と結び付き、戦場にいた人間共を圧迫する。
「うぐっ……!なんだ、この、重苦しい程の魔力は……!」
地面に伏した兵は、何をすることも出来ずその場に磔になる。
その眼前には戦場を覆い、火を噴くように煌々と輝く巨大な魔法陣が展開されている。
――いや、火などそんな生易しいものではなかった。
そこに現れたのは文字通り地獄だった。
〈滅尽大地震〉により裂けた大地から、溶岩が勢いよく吹き出す。
それが周囲の敵に付着すると、ジュウウゥゥゥゥゥゥと音を立てて骨まで溶かした。
「「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」」」
生きたまま肉や骨が溶けるなど、そんな恐ろしいことは無いだろう。
凄惨な状況が広がるが、しかし俺は魔力の供給を止めることは無い。
やがて溶岩は魔力で形を変え、燃え上がる巨大な腕を形成する。
その腕は天を仰ぎ、地面を掴むと、ゆっくりと力を込めて這い出し、その巨体を露わにする。
俺が召喚した〈火神〉の全容が顕になる。
「……殺れ」
俺は迷わず命令を下す。
「グオォォォォォォォォォォォァオオオオオオ!!!」
〈火神〉は命令を受け、胸を反らして咆哮をあげると、戦場を駆け抜けた。
踏み込めば大地が砕け、腕を振り上げれば大地の裂け目から溶岩が噴き出す。
その蹂躙を眺めながら、魔力の込められた俺の緋眼がさらに輝きを増す。
ちらりと、木菜が最後に見せた表情が脳裏を掠める。
見ていてくれ。
お前が作ろうとした未来は、俺が必ず掴み取る……!
俺は掌を天にかざした。
その手で魔力を操ると、それに呼応するかのように雷雲が立ちこめ、戦場に無数の竜巻が発生する。
「矮小なるヒトの子よ――」
ゴオォォォォォと音を立てながら、俺の体から炎が勢いよく噴き出し、巨大な火柱を上げる。
それは竜巻のように渦を巻き、拡大しながら、天と地を結ぶ。
「天災級魔法……!」
誰かが呟いた。
視界は炎に飲まれたので誰かはわからないが、恐らく周囲に展開している帝国兵の生き残りの言葉だろう。
体が作り替えられていく感覚が全身を駆け抜ける。
骨が軋み、骨格がヒトのそれを超越してゆく。
それに合わせて筋肉や皮膚が引き伸ばされる。
だが、嫌な感覚ではない。
本来のあるべき姿に戻れるのだから。
例えるなら、そう。
凝り固まった体がストレッチによってほぐれて行くような。
そんな感覚だ。
目を見開く。
その瞬間、瞬きに乗せられた魔力が波動となって火柱を内側から吹き飛ばす。
「――神の力を見せてやろう」
俺は紫黒色の男に向けて不敵な笑みを浮かべると、そう呟いた。
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