NEE党
今年の生徒会誌に載せてもらった作品です。
「カチャカチャ、カチャ」
真っ暗な自室にゲームコントローラーを操作する音が響く。
さとしは休日にネトゲを楽しむ一般的な社会人、もとい、就活に疲れ果て、就職するのを放棄した自宅警備員である。
就活をやめてから、もう何年目だろう。さとしはこの自室という名の聖域にこもり、ただひたすら遊びほうけている。
「……ッ!! PP切れてる!! はぁ………」
……どうやらさとしの操る主人公は敵キャラにやられてしまったようだ。……また続けるようだが。
働けよ、とあなたはさとしに言うかもしれない。しかし、さとしに働く気が全くなかったのかといえば、そうではないのだ。
今は裕福な家庭に育ったことが不吉と出て、親の脛をかじる、脛かじり虫になり果ててしまっているが、当初はちゃんと就活に励んでいた。
ただ、さとしは豆腐メンタルであり、厳しい社会の荒波に耐えきることができなかった。運悪く度重なる不採用の印に、完全に心が折れてしまったのである。
ドン、ドン、ドン、ドン、と一階から何かが迫る足音がする。
母ちゃんだ。
「さとし、あんたちゃんと就活してるの?」
扉の向こう側から声は貫通してくる。
不躾だ。この手の話題にどストライクの直球を投げ込んでくる親を持ってしまったことをさとしは深く後悔した。
「ああ、ちゃんとやってるよ。ちゃんとしっかり、ね」
「そんなこと言ったってあんた、もう何か月も家から出てないじゃない。受かる面接も受けなきゃ通らないのよ」
ぐうの音も出ない、正論である。決まりが悪いと感じたさとしは何か言い返してやろうと言葉を探すのだが、
「ほら、またそうやって黙り込んでぇ!」
結局何も見つからずに先を打たれてしまった。
……相変わらず腹立たしい言い様である。
いつもならこう憤慨したあたりで母ちゃんは、ズケズケとさとしの部屋に入り込んでくるところなのだが、その動きは扉に封じ込まれていた。
「ちょ、何なのコレ! なんで開かないの!?」
さとしの口元にニヤッ、と意地汚い笑みが浮かぶ。最近ドアノブを鍵付きのものに付け替えたのだ。
「ハハッ!!ざまあみろ!……これでーここは―聖域!自室ー俺のー聖域!」
してやったりと、妙な歌を歌いだすさとし。扉の前で地団駄を踏む母ちゃん。それは正に混沌と呼ぶに相応しいものだった。
「もうっ! さとし! 覚えてなさいよ!」
負け犬の遠吠えを放った母ちゃんは階段を下りて行った。
「よっっっっしゃあぁぁぁぁ!!」
部屋への侵入を幾度となく許していたさとしだ、ついに、かの魔の手からここを守り抜いたのだから喜びも一入だろう。
が、それも長くは続かなかった。
突如、自室の中で大騒ぎしていたさとしを、虚しさが襲ったからだ。
いったい、こんなことをして何になるというのか。
「はぁ………」
ため息をつくと、彼は再び暗闇の中でむやみに光り続ける電子画面の前に座り、コントローラを握った。
自分の中に積もった虚しさを紛らわすために、ネトゲに集中する。
ただひたすらエンカウントする雑魚敵を倒し、経験値を溜めていく地味な作業を続けるうちに、次第に彼は睡魔にいざなわれていった。
〇〇〇
気が付くとさとしは白い、立派な建物の中にいた。床に広がっているのは綺麗な大理石、柱はパルテノン神殿さながらの柱だった。
いきなり訳の分からない場所に『いた』のにも関わらず、さとしは、戸惑うより先に耳を塞いだ。
「「「NEET! NEET!……」」」
どこかから、ものすごい大勢の人間が、大声で、そう叫んでいる。
なんちゅう悪夢だ。そう思わざるを得なかった。
地面を揺らすかのような厚みを持った合唱は、容赦なくさとしの耳に飛び込んでくる。さとしにはそれが自分を責めているとしか思えない。
長らく就活をさぼり、何もかもうやむやなままにしてきたさとしの罪悪感が、そう感じさせたのかもしれない。
背中を丸め、耳を塞ぎ、さとしは自尊心を保とうとした。
「おお、こんな所におられたのですか、さとし様」
しばらくして、そんなさとしに声を掛けた者があった。
白い髭のおっちゃんだ。背丈は175センチ程度の自分と同じくらいで、ダンディな声をしている。
……誰だコイツ。
「……誰、ですか?」
思わず口をついて出る内心。
「これはこれは申し遅れました。私は今回、会の運営を任せていただいています、ヘンウィルです」
身に覚えがない名前に困惑顔するさとしだったが、それに気づいていないのか、彼は言葉を続ける。
「さあ、さとし様、こちらへ」
そういって彼は外を見渡すことができるベランダの方に行くように促した。他でもない、声の響いてくる方向だ。
向こうに行きたくないことと、要領を得ないことが加わってさとしは固まったが、ヘンウィルは促し続けた。
「さとし様、支持者があなたの演説を心待ちにしています。人前が苦手なのはわかりますが、いまは民の期待に答えるべきです」
支持者? 演説? 突然出てきた言葉にますます頭の中がこんがらがってくる。
少し記憶が飛んでしまったと言って質問する。そうするとヘンウィルは訝しげな顔をしたものの、さとしはNEE党というNEETを支持する馬鹿げた党の党首で、この声は支持者によるものらしいこと、そしてこれからさとしが演説をしなければならないということを告げた。
「わかりましたか、さとし様。さあ、早くこちらへ。もう開始時間を5分も過ぎていますからね」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください! そんないきなりできるわけ……!」
「一体どうしてしまったのですか。はっ……! もしかしてどこか具合が優れないのですか!?」
「い、いや、そういうわけでは……」
いきなりヘンウィルに肩を掴まれたことで、さとしはそのことを否定してしまった。そのまま具合が悪いといっておけば、この後に控える演説を免れることができたかもしれないのに、後悔先に立たずだ。
「「「うおぉぉぉぉぉぉ!!! さとし様ーー!!!」」」
さとしは支持者の待つベランダに連れていかれた。自分の立っているところから見下ろすと、何万という人がさとしの登場に歓声を上げた。
夢とはいえ、NEETを支持する党など現実世界では絶対にありえない。ヘンウィルには頑張ってくださいといわれたものの、NEETであることを恥じている自分がNEET支持の内容を話すことにはかなり抵抗があった。
大勢の支持者が期待の眼差しでさとしを見ていたが、その光景を目の前に、さとしは彼らが真にNEE党を支持しているのか、本当は自分を騙しているのではないかと、疑った。
口が重い。開かない。それはどこかに、自分が否定されるかもしれないという恐怖があったからかもしれない。
そうしてさとしが躊躇していた時だった。
「やいやいやい!! このクソニート共がぁ!」
突如大きな声が観衆の意識を総なめにした。無論、現役NEETであるさとしの意識もその中だ。
拡声器に通したようなその声は、さとしから見て右側の丘の上に立つ男のものだ。
「おい、あれって……! NEET弾圧主義者なんじゃないか!?」
不意にそんな言葉がさとしの耳に入る。
NEET弾圧主義者……!?
その言葉はさとしに邪推させるには十分すぎるものであり、
「社会のゴミが!こんなところで肩を寄せ合いあがって! ゴミが積もってもゴミ山にしかなんねぇよぉ!」
その邪推はあながち間違いではないらしい。
そいつの口から出るのは悪口雑言、罵詈雑言、その棘の数々はさとしの心を針山にした。
だがそればかりでは済まなかった。NEE党支持者の自尊心もまた、傷つけられていた。
「俺なんて……」「やっぱりNEETは社会のゴミか! くそぉぉぉぉおぅぅぅ……!」「私だってがんばってるけどきっと無理なのね……ぐすんっ!」「嗚呼、神よ……哀れなるこのNEETめをお助けくださいぃぃ……」
彼らもまた、豆腐メンタルだったのだ。
そうしてようやくさとしはこいつらが騙していないと悟り、
社会の荒波に沈んだ自分を見ているかのような不思議な感覚になって彼らを、
助けたいと思った。
さとしは叫んでいた。
NEET弾圧主義者の男に叫んだのではない。NEET党支持者に、いや、自分自身にも叫んでいたかもしれない。
「NEETだって! 働きたいぃ意思はある! 周りのみんなと同じようにフツウに生きたいぃんだっ! それなのに会社の人間は浪人歴が積み重なる履歴書を一瞥しただけで見る目を変えて! なぁぁ!? そうだろ!?」
NEET弾圧主義者の男に集められた視線は、再びさとしに集まった。
「頑張ってるのに……一生懸命頑張ってるのに軽蔑視されてっ! 心を病んでっ! 本当は気に病むことなんて全然ないのにっ! みんなで、みんなでこの世界を変えていこうじゃないかぁぁ!!」
彼らに前を向かせるのに必要だった時間は、わずかなものだった。
「「「うおーーー!!!」」」
さとしが自らの立場に悩んできたからこそ、彼の言葉には重みがあった。
同胞の言葉が同胞の苦悩には良薬となるのだ。
「俺は、俺と同じように社会で心を病んだNEETを全力で支援したいっ!! 俺が掲げる政策は、俺たちを卑下する悪しき風習を排除する、駆逐政策だぁーー!!!」
丘の上の男に向かって盛大に指をさすさとし。
「「「「うおーーーーーー!!!!!」」」」
それに向かってロッククライミングを始めた観衆。
「豆腐メンタルのくせに! なぜだっ!」
うろたえる男。
そんな光景を見て、さとしは涙を流していた。自分でもなぜなのかよくわからない。
「はっ……! ははっ……!」
さとしの喉から笑いが零れた。
これ、現実じゃあ、絶対ありえないよなあ……と、思いながらも、男が捕まる一部始終を眺めた。
一面に広がる人波に送った前向きな言葉が、何か、自らの心をすっきりとさせていた。
〇〇〇
「はっ……! ははっ……!」
「何笑ってんのっ!!」
「ぐほぇっ!」
お腹を襲う母ちゃんのキックがさとしの意識を覚醒させた。
ぼんやりと霞む視界が自分が目を覚ましたことを自覚させる。
「……やっぱり夢だよなぁ」
思わずそんな言葉が口から零れる。
こんな世界はあるはずがないと、わかってはいた。だが、自分がNEE党支持者と心を通わせた世界で、彼らと共に歩んでいきたいと少なからず思ったさとしにとって、戻ってきてしまうのは惜しい気がした。
「何、まだ寝ぼけてるの? もう一回蹴り飛ばしてやろうかしら?」
さとしはその物騒な言葉に素早く身を起こして距離をとる。目測では2メートルといったところか。母ちゃん相手に警戒するのであれば、これくらいは離れなければならない。
「母ちゃん、何故ここに……! って、ああっ……!」
さとしは愕然とした。
ドアノブが、粉砕されている……!
見ると、母ちゃんの手には鉄製のバールのような鈍器が握られていた。さとしの背筋に戦慄が走る。この状況だけを見れば、NEETである息子に業を煮やして、殺害しに来た親、と捉えることもできなくはない。
「ま、待て、母ちゃん! 早まるな!」
「あんた、いい加減、就活しなさいよ……!?」
「するっ! するからっ! その動作止めろ!」
棒状の鈍器を手でペシペシしながら、迫ってくる母親に恐怖しながらも、さとしは就活することを心に誓うのであった。
〇〇〇
あれからというもの、遊んでいた事実を帳消しにする意気込みでさとしは就活に励んでいたが、なかなか内定はもらえなかった。
当たり前だろう。怠けていたのだ。現状に、甘えていたのだ。
心を入れ替えたからと言って、これまで怠けた分がなくなるわけではない。
卓上に厚みを増してきた不採用通知の数々。
これを見て、昔のさとしならば、再び心が潰れただろう。
だが、今の彼は違った。
「行ってきまーす!」
前を向いているのだ。あの夢に、周りは関係ない、自分のペースで歩けばいいと、気付かされたのだ。
開かれた黒い扉から溢れる眩しい朝日が、玄関に頼もしいシルエットを映し出す。
「行ってらっしゃい」
そして、その背中を見送る母ちゃんの姿がある。
さとしには、さとしを応援している人がいる。
その応援に応えるため、真っ当に生きるため、彼は今日も就活に赴く。
~END~