読みやすさと理解は相反するか
電子書籍も大分普及してきました。
確かに、電子書籍は持ち運びに便利だし、紙の本のように長年経つと紙がボロボロになってしまったり、汚れたり、折れたりする心配もありません。さらにはルーペなしで、活字を好きな大きさに拡大・縮小できてしまうから、電子書籍が普及するのも良くわかります。
このまま、本の電子化がどんどん進んで、画面もクリアになっていくと、文字認識や検索がどんどん楽になっていくだろうと思われます。
それどころか、今やkindleで漫画を読む、オープンソースの『Mangle』(MangaとKindleを合体させた言葉)さえ登場していますね。
だけど、この認識の"楽"さが、本にとっては、問題になるのではないかと考える人もいるようです。つまり、「読みやすさ」と「内容の理解」は、両立しない場合があるのではないかということです。
元数学者で認知心理学・神経科学に転身した、パリの教育機関コレージュ・ド・フランスの神経科学者ドゥアンヌ・スタニスラス教授は、書かれた言葉を読む行為を、神経解剖学的な側面から研究し、読み書きできる人の脳は、言葉の意味を理解するのに2つの異なる経路を用いていると唱えています。
一般に、目の網膜から入った情報は、まず、後頭葉の第一視覚野と呼ばれる部分で止まっているか、動いているかといった情報やパターン認識などの初歩的な形状認識を行ないますけれど、それらの情報は、その後、2つの異なる経路で処理されます。
ひとつが、背側皮質視覚路と呼ばれる経路で、後頭葉の第一視覚野から頭頂葉へ向かう経路で、もうひとつが、後頭葉から側頭葉の下方へ向かう経路で、腹側皮質視覚路と呼ばれています。
背側皮質視覚路では、後頭葉の第一視覚野で初期認識された視覚情報について、それらが、どのような空間配置を取り、どこへ行くか(Where回路)を認知し、腹側皮質視覚路では、捉えた視覚情報を自分の記憶と照らし合わせて、何を(what回路)視覚として認識したかといった情報処理を行なうとされています。
スタニスラス教授によると、読む行為の殆どは、腹側皮質視覚路と呼ばれる経路で言葉を理解するのですけれども、文章を読んでいるときに、意識的に注意を集中しなければならないような場合、背側皮質視覚路を使うのだそうです。
つまり、腹側皮質視覚路は「定型化され、見慣れた」散文、すなわち、決まり文句が沢山あるような認識しやすい文章を読んだときに活性化する一方、読み書きに熟練した成人に対して、文字を回転させたり、間違った箇所に句読点を打った文章を読ませると、今度は、背側皮質視覚路が活性化するのだそうです。
要するに、何がしかの情報に対して、自分の記憶からマッチする情報を検索して認知するお手軽回路(腹側皮質視覚路)と、一から物事を把握しなおす、新規構築回路(背側皮質視覚路)が、脳味噌の中にそれぞれ用意されているといえましょうか。
確かに、読み難い文章は、読むのに苦労した分、記憶に残ることあると思うし、逆に読みやすい文章は、読むことそのものに苦痛を伴わないために、あまり記憶に残らないというのも、経験則としては分かります。
たとえば「画面上では間違いが無いように見える文章も、実際にプリントアウトしてみると間違いを発見しやすい」とか、「『Kindle』のように読みやすい電子媒体で本を読むと眠ってしまう」とか言われると、そのとおり、とも思わないでもないですけれども、これとて考えようによっては、随分贅沢な話ではないかと思います。
折角、苦労なく読めるように工夫して本にしてくれているのに、頭に入らないから文句をいうのもどうなのか。幾ら記憶に残るからといって、たとえば、ある内容を分かりやすく書いた、ものの10分で読める本と、難解な表現ばっかりで10時間かけないと理解できない本があったとして、どちらも同じ内容だったとしたら、やっぱり10分で読める本を選んだ方が効率はいいし、1回読んだだけでは記憶に残らないというのなら、10回読めば流石に少しは内容は頭に入るはず。それでも10時間掛かる難解な本よりずっと時間が短く済みます。
情報が氾濫して、知らなければならないことが飛躍的に増大し、しかもその知識が直ぐ更新されて役に立たなくなってゆく現代にあって、読みやすく、分かりやすい本というものは、求められこそすれ、敬遠されることはないだろうと思います。
今や日本の本屋には、「漫画で分かる××」とか、「萌えで覚える○○」とか、もうビジュアルに訴え、なんとか読みやすく理解しやすくさせようと工夫した本が沢山あります。これなんか、もう、わかり易さを突き詰めた本ではないかと思いますね。
わかり易いことは別に悪いことでもなんでもりません。理解しているかどうかは本人の問題なのですから。




