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ダニエルのお見合い  作者: 岸野果絵
五年後
8/12

タチアナの思惑

「おはようございます」

 突然背後から抱きすくめられ、タチアナは「ヒィ」と驚いた。

ダニエルが目を醒ます前に、こっそり抜け出そうという計画は、これで御破算となった。


「お、おはよう。ダニエルくん」

 タチアナはどうしようかと考えあぐねながら、とりあえず挨拶をする。


「タチアナさん。僕、ちゃんと責任とりますからね」

 予想外のダニエルの台詞にタチアナは「ええっ?」と驚きの声をあげた。 


「責任? いいよ。気にしなくて」

 ダニエルに背を向けたまま答える。 

まともにダニエルの顔を見る勇気がなかった。


「そういう訳にはいきませんよ。こうなった以上、男としてちゃんと責任とらなくちゃいけません」

「いいってば。お酒の上でのことなんだから」

 そう、これは酒の上での過ちだ。

タチアナとしては、昨夜のことはなかったことにしたい。


「そんなのは言い訳になりません」

「言い訳にしていいって。私がいいって言ってるんだからいいの」

「それは筋が通りませんよ。経緯はどうであれ、結果は結果として、きちんとけじめをつけなければいけません」

「そんなに堅く考えなくっていいから」

 タチアナはため息をついた。


 こういう時に真面目な人間は厄介だ。

この状況はタチアナの方が体裁が悪い。

どっからみても、タチアナは若い男をつまみ食いしたババア。

どうやらダニエルはそこのところを理解していないようだ。


「タチアナさんは僕のこと、お嫌いなんですか?」

「そういう訳じゃないけど……」

 どのように言ったらダニエルを追っ払えるのか、タチアナは二日酔いで痛む頭を懸命に回転させていた。


「僕をもてあそんだんですね・・・・・・」

 ダニエルの一言に、タチアナはギクリとした。

「弄ぶって……」

 冷や汗が噴きだす。


「責任とって下さい」

「はぁ?」

「僕を弄んだ責任をとってもらいます」

「なにそれ」

 先ほどまでとは正反対の展開にタチアナは戸惑った。


 訳が分からない。

もしかしたら、ダニエルののほほんとした雰囲気に騙されていたのではないか。

タチアナは背筋が寒くなった。


「僕、ちゃぁぁんと覚えてますよ。昨夜のこと」

「え?」

「誘ったのはタチアナさんの方でしたよね?」

「えっと、それは……」

 できれば思い出したくない出来事が、タチアナの脳裏に蘇る。


 たしかに、バーに誘ったのはタチアナだ。

そういえば、自宅に送ってもらった際に、先に手を出したのも、残念なことにタチアナだった。

言い逃れできない。


「僕の気持ちを知っていたくせに、あんなこと……」

「いや、だから、それは、なんていうか、勢いで……」

 そう、あれは完全に酔った勢いだ。

お酒とそして素晴らしい舞台に酔ってしまっていたのだ。


「タチアナさんは、勢いで男を連れ込む方なんですか?」

「違うわよ」

 タチアナは即座に否定した。

いくらなんでも、そこまでふしだらではない。


「なら、僕のこと好きだったんだ」

「どうしてそうなる?」

 ダニエルの言っていることが、さっぱり分からなかった。

どこをどう解釈すれば、そういう結論に達するのだろうか。

それに、なんでそんなに自信満々に断言できるのだろう。

タチアナはそんなことは一言も言っていない。

多分、言ってないはずだ。


「やっぱり僕のこと好きだったんですね。だからあんなに激しく乱れて……」

「ちょ、ちょっと待って」

 これ以上、昨夜の失態をぶちまけるのは勘弁してほしかった。

 タチアナはダニエルの口をなんとかふさごうと、くるりと身体を反転させ、手を伸ばした。

ダニエルがタチアナの手首をガシッと掴む。


「僕、しっかり覚えてますよ。タチアナさんが僕にしがみつきながら言った言葉を」

 そう言って、ダニエルはニヤリと艶を含んだ意味深な笑みを浮かべた。

タチアナの脳裏にうっすらと記憶がかすめ、タチアナは眉間にしわを寄せる。


「あ、あれは、その……」

「その、なんです?」

 至近距離でダニエルに問い詰められ、タチアナは口ごもった。

ああいう状況での台詞を引き合いに出すのは反則だ。


「タチアナさん。往生際が悪いですよ」

 ダニエルはタチアナの額に自分の額をくっつけて、ささやくように言った。


「ダニエルくん。あんた、けっこう性格悪いわね」

 タチアナは至近距離のダニエルの瞳を半眼でにらみながら、低い声で言った。


「気づいちゃいました?」

 ダニエルは額を離すと、クスリと笑った。


「気づいちゃったって、あんた……」

「タチアナさん。僕の師匠は、あのニコラス先生ですよ?」

 悪びれもせずに言うダニエルに、タチアナは絶句状態になった。


 灰色の道化師・ニコラス。

魔術師協会きっての変人師範魔術師。

その乞食のような格好も個性的だが、口を開けば相手を自分ペースに誘い込み、まんまと金品をだまし取る、天才詐欺師でもある。

何度も逮捕されたこともあり、協会としても扱いに苦慮しているニコラス。

ダニエルはそのニコラスの愛弟子だった。

あの変人と渡り合えるのだから、ダニエルも普通の神経の持ち主ではないのかもしれない。


 とんでもない男に手を出してしまった。

タチアナは激しく後悔したが、今さらどうにもならない。

とにかく、なんとか言いくるめて丁重にお引き取りを願おう。


「僕、師匠に似て、一度手に入れたモノは絶対に手放したくない性質たちなんです。だから、もうあなたを放しませんよ」

 ダニエルはそう言いながら、すかさずタチアナの背中にまわした腕に力を入れる。


「そんなことを堂々と宣言されても・・・・・・」

 半ば呆れながらも、タチアナは一生懸命頭を動かしていた。


 気をつけなければならない。

相手を唖然とさせて自分のペースにのみ込んでいく手法は、ダニエルの師・ニコラスの常とう手段だ。

気を抜けば、こちらがまるめこまれてしまう。


「タチアナさんが僕と結婚してくれるって言うまで、絶対放しません」

 ダニエルのいきなりの飛躍に、タチアナは軽い眩暈を覚えた。


「困るって。仕事に行かなきゃ」

 適当な理由をつけて何とか逃げようともがいたが、ダニエルはタチアナをしっかりとホールドして離さなかった。


「ダメです。どんなに頑張っても、僕をふりほどくなんてできませんよ。僕のが力も魔術も上なんですから」

 確かにダニエルの言う通りだった。

男性の腕力に敵うはずはなかったし、師範魔術師であるダニエルに、25年以上も訓練をほとんどしていない、上級魔術師のタチアナが勝てる筈もなかった。


「それって脅迫・・・・・・」

「はい、脅迫です」

 あっさり肯定され、タチアナはガックリと脱力した。


「私はダニエルくんよりもずっと年上。お母さんぐらいの年だよ。今はまだおばちゃんだけど、すぐにおばあちゃんになるわ」

「心配はいりません。僕の初恋はレイラ師匠ですから」

 最後の抵抗を試みたタチアナだったが、あっさり潰された。

 霧の魔女・レイラはニコラスの師匠だ。

ダニエルが入門した時点で、レイラはすでに70歳を超えていたはずである。

おそらくダニエルは、70代もストライクゾーンだと言っている。

 タチアナは完全に手詰まりとなった。


 ダニエルには何を言っても通用しない。

5年ほど前のダニエルとはまるで別人のようだ。

あの時はいとも簡単にあしらえた。

だから、今回も何とかなるとタカをくくってた。

 一晩だけ、甘い夢を見させてくれればいいと、そう思っただけだ。

もう夜は明けた。

夜が終われば夢はさめるはずだった。


「分かった。観念するわ……」

 タチアナはため息まじりに言った。


「タチアナさん。僕と結婚してくれるんですね」

 ダニエルは明るい声を出す。


「ええ。するわ。結婚してあげる」

 タチアナは顔を上げ、ダニエルの額を上目づかいで見つめ、恥じらうように視線を落とした。

そして目を閉じ、その胸に額をよせた。


「僕、一生かけてあなたを大切にします」

 ダニエルは感極まったように言いながら、タチアナをぎゅっと抱きしめ、その髪に顔を埋める。


「嬉しい……」

甘えるようなささやき声を出しながら、タチアナの胸の奥がチクリと痛んだ。


 出来ればこんな手は使いたくなかった。

後できっと恨まれるだろう。

でも、仕方ない。

とりあえず、今の状態から抜け出さなかければならない。

解放してもらうには、この方法しか思い浮かばないのだ。


 分かっている。

悪いのはタチアナだ。

ダニエルには何の非もない。

過ちは昨夜ではない。

そもそも、5年前にあんな風に適当にあしらってしまったのが悪かったのだ。

 あの時、ダニエルの告白はダニエルの本心であると、タチアナには分かっていた。

それなのに、ダニエルがお世辞で告白してると勘違いをしたフリを装った。

分かっていていながら、分からないフリをした。

タチアナは逃げたのだ。

 真正面から向き合うのが億劫だった。

若い子は熱しやすく、冷めやすい。

歯牙にもかけない態度をとれば、そのうち飽きてくれるだろうと、甘く考えていた。

だが、違った。

ダニエルは本気だった。

あれからもずっとタチアナのことを想い続けていたのだ。

きちんと決着をつけてあげるべきだった。


 タチアナはダニエルのことが嫌いではない。

好きか嫌いかと問われれば、好きだと答えるだろう。

 ダニエルことは、初級魔術師の頃から知っている。

真面目で一生懸命で、大抵のことはそつなくこなすが、のんびりとした抜けたところがあり、そこがかわいかった。

気性は穏やかで、声を荒げた姿はみたことがない。

 そんな優しいダニエルの心を、タチアナはまた傷つけてしまうことになるだろう。

申し訳なかった。

こんなに自分を慕ってくれているのに。

 おそらく、この先、もうまともに言葉を交わすことはないだろう。

 タチアナはダニエルのぬくもりを手放し難くて、しばらくの間、しがみつくように、ダニエルの胸に顔をうずめていた。

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