観劇の夜に 前編
「ダニエル君が歌劇を見はじめたきっかけは?」
ひとしきり本日の舞台について語らった後、タチアナはなんとなく尋ねた。
「僕、とっても不純な動機なんですよ」
「え?」
意外な前置きに、タチアナは興味津々で身を乗り出す。
「憧れている方がいたんです。その方が見に行くって、誰かに話してるところをたまたま聞いちゃって。僕、その方のことをもっと知りたくて、どんなものを見てらっしゃるのか気になったんです。それで、劇場に行って当日券を」
ダニエルはちょっぴり恥ずかしそうに、首の後ろをポリポリ掻く。
「うわぁ、青春だねぇ」
タチアナはからかまじりに、肘でダニエルをツンツンした。
「でも、僕、お金無くて、立ち見だったんです」
ダニエルは肩をすくめた
タチアナは思わず「クスッ」と笑った。
「結構するもんね、チケット代」
「そうなんです。舞台から一番遠い場所から見たんです。でも、あの時、勇気を出して見にいって良かった」
ダニエルはその時の舞台を思い出しているのか、うっとりと遠い目をした。
「衝撃でした。カルチャーショックっていうんですかね。ジャンルは違うんですが僕もちょっと楽器やるんです。だけど、僕の知ってる音楽の世界とは全然違って。こんな表現の仕方もあったんだって、僕、ビックリしちゃって」
「ダニエルくんて、楽器できるの?」
ふと気になったタチアナは尋ねた。
「あ、はい。でも、ジャンル違いますので」
「何の楽器?」
「えっと、琵琶とか琴とか笛とか……一通りは」
ダニエルは考えるように視線を上に彷徨わせながらこたえる。
「そんなにいろいろ?」
タチアナは目を丸くした。
「レイラ師匠に仕込まれましたから」
「へぇー。なんか意外だなぁ。あ、ごめん」
「いえ。広く浅くなんで」
ダニエルは首を軽く横に振った。
「ねぇ、今度聴かせて」
タチアナは目をキラキラ輝かせて頼みこむ。
「いいですけど・・・・・・。少し練習させてください。最近触ってないんで」
ダニエルは少し考えながらこたえた。
「うふふ。楽しみ」
タチアナはニッコリと笑った。
「タチアナさんが見はじめたきっかけは?」
「私も不純って言ったら、不純かもね。恋人に連れてきてもらったのよ」
「うわぁ。それはロマンチックですねぇ」
ダニエルは興味深げにニッコリと微笑んだ。
「そうね。いい思い出よ」
「その方とは?」
「婚約までしたんだけどね・・・・・・。死んじゃったの」
「え?」
タチアナの言葉に、ダニエルはきょとんとした。
「事故にあってね」
「す、すみません」
「いいのいいの。もう25年以上も前の話だから」
青ざめるダニエルにタチアナは「気にしないで」と言うように手をフリフリして微笑んだ。
「ねぇ。ダニエルくんがはじめてみた演目って何?」
「それが、今日と同じ『落日のラステルーム』なんです」
「ええっ。ホントに? 私も『落日のラステルーム』だったのよ」
タチアナは小さく驚きの声をあげた。
「ホントですか?」
ダニエルも驚いたように目を丸くする。
「うん」
二人はお互いにクスクスと笑った。
「こんな偶然ってあるんだねぇ」
「ですねぇ。事実は小説より奇なりって本当なんですね」
「だねぇ」
しばらくクスクスと笑っていた。
「タチアナさん。今度一緒に観劇しませんか?」
ダニエルはちょっと緊張した顔で言った。
「うん。いいよ。ダニエルくんとなら楽しめそうね」
タチアナはダニエルにニッコリと笑いかけた。
「やったぁ」
ダニエルは小さな声でそう言うと、小さくガッツボーズをした。
タチアナはそんなダニエルを目を細めて眺めていた。
「そろそろ、お開きにしましょうか」
ダニエルが時計を見て言った。
タチアナも時計を見る。
「あ、もうこんな時間だったのね。楽しくて、すっかり話し込んじゃったわ」
「僕もすごく楽しかったです。お送りしますね」
ダニエルはニッコリ笑うと立ち上がった。
「いいよいいよ。すぐそこだから」
タチアナは手をフリフリしながら言った。
「でも、こんな遅くに女性をお一人で」
「大丈夫、いつものことだから」
「そうですか」
「うん」
心配そうな顔をするダニエルに、タチアナはニッコリ微笑みかけると立ち上がった。
歩き出そうとした瞬間、足がもつれ、軽くよろけた。
とっさにダニエルがタチアナの腰に手をまわして支える。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと、飲みすぎちゃったみたいね。年のせいか、めっきり弱くなっちゃった」
「やっぱり、お送りしますね」
「そうね。ありがと。お言葉に甘えとくわ」
思いの外、足元がふらついていたタチアナは、ダニエルの好意に甘えることにした。




