憂鬱
ダニエルは大きなため息をついた。
このところ、実家に行くのが憂鬱になっていた。
原因は義姉たち。
おそらくは、今日も実家で手ぐすねをひいて待っているに違いない。
出来ることなら帰りたくはない。
しかし、ダニエルにはどうしても帰らなければならない理由があった。
ダニエルの父・ルアードはゼルストラン公家の筆頭家老。
長兄と次兄がそれを補佐している。
ダニエルは定期的に父の元に行き、主君であるゼルストラン公との橋渡しをしなければならないのだ。
ゼルストラン公ニコラスは所領運営などには全く興味を示さず、全てをルアードに任し、自身は師範魔術師ニコラスとして、気ままに暮らしている。
現在、ニコラスの傍に侍ることを許されている家臣はダニエルただ一人。
15年ほど前、ニコラスが城を出て、師である霧の魔女・レイラの内弟子になる際に、当時お小姓として仕えていたダニエルの兄たちはついてに行くことを許されなかった。
ニコラスは供の者を連れず、単身でレイラの元へいこうとしたのだ。
臣下を拒絶するニコラスに対して、ルアードは一計を案じた。
レイラに頼み込んで、当時まだ7歳だったダニエルをレイラに入門させたのだ。
さすがのニコラスも、師が弟子をとるのを阻止することはしなかった。
事情をよく心得ていたレイラは、ニコラスが師範魔術師になると、ダニエルを弟子にするように命じ、ダニエルはニコラスの弟子になった。
幸い、ダニエルには魔術の才能もあったし、その屈託のないのほほんとした性格はニコラスに気に入られ、それ以来ダニエルはずっとニコラスの元で修業を続けている。
ダニエルは足取り重く、ゲートへと向かった。
*****
父・ルアードへの報告を終えると、ダニエルは憂鬱な面もちで部屋を出た。
「ダニエル様」
次兄の妻・コゼットに呼び止められる。
予想通りの展開に、ダニエルは泣きたい気分になった。
「お待ちしておりましたのよ。さぁ、ロセッティナ様もお待ちですからね」
コゼットは挨拶をしようとしたダニエルの腕を掴み、そのまま有無を言わさず強引に屋敷の奥へと、ダニエルを引きずっていく。
ダニエルは諦めの境地で、さしたる抵抗もせずにされるがままに、一室へと入った。
「まぁ、ダニエル様。一段と凛々しくおなりあそばれて」
長兄の妻・ロセッティナがみえすいたお世辞を口にした。
ダニエルと「凛々しい」という言葉が結びつかないのは、ダニエル自身が一番よくわかっている。
「凛々しい」とは対局の「緩い」タイプ。
それがダニエルだ。
事あるごとに、ニコラスに「君って頭の中にいくつものお花畑があるよね」と指摘されているくらいなのだ。
ロセッティナは、ダニエルをソファーに座らせると、目の前のテーブルに、ドンっと冊子のようなものを積み上げた。
「今日こそは、好いお返事をしてくださいましね」
ニッコリと笑いながら、目は「今日こそは逃さないわよ」と語っている。
「ダニエル様。ロセッティナ様はこの日の為に、あちこち飛び回られたのですよ」
すかさずコゼットが援護射撃をする。
ダニエルは心の中で大きなため息をつき、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「こちらのお嬢様は、刺繍がお上手でいらしてね……」
義姉たちの解説に、ダニエルは適当に相槌をうちながら、この拷問のような時間が一刻もはやく終わるのを待っていた。
テーブルの上に広げられているのは、どこかのご令嬢たちの肖像画。
義姉たちはダニエルにお見合いを薦めてきているのだ。
次々と広げられる、着飾った良家のご令嬢の肖像画に、ダニエルは食傷気味だった。
義姉たちは、これらのご令嬢の家に、ダニエルのことを一体どんな風に紹介しているのだろうか。
「あの……。僕は一介の魔術師ですから、こんな良家のお嬢様は……」
ダニエルにとっては、良家のご令嬢なんて、雲の上みたいな存在だった。
魔術師は上級魔術師となれば、王族と直接対話することも許されるようになる。
しかし、それは業務上必要だからであって、本来は直答は許されない平民なのだ。
師範魔術師ですら、準貴族の扱いだ。
「あらま、ご謙遜なさって。ダニエル様は上様のご側近。そこいらの殿方よりも、よっぽどご身分が高いのですのよ。ねぇ、コゼット様」
ロセッティナはコロコロと笑いながらコゼットに目配せする。
確かにダニエルはゼルストラン公のお小姓で、父・ルアードは家老職。
故に、貴族に分類されはする。
だが、ダニエル自身は、自分を貴族だと思ったことは一度もない。
なにしろ、7歳で入門してからはずっと魔術師として生きてきたのだ。
「お義姉様のおっしゃるとおりですわ。ダニエル様は将来性もおありになるし。なにしろ上様は、そこいらの王族の方々とは比べものにもならない尊いお方ですもの」
「はぁ……」
義姉たちの返答に、ダニエルは軽いめまいをおこしそうな心持ちになった。
義姉たちの立ち位置からみれば、ダニエルは王弟・ゼルストラン公のお小姓だ。
しかも、お側にお仕えする事を許された唯一存在。
捉え方では、ダニエルはかなり凄い人にみえなくもない。
が、実体は変人師範魔術師の内弟子だ。
それに、ダニエルの師匠であるゼルストラン公ニコラスは、世間一般で思われているような、謎めいた素敵な貴人とはかけ離れたお方なのだ。
ゼルストラン公ニコラスは、先王ライナスが最も寵愛し、死の間際まで手元に置いていた、末王子。
母は絶世の美女・側妃リュディヴィーヌで、幼少の頃の愛らしさは、花々が頭を垂れてうなだれてしまうほどだったと言われている。
いつの頃からか、めったに人前に姿を現さなくなり、成人後のゼルストラン公についての情報は極めて少ない、というのが世間一般に流布しているニコラス像だ。
決して嘘ではない。
花々が頭を垂れた以外は、事実だ。
しかし、それを額面通りに受け取ってはいけない。
なにしろ、現実のニコラスは魔術師協会きっての変人師範魔術師なのだから。
「あの……。お気持ちは有り難いんですが、僕はまだ修行中の身で……」
ロセッティナが次の肖像画を開きだしたので、ダニエルは慌てて言った。
「まぁ。上級魔術師といったら、一人前でしょう? どこへ行かれてもご立派に通用いたしましてよ」
「でも、僕としては師範魔術師を目指しておりまして……」
「まぁ、向上心がおありになりますのね。素敵でしてよ」
「はぁ、ありがとうございます」
ダニエルの抵抗は、ロセッティナにあっさりと潰される。
義姉たちには口では到底勝てないとはわかってはいるが、それでもダニエルは逃れようと、懸命に頭を回転させる。
「僕、まだ21ですし、ずっと修業してただけなので、世の中のことはあまりわかりませんし、結婚とかそういうことは、まだ先のことだと……」
「そんなことはございませんわ。殿方は家庭を持った方が落ち着きがでて、ようございますのよ」
「はぁ……」
とうとうダニエルはそれ以上言い返すことができなくなってしまった。
確かに、ロセッティナの言うことは一理あったからだ。
ダニエルは、家庭を持ち、以前よりはちょっと、ほんの毛筋ほどだか落ち着いたという実例を、日々目の当たりにしている。
その実例は、何を隠そう、ダニエルの師である変人ニコラスだ。
ニコラスは妻子を得てから、ちょっぴりだけ奇行が減った。
普段は出かけるときには乞食のような小汚い格好しかしないが、ごく稀に、普通の服装をして出かけていくようにもなった。
それは、以前のニコラスからは想像もできないくらいの変わりようだった。
「ねぇ、こちらのお嬢様なんかどうかしら、可憐な雰囲気が、ダニエル様にピッタリですわね」
「あら、ほんとに。お年も17歳。花の盛りですわねぇ」
ダニエルは肖像画をチラリと見た。
バラ色の頬の可憐な少女があどけない笑みを浮かべている。
ダニエルはテーブルに突っ伏したくなった。
一番苦手なタイプだった。
こういうタイプは、自分は護られて当然だと思ってることが多い。
そして、ちょっとでも気に入らないことがあると、瞳を潤ませて、目で訴えてくるのた。
女の子にそんな顔をされたら、無視する事なんてできない。
結局、その娘のわがままをきいてやらざるをえなくなる羽目になる。
そして大概はこちらを散々に振り回した挙句、感謝の言葉一つもなく突然態度をコロッと変えて、どこかへ行ってしまう。
のんびりとしたダニエルは何度となく、そんなことをやられていたのだ。
「まぁ。お気に召したのね」
顔を上げると、満面の笑みを浮かべるロセッティナと目がバッチリあった。
「ち、違います」
ダニエルは慌てて首を左右にブンブンと振った。
「まぁ、お隠しになって」
コゼットが「フフフ」と意味深に笑う。
「違いますって」
ダニエルの必死で否定した。
「心配なさらないで、後はあたくしたちにお任せになって」
そんなことを言って義姉たちは、強引にダニエルのお見合いを決めてしまった。
ダニエルはガックリと肩を落とし、とぼとぼと帰路についた。