僕の役目は簡単に言えば見張りかな
「へぇ、演劇部かぁ。そりゃ傑作だ。きっとモテるんだろうな、タケルくんは」
仮面ライダーが、あのお姉さんと同じようなことを言う。
……どこいらへんが傑作なのか理解不能だが……
「あのう……質問したいんですけどいいですか?」
「いいよいいよ。君の疑問を聞くだけならいくらだって聞いてあげる。僕が答えるかどうかは別問題だけどね! だって僕、犯人なわけだし」
相変わらず、犯人としての威厳がまるで感じられない調子で仮面ライダーがのたまう。
「もしかして……もしかしてですけど……動物園で会ったあのお姉さんって、あなたたちの仲間ですか?」
あの時の異常な眠気。目覚めたときにはもう誘拐されていたこと。そして彼女が僕の名前を知っていたこと……。
たまたま眠っていた僕を誘拐した訳ではなく、僕を眠らせてしまうことも彼らの計画なのだとしたら……
「ああ。今気付いたの? そうだよ。彼女には君に睡眠薬を飲んでもらう手助けをしてもらったのでした」
仮面ライダーによってあっけからんと告げられる真実。
なんだろう……このどうしようもなく裏切られた気持ちは……
あーお姉さんに話しかけられて頬を染めたあの時の自分を殴りてぇ
これだから美人は罪深いんだ。
「にしても先輩、あの子にいくらギャラ支払ったんですか? 僕より割高だって聞いたんですけど本当ですか?」
「……うるさいな。お前は面白半分に首突っ込んできたんだろ。そんな不真面目なやつにまともに払う金なんてない」
「えぇ。まさかノーギャラなんですか、これ」
大げさな調子で驚く仮面ライダー。表情は見えないのに、愉快気なのがなぜだか伝わってくる。
車は暗闇の中をなおも走り続け、いつの間にか高速道路を降りていた。
「もうすぐ着くよ」
「……密林の奥の奥ですか?」
「ハハ、いやいや、もっともっといいところさ」
密林の奥の奥が〝いいところ〟とは思えなかったが、それを言うとまたうるさそうなのでやめておく。いいかげん、仮面ライダーがどういうタイプの人間なのか分かった気がした。
信号が赤になって車がその場に停車する。これで信号に捕まったのは三度目。これといって拘束されていない僕は扉を開けて、無理矢理でも逃亡することもできたはずだが、もうそんな気も起らなくなっていた。
なんだかいいかげん、仮面ライダーと包帯男が〝犯人〟というかんじがしなくなっていた。きっと、ただの変な恰好の変態だ。
……十分同じ空間にいたくない類の人間ではあるけれど。
「よし! そこの角を左に曲れば目的地だ! タケル君、よかったね、間に合った!」
車は仮面ライダーが言ったとおり左に曲がる。目的地と言われても窓の外は闇の中で、周りに何があるのか全く分からなかった。
車は唐突に後退し始めると、その場に停車する。
「さて。外に出ようか」
「……一体ここはどこなんですか?」
「出れば分かるって」
そりゃそうだけど……。僕は訝しげに仮面ライダーと包帯男を交互に見る。
「あっ、もしかしてこのままの恰好で出たら僕たちが警察に捕まるかもって心配してくれてる? いやーなんて優しいんだ。でも大丈夫! こんな朝にお巡りさんに出くわすことはまずないから。そもそも一般人でもこんな早起きなのはお年寄り以外いないだろうしね!」
「むしろ警察にさっさと捕まってほしいんですけど。……早く家に帰りたいです」
僕は不満気に呟きながらも言われたとおり外に出る。
さっきの仮面ライダーの発言から、どうやら今は朝らしいことが分かった。
「っクシュン!」
車を降りた途端、正面から冷たい風が吹き抜け思わずクシャミが出た。風はやけに強く、制服の中は着込んでいるとはいえ、この寒空の下ではとても耐えられそうにない。
僕が寒さに打ち震えていると、唐突に背後から肩を叩かれる。
「うわあ!」
振り返ると、包帯男の顔がすぐそばにあって驚く。
「……これを……」
そう言って包帯男が徐に差し出したものは、先ほどまで包帯男が来ていた黒いジャンパーだった。
「……ありがとうございます」
「おい、飲み物買ってくるから、先に行っててくれ」
「じゃあ僕、メロンソーダでお願いします!」
「……メロンソーダなんて自販機で見たことないぞ?」
包帯男は仮面ライダーの、おふざけとしか思えない注文に律儀に返答すると、どこかに走って行った。走った先に自販機があるのかもしれない。包帯を顔面に巻いた男が走り去る姿は実にシュールだった。
「さてタケルくん、行こうか」
そう言って仮面ライダーは包帯男とは反対方向に進む。ついていく義理もないはずなのだが、自然と僕は仮面ライダーの後を追った。
もうとことん、この変人たちに付き合うことにしよう。
しばらく進んでいくと、コンクリートだった地面が砂浜に変わる。
聞き慣れないざわめきが耳まで届く。
「海……ですか?」
「そうだよ!」
呆気からんと仮面ライダーは告げると、適当な場所に座り込んだ。今まで顔しか見えなかったので分からなかったのだが、この男、服装はスーツだった。スーツに仮面ライダーの覆面という、笑いを取るにしても悪趣味な恰好である。
「タケルくんも座りなよ」
「……制服に砂がつきませんか?」
「そんな先輩みたいなこと言わなくていいから、、、さっ!」
仮面ライダーが僕の左足を思いっきり持ち上げる。僕は悲鳴も上げられぬまま背中から呆気なく素っ転んだ。
見上げた空は真っ暗闇で所々、星が瞬く。
「全身汚れちゃえば関係ないだろ?」
「……」
僕は無言で上体を起こし、抗議の視線で仮面ライダーを睨み付けた。
「さてさて、ここで問題です。僕は一体誰でしょう?」
「えっ?」
仮面ライダーの発言に、僕は眉間に皺を寄せる。
「そんなの分かるわけ……」
「ヒントは、実を言うと僕はメロンソーダがあまり好きじゃありません」
そう言って彼はニコッと笑った。覆面から顔の下半分を覗かせながら。
「いやー覆面付け続けるのってタケルくんは知らないだろうけど、つらいものなんだよ。特に呼吸が」
彼は僕の前で「生き返るー」と言いながら大げさに何度か深呼吸してみせた。
「それで、僕が誰か分かった?」
僕は再度そう訊かれて押し黙る。なんとなく引っかかりを覚えるのだが、うまくそれを説明できないのだ。
「あれだよ。タケルくんが会ったお姉さんはタケルくんに睡眠薬を盛ったって言っただろう? あれさ。一人でできると思うかい?」
彼はなおも中途半端に覆面を脱いで笑いかける。
「良く思い出してみてよ。だって君たちはテーブルを挟んで向き合っていたんだ。あのお姉さんが睡眠薬を飲み物に入れるヒマなんて普通あるはずがないだろ? 誰かさんが派手にコップを落としたりしない限りね」
言いながら彼は仮面ライダーの覆面を脱ぎさる。
「……今になって僕に正体を明かしたのは、もう警察に捕まる覚悟ができているからですか?」
「いいや。僕の役目が終わったからだよ」
「あのう……もったいぶって覆面取ってもらったところ悪いんですけど、顔見ても正直ピンときません。カフェでメロンソーダ落とした人で合ってますか?」
「正解だけど、正直過ぎて傷ついたよ」
そう言って笑った男の人は、確かにあのカフェにいた〝変な人〟だった。
短い黒髪に、痩せた体。やんちゃ坊主のような茶目っ気ある顔は、きっと彼を、本来の年齢よりも若く見せていることだろう。
「役目って何なんですか? 僕を誘拐することだって言うなら迷惑極まりないんですけど」
「僕の役目は簡単に言えば見張りかな」
彼は砂浜に手をついて空を見上げる。彼の表情には先ほどまでの笑みは消えていた。
「僕のですか?」
「いいや……先輩の方だよ」
彼はそう言うと勢いよく立ち上がる。案の定スーツのお尻は砂まみれで、彼はそれを手で払った。
「じゃあ、僕はこれで帰るから」
「えっ」
「僕が居ても邪魔なだけだからね。……先輩はさ、タケルくんといっぱい話がしたいはずなんだ。でもあの人、臆病でね。車の中では仕方なく僕から根掘り葉掘り訊かせてもらったよ」
僕は何がなんだか分からなくて、彼の顔を見上げていた。
「ああ、僕を逮捕するっていうならこれあげる」
彼は一枚の紙きれを僕に手渡す。
「それ僕の連絡先だし、嘘偽り一つないから。警察に突き出すっていうなら、どうぞご利用ください」
彼はそこで柔和に微笑む。
「だからさ。もう少しだけ先輩に付き合ってやってくれ」
そして本当に彼は海に背を向け、僕と対峙する。
「きっと、タケルくんとは友達になれると思うんだ! だからさ、できたらその連絡先は友達の証にしてほしいな。もしも先輩に会いたいって思ったら連絡してよ。多分先輩、連絡先なんて渡さないだろうけど、タケルくんにだって自己決定権ってものがあっていいと思うからね」
「……なんで僕があの包帯男に会いたいと思うんですか?」
彼はそこでスーツのポケットに手を突っ込む。
「思わないかもしれない。でも念のためにね」
―――なんだろう。彼の笑みの奥底には、今まで感じたふざけた印象とは全く違ったものがあった。
どこか達観した〝大人〟の眼差し。
僕はもしかすると、この人のことを何も分かっていなかったのかもしれない。
「じゃあ、また会う日まで!」
彼は楽しげにそう言うと何のためらいなく、元来た道を駆けていく。
茫然と、僕は彼の走り去る姿を眺めていたが、次第にそれは霞み、夜の闇に取り込まれてしまった、
僕はただ一人、闇の中に取り残される。