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多分映画が好きなのは母さんなんです。

 中学生というのは案外忙しい生き物である。

 一週間の大半は学校に通い、授業を受ける。部活動に勤しむ者は休日も返上して練習を行う。挙句の果てはピアノや空手、塾といった習い事。これじゃ気の休まる時なんてないだろうが、気の休まらないことが、気の休まらないなりに達成感につながるものらしく、皆あまり文句は言わない。言うとしたらテスト勉強がきついとかそんな話で、だいたいほどほどに幸せな顔をしている。

 だから、何が言いたいのかだって?

「なあ、今日ヒマか?」

「ごめん、今日は塾なんだ」

「俺は今日から合宿」

「親と出かけるんだ」

 つまりあれだ。割かしヒマな僕からすると、遊び相手が見つからなくて困るという話なのだ。

 友達は多い方でもないけれど、少ない方でもないと思う。けれど、友達と放課後遊ぶというのは実に珍しい話で、僕は一人でヒマを潰す術を模索しなければならなかった。


 エンドロールを眺めながら欠伸を噛み殺す。

 僕は残っていたポップコーンを口に投げ入れ席を立った。

 金曜日の夕方、平日の映画館は半分の席も埋まってはいない。

 エスカレーターで隣接するショッピングモールまで降りる、そのままアーケードを進んでいくと異様なものが目の前に現れる。

 動物園への入口。

 つくづく不思議な作りだと思う。もちろん動物園の入口は別にも存在する。この入口は正規の入口までだいぶ遠回りなところにあり、無理矢理設置したとしか思えない代物だ。

 まあ、僕個人としては便利だから文句どころか感謝に値する作りなわけだが。

 僕は係員に年間パスを見せ、中に入る。

これが僕のヒマ潰しだ。財布に余裕があれば、映画一本付きである。

 ぼんやりと入口近くにいる象を眺めながら、そう言えば母さんは動物園が嫌いなんだよなと、取り留めのないことを考える。その割によく連れて来てくれたけど……

「さて、いつものとこ行くか」

 僕は伸びをして、象に背を向ける。

 僕が動物園に来るのは、見てて飽きないやつがいるからだ。ぶっちゃけ、そいつのことが好きなのである。ファンと言ってもいい。最近では飼育員さんとも仲良くなって、素手で持たせてもらったこともあるくらいだ。

 僕は鼻歌混じりに動物園の奥に歩み出す。

「あのう、すいません」

 初め、自分が話しかけられているということに気が付かなかった。

 自分で言うのもなんだけど、制服で動物園を一人闊歩する姿はかなり異様なものがあるものだ。

 友達いないんだろうな、と毎回遠巻きに可哀そうな目で見られるのが落ちなのである。

 しかし今日はどうしたことだろう。

「写真、撮ってくれませんか?」

 そう言って微笑みかけたのは、なんと綺麗な、本当に綺麗な女の人だったのである。

 歳は二十歳後半だろうか。髪は肩くらいの長さで茶に染まっていた。首には緑のマフラーが巻かれ、体はベージュのトレンチコートに包まれている。長い脚と高い身長は、まるで本物のモデルさんのようだった。

 そして僕以上にこの古ぼけた動物園に不釣り合いな存在でもあった。

「あっ、はい」

 純朴な少年たる僕が赤面してしまったのは、仕方のないことではなかろうか。いいや、自然の摂理だと言ってもいい。

 僕が彼女の白いデジタルカメラを構えると、彼女はライオンの顔面がくりぬかれた、所謂「顔出し看板」から文字通り顔を覗かせた。

 それが本当に……年上の女の人に抱く感想としては失礼極まりなにのだが……可愛いらしかった。

「ありがとう」

「いえ……」

 僕は俯き気味にデジカメを返す。

「あなた、学生さん? 今日は一人なの?」

「はい、そうです」

「私もね……一人なの」

 彼女はそこで、神妙な表情で俯いた。

「ねぇ、よかったらそこのカフェでお茶しない?」

「えっ?」

 動物園の中に申し合わせ程度に存在するカフェを指差し、彼女は微笑みかけた。

「お姉さん、奢っちゃうわよ?」

「そんな、申し訳ないです」

「遠慮することなんてないわ……私ね、今日は誰かとお話ししたい気分なの。ねぇ、お話、付き合ってくれない?」

 そう言って首を斜めに傾げた彼女に、僕の胸のどぎまぎは止まらない。

「ちょっとした雑談でいいの。久しぶりに若い子と話してみたかったのよ」

 僕は彼女の妖艶でいて真っ直ぐな瞳に、いつの間にか無言で頷いていた。

 これがもし小太りで背の低い、禿げ頭の不細工なおじさんだったなら、僕は決してついていくことはなかっただろう。

 美貌というのは罪だ。「知らない人にはついていってはいけない」そんな簡単な戒めも守れなくなってしまうのだから。

「何が飲みたい?」

「……じゃあ、コーラでお願いします」

「あら、コーラ好きなの?」

「あっはい。毎日飲んでも飽きないくらいには好きです。母さんにはいつも〝健康に良くない〟って怒られるんですけど……」

 彼女はそこで、クスクスと手を口に当てて笑い出した。

「どうかしたんですか?」

「……いいえ、ごめんなさい。私の知り合いにもコーラが大好きな人がいて、その人も同じようなこと言ってたなと思って」

 どこか嬉しそうな表情で彼女は弁明した。

 そしてウエイターを呼ぶと、先ほどの注文を告げる・

「動物園にはよく来るの?」

「……はい」

「へぇ。よっぽど動物が好きなんだね。将来の夢は飼育員さんとかかな?」

「将来のこととか、あまり考えたことないんで……よく分かりません」

「そっか。まだ中学生だもんね」

「お待たせ致しました」

 ウエイターがやってきて、僕らの前にコーラとコーヒーを置く。ウエイターは去り際に彼女に一瞥を加え、微かに頬を染めた。

 美貌とは何て罪なのだろう。

「そもそも動物園の飼育員は親に反対されそうなんで、無理だと思います」

「えっ、どうして?」

「母さん、動物園が嫌いなんですよ。わざわざお金払って入る意義を感じないって……」

 動物園での気だるげな母さんのことを僕は頭に思い浮かべる。

「うわあぁあ!!!!!」

 突然、男の叫び声と同時に、何かガラスのようなものが割れる音がした。

 背後から聞こえた音に僕は思わず振り向く。

 床にはガラスの破片のようなものが散らばり、濃い緑色の液体が水たまりを作っていた。

「お客様大丈夫ですか?!」

 先ほどのウエイターが、その惨状の元に駆け出す。

「すいません、手が滑ってしまって……」

 背広姿の長身の男が、慌てて割れたコップの破片を拾う。

「メロンソーダ台無しだよ。好きなのになぁ、メロンソーダ」

 男は自分がコップを落としてしまったにも関わらず、どこか不満気に呟く。

「僕がどれだけメロンソーダが好きなのか分かりますか? そして今の僕の悲しみがどれだけのものか、分かってくれますか! ねぇウエイターさん、ぜひ! ぜひ聞いてやってください!」

「へっ?」

 雑巾でメロンソーダの水たまりの始末をしていた生真面目そうなウエイターは、素っ頓狂な声を出す羽目になる。

 ……世の中には変な人がいるものだ。

 背広の男は、集めたコップの破面をゴミ箱に押し入れると、ウエイターと肩を組んで、奥の席に移動して行った。

「なんだったんですかね……」

「本当に、変な人ね」

 彼女は嘆息混じりにそう呟く。

「ええっと、何の話だったっけ? ……確か、お母さんが動物園を嫌いだって話だったかな?」

「はい」

 僕はストローでコーラを飲みながら肯定する。

「動物園を嫌いになる理由ってあんまり思いつかないけどな……獣臭いとかそんなことかしら?」

「〝ニートの生態を見ているようなものじゃないか〟って言うんです」

 一瞬、彼女は僕が何を言ったのか理解できなかったのか、沈黙が生まれる。

「ええっと、ニートって……あの、働かずに家に引きこもっちゃう人のことよね」

 僕はストローに口を付けたまま頷く。コーラの炭酸が舌の上で弾けた。

「もしも動物園に〝人〟という展示スペースがあったらどう思います?」

「率直に、斬新なアイデアだと思うわ」

 その光景を想像しているのか、彼女は目を宙に泳がせた。

「展示されている人は、ガラスケースの狭い空間から一歩も外に出られない。けれど最低限の生活が営めるように、お世話してくれる飼育員がいるんです。一切働くことなく衣食住に不自由しない。これって正にニートでしょ?」

「……確かに」

「母さんは動物園にいる動物は、その動物種の中で最も底辺の役立たずの集合体なんだって言うんです。狩りといった野生の苦労を知らない体たらくで、その上現状に不満を抱くこともなく、ただ日常が過ぎ去っていくのを良しとしている存在だって」

「……あんまりな言いようね」

 彼女は苦笑いを浮かべる。

「やっぱり、ニートの生態見るためにお金は払いたくないですよね」

「……なんだかユニークな発想のお母さんなのね」

「よく言われます」

「そうなると、なんで息子の君が動物園に通っているのか気になるわ」

 僕はコップをテーブルの上に置いたままストローに口を付けていたので、自然と彼女を見るとき上目遣いになる。

「ダメですか?」

「ううん、だめじゃないけど、何でかな?って思って」

「……気にいってる動物がいるんです」

「へぇ、ニートなのに?」

 彼女はどこか可笑しそうに笑いながら、皮肉を言う。

「言ってるのは母さんですよ? 僕はあんまり気にしてないです。だいたいニートじゃない野生の動物なんて簡単に見れるものじゃないし」

「ふーん。それもそうだね。じゃあその気にいってる動物って何なのかな?」

 僕はそこでストローから口を離し、背筋を伸ばす。

「……誰にも分かってもらえないんで言いません。むしろ当ててみてください」

「けっこういじわるなんだね」

 彼女はコーヒーを飲みながら困ったように微笑んだ。

「……ライオン?」

「違います」

「じゃあトラかな? ……それともレッサーパンダとかカワイイ動物?」

「そんなメジャーどころが好きだったら誰だって当てられてますよ」

「それもそうだね」

 最初にライオンを挙げた時点でこの人は本気で当てる気がないのだろうと思った。

窓の外はすでに闇に包まれている。今日はその「お気に入りの動物」には会えそうになかった。

 無意識に大きな欠伸を一つする。

「でも学校帰りに動物園に寄るなんて、よっぽどその動物は魅力的なんだろうね。学校では部活とかしてないの?」

「部活には所属してますけど、いつも活動している部活ではないんで結構ヒマなんです。……今日もヒマだったから映画観て、動物園に来た訳で……」

「えっ、やっぱり映画好きなの?」

 やっぱり?

 目を丸くする彼女を眺めながら、その妙な言い回しはなんだろうかと考える。

 ……まるで僕のことを前から知っているような言い方だ。

 親戚にこんな綺麗なお姉さんいたかな? こんな綺麗な人、一度会ったら忘れないだろうに。

 僕って映画好きっぽい顔でもしてるのかな……

 そう言えば、どこぞの日本の監督に顔が似ていると言われたことはあるような。

「映画はそんなに好きじゃないです」

「えっ、でも今日も観て来たんでしょ?」

「……なんていうか、映画は動物園とセットみたいなもので……」

 彼女の顔に疑問符が浮かんでいるのが分かる。

「えっと……。多分映画が好きなのは母さんなんです。昔からよく映画を観に連れて行かれて……その後動物園に行くのが休日のお決まりのコースになっていて……。だから映画もあるとしっくりするっていうか……部活の先輩にも映画をいっぱい観るように言われていて、動物園行くならおまけで映画も観ておこうぐらいのノリなんで」

「部活って映画研究会とか……ではないのよね?」

「演劇部です」

 彼女は先程よりも大きく目を開き、ゆっくりと口元を綻ばせた。

「へぇ、そうなんだ」

「でも、文化祭前しか忙しくならないんで、基本ヒマなんです」

「そうか、演劇部か、きっとモテるんでしょうね」

「? なんでですか?」

 演劇部はみんなモテるってことか? ……それなら部長があんな「彼女欲しい! 彼女欲しい!」なんて連呼しないと思うけど……

「だって君、かっこいいもの」

 僕は思わず頬を染める。そして心の中で即座に首を振った。いけない、いけない、お世辞に踊らされては。これだから美人は罪深いんだ。

「でも不思議ね。演劇部に入って、たくさん映画も観てきたのに〝映画が好きじゃない〟なんて。むしろ演劇部に入部した理由が〝映画が好きだから〟くらいでもいいと思うんだけど」

「……多分それは母さんのせいだと思います」

 言いながら僕はまた欠伸をしていた。なぜだか無性に眠たい。毎日十時には寝ているが、いくらなんでも今日は早すぎた。知らない内に疲れていたんだろうか?

「僕が六歳くらいの頃から映画館には連れて行ってくれたんですけど……最初に観せた映画なんだったと思います? 戦争映画ですよ、戦争映画! 子供の僕には退屈で退屈で仕方なくて……。今思うと幼い僕の映画での退屈を紛らわすために、動物園にも連れて行ってくれていたのかもしれません。そんなまどろっこしいことするくらいだったら最初から子供向けの……例えば戦隊ものの映画とかトンネル入ったら親を豚にされて風呂屋で働く話とか、そんなの観せてくれたらよかったのに。いつも何を観るかは、母さんが決めて譲ってくれなかったんですよ! だから、映画が面白いものだとは思えなくなっちゃって……」

「だいぶ不満が溜まってるんだね」

 僕は彼女の苦笑いを見つめながら、ストローでコーラを飲み干す。

 飲み干す寸前でゴゴっと大きな音がなった。

「ねぇ、お母さんは他にどんな映画に連れて行ってくれたの?」

 彼女はそこで初めて僕から目線を逸らした。コーヒーはまだ残っているのか、カップの中身をスプーンでぐるぐると掻き混ぜている。

「戦争映画の次は……確かラブストーリーでした。その次は歴史上の偉人の半生だかなんだかで。次がSFもので……設定が難しくて全然内容が分からなかったんですけど。とにかくジャンルに全くの統一感がないんです。正直母さんが……何を基準に……映画を選んで……いたの……か分かり……ませんでし……」

 僕はそこで頭で船を漕いでいた。意識がうつらうつらし始める。

「……ううん。お母さんにはちゃんと、君とその映画を観る意味があったんだよ」

 そう言った彼女の顔……僕の意識が眠りにつく前に見た最後の彼女の表情は、どこか悲しげなものだった。

「添島剛くん」

 そして彼女は最後に、名乗らなかったはずの僕の名前を違うことなく呼んだのだ。


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