なんか、誘拐されている
なんか、誘拐されている?
車の後部座席に横たわって眠った振りを続けながら、状況把握を行った結果がそれであった。
どうなってるんだ?
頭がぼんやりとする。正直、眠ったふりをしながら本当にまた寝てしまいそうだった。
車は滞りなく走り続ける。さっきから全く止まらないところをみると、高速にでも入っているのかもしれない。
「さっきから何やってんだ」
「彼女にメールですよー、野暮ですねー先輩」
「……お前に彼女なんかいたのか」
前から男の声が二人分聞こえて来る。
さて、どうしようか……
ポケットを探ってみると、固い感触があった。よし、まだスマートフォンは盗られてないみたいだ。僕は右ポケットからスマホを取り出すと、体で隠して操作する。これで取り敢えず母さんに連絡すれば……
目を瞑ったまま、後ろ手に操作する。しかしながら、ホームボタンを押した時点で僕の指の動きは早くも止まってしまう。
……タッチパネルじゃ、何を押したのか分からねぇ。
画面見れなかったら、まずロックすら解除できないよ。
運良くロックが外れたとしても、母さんの連絡先が電話帳のどのあたりを押せば出てくるかとか分からん。いや、まず電話帳のアイコンがどこにあるかも分からん。
「スマホってピンチのとき役に立たねぇな」
一瞬の沈黙。
前からくぐもった男の笑い声が聞こえて来る。
さっきの発言は誰かだって? 僕だよ。しゃべっちゃった。
「おはよう。タケルくん。お目覚めはいかがですか?」
「……おはようございます」
僕は潔く、犯人様に挨拶を返した。目を開けて体を起こす。
眼前に飛び込んできたのは助手席から覗く仮面ライダーの顔だった。正確には仮面ライダーの覆面である。正義のヒーローの仮面を被って誘拐するとは、何とも悪趣味な犯人様だろう。
「君のスマホなんだけどね。もう充電切れてたから。どっち道使えなかったと思うよ」
仮面ライダーの覆面は、必死で笑いを堪えながらそう言った。
スマートフォンよ、どんだけ役に立たないんだ。
「……あのう、僕。今誘拐されているってことであってますか?」
「そうだね、だいたいそんなかんじ」
仮面ライダーは曖昧に非情な事実を告げる。
「……誘拐する子、間違えてるんじゃないですか?」
「えっ。そんなはずないんだけどなー。だって君、添島剛くんでしょ?」
「……そうですけど……」
「ほら、間違ってない!」
仮面ライダーの、なんとも愉快そうな口調に僕は眉を寄せた。
「僕の家、お金持ちじゃないですよ? 身代金とか要求したって大したお金取れないと思いますけど……」
「いやいや、お金なんていらないから」
仮面ライダーはそう言いながら右手をひらひらさせた。
お金なんていらない? 一体どういうことだ?
「だって僕たちの目的は、我が快楽のために、平凡的、一般的、どこにでもいるような少年を虐殺することにあるんだから!」
虐殺を終えたらね。少年を密林の奥のおーーくに埋めるのさ! 無差別殺人だよ、無差別殺人。と続けた仮面ライダーが、右から現れた手の平によってはたかれる。
「……ったいなぁ! 先輩」
「……変なこと吹き込むな。あと先輩と呼ぶなとあれだけ言っただろ」
「じゃあ、何て呼べばいいんですか? 包帯男? 透明人間?」
僕は恐る恐る運転席を覗く。運転席には黒いニット帽をかぶり、顔を包帯でぐるぐる巻きにした男が座っていた。目元以外の素肌は見えず、やけに完成度が高かった。
どうやらこの二人、僕に顔を見られないように変装しているらしい。包帯男が注意した「先輩と呼ぶな」ってのは、この二人の関係を僕に悟らせないためのものだろう。まあ、仮面ライダーのおかげで無駄に終わった訳だが。
「そんなのなんでもよかったんだよ……。ああもういい、先輩で」
「あざーっす」
なんて緊張感のない会話なんだ……。これが「誘拐」という大犯罪をやってのけている犯人の会話なんだろうか。変装からしてふさげている。だいたい……
「なんで、変装しているんですか?」
「そりゃ、君に顔を見られないためだよ?」
「僕の目を塞いだ方が早くないですか?」
一瞬の沈黙。
「それに、手も足も縛られてませんけどいいんですか?」
仮面ライダーの覆面が膝を叩いて笑い出す。僕はその様子を訝しげに見つめた。
「そんな変な恰好で外に出たら、きっと誘拐じゃなくて不審者で逮捕されますよ」
「……確かにそうだな」
包帯男の唸り声に、仮面ライダーの覆面が笑い過ぎで咳き込み始めた。
「……まさか、仮にも人質にアドバイスされるとは驚いたな。ねぇ先輩?」
仮面ライダーの覆面は一頻り笑い終えるとそう言った。
「抜けてますねぇ、僕たち」
言葉とは裏腹に、仮面ライダー覆面の口調には深刻味の欠片もなかった。
「だけど君も抜けてるよね。そんなアドバイスしてそれを僕たちが取り入れたらどうするつもりなんだい? 今から目隠し付けて、手足縛られちゃう?」
「えっ、そんなの困ります」
仮面ライダー覆面の指摘に、ずいぶんと間の抜けた返事を返していた。
言われてみれば、なぜ犯人を助けるようなこと提案しちゃってるんだろう。
いつもこうだ。冷静に状況を把握できているかと思ったら、妙なところでしくじる。テストで解答は完璧なのに名前書き忘れちゃうようなものじゃないか。
……実際、一回やったことあるけど。
「大丈夫だよ。そんなことしないから。ただし大人しくしといてくれよ? 暴れられてこの車が事故でも起こしたら君も困るだろ?」
僕は無言で頷く。
「まあさ。目隠しも拘束もしなかったのは、君にあまり危害を与えたくなかったていう理由があるわけで。その点僕たちのこと信用してくれよ」
何せ、大事な大事な商品だからね! と続けた仮面ライダーは、右から来た手の平によってはたかれる。
デジャブだ。
「じゃあ、一体……あなたたちの目的は何なんですか?」
痛い痛い、喚いていた仮面ライダーが、僕の問いかけに静かになる。
「そうだね……多分、これは僕たちの自己満足なんだ。わがままなんだよ」
「……この車はどこに向かっているんですか?」
「それは秘密」
仮面ライダーが、なんだか覆面の中で笑っているような気がした。
「目的地に着くまでは、まだ時間がかかりそうなんだ。折角だからお兄さんとお話ししようよ。タケルくん」
「……なんでそんなことしないといけないんですか?」
なんでこんな得体の知れない犯人とおしゃべりしないといけないんだ。どうでもいいけど、この仮面ライダーは「お兄さん」という年齢なのだろうか? まあ、確かに声は若いけど。
「まあいいじゃないか。話してる内にこっちがボロを出すかもしれないんだし。警察で有力な証言できるかもよ?」
〝お話、付き合ってくれない?〟ふいに女の人の声が頭に響く。あれ? なんだか、つい最近のできごとのような……
「君の名前は添島剛。歳は十三歳で中学二年生。学校指定の制服は今着ている通り真っ黒な学ラン。母親の年齢は三十八歳。あってる?」
「あってますけど……」
「なんでそんなこと知っているのかって顔してるね。まあさ、君のことは色々調べさせてもらったんだよ。あんまり気を悪くしないでくれ」
それは無理のある相談だ。気味が悪くて仕方なかった。……それにしても、ここまで調べ尽くすとは本当に僕が誘拐の標的らしい。
「雑談でいいんだ」
〝ちょっとした雑談でいいの〟
「今時の学生の実情に興味があってね」
〝若い子と話してみたかったのよ〟
彼女はそう言って笑った。
ふいに、頭に響く声の正体に気付く。
ああ、そうだ思い出した。僕は誘拐される前、あのお姉さんと話していたんだ。
僕は窓の外を見た。スマホの充電も切れているから今が何時なのか分からない。けれど外は予想通り闇に包まれていた。
そりゃそうだ。動物園に着いたときには六時を過ぎてたもん。
僕は仮面ライダー覆面の質問に答えながら、誘拐される前に出会ったお姉さんのことを思い出していた……