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凛子と青い車  作者: ふとん
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凛子と森

 ひやりと頬を撫でる森の夜気は街のそれとは大きく違う。

 草の匂い、どこか遠くから鳥の叫ぶ声も混じって凛子を迎えていた。


 呆然としていた凛子だったが、はっと思い至って振り返るもののそこには目をこらせど先の見えない森が広がるばかりだ。


「ど…」


 どうしたというのか。

 自分は会社を出たばかりのはずだ。

 それがどうして森のど真ん中にいるのか。

 ただ、混乱する凛子のヒールが踏みしめているのは間違えようもなく土と草で、会社帰りの彼女が唐突に遭難してしまったことだけは明白だった。


 森のひんやりとした風に促されるように正気に戻ってきた凛子はバッグの中から携帯を取り出してみる。

 ほのかに灯った液晶画面にいくらか心が安らいだが、アンテナは一つもない。

 基地もない場所なのかと息を吐くと、冷たい空気が口腔に満たされて凛子はすぐに口を閉じた。そう寒くもないと思っていたが、体温が息をするだけで確実に奪われている。

 

 いよいよどうしたものかとあたりを見回した凛子の目に、不意に明かりが見えた。

 

 ぽつ。


 ぽつ。


 ぽつ。


 一つ二つと灯った明かりは、


「浮いてる…?」


 丸いぼんぼりのように夜の闇に浮き、それは次第に数を増やして森を淡く照らしていた。

 改めて見遣ればそれは道などないと思っていた森のけもの道を照らしだしていて、細い、道とも言えないような道が一本の糸のように森の奥深くへと伸びている。

 不思議なことに道を照らし出している明かりには燭台もなければ吊るす紐もない。ただ明かりだけが宙にふわふわと浮いている。

 

 突然引きこまれた森に不思議な明かり。 

 まるで凛子を誘うような道を彼女は見つめた。


 ここで立ち止まったままでは、きっと知らないうちに凍えてしまうだろう。


「……行こう」


 凛子は不安に背中を押されて歩き出した。


 道はくねくねと森を縫い、しかし明かりは途切れることはなかった。

 森は深く、明かりのない場所は黒々としていたが、遠くで鳥がぎゃあぎゃあと鳴くだけで他に動物はない。

 凛子は会社の中で着ていたカーディガンも羽織って、明かりを追うように足を進めた。

 

――使い古したヒールもいよいよ草臥れてきたところで、不意に道は途切れた。

 木々の開けたその場所にあったのは、神社の社。

 赤い鳥居を明かりに促されるままくぐると、石燈籠に明かりが灯って煌々と神社の社殿を照らし出す。

 その神社は見上げるほど大きいかと思えば、まるで一人住まいのアパートほどに小さくも見える。

 そんな不思議な神社の戸を誘われるように押すと、暗闇に包まれていた社殿の中がふわりと明るくなった。

 まさか誰か住んでいるのかと反射的に身を竦めた凛子を、くすくすと笑う声がする。


「――よく来た、娘」


 社殿の奥、神棚に白い影がある。

 ぶわりといっせいに鳥肌のたつ思いで目を見開いた凛子を、影は男の声でなおも笑った。


「よい。儂を見て驚かぬ方がおかしいわ」


 そう笑ったのは牙の覗く口元。戯れに回された長い爪の指先にぼぼっと青い火が浮いた。


「よく来たな。歓迎するぞ」


 叫べばいいのか泣けばいいのかもわからず口をぱくぱくとさせる凛子に向かって、それがにやりと笑った。

 真っ白な直衣を着込み、白銀の髪は夜叉のように伸び放題に長い。目鼻立ちの整った色白の顔には牙の並ぶ口が真っ赤に開き、楽しげに細められた目は金色だ。

 その頭にはぴんと立った獣の耳があった。


 見間違いでもなく、彼は異形だった。


 呆然と見返す凛子だったが、男はその性格を表すように皮肉げに口の端を上げる。


「お前をようやく招くことができた。嬉しいぞ」


 本当に嬉しそうに目を細めるものだから、怒りも戸惑いも忘れて凛子は異形の男を見返した。


「あの…あなたは?」


 当然ながら凛子は男を知らないが、彼の方は彼女を知っているようだ。


「儂は鏡月。見ての通りの化け物よ」


 そう男が笑うと彼の背中にあった長い髪が生きているように波立った。その長く伸びる様子は、尻尾。

 それに誘われるように、一斉に社殿が息苦しくなった。


「およめさまか!」


「お嫁さまだ」


「嫁っこだ!」


 わっと口々に騒ぎたて始めたのは、彼と同じ異形だった。

 一つ目小僧に大きな大蛇、言葉を解すはずもない狸に兎がわぁわぁと顕われる。


「騒ぐな。やかましい」


 そう男、鏡月はたしなめるものの当の本人もまんざらではないようで、異形たちは酒でも飲みかわそうかというほどのどんちゃん騒ぎだ。


「お前の名前を聞いておらぬな。娘、名は?」


 鏡月の言葉に異形たちが突然静まりかえる。

 その異様さに身を竦ませながら、凛子は真っすぐ鏡月を見つめた。


「……私を招いた、とおっしゃっていましたがそれは、どういう…?」


「言葉通り。お前を儂が招いた」


 自信に満ちたその顔に嘘はない。どうやら鏡月は凛子に嘘をつくつもりも何かを隠すつもりも無いらしい。 

 次は何を尋ねようかと思案した凛子に、鏡月はゆったりと微笑んだ。


「お前は特別なのだ。お前の居る場所は栄え、そばに置けば富む。儂のようなアヤカシには無限の力をもたらす」


 訳が分からず鏡月を見つめ返すと、彼は幼子を諭すような顔で続ける。


「その身を求めて、今までどれほど群がったのだろうな? 才ある者から順にお前に惹かれて群がり集い、アヤカシや神までお前の手を引こうと手ぐすね引いておったのよ」


 つまり、だ。

 凛子は息を我知らず呑んだ。


「お前は生まれながらにして金を背負った魚だ。――食らえばさぞ旨かろうが、ようやく手に入れたのだ。命尽きるまで儂が愛でてやろう」


 凛子は、その生まれのせいで、こんな目に遭っているということだ。


 お金持ちと出会って、拒んできた。


 それがどういうことなのかも分からず。


「――お前のような者は、人の世では生き辛かろう。儂の世界で面白おかしく暮らしてはどうだ」


 街を歩けばお金持ちに浚われそうになったこともある。

 子供の頃は自分で断りきれないから両親や友達にどれほど迷惑をかけたか分からない。


(私って、そんなに異常だったの)


 お金持ちに関わること以外は普通に、平凡に生きてきた。

 地に足をつけてしっかり自分で歩いてきたはずなのに。


 凛子はすっかり汚れてしまった、愛用のヒールに目を落とす。


 鏡月の言うことをすっかりそのまま信じるわけではないが、凛子が生きてきた人生は浮世離れしている。


(私がいなければ…)


 両親は下げなくてもいい頭を下げなくても良かった。

 事あるごとに起こる騒動に、友達を失くしたこともある。

 お金持ちの方も、凛子のような不可思議な女に振りまわれなくて済んだ。


(私が…)


 凛子はまるで釣られた魚のように、アヤカシ達へと一歩踏み出した。



「お邪魔します」



 ぎぃと閉じられていた社殿の戸が薄く開いたかと思うと、今まで静かだったアヤカシ達が一斉に目を吊り上げた。

 鏡月もその美しい顔をぎりりと歪めて金色の瞳を鋭くする。


「あなたさまともあろう御方が、人の子を浚ってどうなさるおつもりですか」


 招かれざる客はぴりぴりする社殿の空気を物ともせず、ゆったりとした足取りで凛子と隣へと並ぶ。


「どうして…?」


 呆けて見上げた凛子を彼は見下ろして微笑んだのは、


「お待たせ。遅くなってごめん」


 山原だった。 

     

 

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