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凛子と青い車  作者: ふとん
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凛子の反省

 男性との食事に、凛子がこれほど感動したことはなかった。


 半ば操られるように山原と食事の約束をした凛子は、男性との食事を生まれて初めて楽しんだ。

 山原が彼女を連れていったのは、気取らない洋食を出す店だった。ベースとしてはイタリアンだが、シェフが日本人に合う料理を出してくれるのでしつこくなくて食べやすい。

 材料こそ一般的なものだが、その料理は世界の珍味を食べつくしたといっても過言ではない凛子の舌を満足させた。

 何せ彼女が今まで好かれたお金持ちに連れて行かれた店といえば、山海の珍味を食べ尽くさんばかりの中華料理や、世界の味を統べるようなフレンチ、奥座敷に獅子脅しが見える格式高い和食といった、いずれも凛子のような庶民が一生に一度行ければ御の字という名店ばかりだ。それは海外にも及び、彼女は一生に一度を何度繰り返したか分からない。


 今運ばれてきたメインの魚はナイフを入れる前からいい香りが食欲をそそられる。

 

「――良かった。口に合って」


 正面に座る山原が照れたように頬を掻いた。


「実は、たくさん店を探したんだけど、やっぱり自分が一番美味しいと思う店がいいと思って」

  

 そう言って微笑む山原に、凛子の胸は波打った。


(――今までだって、そうだったはずなのに)


 今までお金持ちばかり、格式ばかり高い店に連れていかれていたと思っていたが、やっぱり料理は美味しかった。彼らだって、凛子に美味しい物を食べさせようと連れて行ってくれていただけなのに。


(それを、私は迷惑に思ってなかった…?)


 美味しい料理は値段ではないはずなのに。


「佐々木さん?」


 急に手を止めた凛子を覗きこんでくる山原が心配顔だ。

 いけない、と凛子は微笑んだ。


「とっても美味しくて、もうすぐコースが終わってしまうのがもったいないと思ってたんです」


 お金持ちとの場数で、繕い方ばかりが得意になってしまった。

「まだデザートがありますよ」とほっとした顔になった山原に、凛子は申し訳なく思った。

     

 今まで戸惑うばかりで、何故か近寄ってくるお金持ち達をどうあしらうかということだけに意識を傾けていた凛子は、料理を本当の意味で楽しんではいなかった。美味しいか不味いか、口に合うか合わないか、ただそれだけのことで。


(来て良かったのかもしれない)


 驚きの余り、ほとんどプライベートの付き合いなどない男性の誘いに乗ってしまった浅はかさは戒めるべきところだが、山原は誘いをかけてくる男性特有の嫌味さがなかった。

 今日の食事は、仕事帰りに待ち合わせして連れられてきた。本当なら疑うべきところを凛子が失念してしまうぐらい、山原は自然に彼女を連れてやってきたのだ。これが山原の手だと言われればそれまでだが、凛子の今までの人生で培われてきた人一倍強いはずの警戒心をいとも簡単に潜りぬけてしまう彼はやはり特殊だった。

――普通の男性からのお誘いを未だかつて受けたことがないという事実もあるにはあるのだが。  

 いちいち場所に驚いたり、料理に驚いたり、うっかり垣間見た値段に驚いたりしないデートは初めてなのだ。


(……今までどれだけ特殊だったんだろう)


 知らず知らずのうちに山原との食事をデートだと名付けていることに気付かず、凛子はどこか遠くなった心で、やってきたデザートのコンポートを眺めた。


 食事が終わってコーヒーが運ばれてくると、山原はようやく一息つくように椅子の背に体を預けた。


「……お疲れなんですか?」


 凛子の問いに山原は苦笑する。

 

「――緊張していたんです」


 緊張、という言葉に今度は凛子が目をぱちくりとさせる。緊張していたのは凛子の方だ。料理は美味しかった。だが食事の間中、山原と何を話して良いのか分からなかったから料理ばかりに気を取られていたのだ。


「佐々木さん、とても綺麗に食事されるんですね」


 ほら、と山原が指したのは凛子側の食卓。コーヒーカップの外側にスプーンが置かれ、白いテーブルクロスにはソース一つ飛び散っていない。

 指摘されて凛子はぎくりとする。

 そういえば、お金持ちとばかり食事をするからか、凛子のマナーは教本から抜けて出てきたようだと友人たちによくからかわれるのだ。


「佐々木さんがあんまり綺麗に食べるものだから、俺も少しでもよく見せようと思っていたら、料理の味がしなくて」


 やっと出てきたコーヒーが美味しいのだと山原は笑った。

 そう言いながら彼はたっぷりとミルクをコーヒーに注ぐ。


「……もしかして、私に合わせてコーヒーにしました?」


「え?」


 凛子は食後はコーヒーのブラックと決めている。その方が腹が落ち着くからだ。

 だが、山原はピッチャーが空になるほどミルクを注いでいる。

 コーヒーをかき混ぜていた山原はまた苦笑した。


「……すみません。俺、普段はあまりコーヒーを飲まなくて」

 

 心なしか恥ずかしそうな山原を見て、凛子はあっと声を上げそうになった。これはきっと、山原は気付いて欲しくなかったことなのだ。

 そう気付いてしまうと途端にどこかの穴に潜りたくなる。

 いい年をして無神経もいいところだ。 

 けれど何か他にいい言い回しが思いつくはずもなく俯いてしまった凛子に、山原の声が優しく響く。


「――佐々木さんは、コーヒーが好きなんですね」


 柔らかな声に顔を上げると、山原が目を細めて笑った。


「女の子は甘い物が好きなんだと思い込んでたから」


「あ、甘い物も好きですよ」


 思わず言った凛子に山原は「そうなんですね」と笑うので、


「……もう女の子っていう年じゃありません」


 少し口を尖らせると山原は目尻に少し皺を溜めて笑った。


「すみません。佐々木さんは大人の女性ですからね」


「山原さん、からかっているんですか」


「まさか」


 憮然とした凛子にも山原は笑ったままだ。

 

 結局二人はコーヒーが尽きてからも話し続け、そのまま閉店を迎えた。

 その間、山原の笑い声は尽きることが無く、気付けば凛子も思い切り笑ってその日の食事を終えたのだった。



  


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