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凛子と青い車  作者: ふとん
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凛子の生い立ち

 凛子がお金持ちと関わってしまった記憶は、小学校一年生の頃に遡る。


 夕暮れ時の公園で一人の老人を助けたのだ。

 どうやら自動販売機にお金を入れようとして失敗し、小銭をばらまいてしまっていた様子を、子供ながらに大変そうだと拾ってあげた。

 優しげな老人はいたく喜んでくれ、その場でジュースを買っておごってくれてしまったのだ。

 幼い子供のこと。見知らぬ人間に物をもらってはいけないと言い聞かせられてはいても、ついつい「秘密にしておけば」などと言われてしまうとその気になってしまう。

 その時、老人と何を話したのか覚えていないが、数日後、それは形となって返ってきた。

 

 グランドピアノが、突然送られてきたのだ。


 当然、両親は半狂乱。凛子自身も何が起こったのかとついには泣きだす始末だった。

 業者と一緒にやってきた、使いの者と称する男が持ってきたのは一通の手紙。

 その手紙にあったのは、老人の厚意とささやかならが凛子の希望を一つ叶えてあげようというものだった。

 どうやら凛子は最近、近所の友達がピアノを買ってもらったことを話してしまったらしい。音楽の心得もないというのにそれが羨ましく思っていたことを、子供ながらにねたみを添えてつい口に上らせた。それを老人はそのまま受け取って、素晴らしい、今から思えば何百万とするグランドピアノを一般家庭に季節外れのサンタクロースよろしく贈ってくださったらしい。

 

 結局、ピアノ教室にも通う予定のない凛子がグランドピアノを弾きこなせるはずもなく、ピアノは数日後、老人の元へと送り返された。

 両親は散々苦慮して詫び状を書き、菓子折りまで持って直々に謝罪しにいった。

 そこで知ったのだ。

 あの優しげな老人が、大企業の会長さまであったことを。

 しかも代々幕臣のお家柄、華族に続く名家である。祖先を辿れば一国一城の主であったという。

 そのお大臣の大豪邸で、逆にもてなされ黒い車で送られてきた両親の青ざめて気の抜けた顔を今でも鮮明に覚えている。

 野球場かとばかりの庭の池には錦の鯉が百ばかり優雅に泳いでいたらしい。


 それからというもの、凛子はお金持ちに悩まされてきた。


 道を歩けば御曹司に出会い、習い事に行けば何故かお嬢様に出くわす。友達同士で遊びに行った遊園地で大企業の社長にデートに誘われた時は何の冗談かと思った。

 

 幸いにして、凛子の出会うお金持ちは悪い人はいない。

 困るのは何物も引きつける魅力と、物事を惹きこんでいく強引なまでの求心力だ。

 彼らは下心も持っているが良心も過分に持っているので、凛子を無理矢理に何とかしようとは思わないらしいが、とにかくお金を使いたがる。

 今までで一番高い贈りものは、マンション一棟だ。(丁重にお返しした)

 しかし凛子の引き当てる稀なる縁は良縁ばかりのようで、お金持ち同士の諍いなどに巻き込まれるといったことは一切ない。

 こればかりは、恐ろしいほどの強運と自他ともに認めざるを得なかったが、それ以外に凛子に特筆すべき点はない。

 


(もっと可愛げのある女の子は世の中にいっぱい居るでしょうに)


 現実逃避をいいことに、つい自分の半生を振り返っていた凛子ははたと静かな修羅場と化しているホテルへと舞い戻る。

 目の前では絶賛お得意さまとホテルのオーナーが、声を荒らげはしないものの舌戦を繰り広げていた。


 何をどう間違って凛子などに構うのか。

 彼らの遺伝子に何かしら間違いがあるのだと最近では思っている。


 背の高い男たちに挟まれた凛子は、留まる事を知らない牽制の応酬にどこか遠いところを眺める目になった。

 思えば遠いところまで来たものである。

 凛子を挟んでいるのはいずれも劣らぬ御曹司たちなのだ。

 片やホテル王を祖父に持つ若きオーナー。スポーツマンであるため焼けた肌に今時珍しいほどの黒髪は自然なウェーブを描いている。その容姿はどこぞの石油でも持っていそうなエキゾチックな魅力がある。  

 片や前述の通り、おとぎ話の王子様のようなキラキラしい容姿をしたやり手のお得意先である。

 彼らの牽制は凛子に誰が相応しいとか、凛子の容姿についてだとか正直穴を掘って潜って一生出て行きたくなくなるようなものだったが、さすがアッパーの方々で他所のお客様を見かけた途端にどこか子供じみた応酬をやめてくれた。


「――先ほどは大変失礼いたしました。本日はご馳走様です」


 などと千載一遇のチャンスにためらうことなく食いついた。辞去を告げるチャンスは逃してはならない。

 お得意様は見上げたものでさっと「いいよ、では行こうか」などと腕を広げたが、オーナーがそれを止めた。


「凛子、今度はいつ何処のホテルにする?」


 表面上にこやかなオーナーには「また今度ご連絡します」と告げて、とりあえずお得意さまと奇跡的なほど穏やかにホテルを後にすることが出来た。

 何の冗談か、高校生の頃、道端でハンカチを拾ってくれたのがかのオーナーだった。ありがとうございますとハンカチを受け取ると、お名前は、と始まり高校の名前まで言わされた。道端で手を掴まれて迫られてみてほしい。助けてくれる人などおらず、何の撮影かと写メを撮られるのがオチだ。

 一つ年上だった彼は順調にセレブへの道を進み今やホテルを何軒か切りまわす敏腕オーナーである。

 今も新メニューが出来たなどと言っては誘われる。彼は凛子に物を食べさせるのが好きらしく、高校生の頃からよくお菓子で餌付けされていた。もっとも、新メニューはリサーチでもあるようなので、時々お言葉に甘えている。


 矢継ぎ早に起こる事態にいささか疲れた王子の様子を伺い、凛子はすかさず一人で帰ることを納得させると、彼のためにタクシーを捕まえる。このホテルへは王子のお車で来たが、彼は酔っている。こういうことは悲しいかな慣れっこなので代行を頼むのは慣れている。


「それでは、お気をつけて。今日はありがとうございました」


 思いがけずスムーズに事が進み、タクシーへ乗り込む王子をにこにこと見送っていると王子様からご質問をいただいた。


「……君には驚かされてばかりだね。本当は、何者なんだい?」


 どこを切り取っても普通の事務員です。




 翌日、社用のメールに丁寧な礼が送られていた。

 本当によく出来たお得意様である。お金持ちに何故か気に居られるのは勘弁したいが、彼らは一様に善良で、釈迦か菩薩かのような対応をしてくれるのだ。

 昨日のことなど、普通ならば「なんだこいつは、何様だ!」と怒りこそすれ、礼など述べる気にはならないはずだ。

「今度いつ会える?」の文面は余計だが、メールを拝めばきっとご利益があるに違いない。ありがたや。

 早速、凛子はメールが遅れてしまったことを詫び、謝罪の文面をしたためた。

 これも仕事の一環だ。お得意様はお得意様なのだから。

 その間、飛び込みで渡された書類を処理したり (経理なので) お得意様とのやりとりを聞きたがった上司に当たり障りなく報告したり (悪い上司ではないがいささか下世話な人なので) いつものように平日は過ぎ、気がつけば昼の前。

 昼休みのチャイムを聞いてからようやく書類から目を放した。


「お昼どうします?」


 尋ねてきたのは隣の席の後輩である。今時の子らしくメイクもお洒落もばっちりの女の子だが、性格は悪くない。いつもにこにこしていて良い子だと思う。

 

「今日はお弁当作ってきたから」


「そうなんですか。じゃあ、私、お昼行ってきます」


 そう言って彼女が席を立って事務所を出て行くと、同期の女の子たちとの甲高いお喋りが響いてくる。

 凛子はいつもお弁当なので、先輩にお伺いを立ててくれただけなのだろう。

 どんな噂話に花を咲かせているのか気になるところだが、人の悪い噂を聞きながらのお昼は何となく憂鬱になる。

 そんなことを考えながらカバンからがさがさとお弁当を取りだしたはいいが、水筒が無い。


(置いてきた)


 テーブルの上に置いてきた!


 悔しくなって何となく溜息をつきながら、席を立つ。

 うちの会社は、社員は給湯室を原則使用してはならない。残業の時などはこっそり使っても誰も文句は言わないが、昼間は皆、社用の自動販売機を使わなくてはならないのだ。その代わり、女子のお茶くみやおやつ代などが一切ないので、どちらがいいのか分からないが社長も社員と同じく自動販売機でお茶を買うので文句の言いようがない。


(コンビニまで行こうかな)


 お茶とスイーツでも買えば気分も上向くはずだ。

 

 財布と携帯を手に事務所を出ると、昼を終えたらしい喫煙者が喫煙所に群がっている。事務所は禁煙なので昼食を早々と終えた人たちが一時の憩いを楽しむのだ。それを横目にとんとんと階段を降りると、狭い玄関だ。


「あ、佐々木さん」


 小さな会社なのでそれほど広くはない玄関が、余計に狭く感じられるほどのスーツの長身が凛子に気付いてのんびりと振り返る。

 

「山原さん、こんにちは」


 凛子が改めて見上げると、優しげな顔に彼は笑みを浮かべて「こんにちは」と返してくる。そうしていると大型犬が笑ったように見えるから不思議だ。


「どうなさったんですか。今、お昼休みでほとんど誰もいないかもしれませんけれど」


 顔見知りの守衛が見守る中で、そう返すと山原は困ったように肩を竦める。


「そうなんですよね。営業の川口さんとお話があったんですが、伺う時間を間違えてしまって」


 困ってはいるがそれほど切羽詰まっていないのか、山原は見ているこちらがほんわかとするような笑みを浮かべている。

 山原は、うちの会社と取引をしている会社の社員で、時折営業に顔を出す。本来の所属は開発らしいが、持ち前の人あたりの良さで営業との折衝に駆り出されているようだ。

 時々、会議室で営業たちとああだこうだと角を突き合わせているのを見たことがある。

 経理の凛子とは直接の接点はないが、小さな会社のことなので時々お客さまへのお茶出しもすれば、デパートへの品出しにも回らねばならない。そんなこともあって山原とは会えば挨拶ぐらいはする顔見知りだ。


「それでは、川口を呼び出しましょうか?」


 営業の川口も顔見知りだ。部長にでも掛け合えば呼び出すぐらいは出来るだろう。

 コンビニを諦めて踵を返そうとすると山原が「いいえ、大丈夫ですよ」と凛子を止めた。


「川口さんとの待ち合わせに早く着いてしまったのがいけないんですから。時間になったらまた伺います。ところで」


と、山原は凛子の手元に視線を落とす。


「今からお昼ですか?」


 手にしている財布と携帯を見つけたようだ。


「はい。コンビニに行こうかと」


「じゃあ、ご一緒してもいいですか?」


 僕もお昼まだなんですよ、とにこにこされると何だか断りにくい。

 ここで断ったところで凛子が責められるはずもないのだが。


(コンビニぐらいなら)


 はい、と頷くと大型犬が尻尾を振ったように見えた。


 二人で会社を出ると山原は見た目の印象のまま、のんびりと話しかけてくる。

     

「佐々木さんはいつもコンビニでお弁当を?」


「いえ。いつもお弁当なんですけど、今日はお茶を忘れてしまって」


 自分で口にすると否応なく苦い気分になったが、山原は毒毛のない顔で笑った。


「お弁当ですか。いいなぁ」


 独身だとどうしてもコンビニ弁当が多くて、と山原は自分のことを苦笑する。

 人のことをあげつらうのではなく、ほんわか笑っている山原を見ていると何だか凛子の失敗も笑い話に思えてくる。――いや、実際笑い話なのだが。


 それからコンビニまでの道程は山原と当たり障りのない話で終わり、近くの公園で昼食をとってくるという彼と別れた頃にはよく分からないもやもやはすっかりと消えていた。


(いい人だわ)


 人を不快にさせない話術は営業向きだ。きっと開発の交渉もあの手この手で勝ち取っているに違いない。

 のっそりとした大型犬のような背中を見送って、凛子も事務所に戻ることにした。


 しかし、おっとり戻った事務所で凛子はゆっくりと弁当にはありつけなかった。

 彼女が外したほんの十五分程度で、事務所では上に下にと大騒ぎになっていたのだ。



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