花咲く故郷
二人が大学を卒業し、結婚を決めた時のエピソードです。
「みはるって、箱入り娘なんでしょう」
時々言われる台詞。単に大学から通える距離に庭付きの自宅があって、一人っ子で、というだけなのだが。父親は会社員で母は専業主婦。跡取り娘と言われてはきたが守る物などほとんどない、と気楽に構えていた。しかし恋人の信吾は違っていた。
「婿入りを希望する場合、『お嬢さんに僕をあげます』かなあ」
真面目な顔でいうので吹き出してしまう。就職が決まって、新しい生活のスタート。嫌でも結婚を意識する。それでなくても就職で距離が離れることを懸念しているのは信吾の方だった。
「最初は忙しくても文句は言えないし、休みだって取れないかもしれない。あんまり遅いとみはるさんとこは実家だから電話もできないしさ」
プロポーズの言葉もなく一緒に暮らしたいと訴える。それはそれで嫌な訳じゃないんだけれど。
「信吾くんて、最終的には山形に帰るの?」
いつも気になっていて聞けなかったことを聞いてみた。
「前は帰るつもりだったけど、俺次男坊だから跡はとらなくていいんだ。みはるさんとこはひとり娘だろ」
と、すっかり婿に入る気満々で
「佐藤が斎藤になるだけだ」
と笑った。
みはるの家族との初顔合わせは和やかに終わった。真面目な信吾は受けもよく、斎藤家の婿としてお眼鏡にかなったようだ。
「今度は俺の方だけど、遠いからゴールデンウィークでいいかな」
6月に式を挙げたいと急ぐ割にはぎりぎりのご挨拶だ。既に結婚して婿に入る意志は話してあり許可もとっているという。特急の切符ももう予約してあるから。相変わらずの行動力にみはるは舌を巻いた。
上野から乗り継いで6時間。昼前に出たのにもう夕方だ。駅からさらにバスで10分。川沿いの土手に雲のように連なる花の並木道が見えた。
「あ、桜!」
「今年は冬が厳しかったから。いつもより咲くのが遅いんだ」
信吾は、いい時期に来たね、と微笑んだ。
「疲れたでしょう」
素朴ななまりの信吾の母は、笑った時細くなる目が信吾とそっくりだった。信吾の父は色黒の恰幅のいい人で、中学校の教頭をしていると言った。
「初めまして。斉藤みはるです」
恐縮して頭を下げる。大事な息子さんが遠くの地で婿に入ることをご両親はどう思っているのだろうか。恐る恐る顔を上げると、信吾の父は大らかに微笑んでいた。信吾が見せるあの笑顔だ。
「そうか、みはるさんか」
何度も頷いて顔を綻ばせる。
「遠い所よくきなさった。なにもないがゆっくりしてってください」
信吾の故郷は庄内藩の史跡が残る古い町だ。少し行けば海も温泉もある。明日信吾に案内してもらうといい。と信吾の父は言った。
次の朝は快晴だった。たっぷりと朝御飯をご馳走になった後、信吾の母はお弁当とお茶まで持たせてくれた。
「信吾がたくさん色んなところを回りたいからお弁当作ってっていうんで。田舎料理ですけど、勘弁してね」
信吾の母は恥ずかしそうに包みを押し付けた。
「お世話になりっぱなしですみません。朝ご飯も美味しくて食べ過ぎちゃいました。お昼が楽しみです」
とみはるがにっこりすると、信吾の母も笑顔になった。
実家の車を借りて名所をまわる。明治時代の豪商の家や、ロマネスク様式のステンドグラスも美しいカトリック教会。信吾の育った町は彼の性格そのままに実直で趣があった。見事な桜並木が連なる川の土手で、信吾がハンカチを敷いて座って、と促す。花見をする人々の間に座って、信吾の母が作った弁当を開けた。煮物や焼き魚の入った小さな重箱とハンカチの包み。ハンカチの中に入っていたアルミホイルの塊を開けると、独特の匂いと共に現れたのは菜っ葉でくるまれた大きなおむすび。
「『弁慶めし』って言うんだよ。ちょっと臭いかもしれないけどこれがこの漬け物の匂いだから。青い菜っ葉って書いて青菜。味噌を塗ったにぎりめしを青菜の漬け物でくるんだんだ」
信吾は懐かしいなあ、と言って大きくかぶりついた。丈夫な歯がしゃりり、と漬け物を食む。途端に破顔してこれこれ、と頷いた。みはるも大きく口を開けて一口囓る。仄かに辛みのある漬け物がまろやかな味噌やご飯と良く合う。噛みしめると甘みが増して思わず顔がほころんだ。
「うまいだろ、なっ」
「うん」
二人は桜の花びらの散る中で顔を見合わせて笑った。
昼食の後再び車に乗り込む。市街地を出ると長閑な田園風景が広がった。雪に埋もれた長い冬が終わり、辺りはようやく訪れた春の喜びに満ちていた。溢れんばかりの花が車窓に次々現れる。黄色、白、桃色、薄紅。まるで花の洪水だ。目を奪われる。
「ここで止めようか」
信吾は道端に車を止めた。近くに小川が流れる音が聞こえる。畑沿いに植えられた木々には、白や桃色の花が枝一杯に咲き誇っていた。柔らかく掘り起こされた畑の土を小鳥がこぞって啄み、新しい命が植えられるのを待っている。田畑が連なる向こうには霞のように続く桜並木、そして大きな欅の樹と学校の時計台がみえた。
「あれが俺の通っていた高校」
信吾が時計台を指さした。
「ここを自転車で通ってた」
みはるは微笑みながら学生服の信吾が自転車に乗って通う姿を想像した。
「本当にいいところだね。春爛漫」
うっとりとみはるが言うと、信吾は頷いて、
「桜は、分かるよね。あの白いのは梅、ピンクのが桃」
とそれぞれの花を指さした。
「東北ではね、今年みたいに冬が長いと、雪が解けた後一気に春が来る。花が春を待って一斉に咲くんだ」
柔らかい笑顔でみはるに教える。
「それはもう、春が来た喜びそのものみたいな素晴らしさで。梅、桃、桜、普通なら時期を違えて咲く3つが一度に花開くから」
じっとみはるを見据える。
「こういう春のことを三つの春と書いて、みはる、というんだ」
白、桃色、薄紅色。全ての色がみはるの心にも花開く。大事に呼んでくれる私の名前にはそんな故郷への憧憬も含まれていたのか。胸が熱くなった。信吾はそんなみはるの両手をとって向き直った。
「ここで言いたかった」
片手を外してポケットに突っ込むと、小さな箱を出した。ビロード張りのそれを開けると、小さな石が陽光に反射して星のようにきらめいた。
「私の、妻になって下さい」
厳かな声だった。遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。
「みはるさん」
いつも呼ばれる自分の名がとてつもない宝石のように輝いた。
「・・・はい。よろしくお願いします」
泣きながら何とか言って頭を下げると、大地に幸せの涙がこぼれ落ちた。
「よかった」
信吾は安堵のため息をつきながら、みはるの薬指に指輪をはめた。
「今更断るわけなんかないのに」
みはるは涙ながらに苦笑いする。そしてどうしてもこれだけは言いたいと顔を上げた。
「信吾くん。こんな素敵な故郷を離れて、私の所に来てくれてありがとう」
信吾はにっこりと微笑む。
「山形の三春はなかなか見られないけど」
みはるの涙を手で拭いながら。
「俺のみはるは、毎日ずっと側で見られるから」
さすがに照れくさかったのか、頭を掻く。
「ここに連れてきてくれてありがとう」
みはるが心を込めて礼をいうと、信吾はいや、と首を振って。
「俺が、ずっと見せたかったんだ。初めて君の名前を聞いた時から」
信吾の顔を見上げるみはるの頬にそっと手を当てた。
「一目惚れだった」
今になって、それをいうの?一旦引きかけた涙が満ち潮のように寄せてくる。
梅、桃、桜、連翹、つつじ。みはるの胸の中も色とりどりの春で溢れかえった。
小鳥の声が、高らかに二人を祝福する。
桜の並木道の果ては見えなかった。
「みはるさん」
いつまでも大切に呼んで欲しい。
あなたの故郷の春を閉じ込めた、
私の、名前を。
Fin
最後までお付き合い頂きありがとうございました。この後は少し時間を頂いて、また次のカップルのお話を書いてゆきたいと思います。たまに私の頁を見て頂けたら幸いです。ありがとうございました。