表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の名前  作者: 工房径
2/3

晴れ舞台

「何かいい案あんのかよ、山形。後20分くらいしかないぜ?」

「策は、ある」

 信吾は自分の鞄を探りながら、

「ほらお前、売店行って携帯用のレインコート3つ買ってこい」

 そう言って自分の財布を放る。お前、といわれたのは美鈴だ。女王様と言われている彼女がそんな呼ばれ方をされたのは初めてだったろう、思わず彼をにらみつけたが、

「お前の責任だろ、衣装の借りは衣装で返せ!すぐだ!」

 と怒鳴られ、急いで駆けていった。

「それから石井。傘立てから3本、ビニール傘借りてこい。色は何でもいい」

 そう言うと、自分の鞄の中からカセットテープを取りだした。

「ついでに本部にこのカセット持ってって。演目変更!頭からで大丈夫なはずだ」

 石井はテープを持って掛け出したが、すぐ戻ってきて怒鳴った。

「変更って何に?」

「『雨に唄えば』!」

 石井はおお、と頷くとまた駆けていった。信吾はすぐにみはるともう一人の男子部員に向き直る。

「二人とも映研部員なんだから、『雨に唄えば』知ってるよな?」

 ふたりとも大きく頷いた。

「俺が中央で踊るから。振り付ける時間がないんで、調達部隊は除外してこの3人でやるぞ」

「私ダンスなんてできないよ」

 みはるはあわてて頭を振る。

「大丈夫」

 信吾は強い眼差しでみはるを見た。

「みはるさんと三浦は俺の後ろにいて、出の時と最後に傘を回して歩くだけ。後はリズムに合わせて傘を開けたり閉じたりしてくれればいい」

 みはるさん、と呼ばれて、どきっとする。信吾は鞄から黒い靴を取りだした。床に放るとかつんと硬質な音がする。

「タップシューズ?」

「そ。帰り、レッスンに寄るつもりで。持って来てて良かった」

 タップなんかやってるんだ。みはるたちが驚いて見守る中で、信吾は靴を履き替えると感触を確かめるように軽くステップを踏んだ。

「じゃ、打ち合わせするぞ」

 すごい、この人。あっという間に皆をまとめあげてしまった。みはるは高揚した気持ちを抑えて信吾の言葉に耳を傾けた。

 本番はあっという間にやってきた。美鈴が息を切らして買ってきたレインコートを着込み傘を持つと、3人は舞台へと駆けていった。


「次は『映画研究会』です。曲は『雨に唄えば』」

 信吾が行くぞ、と目配せする。みはると三浦がうなづく。前奏がかかると、ステップを踏みながら信吾が一歩踏み出した。慌てて傘を回しながら歩を進める。気付けば舞台中央だった。はじめ信吾は客に背を向けて立つので、みはるたちと向き合う形になる。硬い表情のみはるに信吾が囁いた。

「みはるさん、笑って!きっとうまくいく」

 そう言って自分も笑ってみせる。穏やかな笑顔。思わず微笑み返すと、その調子というように信吾は頷き、客の方にくるりと向き直った。

「!」

 なんという優雅さ。信吾のステップは力みがないのに軽やかで。その長身と姿勢のせいでさらに際だって美しい。傘の扱いの見事なこと。足で蹴って回したり、踊りながら開いている傘を投げてはキャッチしたり。思わず観客からもどよめきが起こった。そして何よりその笑顔。微笑みは優しくふんわりとエレガントで、思わずため息が漏れる。そうだ、彼はジーン・ケリーというよりアステアだ。小粋で華やかなフレッド・アステア。みはるは傘を開いたり閉じたりしながらも彼から目が離せない。最後に彼が傘に隠れて客に背を向けて立って終わるまで、あっという間だった。

 場内は割れんばかりの歓声に包まれた。中には「いいぞ、山形!」なんていう歓声も聞こえる。後ろを向いたまま彼は息を切らして微笑んだ。


「終わった!」

 急いで舞台袖に捌けると、美鈴と石井も拍手で3人を迎えた。特に美鈴は掌を返したようにうっとりとして、信吾に駆け寄った。

「素敵、素敵! すっごくよかったわ!」

 今まで眼中になかった癖に。他の3人は美鈴らしいと苦笑いしたが、信吾は容赦なかった。

「お前はもっと言うことあるだろ」

 美鈴はびくっとして縮こまるが何も言えない。信吾はため息をついた。

「子供でも言えるぜ。『すみませんでした、ありがとう』だろ?」

 美鈴はもごもご詫びと礼を口にしたが、プライドを傷つけられ真っ赤になって駆けていった。そんな彼女に構わず、信吾は他の3人に向き直った。

「ありがとな、急の変更だったけどついてきてくれて。あー、きも冷えた」

 膝に手をついて肩を落とす。緊張なんてしていないみたいだったのに。みはるが微笑むと、信吾も笑顔になる。

「良かったよ、みはるさん」

 どきっとした。なんて温かい笑顔。心ごともっていかれそう。そんな様子を他の二人が冷やかした。

「山形は、はるちゃんに態度違うよな」

「そうそう、明らかに違う!あの女王鈴ちゃんはお前呼ばわりなのに、『みはるさん』て」

 これには信吾も真っ赤になった。

「うるせえ!これは、みはるさんも俺のこと『山形』って言わないで、『信吾くん』て呼んでくれたから!」

 これにはみはるもびっくりした。そんなことを気にしてくれていたなんて。

「名前には魂が籠もってんだよ!大事にするのは当たり前!」

 大真面目にいう信吾に、石井と三浦が吹き出した。

「まあ、いいよ。ここは今日の働きに免じて許してやろう」


 みはると信吾が恋人同士になるのに時間はかからなかった。美鈴はあれから映画研究会を辞め、今は一年生は4人。今日も部室でたむろって昼ご飯を食べる。

「なあ、なあ、みはるさん」

 石井がこそこそと耳打ちする。信吾は時代小説にどっぷりはまっていて気付かない。

「なあに?」

「いいこと教えてあげよっか」

 にやっと笑うからには、信吾の秘密に違いない。みはるはすぐに石井に耳を貸した。

「映研に入った時の歓迎コンパ、あったじゃん。あの時の自己紹介の時から、信吾は君のこと気に入ってたんだぜ」

「え!」

 思わず大きな声が出て、石井がしいっと指を立てる。

「みはるっていい名前だ、いい名前だ、彼女にぴったりだ、って馬鹿みたいに繰り返してさ。それなのに君つれなくて、最初の頃あいつの名前も知らなかったでしょ。結構落ち込んでたよ」

「そうだったっけ」

 天然娘のみはるは照れて頬を染めた。

「それが、何のきっかけだか、やっと君が彼の名前を呼んでくれたでしょ。しかも山形じゃなくて『信吾くん』て」

「だって、佐藤は3人もいるし、『山形くん』ていうのもねえ?」

 みはるがいうと、石井はおかしそうに笑って、

「『信吾くん』て呼ばれた時のあいつの嬉しそうな顔、見せたかったよ。もう信じらんない位、でれーっとしちゃってさ」

「石井」

 頭上から低い声が降ってきた。しまった、聞かれたか。石井はげんこつを覚悟して首を縮めた。

「お前、人の女にくっついてんじゃねえ」

 そっちか!ほっとした石井だったが、結局げんこつは降ってきた。

「みはるさん、食べ終わった?行こう」

 せかすように信吾はみはるの背を押した。


 外へ出ると風はまだ冷たいが桜の蕾はふっくらと膨らんで、綻ぶ日を待っているようだった。

「もうすぐ2年生になるんだなあ」

 時は過ぎそれぞれの名前も顔も一致して、同級生の間でも自然と「山形」「はるちゃん」は「信吾」「みはる」になった。桜の見えるあの図書館で幸せそうな彼をみつけたあの時からそろそろ1年。あの頃からもう、みはるは彼に恋していたのかもしれない。

「ね、信吾くん」

 背の高い彼を見上げる。

「私の名前、好きなの?」

 信吾はぼっと音がするくらい唐突に赤くなった。

「突然、なんだよ」

「石井くんが言ってたの。いい名前だ、って言ってたって」

 あんのやろ、あとでしめる、物騒な呟きが聞こえた。

「ねえ、そうなの?」

 無邪気に見上げるみはるの、さくらんぼみたいな唇をついばむように軽く奪って。

「ああ、好きだよ!君も、君の名前も!」

 そう言うとくるっと背を向けて歩き出す。みはるは頬を赤らめ唇を押さえて、信吾の背中を追った。

 私も、好き。あなたも、あなたの名前も。

 足早に歩く彼の姿勢のいい後ろ姿に、小さく、呟きながら。



 Fin



出会い編はこれでおしまいです。次回からは結婚編になります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ