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同棲喰人鬼  作者: 代篠
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第二話 第四幕

 こうして、巷を騒がしていた連続放火犯は捕まった。俺が未だ気絶したままの奴の体を縄で拘束し、後は警察に引き渡すだけである。

 しかし、これにて一件落着……というわけにはいかなかった。

「あっつぅ……。こりゃ、ヤバいねぇ」

 ぼうぼうと燃え盛る宿舎を見上げながら、アカは呟いた。

 木造の古い宿舎は予想以上によく燃えていた。俺とグーラで放火犯を追いかけていたほんの短い時間で、炎は二階部分にまで侵食し、その猛威を思う存分振るっていたのだ。

 しかも、ここが市街地から離れた所ということもあり、消防車はまだ到着していない。

 それでも幸いだったのは、発見が早かったお陰で、宿舎に泊まっていたサークルの皆は無事に避難できたということだろうか。

「本当に、皆さんが無事で良かったわ」

 騒ぎを聞きつけた近所の人々が騒然とする中、ジッと炎を見つめるグーラの肩を抱いたままで、モミジさんが言った。落ち着いた大人の女性という雰囲気は、非常時でも健在である。

 そんな彼女に、俺は申し訳ないという気持ちをいっぱいにして口を開いた。

「すいません、モミジさん。俺が、もっと早く気付いてれば……」

「そんな、信太郎さんのせいなんかじゃないわ。だから謝らないで。それに信太郎さんは、こんなにボロボロになりながらも犯人を捕まえてくれたじゃない」

 そう言って、モミジさんは優しく微笑んでくれた。

 と、その時、本堂の方からこちらに向かって走ってくる人影が見えた。あの長身は……テンドウさんだ。その両手にバケツを持ち、それに入った水を溢さないようにして走っている。

「あ、信太郎君! すまないが、手伝ってくれ!」

 テンドウさんは、俺に片方のバケツを渡して言った。水のたっぷり入ったバケツは意外に重く、俺は一瞬よろけそうになりながらも言葉を返す。

「ど、どうするんですか、これ?」

「いや、何もしないのは性に合わなくてね。無駄だとは分かっているが、少しでもアレに抵抗したいんだ」

 言いながら、テンドウさんは宿舎に纏わりつく大火を指差した。続いて、この場に集まって来ていた近所の男達にも声をかけ始める。

 どうやら皆でバケツリレーを決行するらしい。確かにテンドウさんの言う通り、バケツの水程度では、目の前の炎にはあまり意味がないかもしれない。だが、やらなければ何も変わらない。

 俺も是非参加しよう。そう思い、意気込んだ矢先だった。

「悠美! 悠美ぃ! いたら返事してぇ!!」

 どこかで聞いた声。そうだ、この寺に来た時に木崎さんを呼んでいた声だ。

「木崎さんがどうしたんだ?」

 俺は、ちょうど近くまで来たその女子に尋ねた。すると彼女は、少し涙目になりながら、

「それが……いないの。いくら点呼取っても、悠美がいないのよ!」

「なっ……!? それって、まさか……!!」

 バッと、俺は慌てて宿舎の方を見た。もちろん、それは相変わらず燃え続けている。

 もしも、あの中にまだ木崎さんがいるとしたら……。

「そんな……悠美……悠美ぃいいっ!!」

 俺が宿舎を見てしまったせいで受け入れたくなかった現実を突きつけられたのか、その女子はワッと泣き崩れた。

「……木崎さん……」

 その名を呟きながら、俺は徐々に目を見開かせていった。同時に、心の中で木崎さんの顔が浮かぶ。頬を赤く染め、恥ずかしそうにモジモジとする彼女の顔が――。

 するといつの間にか、俺は手に持っていたバケツを、自分の頭上でひっくり返していた。

「ちょっ、信太郎!?」

 アカが驚いたような声を上げる。気が付けば、俺は全身ずぶ濡れになっていた。俺自身、驚きだ。どうして俺は頭から水なんかを被ったのか……。

 しかしその刹那、俺は自分の行為の意味を理解した。

「……木崎さんを助けに行ってくる」

「し、信太郎、待っ……!?」

 アカの言葉を背中に受けて、人々の制止の声も聞かずに、俺は宿舎の中へと駆けていく。

 無我夢中。そんな語句が、ふと頭に浮かんだ。



 外から見た時はあんなにも激しく燃え盛っていたというのに、宿舎の中には意外と火の手は回っていなかった。とはいえ、もちろん熱い。外から見ていた時よりも数段は熱かった。

「くっ……。木崎さん、木崎さぁんッ!」

 Tシャツの端で口元を押さえながら、俺は最大限の声で必死に叫び続ける。だが、木崎さんからの返事はない。何度呼び叫んでも一緒だ。もしかしたら……、などという不吉な考えが嫌でも脳を掠めた。

 その度に、俺はブンブンと頭を横に振り、それを払拭する。彼女ならきっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、灼熱の中を進む。

 すると、捜索を開始して数分が経過した頃――奥の部屋から、人の手だけが廊下に半分はみ出しているのを発見した。

「木崎さんっ!?」

 俺は燃える廊下を一気に走り抜け、その手との距離を詰めた。

 それは、確かに木崎さんの手であった。木崎さんはうつ伏せの状態で、あたかも助けを求めているかのように、手を投げ出しながら倒れていたのだ。煙にやられたのか、それとも熱にやられたのかは知らないが、意識はない。

「木崎さん! しっかりしろ、オイっ!!」

 ぐったりとして身体に力が入っていない木崎さんを何とかして起こすと、俺は彼女の腕を自分の首に回し、気合いの一声と共に彼女を背中に負った。

 力を抜いた人間は通常時より重いと言うけれど、それほどの重量は感じられない。火事場の馬鹿力というやつだろうか。

 そのまま、俺は来た道を引き返した。木崎さんが落ちないように注意しながら、速足で――。

 帰り路は、先程よりも過酷だった。体力の限界は近づき、滝のような汗が落ちる。さらに炎が益々もって猛威を振るい、先程通過した中にも、もう既に通れない場所がいくつか出来ていた。それに煙も増したせいで、視界が非常に悪い。

 気が付けば、俺は自分がどこにいるのかが分からなくなっていた。

「く……くそっ……」

 力無く悪態をつく。意識が朦朧として、とにかくもう膝をつきたかった。

「木崎……さん、ごめん……」

 ガクン。と、足が折れ、崩れそうになる。しかし、ふと前方に見えた小さな人影にハッとなり、俺はかろうじて倒れ込むのを堪えた。

「おーいー! しんたろー!」

「……グーラ?」

 次の瞬間、目の前の煙の中からグーラが飛び出してきた。グーラは俺の姿を認めると、その手をグルグルと振り回した。

「あーうー。よかったー。しんたろーもゆーみもいたー」

「ぐ、グーラ、何でここに!?」

 俺は率直な疑問をぶつけた。するとどうやら、グーラはモミジさんの手を振り払い、宿舎に入っていった俺を追いかけてきたらしい。

「な、何でそんなことしたんだ! 下手したら、お前も危ないんだぞ!!」

 そんなことをしている場合ではないと分かっていながら、俺は思わず声を荒らげた。これは遊びでやってるわけじゃないんだぞ、とも付け加える。

 しかしその時、グーラは急に俺の腰に手を回すと、ギュッと、俺にしがみ付いてきた。彼女のいきなりの行動に驚いていると、グーラは俺の顔をジッと見つめながら言った。

「もう、いなくなるのやだー。しんたろーもいなくなるの、やだ……」

「……グーラ……」

 一瞬、グーラが何を言っているのかが分からなかった。だがすぐに、俺はアカから聞いた話を思い出した。

 ――グーラは、火事で親友を亡くしたんだ。

 そして彼女は今、その親友と俺とを重ねている……? それはつまり、俺は彼女にとって、その親友と同じくらいに大切な存在ということか?

 ……そうか。グーラは、俺のことをそんな風に……。

「……あーうー。しんたろー、こっちー」

 スルっと俺から手を離すと、グーラは自分が来た方向を指差した。おそらく、その先に出口があるというのを示しているのだろう。

 俺は小さく頷くと、グーラと共に歩き出した。





 ドッ! という勢いで、消防車に取り付けられたホースから噴射される水。その大量の水は、一斉に宿舎を包む炎を押さえつけていた。

 消防車が到着したのは、俺達三人が大火の中から脱出した直後のことであった。そして、それから少し遅れて救急車も到着。救急隊員は木崎さんをその中に運び入れると、そのまま近くの病院を目指して走り去っていった。命に別状はないらしいので、とりあえずは一安心である。

「っつ……くぁっ……」

 一方、俺は宿舎から離れた所で、大の字になって地面に全身を預けていた。火事場の馬鹿力の反動か、もうピクリとも体は動きそうにない。

「あーうー。よかったー」

 多分、俺の真似をしているのだろう。グーラも俺と同様に仰向けになり、ゴロゴロと左右に体を転がしていた。しきりに良かったと言っているのは、俺と木崎さんが無事で良かったという意味か。

 と、そんな俺達に近付いてくる二つの影があった。グーラの両親――テンドウさんとモミジさんである。二人は俺のすぐ近くにやって来ると、深々と頭を下げてから口を開いた。

「信太郎君、ありがとう。キミのお陰で、死者が出ずに済んだ」

「信太郎さんには、いくら感謝してもしきれないわね。本当に、ありがとうございます」

「いや、そんな……。むしろグーラのお陰ですよ。グーラがいなかったら、もしかすると……」

 グーラに腕を引っ張ってもらい、どうにか体を起き上がらせながら、俺は二人に言葉を返した。それでもまだ座ったままなのは、まぁ許してもらおう。

「……ところでグーラ、悪いが何か飲み物持ってきてくれないか? 熱い所にいたもんだから、喉が渇いて……」

 わざとらしく咳をして、俺はグーラにそう言った。それに対し、グーラはいつもと同じ抑揚のない声で了解の意を示すと、そのままテンドウさん達の脇を通り抜け、どこかへと走っていく。

 グーラが見えなくなったのを確認し、俺はフゥと一息をついた。

「テンドウさん。実は、昼間の話なんですけど……」

 その言葉を発した途端、テンドウさんの目が明らかに見開かれた。それを見て、俺は一瞬『申し訳なく』思ってしまう。

「考えてくれたのかい?」

「……はい」

「聞かせてくれ。キミの出した、結論を……」

 テンドウさんはグッと手に力を入れていた。肩にも力が入り、全体的に強張っている。

 思わせぶりにするのも悪いと感じ、俺はすかさず頭を下げた。

「……そう……か」

 その声は、本当にテンドウさんのものかと疑いたくなるほどに弱々しかった。まさに意気消沈といった様子で、その体も一回り小さくなったように見える。

「……すいません」

「いや、いいんだ……。こちらこそ、無理を言ってすまなかった」

 テンドウさんは小さく溜息をつくと、スッと顔を伏せた。

 だが俺がその後に続けた言葉を耳にした瞬間、彼はハッと顔を上げ、目をパチクリとさせた。

「なんっ……信太郎君、今、何て……?」

 それはまさに驚愕といった表情であった。全く予期していなかったことが起こった――そんな時の表情だ。そしてそんなテンドウさんに、俺はもう一度告げた。

「俺は、グーラに理性を与えることは出来ません。ただその代わりに、俺が、グーラの本能を抑えます」

 言葉の通り、もはや俺がグーラに理性をもたらすわけにはいかなくなった。何故なら、そんなことをしても彼女が喜びそうにないのが目に見えているからである。俺がグーラにとって大事な存在だというのなら、そんな俺を喰うことを、あいつが嬉々としてやるとは思えないのだ。

 だが、そうなれば再びグーラが正気を失うことがあるかもしれない。

 そうなったら――またグーラが本能に支配されたなら、その時は、俺が彼女を元に戻す。それが俺に出来るせめてものことだった。

「そんな……しかし、信太郎君……!」

 テンドウさんが何かを言いたそうに口を開く。だが、それをモミジさんが手で制した。

「あなた。お昼の準備をしている時にグーラから聞いたのだけれど、あの子はここ一ヶ月猫を食べていないんですって」

「えっ? あのグーラが、一ヶ月も……?」

「なんでも信太郎さんと約束したらしいわ、もう猫は食べないって。ねぇ、あなた。任せてみましょうよ、信太郎さんに……。もしかしたら二人が、人間と鬼との、橋渡しになってくれるのかもしれないわ」

 ニコッと、モミジさんは微笑んだ。それは、見た者の不安を全て吹き飛ばしてくれそうな優しい笑顔だ。

 そして、それが影響したのかは分からないが――テンドウさんはモミジさんの顔をしばらく見つめていると、不意に何かに頷き、そのまま俺の目の前で正座をし始めた。

「……信太郎君、任せてもいいんだね?」

 ジッと、俺の目を真っ直ぐに射抜いてくる、テンドウさんの双眸。プレッシャーに似たものがヒシヒシと伝わってくる。

 俺はそれを正面から受け止めると、ハッキリとした口調で返事をした。

「……娘を……グーラを、頼む」

 そう言うテンドウさんの顔は、少し複雑だった。安心したような……しかしそれでいって、少し寂しいような……。

 それでもただ一つ言えるのは、先程と比べると、格段にその表情は柔らかくなっていたということである。

 と、その時、遠くの方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。間延びして抑揚のない、あの声だ。

「しんたろー、水持ってきたぞー」

 俺はその声の主に向かって軽く手を振る。

 テンドウさんとモミジさんは、走って来る少女を見て、優しく微笑んでいた。

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