第二話 プロローグ
暗闇に支配された、狭い空間――。
ここにいるのは、俺と奴の二人だけ。他には何もない。俺と奴の二人だけだ。
真っ直ぐ一直線に、怪しく光る双眸が俺を射抜く。
そしてギザギザに尖った歯が、俺の首元に狙いを付けた。いや、もはやそれは歯ではなく、『刃』だ。全てを貫く、鋭利な牙だ。
「――――――――」
何かを呟きながら、奴は少しずつ俺に近づいてきた。だが、俺は動けない。金縛りという言葉が、フッと頭に浮かんだ。
「――――の――で――」
近づいてくるたびに、少しずつ奴が何を言っているかがハッキリとしてきた。奴はハキハキとした口調で、しかし淡々と、こう言っていた。
「以前からT市で立て続けに起こっている不審火は、県警の捜査により、同一人物による連続放火事件であるという見方が強くなり――」
次の瞬間、奴の牙が、俺の喉を捉えた。ズブ……ズブ……と、ゆっくり俺の肉に喰い込んでいく。不思議と痛みはない。だが、その代わりに重い。まるで米袋が腹の上に乗っかっているかのようだ。
「わ……あぁああぁあっ!?」
肉を食まれる恐怖感に、俺は思わず叫び声を上げた。
するとその刹那、突如として光が灯り、一瞬にして辺りを照らし出した。
「あーうー?」
どこを見ているのか分からない、どこか虚ろな瞳。気の抜けた、抑揚のない声で発せられる、いつものフレーズ。見慣れた我が家の居候の姿が、そこに――布団に包まって仰向けになっている俺の腹の上にあった。
「おー。やっと起きたかー、しんたろー」
居候が嬉しそうに俺の上でバタバタとはしゃぎ出したので、俺は何とかそれを退かすと、ガバッと上半身を起き上がらせた。
そこに広がっているのは、何て事はない――普段通りの狭いアパートの一室だ。カーテンの開けられた窓からは燦々とした日の光が差し込み、いつの間にか電源がオンになっているテレビからは、朝の最新ニュースが報じられている。
夢――その単語が浮かび上がった時、俺は思わず溜息をついた。我ながら、なんという悪夢だ。喰われる夢、とは……。
俺はふと、布団の横でチョコンと座っている居候に目を移した。
居候はジッと、すぐ隣の台所に設置してある冷蔵庫を見つめていた。その様子は、まるで餌を前に『待て』の命令を下されている犬のようである。
「……はいはい」
俺は布団から抜け出ると、台所まで歩いて行き、冷蔵庫から市販の魚肉ソーセージを二本取り出した。俺の分と居候の分――二人分の朝食だ。
ポーンっと一本のソーセージを、パタパタと尻尾を振って待っている居候に向かって放り投げる。するとそれを受け取った居候は、またこれかというボヤキとは裏腹に外装フィルムを上手に剥がし、美味しそうにソレを咀嚼し始めた。俺もそんな居候を見ながら、同様にソーセージを口に運ぶ。
いつもと同じ朝が、今日も始まった。