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同棲喰人鬼  作者: 代篠
11/13

最終話 第三幕

 ふと目を覚ますと、そこは暗闇だった。回転の悪い頭で、俺は一つ一つ周りの様子を確認していく。

 どうやらここは室内らしい。既に日は落ちている。そしてこの全身を包む布の感触――布団か何かに入って横になっているようだ。額には、僅かに湿ったタオルが乗せられている。

 と、次第に目が暗闇に慣れてきたので、俺はゆっくりと上半身だけを起き上がらせると、少し目を凝らしてみた。

 朧げにテーブルやタンスといった家具の形が見えてくる。布団かと思ったが、どうやらベッドの上にいたようだ。そしてすぐ目の前には、フローリングの床に座り込んだままでベッドの縁に腕を掛けながら眠っている木崎さんの姿があった。

 あまりにも近くに木崎さんの顔があったので少し驚いていると、さらに俺の目は暗闇に順応していった。すると、テーブルの向こうでアカが寝息を立てながら横たわっているのも確認できた。

 ベッド横のチェストの上に置いてある時計を見てみると、短針は既に十一時を指している。長針と合わせると、もう少しで日を跨ぐようだ。

 俺は木崎さんを起こさないようにそっとベッドから抜け出すと、その場所全体を見渡すようにしてフローリングに立った。

 ――どうして俺はここにいるんだろう?

 数秒ほど頭の中の記憶を探ってみるが、何かが引っ掛かって思い出せない。確か、悠貴さんから逃げるグーラを追って、木崎さんと共に公園に……――

「いッ!?」

 その時、不意に俺の右肩にズキッと痛みが走った。思わず左手で押さえつけてから見てみると、ちょうどTシャツの肩の部分が破かれ、そこに包帯が巻きつけられている。暗いので確認しにくいが、じんわりと血が滲んでいるようにも見えた。

 ――……そうだ。本能に支配されたグーラを体で止めて、そのまま気を失ったんだった。

 その後はどうなったんだ? おそらく今の状況から推測するに、木崎さんとアカに発見され、そのままここ――冷蔵庫横に積まれている大量の酒から見て、アカが住むアパートの一室だろう――に運び込まれたようだ。

「ふぅ……」

 俺は肺の奥から深く息を吐き出した。その溜め息には複数の意味が込められている。疲労や安堵、そして感謝。二人はきっと、ずっと俺の介抱をしてくれていたのだろう。

 ついさっきまで自分に掛けられていた布団と毛布を手に取ると、俺はそれぞれを木崎さんとアカにそっと掛けた。

「……ありがとう」

 起こさないように小声で感謝の辞を述べる。するとそれに答えるように、木崎さんはにんまりと口を曲げた。どんな良い夢を見ているのだろうか。

 と、そこで俺はふとグーラの姿が見当たらないことに気が付いた。てっきり俺と一緒に、木崎さんとアカに保護されたものだと思ったが――まさか、また悠貴さんが……!?

 見逃すだなんて言ってあの場は去っていったが、あの男なら考え得る。そもそもあの状況で見逃されたことこそが不思議なんだ。最初はあんなにも鬼を祓うことに躍起になっていたのに――情があるだなんて言葉は、とてもじゃないが信じられない。

 だとすれば、こうしてはいられない。俺は言ったんだ――守ってやるって。絶対に守ってやると、俺はグーラに約束したんだ!

 そこからの俺の動作は素早かった。手探りで部屋を出てから玄関まで辿り着くと、暗闇の中で自分の靴を履いた。さらに目の前のドアの内鍵を外し、ドアノブを回す――その時だ。突如背中から声を掛けられ、俺は驚いて後ろに振り返った。

 暗闇の中で、人の影がゆらりと揺らめく。それはアカだった。寝ぼけ眼を擦りながら、大きく欠伸をしている。

「ふわぁ~……信太郎、起きたんだ。ってか、何してんの?」

「あ、アカ……。いやその、グーラが……」

「グーラ?」

 アカはその場でさっと部屋の方を見渡した。そして首を僅かに傾げながら、

「ありゃ? 本当だ、グーラがいない。おかしいなぁ……」

「おかしいって……グーラはここにいたのか、さっきまで?」

「うん、悠美ちゃんと一緒になって信太郎に付きっ切りだったんだよ。少なくともあたしが寝るまではいたけど……」

 ……どういうことだ? ついさっきまでは、グーラはここにいた――つまり木崎さんとアカに、ちゃんと保護されたということだ。それに、グーラが一人でここを出て行く理由はない。この部屋には皆がいる――安全な場所だ。ここにいれば、悠貴さんという恐怖にはとりあえず晒されることはないはずだ。

 だけど、グーラはいない――それが現実だ。何がどうしたのかは分からないが、再びグーラが消えたということだけが現実として残っている。

「と……とにかく俺はグーラを捜しに行ってくる。まだ遠くには行ってないかもしれない……!」

「あっ、あたしも行くよっ! まだ昼間の、悠美ちゃんの兄貴がうろついてるかもしれないしね」

 どうやら俺が眠っている間に事情は聞いたらしい。アカは手早くスニーカーを履くと、俺と共に部屋を飛び出した。

 そこは何軒かの家や集合住宅が並んで建っているような所だった。ちょうど俺が住んでいる大学近くのアパートの周りに似ている。時間帯のせいか、円い月と星が綺麗に見えた。

 最初、グーラを捜して走りながら、俺は二手に分かれようと提案した。しかし、それは断固として却下された。理由は、また俺に倒れられては困るからだそうだ。……確かに否定は出来ない。

 それにアカとは違って、俺はこの辺りの地理を全く知らない。それを考慮すれば、彼女の言うとおり一人よりも二人で行動した方が効率は良かった。

 そして、グーラを求め回ってからどれほど経った頃だろうか――。

 俺達は小さな街灯だけが等間隔にポツポツと設置されている路地で、肩を落とし、顔を下に向けながらトボトボと歩いているグーラを発見した。

「グーラっ!」

 ダッと、俺は彼女の元に駆け寄る。辺りに悠貴さんの姿は無い……。やはりグーラが自主的に外に出てきたのだろうか――しかし、どうして?

 グーラは歩みこそは止めているものの、依然頭を下げているために表情は読み取れない。しかも一言も発せず、ただジッと自分の足元を見ているだけである。

 だがそれでも、俺は心の中でホッと胸を撫で下ろしていた。少し様子はおかしいが、何にせよグーラが無事なようで良かった。

「……まぁ、話はまた後だ。ほら、グーラ」

 色々と疑問は残ったままだけれど、まずはアカのアパートに戻ろう。こんな暗い道端では、満足に話をすることも出来ない。

 そう思い、俺はグーラに向かって手を伸ばした。それと同時に、戻ろうと優しく語りかける。

 しかし次の瞬間、俺が差し出した手は、他でもない彼女自身に否定された。

「……え?」

 相変わらず顔を上げないままで、グーラは静かに首を横に振った。それは明らかなる拒否の証――俺の手は取らないという意思の表れだった。

「ど、どうしたんだい、グーラ? ほらっ、あたしん家に帰ろうよ?」

 その一部始終を隣で見ていたアカが、少々ぎこちなく笑いかけながら同じように手を差し出した。しかしまたもや、グーラは小さく首を振る。そのいつもとは大分雰囲気が異なるグーラに、さすがのアカも目を見開いて驚いているようだった。

 と、俺達が行き場を失った手を戻すことも出来ずにいると、不意にグーラは歩みを再開した。

「ちょ、ちょっと待て、グーラ!!」

 俺とアカのちょうど間を通り抜けようとするグーラの手を掴み、俺はやや無理矢理に彼女をこの場に繋ぎとめた。しかし、それでもまだグーラは足を止めようとはせず、こちらに背を向けながら無言で腕に力を入れている。それに対し、俺もその手を放すまいと指に力を入れた。

「どうしたんだ、一体!? どこに行く気なんだ、グーラ!?」

「……………………」

 ――無言。どれだけ声を掛けても、グーラは一向に口を開こうとしない。

 それは普段の彼女からは想像も出来ない態度だった。まるで別人――そう、ちょうど彼女が本能に支配されている時のようだ。

 ……いや、似ているが違う。本能に支配されたグーラはその行動のままに荒々しさを漂わせているが、今目の前にいるグーラからはむしろ悲愴感のようなものが滲み出ていた。

「ねぇ、グーラ。何か言ってよ……」

 アカも心配そうに眉をひそめている。それでもグーラが何かを言う気配はない。

「グーラ、頼む。何か……何でもいい。黙ってないで喋ってくれ!」

 そうでないと始まらない。グーラが何かを言ってくれないと、ここから先には進めない。グーラが何をしようとしているのか――そしてその理由を聞かない限り、俺はこの手を放すわけにはいかなかった。

 その時だった。俺達の言葉がようやく届いたのか、ふっとグーラの腕に込められていた力が抜けた。そして依然こちらに背を向けたままで、彼女は小さく、いつもの口癖を呟いた。

「……うち、帰る。グーラ、お父さんとお母さんの家に帰る。しんたろーとは、もう会わない……」

「なんっ……! 何言って……どういうことだよ、グーラ!?」

 グーラがやっと零してくれた言葉に、俺は思わず声を荒らげた。どうして――意味が分からない。グーラの真意が俺には理解出来なかった。

 が、そこで俺はふと悠貴さんの言葉を思い出した。

『この鬼の娘がもう二度と人間の前に姿を現さないというなら、祓わずにいてやる』

 そうだ……。グーラは今日、命の危険を感じたんだ。訳も分からずに恐怖を感じ、どこまでも追いかけてくる男から必死になって逃げる――それは、どれほどまでに恐いことだったのだろう。

 そんな男が提示したグーラを見逃すための条件が、二度と人間の前には現れないこと――つまり、俺とはもう会わないということだ。

 俺は知っている。グーラが、俺のことを大切な人だと思ってくれているということを。でも、それと自分の命とを天秤に掛けたなら、それは――

「グーラ……っ」

 俺は、グーラを掴んでいる方の手の力をスッと緩めていった。

 誰しも、自分の命は大事だ。もちろん俺だって大事だ。当然、グーラだって大事に決まっている。

 そう考えれば、グーラが帰ると言い出したのは至極当たり前のことだった。死にたくない――生物の、最も原始的な本能だ。どれだけ理性を保っていて、本能を押し潰していたとしても、これだけには逆らえない。グーラは生物として、ごく自然で正しい選択をしただけなのだ……。

 そして俺が完全に手を放すと、グーラはおもむろに歩き出した。アカはどうしていいのか分からず、珍しくオロオロとしながら俺達を交互に見つめている。俺はジッと、彼女の背中を見送っていた。

 ……これで、もう会うことはないのかもしれない。でも、グーラが無事なら、俺はそれで……。

 しかし次の瞬間、グーラが数メートル行ったところでピタリと足を止めた。一体どうしたのか――そう思っていると、彼女はフイッとこちらに振り返ったのである。

 その顔はこれでもかと言わんばかりにクシャクシャに歪み、微かに腫れぼったくなった目からはボロボロと涙が溢れていた。

「グーラがいたら、しんたろーに迷惑かかる。怪我して、倒れて――それにグーラ、しんたろーのこと噛んじゃったから。だから、だから……さようなら。……ごめんなさい」

 それだけ言うと、グーラはまたこちらに背を向けた。そして次第にゆっくりと遠ざかっていく。

 その一方、俺の頭は真っ白になりかけていた。

 グーラは自分の命が惜しいから、俺の前から去ろうとしているんじゃないのか? 自分のために今、歩いているんじゃないのか?

 ……俺のためなのか?

 確かにグーラと出会ってから、俺は色々な面倒事に巻き込まれた。今回のことは特にそうだ。グーラとさえ出会っていなければ、俺は普通の生活を送っていただろう。こんな怪我も、もう少しで死ぬような思いもせずに……。

 だからグーラは、それを責任に感じて――俺のために、俺の前から去ろうとしているのか!? それを、俺は……ッッ!!

「グーラぁっ!!」

 俺は走った。真っ直ぐに、先行く少女の背中を追った。そしてその小さな体を、後ろから抱きしめた。決して放さぬように強く、ギュッと――。

「行くな、グーラ! これ以上、もう進むなっ!」

「あうっ……!? でも……でも、しんたろー……」

 グーラの声は震えていた。嗚咽混じりの涙声だ。

「グーラと一緒にいたら、しんたろーが怪我して、倒れたり……」

「大丈夫、俺は見た目より頑丈なんだ。ちょっとくらいの怪我なんてすぐに治るさ」

「でも、またグーラがしんたろーのこと噛んじゃうかもしれないし……」

「その時は俺が正気に戻してやる! 何度も、何度も――次からは、お前に噛まれる前にな」

「でも……――」

 グーラが次の言葉を紡ぎ出すよりも先に、俺は彼女に回していた手で、その体をグイッとこちらに向かせた。幾つもの大粒の涙が頬を伝っている――近くで見ると、本当に酷い泣き顔だ。

 そんなグーラの目を、俺はジッと見つめる。真正面から、決して逸らすことなく、ただひたすらに見つめる。

 そして俺は自分の気持ちを――嘘偽りの無い本当の思いを、ハッキリと口にした。

「俺がいてほしいんだ! 俺が、グーラにいてほしいんだっ! どれだけ怪我をして、どれだけ大変な思いをしても、グーラがいなくなるのは嫌なんだ!! 何があっても俺が絶対に守ってやる! ずっとお前を安心させてやる! だから……だからっ!! どこにも行かないでくれ、グーラ!!」

 それが俺の全部だった。心の中の全部――俺はそれを、グーラにぶつけたのだ。

 グーラは相変わらず泣いていた。けれどもその涙は、数秒前までとは何かが違っていた。

「……いいのか? グーラ、しんたろーと一緒にいても、いいのか?」

「うん、良いんだ。一緒にいよう、グーラ」

「しん、たろー……」

 その瞬間、静かに涙を流しているだけだったグーラが、ワッと声を出して泣き始めた。今まで我慢していた分を全て口から吐き出し、大きな声で泣き崩れた。

 そんなグーラを、俺はソッと抱き寄せた。胸を貸し、その小さな背中や柔らかい髪を揺らしている頭を優しく撫でてやる。しばらくの間、俺はそうやって彼女を包んでいた。もう二度と離さぬよう――グーラと、ずっと一緒にいられるよう――。

 しかしその時、不意に俺達の間に口を挟む者がいた。その人物を確認するや否や、俺は咄嗟にグーラを自分の背中に隠した。

「悠貴さん……」

 一体どこから現れたのか、いつから見ていたのか――街路灯の光に照らされるようにして立っている悠貴さんは、昼間と変わらぬ冷たい視線を眼鏡越しにこちらに飛ばしていた。

「……愚かだ」

 小さく吐き捨てるように、彼はもう一度同じことを言う。俺はそれに対し眉間に皺を寄せると、悠貴さんをキッと睨みつけながら口を切った。

「何が愚かだって言うんですか?」

「決まっているだろう。去ろうとする鬼を引き止めるという、お前の馬鹿な行為だ」

 眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、悠貴さんは懐から御札を取り出した。瞬間、俺の服の裾を掴むグーラの手が震えたが、俺はそんな彼女の手を後ろ手にギュッと握ってやる。

「……また、グーラを祓うなんて言い出すつもりですか?」

「当然だ。その鬼が去らぬというなら、祓う以外に道は無い。小野塚信太郎……これは、お前のためだ」

 一歩、二歩――目の前の男は、ゆっくりとこちらに向かって歩き出す。対して、俺は次にどういう行動に移ろうかと考えを巡らせていた。

 正直な話、再び悠貴さんと取っ組み合っても勝てる自信はこれっぽっちもない。なら、やはり逃げるべきだろうか。グーラを抱えて、この男から――駄目だ。逃げ切る自信も、やはりない。

 しかし、それでもやらなきゃいけない。どうにかしないといけない。俺は決めたんだ――もう、グーラと離れ離れにはならないと!

 と、その時、俺と悠貴さんとの間にまた別の誰かが割り込んだ。それは他でもないアカだった。両手を横に広げ、俺とグーラを庇うようにして悠貴さんの前に立ちはだかる。

 そしてアカは強い口調で悠貴さんに言葉を投げた。

「あんた、何で鬼を祓うんだい?」

「……人を喰らう鬼は、人間にとって害悪でしかないからだ」

 さも当たり前のように悠貴さんは答える。するとアカはムッと顔をしかめながら、

「何にも知らないくせに、勝手に決め付けるんじゃないよっ! あたし達にだって事情がある――食べたくて食べるわけじゃない! それを聞かないで一方的に鬼が悪いと決め付けるって言うなら、そっちの方がよっぽど酷いじゃないかっ!」

 それは俺が初めて見るアカの怒りであった。彼女は肩をわななかせ、訴えかけるようにハッキリとした声でそう言った。

「……事情……?」

 その一方で、意外にも悠貴さんは少し目を丸くしていた。足の歩みも止まり、ジッとアカの顔を見つめている。その表情は、まるで何かに驚いているかのようだ。

「鬼が人を喰うのに、事情があると言うのか? 理性も持ち合わせていない物の怪が――」

「理性が無くて賃貸契約が出来るかっ!」

 悠貴さんの言葉に噛み付くように、アカは自分達に理性がないということを否定した。その言葉で、さらに悠貴さんは目を丸くする。

 しかし直後、悠貴さんは短く舌打ちをすると、その目をフッと元に戻した。そして眉をひそめながら、

「っ……。僕としたことが、鬼の言葉なんかをまともに受け取ってしまった。鬼を――物の怪を信用するなど出来るはずもない!」

 強情――おそらく悠貴さんの性格を一言で表すのなら、それが相応しいのだろう。彼の中においては『鬼は害悪』という考え方が絶対なのだ。おそらく陰陽師の修行の中で、それだけをずっと教えられてきたのだろう。

 ……だとしたら、もしその考えに揺らぎを与えられれば――彼の考え方に波紋を呼び起こすようなことがあれば、もしかすると――。

 俺がそんなことを思った時だった。俺でもない、アカでもない――また別の何者かが、悠貴さんの言葉を否定したのである。悠貴さんはそれを耳にした途端、ハッと後ろに振り返った。

「そんなことない……! そんなことないよ、お兄ちゃん」

「悠美、お前……!?」

 突如姿を見せ、さらに自分の言葉を否定した妹に、悠貴さんは驚きを隠せない様子だった。それに反して木崎さんはまるで落ち着いた口調で、悠貴さんに対して言葉を続ける。

「お兄ちゃんが考えていることは、私にも分かるよ。お兄ちゃんのような力はないけど、私だってずっと小さい頃からお父さんの話を聞いてきたんだもの……。だから、お兄ちゃんがどういう風に鬼を見ているのかを理解出来る」

 そこで一度、木崎さんは言葉を切った。そして次に口を開いた時、その口調はアカのように強いものに変わっていた。

「でも! それでも私は二人を信じる! 古臭い昔話なんかより、私は目の前にいる二人のことを信じる! 私は、二人を信じている自分自身を信じる!!」

 その目には、強い意志の光が輝いていた。何事にも曲げられない強い光――それほどまでに彼女が俺達のことを信じてくれているのだと思うと、何とも言えない感情が心の底から込み上げてきた。嬉しい、ありがたい――そういう色んなものを全てごちゃ混ぜにしたような感情だ。

 そしてその光は、悠貴さんにも確かに届いていた。

「……信じる? 悠美は、鬼を……こいつらを信じるというのか? こんな、物の怪を……!?」

 その顔に、動揺の色は隠せていない。きっと悠貴さんにとっては、昔から自分と同じ話を聞いて育ってきた木崎さんは、僅かな差異はあれど自分と同様の考え方を持っている者だったのだろう。しかしそれは今まさに脆くも否定されたのだ。

 そんな彼を見て、俺はこれをチャンスだと受け取った。

「悠貴さん、聞いてください」

 つい先程まで剥き出しにしていた闘争心を胸の奥に仕舞い込み、俺は努めて口が激しくなるのを抑えた。悠貴さんは依然動揺したままの表情で振り返る。

「悠貴さん……あなたはあなたで、俺のために行動してくれていたんですよね? そのことについては、ありがとうと言わせてもらいます。だけど、これは覚悟の上の決断なんです。魅了されたとかそんなことじゃなくて、俺自身が考えた末に至った答えなんです。だから、お願いします。一度だけでいいから、俺を――俺達を信じてください」

 こんなことを言っても、悠貴さんなら軽く一蹴するだろう。だがそれでも、俺は木崎さんのように信じることにした。悠貴さんが俺達のことを信じてくれることを、信じることにしたのだ。

 ――理性とは人間を人間足らしめるもの。その悠貴さんの言葉通り、俺達には理性というものがある。そして『信じる』という行為は、理性があるからこそ出来ることだ。……昼間の俺にもう少し余裕があれば――暴力なんて短絡的思考に陥らなければ、もっと良い道が開かれていたのかもしれない。

「悠美……。小野塚、信太郎……」

 悠貴さんは、俺と木崎さんを交互に見比べていた。すっかり困惑しきった表情を浮かべて、まばたきも多く、頻りに口の隙間から小さな息を漏らしている。

 そんな彼を、俺はそれこそ穴が開くまで信じ続けた。彼の心に届くように、ジッと、ずっと――

 そして数瞬。不意に悠貴さんが口を開いた。

「……鬼は害悪だ。陰陽師である僕にとって、それだけは曲げられない。それを曲げることは、僕の存在の否定になる」

 悠貴さんは俺に対して真っ直ぐに体を向けていた。彼の中で考えが纏まったのか、つい先程よりかは幾らか落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 彼の言葉を聞いた直後、俺はこの期に及んでハッと身構えかけた。しかし例えまた昼間の繰り返しになるとしても、俺は悠貴さんを信じると決めたのだ。

 すると次の瞬間、悠貴さんはその手に持っていた御札を、静かに懐へと戻した。

「だが陰陽師だからこそ、僕は人を信じたいと思っている。人を信じない者に、人を救うことなど出来ない――それが僕の考えだ。だから小野塚信太郎……僕は、お前を信じてやる」

「悠貴さん……!」

 俺は、自分の中で何かがパッと晴れ上がっていくのを感じた。嬉しかったのだ――それこそ、先程の木崎さんの強い光を感じた時と同じくらいに。

「しかし勘違いはするな。僕が信じるのは、あくまで人間であるお前だけだ。そこの鬼共を信じる気はない。それに今回は見逃すが、もし今度そいつらが人間に害を為したら――その時は、もう容赦はしない」

 最後にそれだけを言い残すと、悠貴さんはそのまま俺に背を向けて歩きだした。俺達はそれを、その背中が小さくなって見えなくなるまで無言で見送り続ける。

 そしてとうとう悠貴さんの姿が闇に消えた瞬間、アカが「ぃやったー!」とガッツポーズを繰り出した。

「お、小野塚君! グーラちゃん!」

「やったね、二人ともっ! 信太郎の大勝利だよっ!」

 木崎さんとアカの二人が駆け寄って来る最中で、俺は自分の後ろにいるグーラに顔を向けた。すると振り向いた刹那、同じように視線を上げた彼女と目が合った。

 グーラはまだ少し涙を浮かべながらも、その顔にはしっかりと喜びの表情が刻まれていた。嬉し涙が頬から顎を伝って地面に落ちている。そしてきっと、俺も似たような顔をしているのだろう。

「しんたろー!」

「うわっ!?」

 いつも通りの元気な声と共に地面を蹴り、グーラは勢いよく俺に飛びついて来た。俺は僅かに上半身を反らすことで彼女を受け止めると、そのまま背中に手を回し、ギュッと抱きしめてやった。そして二人して互いの顔を見つめていると、不意に大きな笑いが込み上げてきたのである。

 この笑いはきっと幸福感の表れであろう。だとしたら今の俺は大爆笑だ。何故なら、またグーラと一緒にいられるんだから――そしてこれからもずっと――。

「グーラ……グーラ――。良かった……」

 木崎さんとアカの笑顔も加わり、笑いが周りを包む中で、俺は上手く言葉を紡げないでいた。笑みの合間に良かったという言葉だけを繰り返し、グーラと共に顔を合わせているだけだ。

 この今の気持ちを、どう上手く表現すればいいものなんだろう? ただ笑いながら溢れ出てくる涙を拭いているだけでは、やはり駄目だろうな。

 と、その時、グーラが一際大きな声で俺の名を呼んだ。

「しんたろー、ありがとう。グーラ、しんたろーのこと大好き!」

 そして次の瞬間、俺の頬にグーラの唇が触れた。一瞬、顔が一気に熱くなったのを感じた俺は驚きで目を丸くしたが、フッと口の端を上げると、彼女を抱きしめる腕に力を入れながらその耳に囁いた。

「あぁ。俺も好きだよ、グーラ」

 ……なんだ。こういう時の気持ちを表現する方法なんて、こんなにも簡単なことなんだな。

 そのまま俺達は笑いあっていた。いつまでも飽きることなく、ずっと――グーラと共に、ずっと――。

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