優しさの暴力
掲載日:2025/12/12
好意は、ときに免罪符になる。
善意だから。
心配しているから。
あなたのためだから。
そう言って、
境界線は越えられる。
触れること。
踏み込むこと。
管理すること。
選択を狭めること。
それらは、
好意の顔をして近づいてくる。
けれど、
好意は侵害を許可しない。
善意は、自由を奪う理由にならない。
私は、
誰かの不安を鎮めるために
自分の身体や生活を差し出さない。
守ると言われた手が、
私の選択を奪おうとしたとき、
それはもう、
愛ではない。
それは暴力だ。
声を荒げる必要はない。
争う必要もない。
説明を重ねる義務もない。
ただ、
線を引く。
好意は免罪符ではない。
正しさは、通行証ではない。
私は、
奪われないために拒む。
それは冷酷ではない。
誠実な選択だ。
境界線は、
優しさを壊すためにあるのではない。
優しさが、暴力に変わらないために在る。




