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第1話 祈りの始まり

春の気配がまだ遠い、冷たい風の季節だった。

山の麓にある小さな社の奥、白衣の少女がひとり、膝をつき手を合わせていた。


咲弥。十五歳。黒髪は背の下までまっすぐ伸び、横顔は儚く光に溶けるようだった。

その瞳だけは、時代に似合わぬほど澄んで力強く、まっすぐ人を見つめていた。


世界は荒れていた。

村と村が争い、家と家が奪い合い、隣人同士さえ互いを疑った。

人々は口々に、こう言った。


「守るよりも、攻める方が強い」

「優しさでは生き残れない」

「信じれば裏切られるだけだ」


咲弥はそのたび胸が痛んだ。

泣いている誰かを見れば、自分の胸も震える。

その痛みは、他人のものではなく、まるで自分自身のもののようだった。


祖母は何度も言った。

「咲弥、お前の優しさは宝じゃ。でも、世の中はその心を食い物にする。守るだけではいつか折れてしまう」


咲弥は首を横に振った。

「折れません。誰かが泣いているのを見ているだけなんて、できませんから」


祖母は苦笑し、頭を撫でた。

「その心は確かに宝じゃ。でも、いつか身を守る術も覚えなさい」


咲弥はその意味を理解するのはまだ先のことだと知っていた。


山の奥の桜の古木の下に立つと、咲弥はひときわ深く息を吸った。

まだ花は咲かない季節。それでも、桜の木の前に立つと心が静かになる。

泣き声も、悲しみも、影のような不安も、すべて吸い取ってくれるように思えた。


膝をつき、手を合わせる。

「どうか……誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るための力が、この世界に生まれますように」


風が吹き、黒髪が揺れ、古木が軋む音がした。

胸の奥で、微かな熱が生まれる。初めての感覚だった。


目を開けると、七つの小さな光が枝の先に浮かんでいた。

季節よりも早く、桜の花弁のように、淡く紫色に輝く光。

その花弁が風に舞い、ひとつずつ咲弥の胸へ吸い込まれた。


身体が震え、世界の音が消えるような静寂が訪れる。

声なき声が胸に届く。


“その願い、確かに受け取った”


痛みはない。むしろ、涙がこぼれるほどの温かさ。

咲弥の頬を伝う一粒の涙が、胸の奥の光に吸い込まれる。


世界の理がひとつ、静かに変わった瞬間だった。


まだ形を持たない小さな光のつぼみ。

しかし、この光は、未来へ繋がる“守る力”の芽生えだった。


咲弥は胸に手を当て、静かに目を閉じる。

「ありがとう……私の命を、守る心のために使います」


春の風が吹き抜け、季節よりも早く、ひとひらの桜色の光が舞った。

咲弥の物語は、ここから始まった。


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