02_奴隷輸送車
「するってえと、お前は記憶喪失ってことか。何一つ思い出せないのか?」
奴隷商見習いのカルロが御者の隣から僕に声をかけた。
川で目覚めてからここに乗せられるまでで、意識はかなりクリアになった。
しかしどれだけ思考がクリアになろうとも、覚えていないものは覚えていない。
記憶は一切残っておらず、知識も断片的にしか残っていない。
知っていて当然の物を知らないらしいし、もともと知らなかったなんてことはないだろう。
「はい、体の動かし方と、話し方以外は、何一つ。」
「ほぉー。ダンさん、これは、値のつけにくいのが来やしたね。」
どうやら僕は値のつけにくい奴隷らしい。奴隷というのが何なのかは知っている、金で買われて働く人たちだ。
カルロの問いに、ダンは髭をなでながら空を見つめた。わかってねえな、という顔だ。
「いや、そうでもない。
拾われてすぐここまで回復するこいつの丈夫さは売りもんになりそうだ。
言葉遣いが丁寧で素直なのも良い。高度なことをさせなけりゃ、いい奴隷さ。
だが、こいつは常識とかそういうモンも失ってそうだ。
今から奴隷にされようって時に抵抗一つしねぇしな。
カルロ、お前しばらくこいつの話相手になって、最低限の常識を思い出させろ。
そうしたらむしろ良い商品になる。」
「なるほどな。勉強になりやす」
カルロは御者の隣から幌の内側にするりと入り込むと、僕の目の前にドカッと座り込んだ。
代わりにダンは御者の隣へ抜けていった。
カルロは僕の目をジロジロと見ながら話しかけた。
「おい、お前。俺はお前がどの程度常識がないのかわからねえ。
だから、目についた中で気になるモンがあれば、何でも聞け。
そこから掘り下げて、お前に常識を教えてやる。」
先程の話にもあったが、どうやらカルロは僕に常識を教えてくれるようだ。
僕の常識的な考え方が失われているのは、知識が断片的にしか残っていないせいだろう。
断片的にというのは、僕の視界で例えるなら、
僕の両腕を拘束しているのは枷で、枷から伸びているのは縄だ。先程僕を起こした傭兵が手入れをしているのはセラミックの剣だ。
という風に、大体の物については知っている。だが知らないものも存在する。
傭兵が指に着けている金属製の輪とか、ダンが御者の隣で食べている果物とか。
知らないものの中でも特に重要度が高そうなものは、この荷台を牽いている蟲や、先ほど傭兵の言葉にあったノースランドという言葉などだ。
「ありがとうございます。
まず、この荷台を牽いている、その大きな蟲について知りたいです。」
「ん?ああ、お前、蟲についての知識も欠けてるのか。
蟲はまあ、俺二人分くらいのデカい奴もいれば、小指の先よりも小さい奴もいるが、覚えとかなくちゃいけないのはデカいのだ。
デカいのは、人を襲う。人以外でも、食えそうなやつ。犬とかその辺も襲って食う。
だが、デカい奴の中でも、いま車を牽いてるこいつらとかは別だ。
こうやって車牽いたり、国から国へかっ飛ばしたりできるやつもいる。」
カルロは得意げに蟲の説明を続ける。
蟲。
カルロの言葉で何となく理解ができた。
人間の脅威であり、恵みでもある存在のようだ。
そんな中、空から、カラカラカラと乾いた木を打ち鳴らすような音が聞こえてきた。
幌から顔を出して空を見ると、4枚の羽根をはやした縦長の蟲が空を飛んでいるところだった。
「飛ぶ奴もいて、これが一番怖え。
あんまり人間は狙わねえが、陸の奴と違って、つかまれて落とされたらそんで死んじまうからな。
だが、飛ぶ奴は遠くに手紙を届けたりしてくれる。
商人ギルドに頼るより高いが、とてつもなく早え。」
それほど社会に深く根付いた存在であるなら、当然記憶を失う前の僕も深くかかわっているハズだが……
この話を聞いても思い出せないということは、どうやら以前の記憶は相当深くまで沈み込んでしまっているようだ。
それよりも、今はカルロを質問攻めにすることを考えよう。
先程の説明に出てきた、商人ギルドという言葉が気になった。
「ギルドというのは?」
「同業者の寄り合いだな。商人だけじゃなくて、俺たちみたいな奴隷屋や傭兵、鍛冶師に大工なんかの同業者が集まって大陸中に連絡網を持ってるのさ。
そうすることで大陸の端から端まで荷物を届けるとか、飢饉が起きた時に対応が早くなったりするんだ。」
「じゃあ、この人たちは、大陸の端から来たのですか?」
僕は周りの奴隷たちを見回しながら聞いた。
「いや、こいつらはむしろ大陸の中央、紛争地帯から連れて来たのさ。
これからお前はこいつらとアンダの街で売られるんだ。」
「売られたら、どうなるんです?」
「そりゃあ当然働くのさ。
奴隷自身ができることによって内容は変わってくるが、お前みたいなバカはたいてい労働奴隷だ。
運がよけりゃあ、誰かに買われるかもしれねえが。
なに、しっかり働けば10年かそこらで自分を買って、解放奴隷になれるさ。」
奴隷になったものは一生を奴隷として過ごすというわけではないらしい。
単純労働を10年間も続けるのは厳しい条件だと思うが……。
「俺も奴隷だったクチさ。読み書きができたからダンの旦那に買われて、算術を学びながら奴隷やってたんだ。
俺は労働奴隷じゃなく家内奴隷だったから、解放も早くて5年だった。マシな方さ。」
「逆に最低なのは戦争捕虜や、他種族、特にネオンの奴らだな。
そういうのは一生奴隷だ。
死ぬまで遺物を掘って過ごしたり、
戦争で最前線を歩かされたりするんだ。」
奴隷の中にも様々な種類があり、単純労働だけではなく業務の補助や戦争の矢避けに使われたりするらしい。
しかしネオンというのは何だろう。
「ネオンというのは?」
「ネオンってのは全身毛の生えてるキツネみたいな顔した種族の事さ。
後ろの荷台を見てみな。」
カルロが顎で指すのに従って後ろを見ると、幌の内側から、言われた通りのキツネ顔が十数人見えた。
毛の色はそれぞれ違ったが、毛並みはゴワゴワだったり、乾いた血のようなものがついている者もいる。戦争捕虜、というやつだろうか。
この荷台に乗せられている奴隷たちと比べると、表情に陰りが見えた。
これからの悪い待遇を想像して、絶望しているような顔だ。
「あいつらがネオンだ。
俺たち人間と比べて病気にもなりにくいし力も強いが、長くて50年しか生きられねえ。
人間を目の敵にしてる奴が多いな。
まあノースランドにも、ネオンの国民をぶっ殺してきた歴史があるがな。」
「他種族にはほかにもノイドって奴らがいる。
こいつらは全身がセラミックみたいに硬くて、鉄のように冷たいんだが、寿命では死なねえ。
ネオンよりは物分かりの良い奴らさ。
古文明の残した遺物の一種だって言う学者もいる。」
「古文明?遺物?それにノイドというのは…」
「おい!アンダの街が見えてきた。
カルロ、その辺にしといて、準備しな!」
いきなり溢れてきたわからない言葉たちについて聞こうとするも、ダンが前から叫んだ。
カルロは僕から視線を外し、役目は終わったとばかりに荷物の整理に入った。
もっと色々聞きたかった。
先程からすれ違う蟲車の数が増えていたが、街まで近づいていたようだ。
遠くに城壁のようなものが見える。
僕の運命も、もうすぐ決まるのだろうか。